92 / 120
92 過ぎゆく日々
しおりを挟む
そう言ってタムはひた、とマヒロを見据えた。
「ですから私はマヒロ様が行きたいのであれば途中までは案内は致します。ですが、目的地には絶対にたどり着けないこと、そしてここから先は無理だと判断したら山を下りること、この二つを納得していただけるのであれば、マヒロ様の気のすむまでご案内を致します。いかがされますか?」
タムの厳しい一言に、マヒロは沈黙した。
ハルタカに会いたい、できれば何とかしてハルタカを起こしたい。マヒロはそっとピアスに手をやった。指先でつるりとした石の表面を撫でる。出来るだけハルタカの近くに行って、このピアスを割るつもりだった。ひょっとしたら目を覚ましてくれるかもしれない。そして自分のところに来てくれるかもしれない。そんな望みを少しだけ持っていた。
もし、それが届かなかったとしてもマヒロはハルタカの傍に行きたかった。今までハルタカから受けたすべてのことに報いたかった。
この世界に突然連れてこられた自分に、色々教えてくれて、愛してくれたハルタカ。自分を助けるために行動したことで、最長老という龍人の不興を買い眠らされてしまったハルタカ。
自分はまだ何も返せていない。ハルタカに不利益しかもたらしていない。
百年後、自分が生きているかもわからない。その間ずっと会えないなんて、考えられない。
会えないなら、この命があっても仕方がない。
マヒロはタムにゆっくりと頷いてみせながら、一人でもどうにかして登るという決意を心の中で新たにした。
タムはそんなマヒロの様子を注意深く見ていたが、ドアの方からティーワゴンを押す音が聞こえてきたのに気づき、何かの紙をマヒロに手渡した。
「一応、これにこれからの手順を書いています。またルウェン様からも連絡があるでしょう。今はまだ、寒さがとても厳しい。どんなに早くても出発は二か月後とします」
「わかった」
タムの訪問からひと月が過ぎた。『国王選抜』は残すところあとひと月半ほどだ。この段階で、候補は現在一位のアーセルと僅差の二位であるダンゾに絞られていた。ダンゾはここに来て急に重量を稼いできたのだ。何か不正を行っているのではと他の領主たちも疑ってはいたが、これといった証拠も見つからずダンゾ自身にも力がないわけではなかったので、誰もその事について言及できないままであった。
マヒロは室内で筋トレを行い、屋敷の敷地内を朝夕に走って体力をつけていた。そんなマヒロの振る舞いを見たアーセルは何か言いたそうにはしていた。だが、マヒロが何も言わないままなので、声をかけることはなかった。
マヒロが諦めていないのはわかっていた。そしておそらくルウェンがそれを手助けしていることも。マヒロに対して今ルウェンはかなり罪悪感を持っているはずだ。マヒロが満足する方に働こうとすることは簡単に予測できる。
ルウェンの処分は、結局身分の降格だけに留まった。違法薬物であるパルーリアの『所持』、しか実際に起きた罪はなかったからだ。ルウェン本人は騎士を除隊されても構わない、と言っていたのだが、他の騎士団幹部たちがそれには難色を示した。
ルウェンの有能さは、幹部たちも認めるところだったのだ。特に他の組織との折衝においてルウェンほど円滑に行えるものはなかなかいなかった、ということもある。
ルウェンはアーセルの傍らで仕事をすることはなくなり、アツレン郊外での巡回や書類仕事を主に請け負うようになっていた。その結果、アーセルはルウェンと顔を合わせないまま何日も過ぎる、ということが日常になっていた。
ルウェンは、これまで住んでいた屋敷の部屋も引き払ってしまい、騎士団本部横に併設されている寮に移っている。そういう事もあって、アーセルがルウェンの顔を見たいと思えばわざわざ会いに行かねばならない状態になっていた。
アーセルはこれまで、こんなに長い間ルウェンと離れたことはなかった。初めて出会った子ども時代から、基本学校、騎士養成所、そして騎士団と、いつでもアーセルの横にはルウェンがいて、何くれとなく手助けしてくれていたのだった。
別にいつもアーセルに迎合するばかりでもなく、時には厳しく、時には冗談めかしてアーセルを導いてくれたルウェンは、アーセルにとって信頼できる部下であり、有能な副官であり、気のおけない友であった。
そのルウェンがいないということが、こんなにも自分の精神に影響を与えていることに、アーセルは驚き、戸惑った。
そしてここまでルウェンに色々と助けられていた自分に気づき、このような自分が国王になどなっていいものだろうか、という迷いも生じてきていた。
アツレンの領主屋敷は、ルウェンの不在とマヒロの軟禁による影響で随分と雰囲気が昏くなって来つつあった。
ジャックは丸々ひと月全くマヒロに会えないままだった。新しくマヒロ付になったソイエに何度もマヒロの様子を尋ねていたが、ソイエは口が堅く必要以上の情報をジャックに与えなかった。家令のハウザもジャックがマヒロに近づくのを警戒していたので、ジャックがマヒロに近づける隙は無かった。
料理人のカッケンは、なぜマヒロが軟禁されねばならないのだ、と家令に食ってかかり、アーセルに呼び出された。アーセルから、マヒロがヒトでは絶対にたどり着けない高山の龍人の住処に行こうとしているから、それを阻止するために軟禁しているのだ、と聞かされたカッケンは、アーセルの悲痛な表情を見て口を噤んだ。
時折、タムからの手紙を持ってナシュがマヒロのもとに「遊びに」来た。必要な道具を揃えていることや、どういう道を通るか、どこから出発するのがよいかなどの情報を手紙に書いてくれた。しかしマヒロはまだこの世界の文字を読むことができないので、ナシュに読んでもらってから自分でメモにするという手法を取っていた。
人懐っこいナシュは、領主屋敷の使用人達にも可愛がられ全く怪しまれていなかった。使用人たちの前ではナシュは上手に「天真爛漫な子ども」の様子を見せた。マヒロの前に来ると、それが演技であるかのようにしっかりとした大人びた対応をした。
ある時、ナシュはアツレンの武器屋ダルゴからの伝言を持ってきた。いつか工房を見せてほしいと約束していたのに、マヒロが行ける状況ではなくなってしまった。そこでお詫びの手紙をナシュに持って行ってもらったのだが、その返事だった。
『マヒロ様は無謀なことに挑むと伺いました。わしらでも手助けができるかもしれません。マヒロ様と親交があったというカルロの隊商会長と話す機会がありました。また連絡します』
という簡潔なものだった。
「ですから私はマヒロ様が行きたいのであれば途中までは案内は致します。ですが、目的地には絶対にたどり着けないこと、そしてここから先は無理だと判断したら山を下りること、この二つを納得していただけるのであれば、マヒロ様の気のすむまでご案内を致します。いかがされますか?」
タムの厳しい一言に、マヒロは沈黙した。
ハルタカに会いたい、できれば何とかしてハルタカを起こしたい。マヒロはそっとピアスに手をやった。指先でつるりとした石の表面を撫でる。出来るだけハルタカの近くに行って、このピアスを割るつもりだった。ひょっとしたら目を覚ましてくれるかもしれない。そして自分のところに来てくれるかもしれない。そんな望みを少しだけ持っていた。
もし、それが届かなかったとしてもマヒロはハルタカの傍に行きたかった。今までハルタカから受けたすべてのことに報いたかった。
この世界に突然連れてこられた自分に、色々教えてくれて、愛してくれたハルタカ。自分を助けるために行動したことで、最長老という龍人の不興を買い眠らされてしまったハルタカ。
自分はまだ何も返せていない。ハルタカに不利益しかもたらしていない。
百年後、自分が生きているかもわからない。その間ずっと会えないなんて、考えられない。
会えないなら、この命があっても仕方がない。
マヒロはタムにゆっくりと頷いてみせながら、一人でもどうにかして登るという決意を心の中で新たにした。
タムはそんなマヒロの様子を注意深く見ていたが、ドアの方からティーワゴンを押す音が聞こえてきたのに気づき、何かの紙をマヒロに手渡した。
「一応、これにこれからの手順を書いています。またルウェン様からも連絡があるでしょう。今はまだ、寒さがとても厳しい。どんなに早くても出発は二か月後とします」
「わかった」
タムの訪問からひと月が過ぎた。『国王選抜』は残すところあとひと月半ほどだ。この段階で、候補は現在一位のアーセルと僅差の二位であるダンゾに絞られていた。ダンゾはここに来て急に重量を稼いできたのだ。何か不正を行っているのではと他の領主たちも疑ってはいたが、これといった証拠も見つからずダンゾ自身にも力がないわけではなかったので、誰もその事について言及できないままであった。
マヒロは室内で筋トレを行い、屋敷の敷地内を朝夕に走って体力をつけていた。そんなマヒロの振る舞いを見たアーセルは何か言いたそうにはしていた。だが、マヒロが何も言わないままなので、声をかけることはなかった。
マヒロが諦めていないのはわかっていた。そしておそらくルウェンがそれを手助けしていることも。マヒロに対して今ルウェンはかなり罪悪感を持っているはずだ。マヒロが満足する方に働こうとすることは簡単に予測できる。
ルウェンの処分は、結局身分の降格だけに留まった。違法薬物であるパルーリアの『所持』、しか実際に起きた罪はなかったからだ。ルウェン本人は騎士を除隊されても構わない、と言っていたのだが、他の騎士団幹部たちがそれには難色を示した。
ルウェンの有能さは、幹部たちも認めるところだったのだ。特に他の組織との折衝においてルウェンほど円滑に行えるものはなかなかいなかった、ということもある。
ルウェンはアーセルの傍らで仕事をすることはなくなり、アツレン郊外での巡回や書類仕事を主に請け負うようになっていた。その結果、アーセルはルウェンと顔を合わせないまま何日も過ぎる、ということが日常になっていた。
ルウェンは、これまで住んでいた屋敷の部屋も引き払ってしまい、騎士団本部横に併設されている寮に移っている。そういう事もあって、アーセルがルウェンの顔を見たいと思えばわざわざ会いに行かねばならない状態になっていた。
アーセルはこれまで、こんなに長い間ルウェンと離れたことはなかった。初めて出会った子ども時代から、基本学校、騎士養成所、そして騎士団と、いつでもアーセルの横にはルウェンがいて、何くれとなく手助けしてくれていたのだった。
別にいつもアーセルに迎合するばかりでもなく、時には厳しく、時には冗談めかしてアーセルを導いてくれたルウェンは、アーセルにとって信頼できる部下であり、有能な副官であり、気のおけない友であった。
そのルウェンがいないということが、こんなにも自分の精神に影響を与えていることに、アーセルは驚き、戸惑った。
そしてここまでルウェンに色々と助けられていた自分に気づき、このような自分が国王になどなっていいものだろうか、という迷いも生じてきていた。
アツレンの領主屋敷は、ルウェンの不在とマヒロの軟禁による影響で随分と雰囲気が昏くなって来つつあった。
ジャックは丸々ひと月全くマヒロに会えないままだった。新しくマヒロ付になったソイエに何度もマヒロの様子を尋ねていたが、ソイエは口が堅く必要以上の情報をジャックに与えなかった。家令のハウザもジャックがマヒロに近づくのを警戒していたので、ジャックがマヒロに近づける隙は無かった。
料理人のカッケンは、なぜマヒロが軟禁されねばならないのだ、と家令に食ってかかり、アーセルに呼び出された。アーセルから、マヒロがヒトでは絶対にたどり着けない高山の龍人の住処に行こうとしているから、それを阻止するために軟禁しているのだ、と聞かされたカッケンは、アーセルの悲痛な表情を見て口を噤んだ。
時折、タムからの手紙を持ってナシュがマヒロのもとに「遊びに」来た。必要な道具を揃えていることや、どういう道を通るか、どこから出発するのがよいかなどの情報を手紙に書いてくれた。しかしマヒロはまだこの世界の文字を読むことができないので、ナシュに読んでもらってから自分でメモにするという手法を取っていた。
人懐っこいナシュは、領主屋敷の使用人達にも可愛がられ全く怪しまれていなかった。使用人たちの前ではナシュは上手に「天真爛漫な子ども」の様子を見せた。マヒロの前に来ると、それが演技であるかのようにしっかりとした大人びた対応をした。
ある時、ナシュはアツレンの武器屋ダルゴからの伝言を持ってきた。いつか工房を見せてほしいと約束していたのに、マヒロが行ける状況ではなくなってしまった。そこでお詫びの手紙をナシュに持って行ってもらったのだが、その返事だった。
『マヒロ様は無謀なことに挑むと伺いました。わしらでも手助けができるかもしれません。マヒロ様と親交があったというカルロの隊商会長と話す機会がありました。また連絡します』
という簡潔なものだった。
12
あなたにおすすめの小説
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
【完結】そして異世界の迷い子は、浄化の聖女となりまして。
和島逆
ファンタジー
七年前、私は異世界に転移した。
黒髪黒眼が忌避されるという、日本人にはなんとも生きにくいこの世界。
私の願いはただひとつ。目立たず、騒がず、ひっそり平和に暮らすこと!
薬師助手として過ごした静かな日々は、ある日突然終わりを告げてしまう。
そうして私は自分の居場所を探すため、ちょっぴり残念なイケメンと旅に出る。
目指すは平和で平凡なハッピーライフ!
連れのイケメンをしばいたり、トラブルに巻き込まれたりと忙しい毎日だけれど。
この異世界で笑って生きるため、今日も私は奮闘します。
*他サイトでの初投稿作品を改稿したものです。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。
真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。
狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。
私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。
なんとか生きてる。
でも、この世界で、私は最低辺の弱者。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~
よっしぃ
ファンタジー
【ホットランキング1位達成!皆さまのおかげです】
多くの応援、本当にありがとうございます!
職人一筋、五十一歳――現場に出て働き続けた工務店の親方・昭雄(アキオ)は、作業中の地震に巻き込まれ、目覚めたらそこは見知らぬ森の中だった。
持ち物は、現場仕事で鍛えた知恵と経験、そして人や自然を不思議と「調和」させる力だけ。
偶然助けたのは、戦火に追われた五人の子供たち。
「この子たちを見捨てられるか」――そうして始まった、ゼロからの異世界スローライフ。
草木で屋根を組み、石でかまどを作り、土器を焼く。やがて薬師のエルフや、獣人の少女、訳ありの元王女たちも仲間に加わり、アキオの暮らしは「町」と呼べるほどに広がっていく。
頼れる父であり、愛される夫であり、誰かのために動ける男――
年齢なんて関係ない。
五十路の職人が“家族”と共に未来を切り拓く、愛と癒しの異世界共同体ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる