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しおりを挟むアツミはがくりと項垂れてしまったラニエリの大きな背中を、優しく撫でた。この大公が、できうるぎりに国のことを考え、自分がいなくなった後でもうまく国家が運営されるようにと心を砕いていることを、アツミは傍で見てよく知っていた。
そして、ツズルがその犠牲になってしまっていることも。
ツズルは物静かで遠慮がちな公子だった。公子という立場に甘えることも目立ったわがままを言うこともない、控えめで大人しい公子だった。
物言いがはっきりしていて、自分の考えを曲げることを滅多にしない次期大公のラッツェとは全く正反対だ。そういったラッツェの性分が自分の後継にふさわしいとしてラニエリは後継に選んだのだった。
しかし、ラッツェだけでは国家運営の際に色々と支障が出るかもしれない、そのための後ろ盾として、中公のなかでも穏健で実力のあるタクールをツズルの伴侶とすることで、将来的にラッツェに協力してもらおうという心づもりがあった。
「‥しかし、それは‥ツズルにとっては何も嬉しいことではなかっただろう‥」
「ですが、ツズル様はきっとラニエリ様のお心を理解していらっしゃった筈です」
アツミはそう言って慰めた。しかしラニエリは苦い顔を崩さない。
「‥その結果がこれだ‥。ツズルは、一度でいいから好きに街を見て回りたい、きっとこの機会が最後だから、と言っていたらしい。‥そして、その途中で護衛を振り切り逃げたのもツズルの意志だろう。ツズルは‥そこまで、追い詰められていたのだ‥そこまで追い詰めたのが、この私だ」
「大公閣下‥」
アツミはかける言葉もなくして立ちすくんだ。ラニエリは自嘲するように笑った。
「‥手間をかけるが‥どうにか手蔓を使ってツズルの行方を捜してくれ。金がかかるようなら私の個人資産をいくらでも使って構わない」
「はい。‥聖タイカ側にも知れぬよう、何とかやってみます」
「頼む」
ラニエリはそう言って、また深い息を吐いた。
そこにあるのは英邁との呼び声も高いトレルーナ公国元首ではなく、一人の子を持つ悩める親の姿だった。
デヴィに強制性交幻覚剤を摂取させ、その財産をほとんど騙し取ったヒトが保安局によって逮捕された。
だが、次の日、そのヒトは拘留されていた牢獄内で死んでいたという。
両手両足の指が全て潰され、顔も原形をとどめぬほどに潰されていたのだが、公式の記録には「病死」という形で記載されていた。
その知らせを聞いたノガサは、舌打ちをして館長室の扉を睨んだ。しかし、ギラナが手を下したのだとしても、足がつくようなへまはしていないだろう。ギラナは退異師をやる前には色々と後ろ暗いことをやっていた過去を持っている。ノガサはそれを知る数少ない一人だった。
(‥まあ、あいつも我慢がならなかったんだろうが‥)
そう思いながらノガサは手元の書面を見つめた。退異師には、討伐料が高い分その給与で何かまずいことに首を突っ込んでいないか、退異師会館が把握できるように口座の情報を開示する義務がある。もっとも、それは三位退異師までの義務であり、二位以上の退異師に関しては開示義務はない。
デヴィの場合は個人的な信用もあって注視されていなかったため、その監視から抜け落ちてしまっていたのだった。
手元にある書類には、三位までの退異師たちの口座情報が列記されている。その中でいきなり残高が減っている者が九人いた。色々調べて、使途不明であるとなったのが五名。
そして、その中で現在行方がわからないものが二名。この二名と連絡が取れなくなったのは昨日からで、まだ日が浅く周りの仲間たちもあまり不審に思っていなかった。ノガサはまた深いため息をついた。
「‥‥ギラナ、お前の手には余る状況になってきているぞこれは‥」
ノガサはそう呟きながら手元の鈴を鳴らして速信鳥士を呼んだ。
アヤラセが注入してくれたマリキが無くなった太刀は、異生物に対して何の役にも立たない。リキは歯噛みしながら太刀を鞘に納めると、異生物の注意を惹きつけるため、手近に落ちていた木の枝を掴んで投げつけた。
獣型の異生物は、見ているのかいないのかよくわからない白い眼球をぎろりとリキの方に向けると、ぞぞぞぞっという嫌な音を立ててリキの近くに這い寄って来た。リキはその視線から外れないように鼻先を縦横に駆け回った。
「リキ!無茶すんな、引っ込んでろ!」
大鞭で小さな異生物の群れを薙ぎ払ったサイガが怒鳴りつける。リキはそれを聞き入れる様子もなく、異生物の目の前で跳ねまわり走り回った。異生物がそれを追うようにぞぞぞぞっと這いまわり、捕らえようと触手のような腕を伸ばしてきた。その気配を感じたリキが危機一髪躱したのだが、触手は躱された瞬間に何やらの液体を吐きつけてきた。
それが躱しきれなかったリキの足にかかってしまった。
ジュッという肉の灼ける音がした。
「うぐっ」
刺すような足の痛みにリキはその場に膝をついた。しかしすぐ後ろに迫る異生物の気配を感じ取り、痛む足を無理に引きずりながら立ち上がり走り出す。
その姿を見たサイガがまた大声で怒鳴りつけた。
「莫迦野郎!引っ込んでろってのが聞こえねえのか!」
リキは痛む足をやや引きずりながら異生物から距離を取った。素早く傍に寄ってきたカラックがリキの身体をひょいと抱えて後方に下がる。
後方で控えていた治療師の元にリキの身体を置いて、またカラックは前線へと戻っていった。
治療師はリキの足を見て顔を顰めた。
「無茶しすぎですよ。武器に溜めてあるアヤラセ様のマリキが無くなったら、異生物には対処できないんですから、すぐに下がってください」
真っ当なことを言われて、リキは力なく項垂れた。
足の傷は未だにしゅうしゅうと音を立てており、灼けた痕が黒灰色に変色して傷跡自体が蠢いている。治療師は素早くマリキをその傷跡に這わせて傷跡の動きを止めた。しゅうしゅうという音が止んだのを確認して、手早く薬剤を塗り込んでその上から清潔な細布を巻いていく。治療が終わるまで五分とかからなかった。
「はい、しばらくは動かずに安静にしていてください。あと十五分は立たないでくださいよ!」
ぴしりとリキに向かってそう言い放った治療師は、またほかの怪我人を治療するためにその場から去っていった。
リキは小さなため息とともにその後ろ姿を見送った。
武器に込められたマリキの切れた自分が足手まといにしかならないことは、日々リキ自身痛感させられていることでもある。
現在、ムリキシャとして子果樹の世話をすることもできない自分の存在価値を、アヤラセの協力によって無理やり見出そうとしているという自覚はあった。
今も少し離れたところで、サイガやカラックたちが異生物と対峙して討伐すべく戦っているのが見える。
この国に来て三年近く経っていても、リキは自分の価値を見出せなかった。仕えるべき君主もなく太刀を振るう相手とてない。剣の腕を磨いたとしても、アヤラセのマリキがなければ異生物を倒すこともできない。
かといって武辺の道一辺倒に短い生を捧げてきたリキには、この場所でできることを見つけられなかった。
そういう考えになるたびに、ユウビを恋しく思ってしまう。
いかなる場合でもほとんど動揺を見せることなく、リキを支え慈しんでくれたあの半身。
ユウビのことを想うと胸の奥の深い部分がずきりと痛む。それは、自分にあけっぴろげな愛情を惜しみなく注いでくれるアヤラセへの罪悪感から来ているものだと、リキはわかっている。
ユウビが何者なのか、この国の人々もわからないようだった。その「わからない」という点において、自分とユウビは同じものなのだと感じ、そこに安堵を覚えてしまうのだ。
自分は、こんなに弱く脆い人であったのか。
得体の知れぬおのれのようなものを、伴侶にと望んでくれているアヤラセに申し訳なくて仕方がない。アヤラセはユウビごとリキを愛してくれる、と言っていたが、その言葉を真に受けていいものだろうか。
リキの父はリキの生母を深く愛し、側室なども取っていなかったと聞いている。だというのに自分が側室(=ユウビ)を取るような真似をするというのは、父の在りし日の姿やこの三年の月日が許さないと考えてしまう。
膝を抱えてうずくまる。
武の道に生きたいと思い過ぎているのだろうか。
太刀を取らぬ生き方を模索すべきなのだろうか。
武家に生まれ、戦の響みの中で育ってきた自分に、何ができるというのだろうか。
考えても答えの出ぬその問いに、リキは深く沈んでいくしかなかった。
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