特別で、大切な一つの組み合わせ

天井つむぎ

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端午の節句の手巻き寿司

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「マグロと……サーモンと……」
「おお~! 豪勢になってきたね~」
買い物カゴの中身を覗いた木佐野凌平きさのりょうへいがケラケラ楽しそうに笑う。
「財布の紐はゆるゆる、羽根のように軽くなったけどな」
「まあまあ、今日は特別な日ですから。まぐろのたたきはどうしますお客様」
「止めてくれ。……こっちで」
なんだかんだ言いつつ、グラム数が多めの方を選ぶ。指をさせば店員でもないのに「毎度~!」と大きな声が響いた。周囲の視線を一気に浴びて相田将志あいだまさしは恥ずか死ぬかと思ったが、耳を打つのは微笑ましいもの。凌平の飾らない満面の笑みは効果絶大だったようだ。
「ね、ぼくも、まぐろのまたたきどんたべたい!」
その中にいた小さな男の子が、母親らしき女性の裾をくんくん引っ張る。幼稚園児くらいだろうか。新聞紙の兜を被っている。
「おっ。いいぞいいぞぼっ君。今日はなんてったって端午の節句。君も主役だ。じゃんじゃんおねだりするといい。因みにうちの晩飯は手巻きず──むぐっ」
「し、失礼しまーーした!!」
他所様の事情を知らず無責任な発言をするどころか、二十三歳の男が堂々と夕飯を明かさなくていい。将志は凌平の口を塞ぎ、逃げるように鮮魚コーナーを後にした。

相田家は至って平凡なサラリーマンと専業主婦の家庭であったが、家族揃ってイベント好きであった。
旅行などのアクティブ系はもちろん、家で行えるイベントにもこれまた力を注ぐ。特に誕生日やクリスマスなんかは折り紙で部屋を飾り、定年後オタク化した絵の上手い祖父がキャラクター達を描いたものをプレゼント──など、料理以外にも全力なのだ。
「とりわけ俺ん家は男兄弟だから、今日みたいな日は張り切ってたね母さん……」
海老の殻を向き、ビニール袋に突っ込んでいく。三角コーナーがあると便利には便利だが、こっちの方がシンクのことを気にせず済む。
「愛が大きくていいじゃん」
真っ暗なスマホから視線を上げた凌平はニコニコと笑う。さっき母から電話があり、「ちゃんと食べてる?」「元気してる?」「凌平君がいるなら安心ね」「そういえばご近所からね……」などお節介なマシンガントークがなかなか終わらなかった。
「時と場合によるよ」
「将志君はまたまた~。この照れ屋さん」
「はいはい。口ばっかり動く凌平君は扇ぎ終わったのかな~?」
完全に宙で止まっている団扇を睨むと、軽く謝罪されてまた酢飯を扇ぎ出した。
「ひい~手が疲れる! 扇風機でやっちゃダメ?」
「働けばご飯も美味しく感じるよ」
「よっしゃあ……木佐野凌平選手、酢飯チャレンジ精一杯頑張ります!」
敬礼、からの脇を締めて拳を突き上げる。動きが暑苦しくうるさい。しかし、どこか無垢な子供みたいな彼の笑顔に弱は恋人だからか。
「おりゃあああ!!」
「ぎゃっ、海老の殻が……っ。強い強い! それから唾は飛ばさないように!!」

阿保の子系イケメン──またの名を木佐野凌平とは同じ学部の同級生だった。だったと過去形なのは、現在退学し、役者のたまごとして養成所に通っているためだ。
「ねえ、一切れもらっていい?」
振り向くと身長百七十後半の男が、十センチ下の男の肩に頭をぐりぐりさせている。
「一枚いいよ」
皿に重ねた薄焼き玉子を箸で一枚取り、凌平へ差し出す。
「いいの? やったぜ!!」
まだ完全に冷え切っていない薄焼き玉子を凌平は手で受け取り、折り畳んで大きな口へ入れる。
「将志の玉子焼き美味しい~」
語尾にハートを付けたような甘い感想。口元はゆるゆるで、横目に映るカレンダーのアニュウェイな彼と同一人物だと考えられない。
ルームシェアを始めたきっかけは、まるで漫画のような出来事だった。
その日、将志は珍しく寝坊をしてしまった。慌てて講義へ行こうと扉を勢いよく開けると、手足の長い男がぶっ倒れていた。まさか扉で? 
全く起きる気配がなく最初は冷や汗を垂らし救急車を呼ぼうとしたもの、遮るように空腹の音がした。
『おなかへった。なにかたべるもの……』
『すみません。これ、弁当とお茶です。食べたら適当に置いてってください。すみません!!』
さすがに見ず知らずの人にない対応だったと別れた後も講義中にも反省して帰ると、容姿端麗の男が将志の部屋で待っていた。
『鍵、閉め忘れてたから……。お弁当ありがとう。すごく美味しかったです!』
圧倒的情報量に脳がキャパオーバー寸前。そもそも芸能界入りを目指し大学を辞めたイケメンの噂は耳にしていたが接点がなく、パニックになったこっちは通報しかけたのだ。
部屋が隣なのもあって妙に懐かれてしまい、絆されてずるずる仲良くしていたら『一緒に暮らさない?』と初キスを奪われた後に持ち掛けてきた。
「まーさーし」
「……あ、何か言った?」
「いつからマヨラーになったの?」
え、と下を向けばツナに大量のマヨネーズ。蓋を取って入れたから取り返しのつかない量だ。
「ど、どうしよ……。す、スプーンで取り出し……」
「俺はこれくらいでもいけるよ。もしくはツナ缶もう一缶か二缶開けて、残った分は明日に置いとこ。海老と混ぜてもいいかも!」
あわあわする将志とは逆に、ケラケラ笑う凌平。
「あ、油っこいぞ!?」
「気にするとこそこ? いいのいいの。明日もチートデーって今決めたから」 
頭をぽんぽんされ、優しく目を細められる。
「活かせ形なんていくらでもある。さて、本日の主役はちょっと休んでおいで。後は俺にドーンと任せて!」
自分の胸を叩く凌平に甘え、将志は洗面所へ向かった。
顔が茹でたてのタコ並に赤く、汚したエプロンよりも先に自分の顔を洗った。

「カンパーイ!!」
「乾杯」
オレンジジュースとサイダー。あまり酒が得意でない将志を気遣ってなのか、こうして乾杯する時凌平は決まってソフトドリンクだ。
「サーモンとまぐろ~、あとたたきも入れて~」
凌平は鼻歌交じりに自己流の手巻き寿司を作っていく。小さめのしゃもじを用意したが、海苔にこんもりご飯が盛られている。はみ出すんじゃないかと冷や冷やしたものの、口を大きく開いてぱくん。
「ん~っ、ふうふ~!」
自分の手で両頬を包み、満足そうな顔をする。将志は食べていないというのに、それだけで心が満たされていく気持ちになった。
飲み込んだ凌平が食べろ食べろと促すので、折角だしいただこう。
(サーモンと錦糸卵をひーふーみ……。細切りにしたきゅうりにマヨをちょん)
それらを包み、ワサビ醤油に海苔とご飯を少しつける。──パクリ。
とろっと油の乗ったサーモン、錦糸卵はほんのり甘い。きゅうりで食感がみずみずしく変わり、楽しい。ワサビ醤油やマヨが全体を引き締めつつ各素材の良さを引き出し、なんといっても酢飯が美味しい。
(凌平が酢飯たくさん盛ったのもわかるな。おにぎらずっぽくしてもいいかも)
黙々と食べていたら視線を感じて向かい側を見る。ニコニコ笑う凌平に思わず笑って「何?」と聞き返した。
「普段も美味しそうに食うけどさ、今日は特に楽しそうに食べるなって」
こくん。凌平に比べると一口が小さい将志は食べ終わるまでに時間がかかった。
視線を正面から、食卓を埋め尽くす刺身に混ざる柏餅に目を落とした。
「単に手巻き寿司が好きなのもあるけど、俺にとって、端午の節句……こどもの日は大切な日なんだ」
三人の子供が男兄弟だろうと、相田家にも桃の節句は存在した。お内裏様とお雛様を載せたケーキに三色団子、ひなあられといった甘味はもちろん、メインは寿司桶のちらし寿司。桜でんぶで彩られた鮮やかなピンク、目を引くマグロ、散らされた海苔、優しい色の錦糸卵。その見た目に無垢な少年の心は惹き付けられた。
『なんでおとこのこのひには、おひなさまみたいなおすしがたべられないの?』
ちまきや柏餅を食しながら、純粋な疑問を家族に投げ掛けたことが『相田家恒例行事・端午の節句に手巻き寿司』イベントの起源となった。小学校へ上がるまで我が家の当然が他所の家庭だと普通じゃないことを知らずにいた。
「そうだな」と吐息を漏らすように、耳を傾けていた凌平が目を閉じて呟く。今日、初めて凌平と端午の節句を過ごす。相田家は毎年何を食べるかを話した時、やっぱり少し驚かれた。
「将志の誕生日でもあるからな」
「……えっ」
返ってきたのは、想像していたのとちょっと違っていた。
「えっ、じゃないだろ? 五月五日は相田将志の誕生日。さっきの電話でお母さん達も祝ってただろ」
あの日。少し驚いた凌平は、次の瞬間には笑顔でこう言った。
「前も『一年で一番将志が主役の日なんだな』と話したのもう忘れたか? 手巻き寿司ってある意味凄いよな。ちらし寿司とかはみーんな混ぜ込んで一つになるけど、手巻き寿司は一つ一つ違う。何十、何百種類の一瞬一瞬の組み合わせ方があって、全部美味しい」
食卓全体を優しい眼差しで眺めた凌平の目が、将志を捉える。
「将志と出会えて、時間を共に過ごせるのも何かが組み合わさったからだろうな」
自分を愛してくれた恋人は、子供みたいな人だ。
無邪気で、たまに無神経で、けどすごく真っ直ぐで。
時が経ち、社会に揉まれたらくすんじゃいそうな心さえ、ピカビカだ。
(目頭が熱い……)
「将志」
呼び掛けられ、ぐっと凌平が身を乗り出す。口の端を拭われ、年甲斐もなくおべんとを付けてしまったのかなと考える。
指の背で丁寧に拭くと、柔らかな部位を唇に押し当てられる。いつも急だ。相手の意思とか関係なし。でも、欲しい時にくれる。
「将志、誕生日おめでとう」
「あり……がと」
笑おうとしたら口がひくひくした。凌平は震えるところを解すように指でつんつんする。くすぐったくて、今度はちゃんと笑えた。
本人さえ気付けなかった本当の大切な気持ち。教えてくれた恋人にもう一度感謝の想いを告げ、特別を作っては胃と心を満たしていった。


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