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しねえよ、接吻は!
しおりを挟む「智紀、ちょっと手伝ってくれる」
母親に呼ばれて、智紀は二階の自分の部屋を出て、一階の大きめの和室に向かう。そこは今祖母の部屋になっているのだ。
今日は入院していた祖母が一時帰宅してくる日だ。
智紀の祖母のさち子は、ちょっと前まではとても元気に出歩く若々しい老人として近所でも有名だった。しかし一度風邪をこじらせてしまった時に、合併症やらなんやらがあり、あれよあれよと言う間に弱っていってしまい、とうとう寝たきりの入院生活に突入してしまっていた。
今日一時帰宅したのは、元気になったからではない。逆だ。
「おばあちゃん、もうそろそろ危ないみたい。家に帰りたがってるみたいだし、希望を叶えてあげよう」
母の提案に、父も智紀も兄の祥太も賛成し、一時帰宅が決まったのだ。
「ばあちゃん大丈夫?寒くない?」
智紀は、父と一緒に、病院から借りてきた簡易ベッドにさち子を乗せると、耳元で大声でたずねた。
「おー、智紀、悪いね」
さち子は声を張り上げて言った。
肺が弱ってきていると医者は言っていたけど、さち子の声はまだ張りがあって、元気でうるさい。
声だけは、高校生の智紀よりも張りがあるようだ。
「よし、これで荷物は全部だな。俺はこれから仕事行くから、智紀、すぐにヘルパーさんが来るから、それまでちょっとばあちゃん見ててくれ。
ばあちゃん、ベッドとか何か塩梅が悪かったら智紀に言ってな」
そう言って、父はいそいそと立ち去っていった。
智紀はさち子のベッドの近くに寄った。
さち子は、部屋の窓の方をふと寂しそうに見つめていた。
「ばあちゃん家に帰るの久々だからなー。庭の風景様変わりして見えるだろ」
智紀はさち子の横顔を見ながら言った。さち子の首筋にはたくさんの皺が刻まれており、骨が見えてやせ細ったのがひと目で分かる。
顔色はあまり良くない。寝たきりになる前までは小まめに染めていた白髪もそのままで、それが一層老化を感じさせる。
さち子は窓から目を離すと、ちょいちょい、と智紀に手招きをした。
智紀はさち子に顔を近づけた。
「私もさ、結構最近弱くなってきたじゃないか?だからさ、いつお迎えがきてもおかしくないと思うんだよね」
「何だよ急に」
智紀はドキッとした。
確かに、『今度体調を崩したら危ないかもしれません』と医者が言っていたと聞いた。やっぱりそれをさち子は知っているのだろうか。
「縁起でもねえ事言うんじゃねえよ。ばあちゃん元気じゃん」
「いや、前より悪くなってるね。自分の事だから分かるよ」
はっきりと自信に満ちた顔でそう言ってくる。
「でもねぇ、やっぱり私はちょっとでも長生きしたいタイプのババアでね。ほら、前にテレビでやってたんだけどさ、お笑い見て笑ったり、カッコいい人の歌聞いたりすれば、病気が治るとか元気になるとからしいじゃないか?」
「ああ」
ストレス解消が、免疫力を高める、とかで、笑ったり推し活することがいい、なんてよく聞く。智紀は頷いた。
「何?ばあちゃんもそういう事したいの?お笑いとか見る?ネットで結構見れるから、俺のタブレット貸してやるよ。何がいい?」
智紀はいそいそと言った。もうすぐ死ぬ話なんて聞きたくはない。
智紀はかなりのおばあちゃんっ子だった。
両親が共働きなのと、年の離れた兄もほとんど構ってくれなかったのとで、子供の頃の智紀にはおばあちゃんが一番相手をしてくれた一人だった。
高校生になった今でも、さち子にはかなり弱い。
「ばあちゃん、何かしたいことあるんだ?だから俺の事呼んだんだな?」
智紀がそう言うと、さち子は頷いた。
「ああ、そうなんだ。智紀、聞いてくれるか」
「何だよ」
智紀は何でも聞いてやるつもりだった。それで免疫力が上がってさち子が長生きしてくれるなら嬉しいし、そうでなくても最後まで楽しいことしてもらいたい。
「実は私ね、ちょっと前から『びーえる』っていうのにハマってね」
「うん」
びーえる?何だっけ?お笑いコンビ?アイドルか何かのグループ名か?演歌歌手の通称かもしれない。まだ智紀の脳内で『びーえる』を変換出来ないでいるのに、さち子は話を続けた。
「漫画も良かったんだけどさ、もっと近くで見たくてね」
「漫画、近くで」
智紀はオウム返しする。まだよくわかっていない。
「ごめんばあちゃん、びーえるって何?」
「何だい、智紀は若いのに知らないのかい?あれだよ、男前のあんちゃんと男前のあんちゃんが接吻したりまぐわったりするやつだよ」
「せっぷん、まぐわる。あんちゃんとあんちゃん……!!」
智紀はようやく脳内で『びーえる』を変換出来た。
「ばあちゃん、あの、BLって、その、男同士の恋愛のあれ?なんっつーの?えーっと、衆道的な?」
「そう。それ。衆道のやつ」
さち子はちょっと恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに言った。
「入院してた時に、隣のベッドにいた人のお孫さんがびーえるの漫画を貸してくれてね。いやぁ、あれはたまらないね。あと五十年くらい前に知りたかったねえ」
うっとりと回想するさち子を尻目に、智紀は困惑していた。隣の人のお孫さんよ、一体何をしてくれたんだ。
「それでねぇ。私はもっと身近でBLを堪能したくてね。智紀、お前、お兄ちゃんとイチャイチャしてくれないか」
「やだよ!」
智紀は即答した。
ついさっきまで、智紀はさち子の希望を何でも叶えるつもりでいた。だが希望のハードルが高すぎた。いや、高いと言うかズレていたというか。
「ばあちゃん?俺と兄貴は兄弟だよ?男同士だし家族だよ?イチャイチャできるはずねえだろ」
努めて冷静に智紀は訴えた。
さち子はケラケラと笑った。
「わかってるわかってる。大丈夫、私は兄弟萌だ」
「何も大丈夫じゃねえよ」
どうしよう、全く話が噛み合わないのはさち子の老齢のせいなのか、それ以外が原因なのか。智紀は頭を抱えた。
そんな智紀に、さち子は優しく言った。
「何も別に乳繰り合ってほしいとまでは思ってはいないさ。ただ、お前達兄弟が、仲良くしているのを見れれば嬉しいってだけだ」
そう言って、さち子はシワシワになっている手で、智紀の頭を撫でてきた。いつもなら恥ずかしくて、もう子どもじゃないんだと振り払うけれど、智紀はされるがままになっていた。
そう言えば、兄が就職してから、ほとんど話もしていない気がする。もしかして、BLだのなんだのっていうのは単なる口実で、ただ兄弟仲良くして欲しいという願いなのでないか。智紀はそう思って、さち子の手を撫で返した。
「まあ、仲良く、はするよ」
「そうか。それは嬉しいねえ」
さち子は笑う。こんな事で嬉しいのか、と智紀は心臓が締め付けられた。
「あ、そうだ。接吻する時は隠れてでも私からは見える位置でしてほしいね」
「しねえよ!接吻は!」
さっきの切ない気持ちを後悔しながら智紀は叫んだ。
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