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2章 壮年期
4話 雷刀イーノス 上
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夏の陽射しも緩み、大分と過ごしやすくなった。季節は秋を迎えようとしている。
……良し、こんなものか。
クリフは手紙を4通したためた……とは言っても行き先は2ヶ所、4通のうち2通は複写である。
通信と言うものが発達していない時代、用心のために同じ内容の手紙を複数回に分け送るのは当たり前のことである。
宛先はアイザック・チェンバレンと石拳ボリスだ。
クリフはアイザック・チェンバレンには恩を受けた過去があり、王都で国政に参画するアイザックの為に、月に1度は自由都市ファロンを含む王国東部の情勢や噂話を送っていた。
後世ではこの事実をもってクリフォード・チェンバレンこと猟犬クリフを常駐外交官の嚆矢(こうし)とする。
石拳ボリスに宛てた手紙はシンプルな内容である。
先日、ボリスの紹介で自由都市ファロンに到着したコナンという若者の消息を知らせるものだ。
コナンは隻眼ヘクターという冒険者に気に入られ、ヘクターに師事することになったから安心するようにと記してある。
しっかりと蝋で封をし、印章を押す。
印章を使うのは貴族か、大きな商家くらいである。
このことをクリフはすっかりと失念していた……この印章によりボリスはクリフの正体を知り胆を潰すほどに驚くことになる。
市井(しせい)に身を置いてはいるが、クリフはクリフォード・チェンバレンという貴族なのである。
「手紙の配達を頼むよ。」
「おう、いつもの王都と……ナヴェロか、ちょいと待て。」
クリフは手紙を支配人(ギルドマスター)のヘクターに預けると、ヘクターは帳面を広げ他の依頼を調べ始めた。
手紙の配達などの簡単な依頼は他の依頼と抱き合わせで行うのが常であり、ヘクターは手頃な依頼を探しているに違いない。
「あー、王都は幾らでもあるがなあ……ナヴェロは無さそうだな。」
ナヴェロ男爵領は田舎を通り越して僻地(へきち)とでも言うべき陸の孤島だ……他の依頼などクリフも期待してはいない。
「割高でも構わないよ。」
「あー、待て。アビントンへの隊商の護衛があるな、こいつと抱き合わせるか。」
ヘクターはこう見えてデスクワークは丁寧で得意だ。
恐らくきちんとした教育を受けているのだろう。
そして最近はデスクワークで肩がこると、弟子筋のコナンを拷問(トレーニング)してストレスを発散する。
「もう1通は少し寝かしとくか、割高でも単発で行くかどうするよ?」
「ああ、割高でいい。」
ヘクターはクリフに依頼書の作成を頼み、出来上がると「よしよし」と頷(うなず)いた。
実はクリフの元には、アイザックに情報を送ると僅かだが謝礼が届けられるので小遣いには困っていない。
クリフにとって配達が少し割高になっても問題は無いのだ。
「配達だけだからな、暇そうな若いのに頼んどくぜ。」
ヘクターが書類を確認し、決済印をドンと押した。
「それよりもよ、雲竜の兄(あに)さんの話を知ってるかい?」
「ギネスか? 最近見ないな。」
唐突にヘクターが話題を変えた。ギネスはクリフの弟分の冒険者で、雲竜のギネスと呼ばれる売れっ子だ。
半ば引退してコーチをしているようなクリフとはあまり行動を共にしない。
「おう、あいつイルマとできてたんだがよ……くっくっく」
ヘクターが嬉しそうに喉をならす。
イルマとはギネスに惚れていた女性冒険者だ。
ギネスが幼馴染みを亡くしたときに巧いこと慰めて男女の仲になったのはクリフも聞いていた。
「ほれ、お前さんのご贔屓(ひいき)の酒場のボインちゃん、あの娘にも手を出してな……逃げ回ってるのよ。」
「なにっ! パティか!?」
クリフは驚きで声を上げた。パティとはギルドの酒場で働く娘だ。
愛敬(あいきょう)があり胸がふくよかな、クリフ好みの女性である。
マカスキル王国は一夫多妻は認められているが、庶民が妻子を沢山養うのことは経済的に難しく、普通は貴族か大店の主人くらいしかできない贅沢である。
ちなみにヒモのように複数の女性に養ってもらう男はヤクザ者扱いをされ、世間からはそっぽを向かれる。
「チッ、けしからんな……あの乳房(パティ)を好き放題にするとは。」
「くっくっく、それがバレてギルドに顔を出せないんだとよ。この手紙の配達も雲竜の兄いに任すか。」
ヘクターが手紙を依頼関係の箱に納めた……意外と几帳面である。
……あのギネスがねえ。
クリフはヘクターに声をかけてギルドの酒場に向かう。
酒場でパティを見かけると、ついギネスがパティとけしからぬことをしている想像をし、胸を凝視してしまう。
……これは、いかんな。
クリフは自らがおかしな気分になるのを感じ、早めに切り上げて酒場を後にした。
…………
クリフはギルドから出て、町をぶらつく。
まだ昼前であり、比較的静かな問屋街である7番通りにも活気がある。
……久しぶりにハンナの道場でも覗くとするか。
クリフは妻であるハンナが通う剣術道場に足を向けた。
これは気紛れではなく、ハンナから道場が今ちょっとした内紛状態になっていると聞いていたからだ。
剣術道場の主はウルフガング・モロウ、60才をいくつか超える老剣士である。
ウルフガングは貴族の嫡男であったが、剣術の魅力に取り付かれ、家督を弟に譲って剣に生きた。
クリフに面識は無いが、実際にかなりの腕前であり、ハンナが「1度も打ち込めたことが無い」と語っていたほどである。
そして道場の経営にも長け、順調に道場を拡大し、現在ではウルフガングの道場はファロン1の名流と呼ばれている……ちなみにハンナを「剣術小町」として売り出したのもウルフガングであり、ハンナ効果で女性門人も増やすなど、やり手の経営者でもあった。
しかし、ウルフガングも寄る年波には勝てず、ここ数年は滅多に道場に出てくることも無くなっていた。
ウルフガングの後継者とされていたのはローワンという優れた体格を持つ、年嵩(としかさ)の剣士であった。
ローワンは46才、剣の腕前、優れた人格ともに備えており申し分の無い後継者であった。
しかし、そのローワンが死んだ……自殺である。
急に腹の痛みを訴えたローワンは苦しみのあまりのたうち回り、最後には痛みに堪(た)えかねて自ら喉(のど)を突いて死んだ。
恐らくは虫垂炎(盲腸)か腸捻転(ちょうねんてん)であっただろう……マカスキル王国には治療法は無い。
自他ともに認めていた後継者の急死により、道場は後継問題で割れた。
ローワンに次ぐ実力者となれば、3人の名が上がり甲乙をつけ難いと言われている。
先ず筆頭とされるのがザン・ワドル、31才。
ファロン評議会議員の四男である。剣の腕前も人格もまずまずであるが、とにかく実家の後押しが強い。
彼が道場主となればさらなる発展が望めるであろう。
しかし、3人の中では1段実力が劣るとの評価がある。
次に名が上がるのがハンナ・クロフト・チェンバレン、23才。
彼女は剣の腕前もさることながら、とにかく人気が凄い。
ウルフガングから剣術小町として売り出され、市井の英雄である猟犬クリフの妻でもある。クリフとの恋愛物語は歌劇にもなり、道場生たちは彼女の側にいることを誇りとする程である。
しかし、反面で性格に安定感が無く、やはり女性というのも大きなネックだ。
最後はイーノス、26才。
彼は腕前では他の2人に勝ると言われているが、とにかく人気が無い。これは以前、ハンナの夫であるクリフと揉めた際に、衆人の前で恥をかいたのが効いている。
そして他の2人が貴族であり、彼のみが庶民であるのも減点対象とされているようだ……いつの時代も人はブランド物が好きなのだ。
だが、問題は剣術道場の後継者争いであり、剣の腕前を最重視する者たちからは根強い支持がある。
この3者が派閥のようなものを作り、なんとなくギクシャクしている……というのが現実であるらしい。
それぞれに、剣術・経営・人格に長短があり、これと言った決め手が無いのも大きいだろう。
これにウルフガングは関与をしていない。もはや隠居であり、道場生の総意にまかせるつもりなのかも知れない。
クリフは首を突っ込むつもりもないが、ハンナに相談された時のために様子を見ることにしたのだ。
………………
道場についたクリフはチョイと中を覗(のぞ)き見た。
道場は実力をアピールするために多目に窓が設けられていて、見学者は自由に覗けるのである。
……どれ、あれがイーノスか、5~6年ぶりだな。
クリフは少数の集団の中にイーノスを見つけ、動きを見る。
若い頃にクリフはイーノスと一悶着(ひともんちゃく)あったが、別に遺恨は無い。
イーノスは木刀を構えて道場生を相手にしている。
道場生もそこそこやるようだが、イーノスとは格が違うようだ。
道場生が打ち込んだところを半身になり躱わし、スッと斬った。
木刀で叩いたのではなく、斬ったのだ。
もちろん、実際に切れた訳ではないが、道場生は自らが殺されたのを自覚しただろう。
それだけの気迫が充実した剣先であった。
「参りましたっ! ありがとうございます。」
道場生が挨拶をし、下がる。
叩き伏せられた訳では無いので道場生に怪我はない。
すぐに次の道場生に交代する。
……凄い、人とは数年でこれほどまでに強くなるのか!
クリフは思わず仰(の)け反(ぞ)った。
……木刀でやり合えば、先ず勝ち目は無い。ハンナよりも強い。
クリフは唸(うな)る。
つい勝敗を考えてしまうのは冒険者の習性として仕方の無い事だろう。
……ならば、ザン・ワドルは……
道場内を探すとそれらしい人物を見つけた。
こちらも道場生に稽古をつけている。
「それ、それ!」
カツカツと木刀の音が響く。
ザン・ワドルが軽く打ち込み道場生が防ぐ。そして道場生が反撃に出ると上手く捌(さば)き、たまに木刀に打ち込ませている。
……ふうん、教え上手ってやつか。俺には参考になるが……
クリフは冒険者ギルドでコーチをすることもあるので、ザン・ワドルの動きは参考にはなる。
しかし、イーノスを見た後ではいかにも迫力不足だ。
……あとはハンナ……まあ、いつも通りか。
ハンナは嬉々として道場生をやっつけているが、和気あいあいとした雰囲気があり、教えている道場生の数は最も多い。
ちなみに実戦を想定した冒険者ギルドの模擬戦よりもハンナが手加減しているのは良くわかる。
冒険者の戦いの多くは命のやり取りであり、時に自らよりも格段に強いものに立ち向かわねばならぬ場合もある……ギルドでのハンナの容赦の無さは優しさでもあるとクリフは信じている。
…………
しばらく稽古を眺めていると、見知らぬ老人が語りかけてきた。
「どうじゃ? 剣術小町は可愛かろう?」
「はあ、まあ。」
老人の言葉にクリフは曖昧な返事をした。老人の意図が良くわからないからだ。
「おや? 女房殿を褒めたのに……もっと喜ぶと思いましたよ。」
老人は「ふふふ」と笑う。
「クリフォード・チェンバレン卿とお見受けしました。わたしは道場主のウルフガング・モロウと申します……よろしければ奥で話なりとも致しませぬか?」
「これは失礼しました。先生には妻がいつもお世話になっております。」
クリフが頭を下げると「こちらです」と案内され、道場の奥にある離れに案内された……どうやらウルフガングの住居のようだ。
「どうぞ、むさ苦しいところですが。」
「失礼します。」
クリフは客間に案内され、使用人らしき女から飲み物を受け取った。
「改めまして、ウルフガング・モロウと申します。」
「ご丁寧に痛み入ります。クリフォード・チェンバレンです……クリフとお呼びください。」
クリフはウルフガングと挨拶をし、二言三言ほど世間話をした後、ウルフガングはズバリと本題を切り出した。
「失礼ながら、お招きしたのは例の3人の事です。」
クリフはやはり来たか、と思ったが、こうも単刀直入にくるとは少し面食らった。
「この道場の跡目……クリフどののご意見をご指南いただけませんか?」
「む、指南と言われては困りますが……」
クリフは目を瞑(つぶ)り、先程の3人の様子を思い出す。
「イーノスさんでしょう。」
「やはり! あれはローワンの指導を良く受けておりましてな。」
ウルフガングが我が意を得たと喜んだ。
やはり道場主としては剣の実力で決めたいのだろう。
「はい、イーノスさんは木刀で切っています。私には真似のできないことです。」
「むう、そこまで見られていたとは……お見事です。」
ウルフガングがクリフの眼力に唸ったが、すぐに「はあ」とため息をつき、顔を曇らせた。
「しかし……あれには人気が無さすぎます。実力だけでは経営はできません。」
ウルフガングはチラリと恨めしげな目をクリフに向けた。クリフが若き日のイーノスをやっつけたことを責めているのだろう。
「ああ、ローワンがいてくれたならば……病で継げずとも、あれが居てくれたならばどれほど力強いことか……早まりおって……」
言っても仕方の無いことではあるが、言わずにはおられないのであろう……老人の愚痴をクリフは黙って聞いている。
「しかし、クリフどのは奥方を推薦するのかと思っておりましたが……クリフどのの人品を侮っておりました。お許しを。」
言わずでも良いことで、ウルフガングは素直に頭を下げた。
このことでクリフはいっぺんにこの老人が好きになってしまった。
「いえ、妻には私の子を産んでもらわねば。」
クリフがいたずらっぽく口にすると、二人は大きな声で笑い声を上げた。
「ははは、それは大事です。道場主になるより余程の大事です。」
「ええ、浅知恵ですが、こんなのはいかがですか……?」
クリフが一言二言ウルフガングに告げると「まことに……」と唸(うな)り何度も頷(うなず)いた。
…………
稽古が終わると、道場主のウルフガング・モロウが一人の男を伴い道場に現れた。クリフである。
ハンナはクリフを見ると「ええっ」と声をあげ、ザン・ワドルは訝(いぶか)しげな顔をした。
イーノスは少し片眉を上げたのみである。
道場生たちは整列し、ウルフガングの言葉を待つ。
「うむ、皆よく励んでいて何よりだ。」
ウルフガングは重々しく挨拶をする。
「さて、こちらは私の友人のクリフォード・チェンバレン卿だ。」
クリフが頭を下げると道場生たちがざわめいた。
「皆に心配をかけた道場の後継者だが、この後に候補の3人にはチェンバレン卿と試合ってもらう。」
道場生たちのざわめきは先程よりも大きくなる「バカな」「まさか」などの否定的な声もあるようだ。
「もちろん、勝敗だけでは決めぬが、他流との力比べは1つの目安となろう。しかし、1人も勝てぬときはチェンバレン卿を跡目とすることも考えねばならぬ……この後に候補者は1人ずつ面談をする、順番に住居に参れ。以上だ。」
ウルフガングとクリフが道場を去ると、道場生たちの混乱は加速した。
「こんなバカな!」
「ハンナさんの夫ではないか……」
「さよう、依怙(えこ)があっては。」
「何を言うか!」
「まさか、まさか。」
この混乱は中々収まらず、しばらく続いたようだ。
……良し、こんなものか。
クリフは手紙を4通したためた……とは言っても行き先は2ヶ所、4通のうち2通は複写である。
通信と言うものが発達していない時代、用心のために同じ内容の手紙を複数回に分け送るのは当たり前のことである。
宛先はアイザック・チェンバレンと石拳ボリスだ。
クリフはアイザック・チェンバレンには恩を受けた過去があり、王都で国政に参画するアイザックの為に、月に1度は自由都市ファロンを含む王国東部の情勢や噂話を送っていた。
後世ではこの事実をもってクリフォード・チェンバレンこと猟犬クリフを常駐外交官の嚆矢(こうし)とする。
石拳ボリスに宛てた手紙はシンプルな内容である。
先日、ボリスの紹介で自由都市ファロンに到着したコナンという若者の消息を知らせるものだ。
コナンは隻眼ヘクターという冒険者に気に入られ、ヘクターに師事することになったから安心するようにと記してある。
しっかりと蝋で封をし、印章を押す。
印章を使うのは貴族か、大きな商家くらいである。
このことをクリフはすっかりと失念していた……この印章によりボリスはクリフの正体を知り胆を潰すほどに驚くことになる。
市井(しせい)に身を置いてはいるが、クリフはクリフォード・チェンバレンという貴族なのである。
「手紙の配達を頼むよ。」
「おう、いつもの王都と……ナヴェロか、ちょいと待て。」
クリフは手紙を支配人(ギルドマスター)のヘクターに預けると、ヘクターは帳面を広げ他の依頼を調べ始めた。
手紙の配達などの簡単な依頼は他の依頼と抱き合わせで行うのが常であり、ヘクターは手頃な依頼を探しているに違いない。
「あー、王都は幾らでもあるがなあ……ナヴェロは無さそうだな。」
ナヴェロ男爵領は田舎を通り越して僻地(へきち)とでも言うべき陸の孤島だ……他の依頼などクリフも期待してはいない。
「割高でも構わないよ。」
「あー、待て。アビントンへの隊商の護衛があるな、こいつと抱き合わせるか。」
ヘクターはこう見えてデスクワークは丁寧で得意だ。
恐らくきちんとした教育を受けているのだろう。
そして最近はデスクワークで肩がこると、弟子筋のコナンを拷問(トレーニング)してストレスを発散する。
「もう1通は少し寝かしとくか、割高でも単発で行くかどうするよ?」
「ああ、割高でいい。」
ヘクターはクリフに依頼書の作成を頼み、出来上がると「よしよし」と頷(うなず)いた。
実はクリフの元には、アイザックに情報を送ると僅かだが謝礼が届けられるので小遣いには困っていない。
クリフにとって配達が少し割高になっても問題は無いのだ。
「配達だけだからな、暇そうな若いのに頼んどくぜ。」
ヘクターが書類を確認し、決済印をドンと押した。
「それよりもよ、雲竜の兄(あに)さんの話を知ってるかい?」
「ギネスか? 最近見ないな。」
唐突にヘクターが話題を変えた。ギネスはクリフの弟分の冒険者で、雲竜のギネスと呼ばれる売れっ子だ。
半ば引退してコーチをしているようなクリフとはあまり行動を共にしない。
「おう、あいつイルマとできてたんだがよ……くっくっく」
ヘクターが嬉しそうに喉をならす。
イルマとはギネスに惚れていた女性冒険者だ。
ギネスが幼馴染みを亡くしたときに巧いこと慰めて男女の仲になったのはクリフも聞いていた。
「ほれ、お前さんのご贔屓(ひいき)の酒場のボインちゃん、あの娘にも手を出してな……逃げ回ってるのよ。」
「なにっ! パティか!?」
クリフは驚きで声を上げた。パティとはギルドの酒場で働く娘だ。
愛敬(あいきょう)があり胸がふくよかな、クリフ好みの女性である。
マカスキル王国は一夫多妻は認められているが、庶民が妻子を沢山養うのことは経済的に難しく、普通は貴族か大店の主人くらいしかできない贅沢である。
ちなみにヒモのように複数の女性に養ってもらう男はヤクザ者扱いをされ、世間からはそっぽを向かれる。
「チッ、けしからんな……あの乳房(パティ)を好き放題にするとは。」
「くっくっく、それがバレてギルドに顔を出せないんだとよ。この手紙の配達も雲竜の兄いに任すか。」
ヘクターが手紙を依頼関係の箱に納めた……意外と几帳面である。
……あのギネスがねえ。
クリフはヘクターに声をかけてギルドの酒場に向かう。
酒場でパティを見かけると、ついギネスがパティとけしからぬことをしている想像をし、胸を凝視してしまう。
……これは、いかんな。
クリフは自らがおかしな気分になるのを感じ、早めに切り上げて酒場を後にした。
…………
クリフはギルドから出て、町をぶらつく。
まだ昼前であり、比較的静かな問屋街である7番通りにも活気がある。
……久しぶりにハンナの道場でも覗くとするか。
クリフは妻であるハンナが通う剣術道場に足を向けた。
これは気紛れではなく、ハンナから道場が今ちょっとした内紛状態になっていると聞いていたからだ。
剣術道場の主はウルフガング・モロウ、60才をいくつか超える老剣士である。
ウルフガングは貴族の嫡男であったが、剣術の魅力に取り付かれ、家督を弟に譲って剣に生きた。
クリフに面識は無いが、実際にかなりの腕前であり、ハンナが「1度も打ち込めたことが無い」と語っていたほどである。
そして道場の経営にも長け、順調に道場を拡大し、現在ではウルフガングの道場はファロン1の名流と呼ばれている……ちなみにハンナを「剣術小町」として売り出したのもウルフガングであり、ハンナ効果で女性門人も増やすなど、やり手の経営者でもあった。
しかし、ウルフガングも寄る年波には勝てず、ここ数年は滅多に道場に出てくることも無くなっていた。
ウルフガングの後継者とされていたのはローワンという優れた体格を持つ、年嵩(としかさ)の剣士であった。
ローワンは46才、剣の腕前、優れた人格ともに備えており申し分の無い後継者であった。
しかし、そのローワンが死んだ……自殺である。
急に腹の痛みを訴えたローワンは苦しみのあまりのたうち回り、最後には痛みに堪(た)えかねて自ら喉(のど)を突いて死んだ。
恐らくは虫垂炎(盲腸)か腸捻転(ちょうねんてん)であっただろう……マカスキル王国には治療法は無い。
自他ともに認めていた後継者の急死により、道場は後継問題で割れた。
ローワンに次ぐ実力者となれば、3人の名が上がり甲乙をつけ難いと言われている。
先ず筆頭とされるのがザン・ワドル、31才。
ファロン評議会議員の四男である。剣の腕前も人格もまずまずであるが、とにかく実家の後押しが強い。
彼が道場主となればさらなる発展が望めるであろう。
しかし、3人の中では1段実力が劣るとの評価がある。
次に名が上がるのがハンナ・クロフト・チェンバレン、23才。
彼女は剣の腕前もさることながら、とにかく人気が凄い。
ウルフガングから剣術小町として売り出され、市井の英雄である猟犬クリフの妻でもある。クリフとの恋愛物語は歌劇にもなり、道場生たちは彼女の側にいることを誇りとする程である。
しかし、反面で性格に安定感が無く、やはり女性というのも大きなネックだ。
最後はイーノス、26才。
彼は腕前では他の2人に勝ると言われているが、とにかく人気が無い。これは以前、ハンナの夫であるクリフと揉めた際に、衆人の前で恥をかいたのが効いている。
そして他の2人が貴族であり、彼のみが庶民であるのも減点対象とされているようだ……いつの時代も人はブランド物が好きなのだ。
だが、問題は剣術道場の後継者争いであり、剣の腕前を最重視する者たちからは根強い支持がある。
この3者が派閥のようなものを作り、なんとなくギクシャクしている……というのが現実であるらしい。
それぞれに、剣術・経営・人格に長短があり、これと言った決め手が無いのも大きいだろう。
これにウルフガングは関与をしていない。もはや隠居であり、道場生の総意にまかせるつもりなのかも知れない。
クリフは首を突っ込むつもりもないが、ハンナに相談された時のために様子を見ることにしたのだ。
………………
道場についたクリフはチョイと中を覗(のぞ)き見た。
道場は実力をアピールするために多目に窓が設けられていて、見学者は自由に覗けるのである。
……どれ、あれがイーノスか、5~6年ぶりだな。
クリフは少数の集団の中にイーノスを見つけ、動きを見る。
若い頃にクリフはイーノスと一悶着(ひともんちゃく)あったが、別に遺恨は無い。
イーノスは木刀を構えて道場生を相手にしている。
道場生もそこそこやるようだが、イーノスとは格が違うようだ。
道場生が打ち込んだところを半身になり躱わし、スッと斬った。
木刀で叩いたのではなく、斬ったのだ。
もちろん、実際に切れた訳ではないが、道場生は自らが殺されたのを自覚しただろう。
それだけの気迫が充実した剣先であった。
「参りましたっ! ありがとうございます。」
道場生が挨拶をし、下がる。
叩き伏せられた訳では無いので道場生に怪我はない。
すぐに次の道場生に交代する。
……凄い、人とは数年でこれほどまでに強くなるのか!
クリフは思わず仰(の)け反(ぞ)った。
……木刀でやり合えば、先ず勝ち目は無い。ハンナよりも強い。
クリフは唸(うな)る。
つい勝敗を考えてしまうのは冒険者の習性として仕方の無い事だろう。
……ならば、ザン・ワドルは……
道場内を探すとそれらしい人物を見つけた。
こちらも道場生に稽古をつけている。
「それ、それ!」
カツカツと木刀の音が響く。
ザン・ワドルが軽く打ち込み道場生が防ぐ。そして道場生が反撃に出ると上手く捌(さば)き、たまに木刀に打ち込ませている。
……ふうん、教え上手ってやつか。俺には参考になるが……
クリフは冒険者ギルドでコーチをすることもあるので、ザン・ワドルの動きは参考にはなる。
しかし、イーノスを見た後ではいかにも迫力不足だ。
……あとはハンナ……まあ、いつも通りか。
ハンナは嬉々として道場生をやっつけているが、和気あいあいとした雰囲気があり、教えている道場生の数は最も多い。
ちなみに実戦を想定した冒険者ギルドの模擬戦よりもハンナが手加減しているのは良くわかる。
冒険者の戦いの多くは命のやり取りであり、時に自らよりも格段に強いものに立ち向かわねばならぬ場合もある……ギルドでのハンナの容赦の無さは優しさでもあるとクリフは信じている。
…………
しばらく稽古を眺めていると、見知らぬ老人が語りかけてきた。
「どうじゃ? 剣術小町は可愛かろう?」
「はあ、まあ。」
老人の言葉にクリフは曖昧な返事をした。老人の意図が良くわからないからだ。
「おや? 女房殿を褒めたのに……もっと喜ぶと思いましたよ。」
老人は「ふふふ」と笑う。
「クリフォード・チェンバレン卿とお見受けしました。わたしは道場主のウルフガング・モロウと申します……よろしければ奥で話なりとも致しませぬか?」
「これは失礼しました。先生には妻がいつもお世話になっております。」
クリフが頭を下げると「こちらです」と案内され、道場の奥にある離れに案内された……どうやらウルフガングの住居のようだ。
「どうぞ、むさ苦しいところですが。」
「失礼します。」
クリフは客間に案内され、使用人らしき女から飲み物を受け取った。
「改めまして、ウルフガング・モロウと申します。」
「ご丁寧に痛み入ります。クリフォード・チェンバレンです……クリフとお呼びください。」
クリフはウルフガングと挨拶をし、二言三言ほど世間話をした後、ウルフガングはズバリと本題を切り出した。
「失礼ながら、お招きしたのは例の3人の事です。」
クリフはやはり来たか、と思ったが、こうも単刀直入にくるとは少し面食らった。
「この道場の跡目……クリフどののご意見をご指南いただけませんか?」
「む、指南と言われては困りますが……」
クリフは目を瞑(つぶ)り、先程の3人の様子を思い出す。
「イーノスさんでしょう。」
「やはり! あれはローワンの指導を良く受けておりましてな。」
ウルフガングが我が意を得たと喜んだ。
やはり道場主としては剣の実力で決めたいのだろう。
「はい、イーノスさんは木刀で切っています。私には真似のできないことです。」
「むう、そこまで見られていたとは……お見事です。」
ウルフガングがクリフの眼力に唸ったが、すぐに「はあ」とため息をつき、顔を曇らせた。
「しかし……あれには人気が無さすぎます。実力だけでは経営はできません。」
ウルフガングはチラリと恨めしげな目をクリフに向けた。クリフが若き日のイーノスをやっつけたことを責めているのだろう。
「ああ、ローワンがいてくれたならば……病で継げずとも、あれが居てくれたならばどれほど力強いことか……早まりおって……」
言っても仕方の無いことではあるが、言わずにはおられないのであろう……老人の愚痴をクリフは黙って聞いている。
「しかし、クリフどのは奥方を推薦するのかと思っておりましたが……クリフどのの人品を侮っておりました。お許しを。」
言わずでも良いことで、ウルフガングは素直に頭を下げた。
このことでクリフはいっぺんにこの老人が好きになってしまった。
「いえ、妻には私の子を産んでもらわねば。」
クリフがいたずらっぽく口にすると、二人は大きな声で笑い声を上げた。
「ははは、それは大事です。道場主になるより余程の大事です。」
「ええ、浅知恵ですが、こんなのはいかがですか……?」
クリフが一言二言ウルフガングに告げると「まことに……」と唸(うな)り何度も頷(うなず)いた。
…………
稽古が終わると、道場主のウルフガング・モロウが一人の男を伴い道場に現れた。クリフである。
ハンナはクリフを見ると「ええっ」と声をあげ、ザン・ワドルは訝(いぶか)しげな顔をした。
イーノスは少し片眉を上げたのみである。
道場生たちは整列し、ウルフガングの言葉を待つ。
「うむ、皆よく励んでいて何よりだ。」
ウルフガングは重々しく挨拶をする。
「さて、こちらは私の友人のクリフォード・チェンバレン卿だ。」
クリフが頭を下げると道場生たちがざわめいた。
「皆に心配をかけた道場の後継者だが、この後に候補の3人にはチェンバレン卿と試合ってもらう。」
道場生たちのざわめきは先程よりも大きくなる「バカな」「まさか」などの否定的な声もあるようだ。
「もちろん、勝敗だけでは決めぬが、他流との力比べは1つの目安となろう。しかし、1人も勝てぬときはチェンバレン卿を跡目とすることも考えねばならぬ……この後に候補者は1人ずつ面談をする、順番に住居に参れ。以上だ。」
ウルフガングとクリフが道場を去ると、道場生たちの混乱は加速した。
「こんなバカな!」
「ハンナさんの夫ではないか……」
「さよう、依怙(えこ)があっては。」
「何を言うか!」
「まさか、まさか。」
この混乱は中々収まらず、しばらく続いたようだ。
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