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2章 壮年期
4話 雷刀イーノス 下
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「先生、あのような事を言われては……」
ウルフガングの住居に戻り、クリフが苦笑する。クリフが道場主うんぬんは打ち合わせには無かったことだ。
「本音ですよ。私に時間が残されているならば、クリフどのに剣技を伝えたいと願っておる。」
ウルフガングは本音とも冗談ともつかぬ口調で呟(つぶや)いた。
…………
しばらく雑談をしているとザン・ワドルが現れた。
「お師様、先ずは私が参りました。」
「うむ、さぞや驚いたろうな。」
ザン・ワドルは曖昧(あいまい)に頷(うなず)いた。クリフがいるのが気になるようである。
「チェンバレン卿に皆の腕前を見ていただいたが……お主(ぬし)には特に感心されての。」
「はい、十分な人格と剣技と見受けました。」
ウルフガングの言葉をクリフが肯定するとザン・ワドルは明らかに「ほっ」とした。
「ありがとうございます。」
「うむ、そこでだ。チェンバレン卿との力比べの結果が思わしく行かずとも、お主を埋もれさせては惜しいと思い、チェンバレン卿に相談した。すると良い知恵を授けていただいた。」
クリフが少し沈黙を保つと、ザン・ワドルが不安げにクリフを見た。
……少し、胆力が足りないな。
クリフはザン・ワドルに物足りなさを感じたが表情には出さない。
「はい、あくまでもザン・ワドルどのが当道場を継がなかった仮定の話ではありますが……私の友人が股旅亭という酒場を営んでおりましたが、これを売りに出しております。敷地も十分、場所も良い……あそこに道場を構えられても面白い。」
「ふふふ、チェンバレン卿は良く良くお主の事を買っておられるのだよ。道場を開けと言われるのだからな……しかも、妻室であるハンナを差し置いてじゃ。」
ザン・ワドルがポカンと口を開けた。
「何を呆けておるか、チェンバレン卿はお主ならば一流一派の流儀を興(おこ)す力があると見込まれたのじゃ。礼を申さぬか。」
「はは、ありがとうございます。」
ザン・ワドルはニマと笑って礼を述べ、部屋を出た。
なんの事はない……クリフとウルフガングは「お前には道場を継がさないよ」と言っただけだが、物は言いようである。また、ザン・ワドルは実家を頼れば道場を開く資金は十分であろう。
「まさかに……私は道場を継がせる事だけを考えて、増やすことなど頭にも無かったことです。」
「いえ、外から見ればこんなものですよ。岡目八目(おかめはちもく)と言うではありませんか。」
感心しきりのウルフガングにクリフが苦笑をした。
…………
次に現れたのはハンナだ。
どことなく不機嫌に見える。
「お師匠さま、参りました。」
ハンナが頭を下げる。
「うむ、さぞ驚いたろう?」
ウルフガングが笑いかけるとハンナが「ええ、とっても」と口を尖らせた。
「クリフったら、お師匠さまと友達だったなんて教えてくれないんですもの!」
「いや、ハンナ、先生に俺が相談してな……できればハンナに道場を継がせないで欲しくて……」
ハンナは明らかにムッとした。
「なんで? 私はもっともっと剣が上手くなりたいわ。」
「いや、ハンナよ……チェンバレン卿はな……」
ウルフガングが取りなそうとしたが「先生、私が説明します」とクリフが申し出た。
「ハンナ……俺は、その……ハンナとの子供が欲しくてさ。道場主を始めたら休めないし……俺たちも結婚して、結構な時間が経ったし……真面目に作ろうかと思ってな。」
クリフの言葉にハンナが見る見るうちに赤くなる。
「そんな、クリフったら! お師匠さまにそんな相談したの? その、真面目に子作りするとか……」
「うむ、チェンバレン卿は子種が無いのかと大層お悩みじゃった。これではいかんな、ハンナよ。」
ウルフガングの言葉にハンナがシュンと項垂(うなだ)れた。形の良い眉が八の字になっている。
「ごめんね、クリフがそんなこと悩んでたなんて知らなかった。」
ちなみに子種うんぬんはウルフガングの作り話であり、クリフ自身も初耳なのだからハンナが知るはずはない。
「いや、良いんだ、その……ダメかい? 」
「ううん、頑張って子作りしよ?」
クリフとハンナが照れる様子を見て、ウルフガングが大いに喜んだ。
「うむ、一件落着よ! 励みなさい、ハンナ。」
「もうっ、お師匠さまったら!」
ハンナは顔を真っ赤にしながら部屋を退出した。
「はあ、子種が無いとは傷つきますよ。」
「はは、すまんな。しかし効果はてきめんじゃろ? ハンナは優しい子じゃからな、これも兵法よ。」
ウルフガングは「励みなされ」と大いに笑った。
…………
最後はイーノスだ。泰然(たいぜん)として動揺がない。
……これは、数年前とは別人だ。
クリフは瞠目(どうもく)した。
まさに三国志で言うところの「士別れて三日なれば刮目(かつもく)して相待すべし」である。
「イーノスよ、チェンバレン卿に遺恨はあるか?」
「当時はありました。しかし、今となっては感謝しております。あれがなければ私の慢心は払えませんでした。」
淡々としたイーノスの受け答えは悟りを得た高僧のようで少し気味が悪いとクリフは感じた。
「イーノスさん、先ずは昔日の無礼をお詫びします。本日は全力を尽くします。」
「いえ、こちらこそ若気の至りとご容赦ください。本日はよろしくお願いします。」
イーノスは手短に挨拶を終えると部屋を出た。
自然で力みのない振る舞いである。
「むう、クリフどの……今のイーノスをどう見なすった?」
「なんと言いましょうか、人が変わったように感じましたが……以前の事は、もう6年前の話になりますし、うーん……」
要領を得ないクリフの答えにウルフガングが深く頷いた。
「左様、人が変わったのです。今のイーノスは無念無想の極地に近い……剣士として後の事や損得、生死(しょうじ)から離れ、勝負に没入する精神状態です。まさか、ここに来て極意を得るとは……今回のことで開き直ったのでしょうな。」
……これはいよいよ勝てなくなったな……
クリフは溜め息をついた。
その姿は無念無想とは程遠いものだった。
…………
少し間を置いて、ハンナの辞退が発表された。
これについてはハンナがクリフとの試合を嫌ったとの見方が強く「やはり女だ」と侮りの声も聞こえたようだ……実際のハンナはクリフと模擬戦をするのは大好きだが、別に言う必要は無い。
ザン・ワドルとイーノスが籤(くじ)を引き、先にクリフと対峙するのはザン・ワドルに決定した。
クリフはザン・ワドルと立ち合ったが、ザン・ワドルとてイーノスに劣るとはいえ強敵である。
しかし、対戦前に「道場を継げなくとも、身を立てる術がある」と耳打ちされたのが効いたのだろう、攻めに厳しさがなく、互いに攻め手を欠き引き分けとされた。
…………
クリフはしばしの休息の後にイーノスと立ち合うこととなった。
向き合った瞬間、クリフは本能的な危険を察知し、弾(はじ)かれたように後(うしろ)へ飛び退いた。
イーノスの構えはピタリと決まり、もはや巌(いわお )のように小揺るぎもしない。しかし、その剣先からは濃厚な剣気が吹き出し、クリフは剣気に貫かれる己を幻視した。
……このままでは、飲み込まれる……
クリフの額から大粒の汗が流れた。
「オおおぉォー!」
イーノスからの剣圧を跳ね返すようにクリフが吠え、二度三度と鋭く踏み込んだ。
ダンっ! ダンっ! と床を踏み割るような足音を立てたが、イーノスは動じない。
三度目にクリフは身を低くし床を這うように木剣を振るった。
しかし、クリフの視界が暗転する……イーノスの面打ちが決まったのだ。
木刀を持っての試合は寸止めを狙うものではあるが、僅かに手元が狂ったのであろう。
「クリフっ!?」
遠くなる意識の中でハンナの声が聞こえた。
…………
この勝負よりウルフガングの道場はイーノスが後継者として決まる。
若き日の雪辱(せつじょく)を払う見事な勝利であり、イーノスの人気はうなぎ登りである。
イーノスの石火のごとき面打ちは評判となり、後に雷刀(らいとう)イーノスと呼ばれる剣豪となる。
雷刀とは大上段からの打ち下ろしの面打ちの事だ。
そしてザン・ワドルは独立し、股旅亭の跡地に道場を開いた。こちらも評議員である実家の支援もありなかなかに繁昌(はんじょう)したようだ。
そして、クリフは半月ほど家で休養をすることとなる。イーノスの木刀で頭蓋を痛めたため、大事をとって休養をしたことになっている。
しかし、実態はハンナとの子作りの日々であったことは言うまでもない。
ウルフガングが見舞いに訪れた時にはハンナが嬌声も高らかに励んでおり、ウルフガングは外で30分ほど待ちぼうけをしたのだと言う。
「お師匠さま、その……」
「いや、結構、結構。邪魔をして悪かった。」
客間に通されたウルフガングはこだわりも無い様子でにこにこと笑っている。
「怪我の具合も良さそうじゃな、クリフどの。」
「ええ、まあ。」
クリフは頭を掻いた。
イーノスの木刀が当たったとはいえ、寸止めの手元が狂ったにすぎない。木刀は止められていたのである。
実際には半月も休む重症では無く、イーノスの剣の威力を示す一種のデモンストレーションとハンナとの子作りのために休んでいるだけだ。
実際に世間では「猟犬クリフは雷刀イーノスに破れて再起不能になった」と評判となっているが、気にするほどでもない。
「クリフどのにはとんだ貧乏籤(びんぼうくじ)を引かせてしもうた。」
「いいえ、ゆっくりとハンナと過ごす毎日は何物にも代えれません。」
チラリとハンナを見たら体をくねらせて恥ずかしがっている……まさに先程まで情事の真っ最中であったのだから、羞恥(しゅうち)に悶(もだ)えても無理もない。
「ふふ、ありがとうクリフどの。これは礼じゃ、こだわりなく受け取って欲しい。」
ウルフガングはかなりの額の金銭をテーブルに置いた。恐らくは30万ダカットほどある……大金だ。
「ありがとうございます、頂戴します。」
「うむ、さすがだ。変に遠慮をされては困る。」
ウルフガングがにこにこと笑いハンナを見た。
「良い旦那さまじゃな。よくぞ見つけた、お手柄じゃ。」
「はい、自慢の夫なんです。」
ハンナが屈託無く笑った。
かつて花のようであった笑顔は、女という果実を実らせ始め、えも言われぬ色香を漂わせている。
「でも、イーノスさんは急に、あの日に強くなった気がするんです。こんな事あるのかしら?」
「うむ、人とは不思議なものでな、こういうことはあるのだ。クリフどのとの立ち会いが一段剣境を高めるきっかけとなったのだろうな……まさに不思議よ。今のイーノスは若い頃の儂でも、まずは五分……恐るべき達人よ。」
ウルフガングの目がキラリと光ったが、すぐににこにことした好好爺(こうこうや)の表情に戻った。
「これからも仲良くしてやっておくれ。儂も、イーノスもな。」
ウルフガングはそう言い残し、去っていった。
二人きりになるや否や、ハンナがクリフにのし掛かってくる。
「クリフ、続き。」
「ああ、うん。」
クリフは何とかハンナを宥(なだ)め、寝室まで連れていく。
「ねえ、クリフってお師匠さまとどこで友達になったの?」
ハンナの言葉に、ふとクリフが考える。
……そう言えば、あの日が初対面なんだよな……
クリフはウルフガングのために、何故自分がここまでしたのか不思議であった。
それこそ、ウルフガングに何か幻術でも掛けられたと言われても納得できそうである。
……剣術の奥義とか? いやまさか。
クリフは自分の想像の馬鹿馬鹿しさに吹き出した。
「何よ~教えなさいよっ。」
ハンナがクリフの首元に吸い付き、赤い吸紋(キスマーク)を残す。
「私ね、剣以外にこんなに楽しいことがあったなんて知らなかったわ。」
「他所(よそ)でしてくるなよ。」
クリフが体位を入れ換えてハンナにのし掛かった。
二人の臍(へそ)比べはエリーが帰るまで続くこととなりそうだ。
ウルフガングの住居に戻り、クリフが苦笑する。クリフが道場主うんぬんは打ち合わせには無かったことだ。
「本音ですよ。私に時間が残されているならば、クリフどのに剣技を伝えたいと願っておる。」
ウルフガングは本音とも冗談ともつかぬ口調で呟(つぶや)いた。
…………
しばらく雑談をしているとザン・ワドルが現れた。
「お師様、先ずは私が参りました。」
「うむ、さぞや驚いたろうな。」
ザン・ワドルは曖昧(あいまい)に頷(うなず)いた。クリフがいるのが気になるようである。
「チェンバレン卿に皆の腕前を見ていただいたが……お主(ぬし)には特に感心されての。」
「はい、十分な人格と剣技と見受けました。」
ウルフガングの言葉をクリフが肯定するとザン・ワドルは明らかに「ほっ」とした。
「ありがとうございます。」
「うむ、そこでだ。チェンバレン卿との力比べの結果が思わしく行かずとも、お主を埋もれさせては惜しいと思い、チェンバレン卿に相談した。すると良い知恵を授けていただいた。」
クリフが少し沈黙を保つと、ザン・ワドルが不安げにクリフを見た。
……少し、胆力が足りないな。
クリフはザン・ワドルに物足りなさを感じたが表情には出さない。
「はい、あくまでもザン・ワドルどのが当道場を継がなかった仮定の話ではありますが……私の友人が股旅亭という酒場を営んでおりましたが、これを売りに出しております。敷地も十分、場所も良い……あそこに道場を構えられても面白い。」
「ふふふ、チェンバレン卿は良く良くお主の事を買っておられるのだよ。道場を開けと言われるのだからな……しかも、妻室であるハンナを差し置いてじゃ。」
ザン・ワドルがポカンと口を開けた。
「何を呆けておるか、チェンバレン卿はお主ならば一流一派の流儀を興(おこ)す力があると見込まれたのじゃ。礼を申さぬか。」
「はは、ありがとうございます。」
ザン・ワドルはニマと笑って礼を述べ、部屋を出た。
なんの事はない……クリフとウルフガングは「お前には道場を継がさないよ」と言っただけだが、物は言いようである。また、ザン・ワドルは実家を頼れば道場を開く資金は十分であろう。
「まさかに……私は道場を継がせる事だけを考えて、増やすことなど頭にも無かったことです。」
「いえ、外から見ればこんなものですよ。岡目八目(おかめはちもく)と言うではありませんか。」
感心しきりのウルフガングにクリフが苦笑をした。
…………
次に現れたのはハンナだ。
どことなく不機嫌に見える。
「お師匠さま、参りました。」
ハンナが頭を下げる。
「うむ、さぞ驚いたろう?」
ウルフガングが笑いかけるとハンナが「ええ、とっても」と口を尖らせた。
「クリフったら、お師匠さまと友達だったなんて教えてくれないんですもの!」
「いや、ハンナ、先生に俺が相談してな……できればハンナに道場を継がせないで欲しくて……」
ハンナは明らかにムッとした。
「なんで? 私はもっともっと剣が上手くなりたいわ。」
「いや、ハンナよ……チェンバレン卿はな……」
ウルフガングが取りなそうとしたが「先生、私が説明します」とクリフが申し出た。
「ハンナ……俺は、その……ハンナとの子供が欲しくてさ。道場主を始めたら休めないし……俺たちも結婚して、結構な時間が経ったし……真面目に作ろうかと思ってな。」
クリフの言葉にハンナが見る見るうちに赤くなる。
「そんな、クリフったら! お師匠さまにそんな相談したの? その、真面目に子作りするとか……」
「うむ、チェンバレン卿は子種が無いのかと大層お悩みじゃった。これではいかんな、ハンナよ。」
ウルフガングの言葉にハンナがシュンと項垂(うなだ)れた。形の良い眉が八の字になっている。
「ごめんね、クリフがそんなこと悩んでたなんて知らなかった。」
ちなみに子種うんぬんはウルフガングの作り話であり、クリフ自身も初耳なのだからハンナが知るはずはない。
「いや、良いんだ、その……ダメかい? 」
「ううん、頑張って子作りしよ?」
クリフとハンナが照れる様子を見て、ウルフガングが大いに喜んだ。
「うむ、一件落着よ! 励みなさい、ハンナ。」
「もうっ、お師匠さまったら!」
ハンナは顔を真っ赤にしながら部屋を退出した。
「はあ、子種が無いとは傷つきますよ。」
「はは、すまんな。しかし効果はてきめんじゃろ? ハンナは優しい子じゃからな、これも兵法よ。」
ウルフガングは「励みなされ」と大いに笑った。
…………
最後はイーノスだ。泰然(たいぜん)として動揺がない。
……これは、数年前とは別人だ。
クリフは瞠目(どうもく)した。
まさに三国志で言うところの「士別れて三日なれば刮目(かつもく)して相待すべし」である。
「イーノスよ、チェンバレン卿に遺恨はあるか?」
「当時はありました。しかし、今となっては感謝しております。あれがなければ私の慢心は払えませんでした。」
淡々としたイーノスの受け答えは悟りを得た高僧のようで少し気味が悪いとクリフは感じた。
「イーノスさん、先ずは昔日の無礼をお詫びします。本日は全力を尽くします。」
「いえ、こちらこそ若気の至りとご容赦ください。本日はよろしくお願いします。」
イーノスは手短に挨拶を終えると部屋を出た。
自然で力みのない振る舞いである。
「むう、クリフどの……今のイーノスをどう見なすった?」
「なんと言いましょうか、人が変わったように感じましたが……以前の事は、もう6年前の話になりますし、うーん……」
要領を得ないクリフの答えにウルフガングが深く頷いた。
「左様、人が変わったのです。今のイーノスは無念無想の極地に近い……剣士として後の事や損得、生死(しょうじ)から離れ、勝負に没入する精神状態です。まさか、ここに来て極意を得るとは……今回のことで開き直ったのでしょうな。」
……これはいよいよ勝てなくなったな……
クリフは溜め息をついた。
その姿は無念無想とは程遠いものだった。
…………
少し間を置いて、ハンナの辞退が発表された。
これについてはハンナがクリフとの試合を嫌ったとの見方が強く「やはり女だ」と侮りの声も聞こえたようだ……実際のハンナはクリフと模擬戦をするのは大好きだが、別に言う必要は無い。
ザン・ワドルとイーノスが籤(くじ)を引き、先にクリフと対峙するのはザン・ワドルに決定した。
クリフはザン・ワドルと立ち合ったが、ザン・ワドルとてイーノスに劣るとはいえ強敵である。
しかし、対戦前に「道場を継げなくとも、身を立てる術がある」と耳打ちされたのが効いたのだろう、攻めに厳しさがなく、互いに攻め手を欠き引き分けとされた。
…………
クリフはしばしの休息の後にイーノスと立ち合うこととなった。
向き合った瞬間、クリフは本能的な危険を察知し、弾(はじ)かれたように後(うしろ)へ飛び退いた。
イーノスの構えはピタリと決まり、もはや巌(いわお )のように小揺るぎもしない。しかし、その剣先からは濃厚な剣気が吹き出し、クリフは剣気に貫かれる己を幻視した。
……このままでは、飲み込まれる……
クリフの額から大粒の汗が流れた。
「オおおぉォー!」
イーノスからの剣圧を跳ね返すようにクリフが吠え、二度三度と鋭く踏み込んだ。
ダンっ! ダンっ! と床を踏み割るような足音を立てたが、イーノスは動じない。
三度目にクリフは身を低くし床を這うように木剣を振るった。
しかし、クリフの視界が暗転する……イーノスの面打ちが決まったのだ。
木刀を持っての試合は寸止めを狙うものではあるが、僅かに手元が狂ったのであろう。
「クリフっ!?」
遠くなる意識の中でハンナの声が聞こえた。
…………
この勝負よりウルフガングの道場はイーノスが後継者として決まる。
若き日の雪辱(せつじょく)を払う見事な勝利であり、イーノスの人気はうなぎ登りである。
イーノスの石火のごとき面打ちは評判となり、後に雷刀(らいとう)イーノスと呼ばれる剣豪となる。
雷刀とは大上段からの打ち下ろしの面打ちの事だ。
そしてザン・ワドルは独立し、股旅亭の跡地に道場を開いた。こちらも評議員である実家の支援もありなかなかに繁昌(はんじょう)したようだ。
そして、クリフは半月ほど家で休養をすることとなる。イーノスの木刀で頭蓋を痛めたため、大事をとって休養をしたことになっている。
しかし、実態はハンナとの子作りの日々であったことは言うまでもない。
ウルフガングが見舞いに訪れた時にはハンナが嬌声も高らかに励んでおり、ウルフガングは外で30分ほど待ちぼうけをしたのだと言う。
「お師匠さま、その……」
「いや、結構、結構。邪魔をして悪かった。」
客間に通されたウルフガングはこだわりも無い様子でにこにこと笑っている。
「怪我の具合も良さそうじゃな、クリフどの。」
「ええ、まあ。」
クリフは頭を掻いた。
イーノスの木刀が当たったとはいえ、寸止めの手元が狂ったにすぎない。木刀は止められていたのである。
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「ありがとうございます、頂戴します。」
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ウルフガングがにこにこと笑いハンナを見た。
「良い旦那さまじゃな。よくぞ見つけた、お手柄じゃ。」
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ハンナが屈託無く笑った。
かつて花のようであった笑顔は、女という果実を実らせ始め、えも言われぬ色香を漂わせている。
「でも、イーノスさんは急に、あの日に強くなった気がするんです。こんな事あるのかしら?」
「うむ、人とは不思議なものでな、こういうことはあるのだ。クリフどのとの立ち会いが一段剣境を高めるきっかけとなったのだろうな……まさに不思議よ。今のイーノスは若い頃の儂でも、まずは五分……恐るべき達人よ。」
ウルフガングの目がキラリと光ったが、すぐににこにことした好好爺(こうこうや)の表情に戻った。
「これからも仲良くしてやっておくれ。儂も、イーノスもな。」
ウルフガングはそう言い残し、去っていった。
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「ああ、うん。」
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お妃さま誕生物語
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シーリアは公爵令嬢で王太子の婚約者だったが、婚約破棄をされる。それは、シーリアを見染めた商人リヒトール・マクレンジーが裏で糸をひくものだった。リヒトールはシーリアを手に入れるために貴族を没落させ、爵位を得るだけでなく、国さえも手に入れようとする。そしてシーリアもお妃教育で、世界はきれいごとだけではないと知っていた。
小説家になろうサイトで連載していたものを漢字等微修正して公開しております。
老聖女の政略結婚
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エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
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