妖精の見える君へ

江村真

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02 プロローグ2/2

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『あの子…なんだか君が悪いわ。まるでいないものを、いるんだっていうんだもの…』

『気にすることはないよ、子供特有の、きっとそういうものだから』

両親は、彼らは僕の見るものは信じず、どうして嘘をつくのかとしつこく聞いてきた。

『どうして見えないの?そこにいるよ。そこにいるんだよ』

『いい加減にしてくれ、そんなお化けなんていないんだ。どうしてそんな嘘をつくんだ』

『でも…だって…』

ため息をつく彼ら。
アレらの話をしてから、彼らの優しい笑顔を見ることがなくなった。
きっと、この世界は壊れているんだ。

壊れたラジオにノイズが走るように。
割れた鏡の隙間に指が入るように。

でも、人はそれを見ることも、触ることもできない。
彼らの世界はノイズもないし、ヒビも走っていないから。

結局、誰ひとりとして僕の話を信じてはくれなかった。
アレらに頼めば、軽いお願い事ならなんでも叶えてくれた。
特別な道具も、複雑な準備も何もいらない。

投げられた石なんて、簡単に弾くことができた。
見えないイタズラも、事前に避けられる。

……だから、余計に不気味に思われたのかもしれない。

アレはみんなには見えていないみたいだ。
自分だけに見える世界。

アレはきっと、妖精と呼ばれるもの。
蛍のような小さな光。
トカゲのような赤い蟲。
形もない粘液の塊。

アレらは見える僕にやたらと親切で、無闇に力を貸してくれる。
頼まずとも、望まずとも。

だって、アレは、僕の願ったことじゃなかったんだから。

『ーーーー、ーーー!』

誰かが叫んでいる。
ありえない景色に、理解の追いつかない現実に。
悲鳴が鳴り響く。
誰かが僕のことを睨んでいる。

ーやめて、やめて。

金切り声は高く、高く、響く。
高らかに、伸びやかに、健やかに。
僕の頭はおかしくなっているので、なんとも感じないけど。
やまない悲鳴は放課後のサイレンのように心をざわつかせる。

ーもう、やめてくれ。僕じゃ、ない。

何もかも、手遅れだった。
生きているだけで。誰かと関わりを持つだけで。

ーそんな目で、僕を見ないで。

……あぁ、今まで僕は勘違いしていた。
世界は壊れていて。
他のみんなはそれに気がついていなくて。

ーちがう。

そう。僕は勘違いしていた。
僕は壊れていて。
他のみんなはそれに気がついてしまって。

ーちがう。

だから。
みんなには見えていない。だから平気なんだ。
みんなには聞こえていない。だから平気なんだ。

でも、僕には見えている。
でも、僕には聞こえている。

アレらの受けた傷を。
アレらの恨みの声を。

だから、僕は世界に置いてけぼりにされたんだ。


ーーーー

青い空が広がってる。
生暖かい風が頬を撫でる。
さっきまでいた、埃だらけの廃屋とは違う空気が肺を満たしてくれる。

「……ごほっ」

胸が痛くて、体を小さくして、咳き込んだ。
落ちそうになる体を、硬くて太い腕が支えてくれる。

「おぅ。起きたかガキンチョよ」

はっきりと耳に届く、男の声がした。

「しっかしおめぇは、随分と軽いなぁ。ちゃんと飯食ってんのか?…って、あんな場所でまともに飯が渡るわけもねぇか」

おじさんは愉快に笑う。
……なんか、イラっときた。
僕だって好きであんなところにいたわけじゃない。

「どこかの誰かさんがもっと早く助けにきてくれれば。こんなにお腹空かなかったのに」

「はは、そうかいそうかい。腹はへってるか。そりゃよかった」

おじさんは嬉しそうにまた笑った。
笑うと、背負われている僕も小刻みに揺れる。

「ま、あんな出会いだったがこれも何かの縁だ。飯の一つや二つ、奢ってやるよ。俺は石川五右衛門っていうんだ。おまえさんは?」

昔見た、親戚のおじさんのように。
おじさんはまた明らかに嘘っぽい名前を教えてくれた。

僕は藤原ミツルと名前を告げて、ぎゅと首に回した腕に力を込めた。

おじさんとのおしゃべりは楽しかった。
この人は僕の言うことを信じてくれる。
同じ世界を見る人間として、僕の話を聞いてくれた。

色々なことを話した。
僕の家のこと。ごく普通の家で、パパもママがいて、昔はみんな仲良しだったこと。

志弦という、まだ小さくて、将来はきっと美人になる妹のこと。

狭い家だったから、よく走り回っては両親に怒られていた。
テストがあった日はママが好物のシチューを作ってくれたこと。
運動会では家族みんなが応援に来てくれて、リレーでアンカーを走ったこと。

大好きだった家が、家族が、いつのまにか変わってしまったこと。
両親がすっかり変わってしまって。
妹とはお別れすらできなかったこと。

故郷から離れた空は、それでも同じ空で。
見ていると泣きそうになっていること。

でも、生きていることは嬉しくって、おじさんの胡散臭い笑顔も怖くはなかったって。


ーーー本当に。
僕は熱にうかされたように、色々なことを話した。

「そうか。そうか。大変だったな」

おじさんがぎゅと手に力をいれた。
暖かい背中が、ぽかぽかと心地よくて。

顔は見えなかったけど、また、あの嘘っぽい笑顔を浮かべてるんだろうな、と。

……おじさんは、最後まで手を離さなかった。

「じゃあ、これからだ。お前の人生はこれからだ。
いいことも悪いことも、いろいろあっただろうさ」

「ーーーー」

おじさんは、さも名案だ、というように語る。

「これからも、生きてりゃ嬉しいこと悲しいことどっちもあるさ。だが、最後はきっと嬉しい方に天秤が傾くのさ。悲しいことなんて忘れちまえ。嬉しいことだけ持っていけ」

車が見える。
白い、オンボロの車。
さっきの女の人が助席で背筋を伸ばして待っている。

「おじさんのこと、パパって呼んだっていいんだぜ?」

それはいやだ。
おじさんは「そうか、いやか」とカラカラ笑った。
結局僕はおじさんのことを師匠って呼ぶことにした。

人生の師匠。
生き方の、師匠。

「師匠、か。それもわるかねぇなぁ」

ハンドルがぐるぐると回る。
連れて行ってくれたところで食べたハンバーガはピクルスが口の中で沁みて涙が出た。

これまた愉快と師匠が笑うものだから、つられて僕も笑った。

それからしばらくは師匠と僕と、彼女の3人で旅をした。
師匠といるのは楽しい。
一人じゃないってのは、見る世界を共有できるって言うのはとても落ち着いた。

「ねえ師匠。僕、こんなコトができるよ」

ふとした時。
森の淵を歩いている時。

ほんのイタズラの気持ちで僕は近くにいたアレに命令をした。

人抱えもある木が捩れ、括れ、割け、砕ける。
歌うようにミシミシと音が鳴り、どシンと地面を揺らす。

「師匠も見えてるんだよね。師匠も、できる?」

師匠は驚いた顔をした後、一白置いて怒って、そして、悲しんだ。

「それは…2度とするんじゃねぇ」

「師匠……?」

ツカツカと近づいてきて、頭にごちんと雷が落ちた。

僕を見る顔は相変わらず胡散臭い。
でも、目は笑ってなかった。

あぁ、また失敗した。
同じ世界が見える人がいて、触れ合える人がいて。
僕はまた、勘違いをしていたんだ。

「ーーーごめん、なさい」

師匠は困った様子で頭をガリガリ掻きむしる。
いつも会話に困った時とかに見せる癖だ。

「まぁ、その、なんだ。
       ーーーーミツル」

硬い腕が、緊張で無駄に強張った腕が背中に回される。
どこに手を当てたらいいのか探って、少し右往左往してる。
不器用な師匠らしい。

「おれも、悪かった」

いつも飄々として、風に吹かれたら飛んでいきそうな細い体なのにを
すごく暖かくて、とても苦しかった。

「おめぇのそれは、やっちゃイケねぇことだ。だが、知らなけりゃそれもわかんねぇよな。
そうと決まりゃ、早速特訓だ。
オレの修行はきびしぃーぞー?まずは勉強からだ。
オレたちが見てるもの、触れるもの。
見てはならないもの、触れては行けないもの。

いろんなことがある。やらなきゃならねぇこともたくさんある。」

早口だ、今までにないほど早口だ。
横顔に見える耳が少し赤くなっている。
声もいつもより揺れていて、風が吹いたら途切れてしまいそうなのに頭の中にスッと入ってくる。

「だから、もぅ、今みたいなことはするんじゃねぇぞ」

「ーーーーは、い」


そうして。
師匠と修行の日々が始まった。
見えている世界のこと。アレと呼んでいた妖精の世界のこと。
破っては行けない掟や、彼らと力を合わせる方法。

「ミツル、俺たちが見ているのはこの世に確かに存在する。たとえ他のやつに見えてなかろうが、触れられなかろうが。そこに確かに存在する」

「じゃあ、なんで他の人には見えないの?見える僕たちがおかしいの?」

いいや、と師匠は首を横に振る。
見えようが、見えなかろうがどちらもおかしくはないのだ、と。

異常なものがあったとしても、ありえないものがあったとしても、そこにあるのだからそれはおかしなものではない、と。

「じゃあ、なんで僕らは見ることができるの……?」

きっと何か理由があるんだ。
今はそれがわからないだけで。
少なくとも俺は、見えるおかげでお前と出会うことができた。それは結構いいこと、だろ?

自身満々な師匠を見て、思わず笑いがこぼれてしまう。

「すぐに見つかる答えなんてのは、大体はどっか間違えてるか、焦りすぎて一面しか見えてねぇもんだ」

だから、これからゆっくり見つけてばいいさ、と。
気楽に人生を謳歌したまえよ、と。

そうして。
師匠はあくる日急に姿を消した。

旅を始めて2年の頃だった。

『よぅミツル。この手紙を見てるってことは、俺は死んでるんだな』

そんな言葉から始まる手紙が机の上に置かれてた。
なんの変哲もない、ただの白い封筒に入っていた手紙。

『なんてことはねぇんだが、男に生まれたからにはこう言うの一度はやっておきたくてない』

思わず握りつぶそうとしてしまう。
慌てて手に込めた力を抜き、遠くなって目を近くに呼び寄せる。

『教えられはことは、多分大体教えた。お前は飲み込みが良かったから、必要ないものまで教えちまったが、まぁそれはいい』

師匠は一体どんな気持ちでこの手紙を書いたんだろう。
得意げにニンマリと笑っている、そんな姿が浮かぶ。

『お前はもう、大丈夫だ』

見える世界は、変わらずひび割れている。
ラジオのアンテナはノイズを拾い続ける。

『それでもお前は、もう、大丈夫だ』

その世界と折り合いをつける術を得た。
その世界と寄り添う術を身につけた。

ならば。

『だから、あとはあるべき世界にも折り合いをつけてこい』

封筒の中には、旅券が1枚入っている。
行き先は……今は懐かしい日本。

『かといって、家に帰れってのは流石に横暴がすぎるよな?一緒に地図も入れといた。そこに俺の娘がいる』

師匠と一緒にいた、彼女も姿は見えない。
きっと師匠と一緒に2人で旅に出たんだろう。

『あれは、娘ながらになかなか気難しい性格をしてる、が。お前ならまぁ、うまくやれるだろう』

どこに、出かけたんだろう。

『学校にも通っちまえ。戸籍なんてものは、意外となんとかなるもんだから気にするな』

まだ、伝えてないことがあるのに。
封筒の中は、最後にパスポートが入ってる。

『そんで、なんもかんも落ち着いて。余裕ができたらさ』

まだ、あなたにお礼を言えてないのに。

『本当の家に戻って、ただいまって言ってこい』

僕はあなたに救われたのに、何も返せてないのに。

『親だって、人間だ。帰ってきたお前を受け入れられるかどうかは、まぁ賭けだな』

せめて、ありがとうと伝えたいのに。

『ダメだったとしても気にすんなよ?そんときゃオレのことをパパって呼んだっていいんだからな』

それは、嫌だ、と。伝えたはずなのに。

『あぁあと、この際だ。オレの秘密教えてやるよ』

『オレの名前は、石川五右衛門じゃなくってな。
神崎裕次郎ってんだ。案外素朴な名前だろ?』

パスポートには、神崎ミツルと書いてあった。
明らかに偽造パスポートだ。

『じゃ、まぁ達者でやれよ。どこかでまた会える日まで、元気にしてろよ。ちゃんと飯食って、寝て、遊んで、生きてこい』

ーーーーこの時の胸の苦しみを僕はきっと生涯忘れることはないだろう。

最後に『石川五右衛門より』と、書かれた手紙を持って僕は。

懐かしの日本に単身旅を始めた。
日本では、師匠から連絡……まぁ、かなり一方的なものだったらしい……を受け取った娘さんが仁王立ちで待ち構えてた。

「おそいっ!」

出会い頭、退屈しなさそうだなぁと。

「それで、あの落伍者はどこにいるの!」

あの親にして、この娘ありだなぁと。

「はぁ!?1人だけって……こんな子供1人で!?全くあいつめ…今度あったらとっちめてやる……。
それで、あなたの名前はなんていうの?私は神崎詩織。詩織さんって呼んでいいわよ」

きっと大丈夫。こんな賑やかな人が一緒なんだもの。
藤原ミツルはちゃんと『生きて』いける。

新しい生活を、二つの世界の狭間で。
世界は相変わらずノイズが混じるけど。
変わらずひび割れた世界からこぼれ落ちるものがあるけど。

空港から見た青い空も、やっぱり透き通るほど眩しくて目を細めたくなった。
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