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無いものねだり、それだけ
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茉莉花の調整してくれたウィッグは本当に美しく、仕事から深夜に帰ってきた祥太に渡してみると、祥太は感心した声をあげた。
「これは、立派なもんだな」
「それ被って、写真送ってだってさ。まあもう遅いから明日にでも送ってあげてよ」
「わかった」
「そう言えば!撮影、家でやるって聞いてなかったんだけど。それも父さんと母さんにも知られてるとか!」
智紀は口を尖らせる。祥太は、ああ、と悪びれもせずに頷いた。
「悪い。忘れていた。まあ大した事じゃないだろ」
「大した事だよ」
智紀は呆れた。
その時だった。
ドンッという、何かが落ちた音がした。さち子の部屋の方だ。
二人は顔を見合わせると、慌ててさち子の部屋へ走って行く。
おそるおそる部屋の電気をつけてみると、ベッド脇に置かれていた、呼び出し用のコールチャイムと、転落防止の柵が取れて落ちていた。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
智紀はベッドに近寄った。途端に鼻につくアンモニアの匂いで原因を察した。
「……コールチャイム落としちゃったから、間に合わなかったんだね。大丈夫だよ。すぐに替えるよ」
智紀は優しく、黙ったままのさち子に話しかける。祥太も原因を察したようで、すぐに部屋の押し入れから替えのシーツと布団、パジャマを取り出してきた。
「ばあちゃん、問題ない。ほら、ちょっとだけ体動かすよ。こっちの布団に一回移動するぞ」
祥太に抱えられながら、さち子は小さく「悪いねえ。悪いねえ」と呟き続けている。
さち子は寝たきりとはいえ、体を動かすことは出来たので、手伝いさえすれば尿器で用をたすことができていた。今までだって、ちょっと漏らすことはあっても、今日のように完全に漏らすことは無かった。
コールチャイムを手に届かないところに落としてしまって、手伝いを呼べなかったからとはいえ、多分さち子にとってはショックだったんだろう。
祥太がさち子を抱えながら着替えさせている間に、智紀は汚れたシーツと布団を抱えて風呂場へ向かう。
「智紀、ばあちゃん何かあったのか」
音を聞きつけたのか、父もやってきた。智紀は父にシーツを渡しながら頷いた。
「コールチャイム落としちゃって、トイレ行きたいのに間に合わなくて漏らしちゃったみたい。でも、皆で大騒ぎしたら、ばあちゃん気にすると思うから、あっちは俺と兄貴にまかせて。こっち軽く洗っててもらってもいい?」
「ああ。じゃあそっちは任せる」
父はそう言うと、シーツと布団を受け取った。
智紀が部屋に戻ると、すでに祥太はさち子の汚れたパジャマを取り替えさせて、新しいシーツに寝かせていた。
「大した手間じゃない。ベッドに念の為防水シートを敷いているからな。シーツとパジャマを洗濯機にポイして防水シートもゴミにポイして終わりだ。全くばあちゃんが気にすることはない」
淡々と言う祥太だったか、さち子の顔は晴れないままだ。祥太は続けて言う
「漏らすことは誰でも多々ある。うちの事務所のボスも、飲み会の後酔っ払ってよく漏らしている」
祥太の事務所のボスの痴態話がさち子を励ますための嘘であることを祈りながら、智紀はさち子の汚れたパジャマを片付け始めた。
「羨ましい」
ポツリ、とさち子が言った。
「ばあちゃん、羨ましいって……?」
「羨ましいんだ。動けるのが」
さち子は二人と顔を合わせない。
「亮子さんみたいに動けたら。こんな事にならないのに」
智紀は何と声をかけたらいいか分からなかった。
あの日、楽しそうにしてたのに。楽しかった、って笑って寝てたのに。
心の奥底ではそんな思いがあって、そしてこの件でその気持ちが増幅してしまったようだ。
「動けたら、自分でなんとか出来たのに。智紀の浴衣だって縫ってやれたのに」
「縫ってよ」
思わず溢れた言葉に、智紀は自分でも驚いた。でもそのまま続ける。
「縫ってよ今度。俺も手伝う。ばあちゃんが出来ないとこは俺が手伝うから縫ってよ。ばあちゃんまだまだ元気だもんな」
そう言って智紀はさち子に笑いかける。すると、横にいた祥太が口を尖らせた。
「ズルいな、俺にもしてくれ」
「兄貴、ズルいって……」
「ズルいだろ。俺も何かばあちゃんが作ったものが欲しい」
「何だよそれ。駄々っ子みたいに、なあばあちゃん」
「そうだったね。昔の祥太は、智紀ばかり可愛がるなと駄々をこねる子だった」
ようやく、さち子は笑顔を見せた。
「ああ、こりゃ大変だ。智紀も祥太も平等に可愛がらなきゃいけないんだから」
「そうだ、たかがちょっとの尿漏れくらいで凹んでいる暇は無いぞ」
祥太はキッパリと言い張る。
「だからばあちゃんはこんなもの気にしないでゆっくり寝てくれ」
素っ気なく、淡々と言う祥太に促されるまま、さち子は布団を被った。
「茉莉花さんも、羨ましい、と言っていた。亮子さんも、ばあちゃんを羨ましがっているらしい。うちが家族全員仲が良いから、だと」
さち子の部屋を出ながら、祥太はポツリと言った。
「羨ましい?」
智紀はオウム返しする。
「まあ一言でいってしまえば、無いものねだり、それだけなんだろうがな」
祥太はため息をついた。
父が汚れ物の洗濯の方は任せろと言うので、二人はお言葉に甘えてそれぞれの部屋に戻った。
どっと疲れがきたが、なんだか智紀は寝付けなかった。
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