妖精の見える君へ

江村真

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01 プロローグ1/2

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目覚めは最悪。

カーテンがゆらゆらと揺れている。
開け放たれた窓から生暖かい空気が流れてくる。
寝ぼけ眼にはキツイ明かりに、知らずめを細めてしまう。

ここはどこなのか:硬い地面に轢かれた薄い布
今がいつなのか:カーテンの隙間から差し込む夕陽
どうしてここにいるのか:ずきりと痛む全身

少しずつ頭が働き始める。

起きあがろうと手に力を入れると、繋がれた鎖がガシャリと音を立てる。
皮膚が隙間に挟まり地味に痛い。

硬い地面に手を置いた途端、裂かれるような痛みが身体中に駆け巡った。

「ーーー、ーーー」

深く息を吸って、廃屋の埃に塗れた空気を肺に取り入れる。
痛む体を労わりながら自分の体を観察する。

無骨な手錠は太く古い柱に繋がっている。
足は裸足で靴下も履いていない。
足の小指が割れているのは昔から。
服は着ているが、汗ではない液体でびしょりと濡れている。

固められただけの土の上に放置されている。
非日常的な景色を、自分はなんとなく受け入れている。

未だ頭が冷めきっていない頭に誘拐、という言葉がよぎる。

異国への旅行中。
飛行機の中では普段よりも嫌に優しい両親に、普段は食べさせてもらえない豪華な食事。
最後だけは、というやつだったのだろう。

気がつけば両親の、いや、彼らの姿はどこにもなく代わりに右も左もわからない場所に1人佇んでいた。

『Я думал, что он хорошо одетый ребенок... Дерьмо!』

聞き慣れない、男性の声がした。
スキンヘッドで、頭にはイカつい刺繍を入れている。

携帯片手に近づく彼は苛立たしげに足音を立てる。
近場にあったドラム缶が八つ当たりを受けベコリとへこむ。

イラついてるのはわかるけど、物に当たったらいけません。

「ーーーーー」

だからと言って、人に当たるのはもっといけないと思う。
体は起こせないので、首を回して男を見上げる、
ずきりと蹴られたお腹が痛む。
脂汗が滝のように滴り落ちる。

本当に。こんなことってあるんだなぁと。
どん底だと思った人生にはまだまだ奥行きがあったみたいだ。

ーーーーーー

それから数日。
目を覚ましてしばらく、僕は未だに地面に放り投げられていた。

窓の隙間から見える外は相変わらず遠く。
ゆるい風にハタハタと揺れるカーテン。
頬には地面の砂利が押し込まれ跡ができている。

シミだらけの天井は雨が降れば雨漏り必須だろう。

ここがどこなのか、いつまでここにいるのか。
両親にも見放され、言葉も通じない異国で誘拐。
いったい僕はどうなるんだろうか。
目も当てられない現実に思わず逃避したくなる。

けれど、ひとつ。
暗闇の中にあっても、案外世界ってのは都合よく回るんだってことを知った。

「おぃおぃ、日本人のガキンチョがこんなところでなーにしてんだ」

初めて見るおじさんは、そう言って血まみれの拳を差し出してきた。
笑顔はとても怪しく、口調は荒っぽく、いわゆる胡散臭い大人。
きっと、おっぽの端っこにでも触れれば途端に人格も豹変するのだろう。
安っぽいアロハシャツが、このおじさんにはぴったりだった。

「ガキンチョ、聞こえてるか??Ах, я не понимаю японский?」

「……はい。あの、おじさんは誰ですか?」

「んだ、やっぱ日本人じゃねぇか。俺様は今をときめく大スター、石川 五右衛門様だ。五右衛門っちって呼んでいいぞ」

血まみれのおじさんはニコニコとした笑顔のまま、明らかな嘘をつく。

「五右衛門さんは、僕を助けてくれるんですか?」

「いや、助けねぇな」

おじさんは笑顔のままだ。
はっきりと言って恐怖すら覚える。

「五右衛門さん、ひとつ聞いてもいいですか?」

「おぅ、ひとつと言わず幾つでも聞くがいい」

「どうして、後ろの人は血まみれなんですか?」

さっきまでいた刺青の男は真っ赤な水たまりを作って倒れている。
すごいイビキをかいていて、あんな状態で眠れるだなんてありえないからきっとよくないイビキなんだろう。

けど、それは僕の『横』にいる。

おじさんはほんの一瞬だけ笑顔を崩したけど、すぐに胡散臭い笑顔に戻って立ち上がる。

「おい、そいつのイビキ。うるさいからもうトドメ刺しちまえ」

おじさんは別人みたいに冷たい声で後ろの『彼女』に指示を出す。

「……ガキンチョは見るもんじゃねぇぞ」

ぐちゃぐちゃとした肉の塊に鉄の棒が差し込まれる。
意味はよくわからないけど、見ているだけでとても気持ちが悪くなる。
イビキが悲鳴に変わり、悲鳴が絶望に終わる。
魂が抜け落ちる光を残して刺青の男性は息を引き取った。

「おじさんは、なんなの?」

再度尋ねる。
胡散臭い笑顔はそのままに、笑わない瞳がじっと僕を見つめる。

「……あぁ、まじで見えてるみてぇだな」

僕の質問には答えず、1人何かうんうんうなづいている、

「おい、これ。持って帰るか」

「ーーーあ」

固かった鎖が飴細工のように砕かれる。
彼女はこれっぽっちも力を入れていないのに、剣は地面まで沈み込んだ。

からん。
軽い音を立てて、手錠は綺麗に裂け落ちる。

「よし、いくか…って、その成りじゃあるけねぇな」

おじさんはよし、と頷くと背中を丸めて僕に差し出した。
いわゆるヤンキー座りだ。

「ほら、早く乗れよ」

ほらほら、と手をひらひらさせる。
彼女の話をしてから、おじさんは妙にご機嫌だった。

きっとほんとは彼女は見えてはいけない、見てはいけないものだったのだろう。

ラジオの電波が違えば音も通じないように。
鏡の世界には手が触れられないように。
僕らの世界の隣には、よくわからないものが並んでいる。

時折、その境を見るものが現れる。
不運にも、その世界に触れられるものが現れる。

「はーやーく。おじさん、早くしないと行っちゃうぞー?」

こうして僕は。
捨てられた異国で、なぜか。
見れないはずの世界を、なぜか。


はじめて共有できるおじさんに出会った。
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