私の主人はワガママな神様

どろろ

文字の大きさ
119 / 146

20.わがまま(7)

しおりを挟む
 紗香の言葉に、ホッとして大きく息を吐いた。気付かぬうちに緊張で身体に力が入ってしまっていたようだ。脱力して、座っている椅子の背もたれに寄り掛かった。
 よかった、本当によかった。あと1日という短い時間だが、まだ彼と一緒に過ごすことができる。

「せっかく仙台まで来たし、私たちも1泊してもいいわよね。ね、黒木?」
「はい。ホテル探しますか?」
「ええ、お願いね」

 紗香たちは日帰りではなく、観光して泊まってから帰ることに決めたようだ。さっそく二人で黒木のスマートフォンを見ながらどこに泊まるか話し合っている。

「七海……」

 名前を呼ぶ晴太郎の声で、テーブルの下で彼の手を強く握っていたことを思い出した。手は離さずに、そっと力を抜いた。

「俺から言うだけじゃ、きっと姉さんは聞き入れてくれなかったと思う。だから、ありがとうな」

 にっこりと優しく笑う晴太郎の顔に、七海もまた自然と笑みがこぼれる。もう悲しい顔の影はどこにも見えない。これでよかったのだ。

「別に、私たちはあなたたちの交際に反対してるわけじゃないのよ?」
「えっ、こ、交際? 姉さん、なんで、知って……」
「七海も晴ちゃんも分かりやすいのよ。見てればわかるわ」

 姉の目は誤魔化せないようだ。晴太郎は照れ臭そうに彼女から顔を背けた。七海に至っては、仙台に来る前から自身の気持ちは紗香にバレバレだったので、今更痛くも痒くもない。
 それに、七海は知っている。紗香が七海の異動に反対し、晴太郎と一緒にいられるように副社長に意見してくれていたことを。

「むしろ私は賛成していたし、風ちゃんもよ。双子はよくわからないけど……反対してたのは、幸太郎兄さんだけ」
「え、幸兄さんが?」

 幸太郎の名を聞いて、ぐっと息が詰まる。晴太郎には知らされていなかったが、彼から七海を離す判断を下したのはあの人なのだ。賛成してくれるわけがない。

「もしかして、七海の転勤も俺とのことが関係してる……?」
「色々な事情はあるけど、関係してないとは言い切れないわ」
「……父さんは?」
「父さんの本心はわからないけど、七海の異動について反対しなかったってことは……兄さんと同じ考えなのかも」
「そっか……そうだったんだ」

 七海は分かっていたことだが、初めて聞かされた晴太郎は驚いた顔をしていた。ショックを隠しきれていない。

「父さんと兄さん……社長と副社長があなたたちの関係に反対している限り、七海は東京本社に戻れないわ」
 
 分かってはいたが、改めて言われると胸に刺さる。晴太郎の隣の居心地を知ってしまった今、また離れ離れの生活に戻れる気がしない。いい歳した大人ではあるが、七海だって寂しさは感じるのだ。出来る事ならすぐに会える場所にいたい。

「だから……七海」

 紗香が真っ直ぐな瞳で七海を見つめる。晴太郎のとそっくりな彼女のそれに引き込まれてしまいそうだ。

「本当に晴ちゃんのことを愛していて、ずっと傍にいたいと、そう思っているなら……」

 彼女の言おうとしていることは、何となく察しがついた。七海だって考えなかったわけではない。しかし、どうしても一人で決めることができなかった。
 どうしようもなく困っていたあのとき。まだ何の力もない少年で、頼れる大人も誰もいなくて途方に暮れていた七海を、救ってくれた人たちがいた。この考えは、その人たちへの恩を仇で返すことになってしまう。
 ひとりだった七海に居場所と生きがいを与えてくれた人たち、家族と同等の関係を持ってくれた人たち。
 捨てるには、大きすぎる。

 でも、それでも。晴太郎の傍に居られるなら。彼の近くにいることが許されるのなら。
 捨ててしまってもいいと、そう思ってしまったことも確かだ。

「会社、辞めていいのよ」

 ——会社を辞める。
 それは、どん底から救ってくれた中条家を捨て、晴太郎の従者に戻ることを完全に諦めること同じ意味を指している。
 紗香が示してくれたのは、身分も肩書きも関係なく、ただの一人の男として晴太郎の隣にいる道だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

処理中です...