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自称悪役令嬢な妻の観察記録。
6-1 バーティア、同席中。
「殿下、父が謀反ですのよ」
『セシル殿下! 私は悪役令嬢ですの!!』
突然呼び出されたその場で告げられた言葉に、私、セシル・グロー・アルファスタは遥か昔……私がまだ子供だった頃、当時婚約者だった私の妻であり、現在私の子供を妊娠しお腹が大きくなっているバーティアに告げられた言葉をふと思い出していた。
まぁ、言っている人物も、内容も全く違うんだけどね。
「……ジョアンナ嬢、急にどうしたんだい? 君らしくもない。そういう唐突なのは、ティアの十八番だろう?」
『謀反』なんていう物騒な言葉を何の躊躇いもなく、微笑みを浮かべて告げてきた相手……バーティアの友人であり、あとひと月もすれば私の弟であるショーンと結婚するであろうジョアンナ嬢を見返す。
幼少期の妻との思い出が頭に浮かんだのは、自身にとってマイナスになる事を、唐突に、何の躊躇いもなく、意気揚々と、笑みすら浮かべて言い放ったアンバランスさが似ていたからだろう。
私にこういった厄介事を持ち込む役は、高確率で妻だ、というのも理由の一つかもしれない。
そして、その妻はといえば……
「ジョ、ジョアンナ様、お父様が謀反ってどういう事ですの!?」
理由も聞かされないまま、ジョアンナ嬢に連れて来られ、この場に同席させられている。
「え? え? どういう事? もうすぐ僕たちの結婚式だよね? 謀反って何でまたそんな事を……」
ついでに、私の弟であるショーンも……だ。
近々第二王子妃になるジョアンナ嬢用に用意された仕事用の部屋。そこにいるのは、私たちを呼び出した張本人であるジョアンナ嬢、私、バーティア、ショーン。そして、私とバーティアの契約精霊であるゼノとクロのみだ。
ゼノとクロはいつも通り、侍従と幼女メイドに擬態している。
……うん。どう考えても『謀反』対策をするのに向いているメンバーではないね。
バーティアは猪突猛進過ぎて危なっかしいし、ショーンはジョアンナ嬢の支え……という名の『褒める教育』を受けて少しずつしっかりとしてきたとはいえ、やはり何処か頼りなさがある。
ショーンは人を頼るのは上手いが、強い意思を持って誰かと対立するのはまだ難しいだろう。
ジョアンナ嬢は、こういう時に頼りになる人材だが、今回は彼女の身内の話だ。
もし内々で処理が出来るのであれば、わざわざ私達にこんな話をする事はないと思うし、きっと身内故に困った事になっているという事だろう。……多分ね。
「お二人共、落ち着いて下さいませ。まだ事は起こっていませんから。面倒な……コホンッ……大変な事にならないように、セシル殿下に先にご相談させて頂こうと思いましたの」
……違った。これはあれだね。面倒事を私に押し付けに来た感じだ。
そうなると、バーティアとショーンまで呼び出したのは……私に断りづらくさせるためかな?
「私、バーティア様を見て学びましたの。問題が起こった時、セシル殿下には、初手暴露で事を進めた方が良いと」
バサッと扇を広げて口元を隠し、ニッコリと微笑むジョアンナ嬢。
バーティアの純粋無垢な笑顔と違い、彼女の微笑みには隠しようのない黒さが滲み出ている。
その様子を見て、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「まぁ、確かに、後で問題が大きくなってから言われても面倒だし、その心掛けは、悪くはないけれどね」
じっくりと話を聞くべく、座っていた椅子に深く腰を掛け直し、足を組む。
それから、私の背後に控えていたゼノにお茶を淹れるように合図する。
本来ならこの部屋の主であるジョアンナ嬢がこの場を仕切って侍女やメイドに指示を出しお茶の準備を進めるのが筋だけれど、今は人払いがされているから、使用人が同席していない。ゼノもそれを察して、すぐに準備を始める。
ちなみに同じく仕える立場としてこの場にいるクロは、今日も暢気にバーティアの隣に座って焦るバーティアを見てキョトンとした顔をしている。
バーティアの傍にいる為にメイドの格好をしているとはいえ、本職のメイドのような働きをする気はなさそうだ。
気が向けばメイドっぽい事をする事もあるけれど、『いつも』ではなく、あくまで『気が向いたら』だから、誰も彼女のその行動を不思議には思っていない。
ここにいる皆が「クロはそういう存在」と認識しているからだろう。
「でも、私が君の問題を解決しないといけない理由はないよね? それに、君だったらほとんどの事を自力で解決出来ると思うけれど?」
微笑みを浮かべているジョアンナ嬢に、私も笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。
「とんでもございませんわ。事が大き過ぎて、私にはとても手に負えない状況ですのよ。……結婚式も間近で忙しいですし」
演技じみた表情でハンカチを取り出し目元を拭う仕草をするジョアンナ嬢だけれど……当然、その目元はカラカラに乾いている。
ついでに言えば、最後に本音が滲み出ているしね。
こんな演技に誰が騙されると思って……
「ジョアンナ様、大丈夫ですわ! 一人で悩み込まないで下さいませ!! 私も協力しますし、セシル様に任せればきっと何とかなりますわ!!」
「そうだよ、ジョアンナ嬢。僕も出来る限りの事はするし、兄上に相談したんだから、きっと悪い事にはならないよ」
……騙される人間がここに二人いたね。
というか、騙されるような純粋無垢な人材をここに集めたね。……意図的に。
「君達、私は対処を引き受けたわけじゃ……」
「セシル様、これは国の一大事ですの!! 一致団結してこの苦難を乗り越えないといけないんですわ!!」
「兄上、僕はこの国の王子として、ジョアンナ嬢の、こ、婚約者として、この問題に精一杯取り組んでいきます。是非ご指示をお願いします」
「……」
どうやら、私に断るという選択肢は与えてもらえないようだね。
うん、何となくこの状況からそうなるんじゃないかなという気はしていたよ。
でもショーン。今回の件は君の婚約者の実家の問題なのに、何で指示を受ける側だと思っているんだい?
普通なら、自分で何とか解決しようとして、無理な部分や協力が必要な部分について、私に力添えを求めるもんなんじゃないかな?
「……セシル殿下、父上は公爵としてしっかりと領地を治めている人物ですわ。やり合うにはそれなりの力量が必要ですの」
私がショーンに向けた、やや呆れを含んだ視線に気付いたのか、ジョアンナ嬢が真剣な表情でボソッと呟く。
要するに、ショーンにその道理を伝えれば、真面目な彼はそれに従おうとするが、彼に任せるには少々荷が勝ちすぎるから止めてくれという事だろう。
……否定は出来ないね。
ジョアンナ嬢が自分で対処するならともかく、ショーンは残念ながら現在『成長途中』だ。今回のように『公爵の謀反』なんて一大事を任せるには、まだ早いだろう。
ジョアンナ嬢の父であるケルツウォーレン公爵は広大な領地を問題なく治めるだけの実力を持つ人物だ。公務については、まだひよっこ状態の今のショーンではおそらく太刀打ち出来ない。それどころか、純粋すぎるが故に、騙されて利用されるなんて可能性もあるから、下手に動かれるのも出来れば避けたい。
バーティアに至っては……暴走されると困るから、こっちもしっかりと手綱を握っておく必要があるだろう。
彼女が愛する妻である事は違いないし、自由にのびのび生きて欲しいと思っている。けれど、その猪突猛進さにヒヤッとさせられる事も多いから、安易に野放しにもしておけないんだよね。
「ジョアンナ嬢、君、こうなる事を見込んで二人を呼んだね?」
口元に笑みを浮かべたまま、スッと目を細め、非難の視線をジョアンナ嬢に向ける。
「まぁ、とんでもございませんわ。私はただ、お二人には、早めにお伝えして、『ご協力』いただこうと思いましたの。きっと私の事を心配して下さるでしょう?」
ジョアンナ嬢が扇で口元を隠して「こうなったら逃げられないでしょう?」とでも言うかのように、目を細める。
彼女の『ご協力』という言葉の裏には、バーティア自身は気付いていないが、バーティアがいる事で私が協力せざるを得なくなる……という内容も含まれているのだろう。まぁ、本気で断ろうと思ったら断る事も出来るし、何だったらこのまま放置して、『謀反』が起こった後に、公爵家ごと潰す事も出来るけれど……
チラッとバーティアに視線を向けると、予想していた通り、私に対して期待のこもった……というか、手助けすると信じ切っている視線が向けられる。
ショーンの方も、バーティア同様、私が手を貸すと、疑ってすらいない様子だ。
「……仕方ないね。これも結婚祝いの一つにしておこうか」
小さく溜息を吐いて了承する。
別に大した手間でもないし、それで妻と弟が安心して日々を過ごせるなら、公爵家の問題解決など、安いものだろう。
何より、ジョアンナ嬢は使える人間だ。そういう相手に『貸し』を作っておくのは悪いことではない。
然るべき時に、その『貸し』を返してもらえれば、色々と助かるだろうからね。
「さすがセシル様ですわ!」
「兄上、感謝します!! 僕も出来るだけの事はするので、何でも言って下さい」
期待通りの私の返事に、バーティアとショーンの目が輝く。
当事者であるジョアンナ嬢はというと「してやったり」とでも言いたげな、黒い笑みを浮かべている。……純粋無垢な私の妻と弟とは雲泥の差だ。
「とりあえず、まずは情報収集からだね。ジョアンナ嬢にはこの後、詳しい話を聞かせてもらうよ」
「えぇ、もちろんですわ」
私が言うと、ジョアンナ嬢がニッコリと笑みを浮かべて頷く。
できれば他人の悪意や策略といったものに免疫がないバーティアやショーン抜きで、ジョアンナ嬢と腹を割って話が出来れば嬉しいんだけど。
「情報収集は大事ですものね! 私も是非お話をお聞きしたいですわ!」
「ぼ、僕もちゃんと話を聞いておきたい」
まぁ、当然そうなるよね。
バーティアもショーンも大切な者のピンチを前に、知らんぷりできるような性質ではない。
……本当は任せてくれた方が、イレギュラーが起こらなくて助かるんだけどね。
おそらく同じ事を思っているであろうジョアンナ嬢にチラッと視線を向ければ、二人に自分を気遣ってもらえた嬉しさと、出来れば何もせずにいて欲しいという気持ちが混ざった複雑そうな表情をしていた。
さて、彼女はどうするつもりだろうか?
ここで全てを話せば、嘘や誤魔化し、裏工作が苦手な二人から、外部に情報が漏れるリスクが高くなる。
それでも、私に面倒事を押し付ける為に、二人を巻き込んだのだ。その対策も考えてあるに違いない。
「もちろんお話いたしますわ。ただ……ショーン殿下やバーティア様には、この後、外せないご予定が入っていらっしゃいますでしょう? 私、焦ってしまって……お二人の予定を考えずにお呼び立てしてしまいましたもの」
ジョアンナ嬢は扇を閉じると、頬に手をあて、わざとらしく困った表情をする。
……なるほどね。既に二人の予定は把握済み。その上で、最初に少し話を聞いたら退出しないといけないタイミングを見計らって、この場をセッティングしたという事か。
いや。二人が全く同じタイミングで退出しなければならず、私だけは時間がある状況。そんなものが都合よく訪れる確率は低い。
つまり、この後の二人の予定自体、彼女が仕組んだものだろう。
……ジョアンナ嬢は有能だね。
とりわけ、こういった裏工作的な事に対しては。
バーティアと婚約する前。その有能さや地位を見込まれたジョアンナ嬢が、私の婚約者候補だった事がある。
当時も今も、お互いに好意を抱ける感じは全くしないし、仮に過去に戻っても私の妻はバーティアしか考えられないが、能力だけを見れば、ある意味で、彼女が王妃向きなのは確かだろう。
まぁ、そんなジョアンナ嬢が好意を持ち、他にも大勢の優秀な人材が率先して力を貸そうとする人物であるバーティアは、ジョアンナ嬢とは違った方向性ではあるけれど、彼女以上に王妃向きなんだと思う。
本人自身が優秀であるより、優秀な人物がこぞって力を貸そうとする人の方が、総合的に見るとやれる事は大きいからね。
「で、でも、ジョアンナ様の方が大事ですわ!」
「ぼ、僕も、確かにこの後の用事も大切だけれど、ジョアンナ嬢以上に大切な事なんて……」
ジョアンナ嬢の言葉に、自分達の予定を思い出し、一瞬「あっ」という表情をしたバーティアとショーンだったけれど、慌てて言い募る。
「お二人共……。お気持ちは嬉しいのですが、お二人がお仕事をキャンセルすれば、その理由は何なんだと勘繰る者も出てまいりますわ。それで調べられたりなんかしたら……」
二人にジョアンナ嬢の事の方が大切だと言われて、感極まったように口元を押えたジョアンナ嬢だったけれど、ここで引いたら二人の前で色々と話さないといけなくなる。
そうなったら、腹を割って思うままに言いたい事を言えなくなるだろう。
ジョアンナ嬢は二人に私の前で見せているような腹黒い部分を見られたくないだろうしね。
「もちろん、お二人にもそれぞれ後で詳細をお話しますわ。ですから、今日はお仕事を優先して下さいませ」
健気な女性を装って切々と訴えるジョアンナ嬢。
本意がわかっている私やゼノはその様子を「うわぁ……」と引きながら見守っていた。
ちなみに、クロも状況はわかっているようで、ゼノと似たような反応をしている。
けれど、下手にこの件に首を突っ込むとバーティアが危険な事も察しているらしく、ジョアンナ嬢にチラッと非難の視線を向けるだけで、バーティアに直接何かを伝えようとはしなかった。
うん、それが正解だと思うよ。
いくら防御に長けたクロが常に傍にいるからといって、不必要に危険に飛び込む必要はないからね。
「なるほど。わかりましたわ! 私とショーン殿下は、敢えてここでは動かず、いつも通りに過ごすのが戦略上良いという事ですのね」
バーティアが顎に親指と人差し指をあてて、「ふふん」と得意げに口の端を上げて答える。
……如何にも「その意図に気付いてしまう私はやっぱり優秀な悪役令嬢ですわ」とでも言いたげな表情だけれど……本当は君達が遠ざけられているだけだからね。
「はっ! なるほど。さすがですね」
ショーンがバーティアに尊敬の視線を向けているけれど……王族である彼には今後、裏の意図に気付けるように、もう少し経験を積ませていかないといけないな。
バーティアのフォローは私の仕事であり趣味でもあるからそこは良いとして、今後も公務に携わっていくであろうショーンのフォローまで生涯続ける気はない。
というか、もうすぐ結婚して家庭を築き、独立していく立場であるショーンにはきちんと自分の周りの人間を守れるようになっていってもらわないと困るからね。
……たとえ、裏でジョアンナ嬢がフォローしてくれるとわかっていても、兄としては、出来る範囲で努力をして欲しい、成長して欲しいと願ってしまうからね。
まぁ、だからと言って、今ここで余計な事を言う気はないけどね。
経験を積ませるのはあくまで『今後、別の案件で』だ。
あまりにも難し過ぎる課題を、ミスをすると面倒な事になりかねない状況で与えるのは得策とは言えないからね。
「そうと決まったら、早めに戻った方が良いんじゃないかな? 欠席はもちろん、遅刻するのも良くないだろう?」
ジョアンナ嬢の話にのるように、ニッコリと微笑んで二人を促すと、真剣な表情でバーティアが大きく頷いた。
「そうですわね。今回は国を揺るがす一大事。何よりもジョアンナ様とショーン殿下の幸せが掛かっているんですもの。慎重に動いた方が良いですわ」
「確かにそうだね。僕、この事がバレないように普通に振る舞うよう頑張るよ、ジョアンナ嬢」
ショーンも真剣な表情でジョアンナ嬢を見る。
背後でゼノが笑いを堪えているのが伝わって来るけれど、私は笑ったりしないよ。
ポーカーフェイスには自信があるし、微笑みを浮かべてただ二人を見守るだけだ。
ジョアンナ嬢も私同様、鉄壁の微笑み……とまではいかないね。
二人の純粋な瞳に捉えられて、居心地の悪さを感じているのか、若干口の端がピクピクしている。
まぁ、本当に僅かだから、二人は全く気付いていないけれど。
「お二人共、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致しますわ」
耐えきれなくなった様子で、二人の視線から逃れるように膝を折って頭を下げるジョアンナ嬢。
「任せておいて下さいませ! お友達のピンチには全力で立ち向かいますわ‼」
「僕も君の為だったら、どんな事だってするよ‼」
……バーティアの発言は良いとして。ショーン、「どんな事だってする」は王族としてあまり口にしない方が良いと思うよ。
愛する人の為にそう言いたくなる気持ちはわかるけれど、ジョアンナ嬢はバーティアと違って腹黒だからね。
言質をとったとばかりに、王族にしか出来ない無理難題を押し付けてくる可能性もあるから。
「バーティア様……。ショーン殿下……。本当に有難うございますわ。お二人の御気持ちは有難く頂いておきますわ」
……いや、大丈夫そうだね。
ショーンの……ジョアンナ嬢の最愛の人の言葉を利用出来る程、彼女も悪い人間ではないようだ。
もし、その言葉を悪用して何かをショーンにさせるにしても、今の様子から考えて、ちょっとショーンが恥ずかしい思いをする程度の内容だろう。
それだったら、部外者の私がとやかく言う必要はない。
「ささ、お二人共早くお戻りになって下さいませ」
純粋な思いをぶつけられ続ける事に喜び以上に罪悪感が強くなってきたらしいジョアンナ嬢が二人をさっさと追い出そうとする。
「わかりましたわ。ジョアンナ嬢、また今度お話しましょうね!」
「また後で話をしっかり聞かせてね」
決意の籠った視線を最後にジョアンナ嬢に向けて、二人は足早に立ち去って行った。
「……お疲れ様」
「……少しは助けて下さっても良いのではないですか? 殿下」
パタンと部屋の扉が閉じ、二人の姿が全く見えなくなったと同時に労いの言葉を掛けると、ジョアンナ嬢が低めの恨みがましい声で文句を言ってくる。
「助けるって何をだい? 君は上手く物事を進める事が出来た。それに、君自身も二人の思いが嬉しかった部分もあるんだろう?」
ジョアンナ嬢にニッコリと微笑み掛ける。
「それはそうですが……」
扇で口元を隠し、ジロリッと私を睨んでくるジョアンナ嬢に、私は更に笑みを深める。
「……もういいですわ。腹黒の殿下にこれ以上色々と言っても言い負かされて労力と時間の無駄になるだけですもの」
「腹黒は君だろう?」
「他の誰にそう言われたとしても、殿下にだけは言われたくありませんわ」
改めて向かい合わせに座り、ゼノの淹れたお茶を口にする私とジョアンナ嬢。
……ゼノ、「どっちも似たようなもの」って呟いたの聞こえたからね?
「さて、お互い無駄な労力と時間を使わないように、本題に入ろうか。もう二人もいないし、腹を割って話をするとしよう」
「そうしましょう。私も殿下二人で談笑しながらゆっくりとお茶……なんてしたくありませんもの」
「はっきり言うね」
「あら? 殿下も同じお気持ちでは?」
「否定はしないよ。肯定もしないけれどね。……私が何か頼みたい事がある時にはゆっくりと話をするのもやぶさかではないし」
「……最悪ですわ」
私の返事を聞いて、ジョアンナ嬢が心底嫌そうな顔をする。
……君、社交界を牽引する淑女であり、もうすぐ王子妃になるであろう人物だろう? そんな人が、取り繕う事無く、自国の王太子にそんなセリフや表情を向けたら駄目じゃないかな?
「君だって私の事を利用しようとしてるんだから、私が君を利用しても文句は言えないよね?」
少し笑みに圧を込めて告げると、ジョアンナ嬢の眉間に僅かに皺が寄る。
「怒っていらっしゃるんですの?」
扇で口元を隠し、探るような視線を私に向けてくる。
「う~ん、怒っているというわけではないけどね。……君の事を友人として純粋に慕っているバーティアを、私を動かす為に利用するのはどうかと思うよ」
「私もそれはあまりしたくなかったのですけれど……そうでもしなければ、殿下は動いて下さらなかったでしょう? 正直、今は結婚式の準備もあって、てんてこ舞い状態なんですの」
パタンと閉じた扇を口元にあてて、ジョアンナ嬢が溜息を吐く。
確かに疲れている様子だけど……
「君ならそれ位、余裕だろう?」
「殿下は私を何だと思っているんですの? 殿下と違って私は人間ですの。これ以上忙しくなったら手に負えなくなる事も出てきますわ」
思った事をそのまま伝えたら、ジロリッと睨まれた。
……どうでもいいけれど、「殿下と違って」って、私も君同様人間なんだけどな。いつから、私は人間ではないと思われていたのだろうか?
「ついでに言わせて頂くと、私がてんてこ舞いなのは殿下のせいでもあるんですのよ?」
「私の?」
「仕事はともかく、バーティア様関連の面倒事を私達にいくつか投げていらっしゃいますよね?」
「適材適所という言葉があるだろう? 私がどうにか出来ないわけではないけれど、女性同士の方がスムーズにいく事も多いからね」
「わかっていますわ。私達が行う事で面倒事が減らせる部分がある事は。殿下が苦労するのは構いませんが、バーティア様が嫌な思いをするのは嫌ですもの。ですから、今までもこれからも私達はバーティア様を支えていくつもりです。ただ、今は単純に忙しくて、そこを疎かにしない為には他の仕事を減らす必要があるのです」
「それで、王太子である私に面倒事を押し付け返した、というわけだね」
普通、自国の王太子に臣下がする事ではないと思うんだけどな。
たとえ、もうすぐ同じ王族になる身だとはいえ、王太子……未来の王とただの王子妃では立場が違う。
自分より上の位の者に自分の面倒事を丸投げするのはどうかと思う。
「それ、人によっては不敬と捉えられるかもしれないよ?」
「ご心配なく。きちんと人を選んでやっておりますので。……殿下はバーティア様と出会ってから変わられましたもの。多少の不敬は目を瞑ってくださるとわかっていますわ」
ニッコリと笑顔で言い切る彼女の目には、既に確信的な色が浮かんでいる。
「私が下の者に舐められるような人間だ、という事かい?」
そういう意味ではないと分かっていつつ、釘を刺しておく為にスッと目を細めて圧を掛ける。
「ご自身でもわかっていらっしゃるのでしょう? 私も殿下もお互いの立場はしっかりと理解した上で、それとは別にバーティア様という存在を介して……友人とは違うかもしれませんが、個人的な関係性を築いております。もちろん、立場を弁えるべき時はありますし、全ての事が許されるわけではありませんが、その個人的な関係の中では多少の無礼は許される。そうでしょう?」
私の刺した釘に対して、ジョアンナ嬢はきちんと許される範囲は理解していると伝えた上で、それでも個人的な関係性の上で許される部分もあるだろうと問い掛けてきた。
うん。こういうのは悪くないね。
でも……
「立場を弁えるべき時……というのも大切だけれど、もう一つ許されない事はわかっているかい?」
「ええ。『バーティア様を傷付けない事』でしょう? それは私も同じ思いですもの。破る必要性がありませんわ」
まるで「何を当然の事を」とでも言いたげな様子で小さく鼻で笑って答えるジョアンナ嬢。
要するに、今回の件は彼女なりに考え抜いて私が許すであろうギリギリのラインを攻めてきたという事かな?
まぁ、確かにバーティアを私を動かす為に利用はしているけれど。
結局ジョアンナ嬢に何かあればバーティアが悲しむから、ジョアンナ嬢が上手く対処出来なかった時点で、私が動くのは確定していた。そう考えるなら、今回は許容範囲としてもいいだろう。
「君が理解しているのなら……まぁいいよ。今回の事は許容してあげる」
「有難うございます」
私の言葉に微笑みを浮かべて礼を言ったジョアンナ嬢だったけれど、その瞬間、肩がほんの僅か下がり、力が抜けたのが見えた。きっと口で言うより緊張していたのだろう。
「そんなに緊張する位なら内々で対処した方が良かったんじゃないかい?」
「忙しいと申し上げましたでしょう? それに……殿下の事ですもの。どうせ、父が怪しい動きをしている事は把握済みなのでしょう?」
軽い雰囲気で言っているけれど、彼女の目には探るような様子が窺われる。
「それは……もちろん把握しているよ。自国の出来事を把握していないわけにはいかないからね」
そう。ジョアンナ嬢の推測はあたっている。
ここまで一切言ってなかったが、彼女の父親であるケルツウォーレン公爵が最近怪しい動きをしている事は、各地で諜報活動をさせている部下達の一人から報告を受けて既に知っている。
報告の内容から、対処をしないといけないレベルではないと思ったからまだ放っておいたけれど。
正直、この程度の事は度々起こる。
大概は部下が対処したり……芽が育つ前に勝手に枯れて何事も起こらないままになる為、放っておいて大丈夫なのだ。
「……本当に殿下は嫌になるほど有能ですね」
「私だけではなく、私の部下も有能だからだよ。……君も含めてね」
褒めてくれたから褒め返したのに、嫌そうな顔をするジョアンナ嬢。ニッコリと笑みを返すと更に嫌そうな顔をされた。
まぁ、そうなるよね。明らかに嫌味だったし。
「父は普段はほとんど領地から出ず、社交は母が主にやっていますから、殿下がどういう存在なのかわかり切っていない部分があるのですわ。殿下の事を知っている私からしたら、殿下に喧嘩を売るなんて馬鹿のやる事以外の何ものでもありませんもの」
溜息を一つ吐いて、眉間の力を抜いて寄っていた皺を戻してから、ジョアンナ嬢が肩を竦める。
「本当にそう思うなら、君から助言をしてあげればいいじゃないか」
「私の情報の出元は領地の屋敷で働いている私の手の者からのリークですわ。私が直接話を持っていって、セシル殿下の恐ろしさをしらない父が、私の言葉を信じず、私を説き伏せようとしたり、その場では聞き入れたふりをして、私の大切な情報源を潰しでもしたら……今後、仕入れたい情報を得るのに面倒な事になるじゃありませんか」
「今後の事を考える以前に既に謀反を企んでいる時点で面倒な事態になっていると思うけれど?」
「まだ企んでいる『だけ』ですもの。事を起こす前でしたら何とでもなりますでしょう?」
ジョアンナ嬢の瞳に、「貴方なら出来るでしょう?」とでも言いたげな、挑発的な色が浮かぶ。
「それに『企んでいる』段階でも謀反は国の問題であり、ひいてはバーティア様の幸せに影響する問題ですから、殿下に投げる事ができますもの。 でも、私が父に忠告して揉めるだけでは、家内の問題。そうなったら、貴方は動いて下さらないでしょう?」
そう言って、ジョアンナ嬢はバサッと再び扇を開いて僅かに口元を隠し、ニッコリとそれは良い笑顔を浮かべた。
……なるほど。
『大事』であれば私を巻き込めるけれど、家内の『小事』は自分で対処するしかない。
ジョアンナ嬢個人の事に私が首を突っ込む必要はないからね。
まぁ、本当に破滅しそうな出来事で、彼女が苦しむ事をバーティアが嘆くのであれば、手を貸す事もあるだろうけれど……ジョアンナ嬢は優秀だから、苦労はしてもほとんどの出来事を自分で対処できるだろし、わざわざ彼女に楽をさせる為に頑張ろうとは思わないだろうな。
「それに……」
「それに?」
笑みを浮かべていた彼女が急に真剣な顔になる。
「……私、今とても幸せなんですの。この幸せが壊される可能性は少しでも排除したいのですわ。そう考えた時、悔しいけれど私よりも優秀な殿下に対処してもらった方がより安全だと思ったのです」
僅かに寄った眉間の皺。
彼女はプライドの高い女性だ。
例え事実だとしても、自分より私の方が優秀で、私に任せた方が物事が上手くいく確率がより上がると口にするのは悔しい事だったのだろう。
それでも私に今回の件を丸投げしたのは、「忙しい」というのももちろん嘘ではないだろうけれど、今言った『安全』を重視したのだと思う。
「君は本当に良い性格をしているね」
ニッと口の端を上げて、笑みを浮かべる。
彼女の心にあるであろうその複雑な思いには敢えて触れず、あくまで仕事を私に丸投げしようとしている女性に対するやや皮肉を含んだ態度を取る。
きっと、彼女も私の気遣いに気付くだろうけれど、そうであってもきっと触れる事なく、話を進めるだろう。
「私、自分の幸せを守る為なら、何でも出来るのだと気付いてしまいましたの」
……ほら、思った通りだ。
真剣な表情から、ニコリッとわざとらしい穏やかな笑みへと表情を変えたジョアンナ嬢を見て、思わず口元に笑みが浮かぶ。
私たちはお互いの心情について深く語り合うような関係性でも距離感でもない。
この付かず離れずの適度な距離で、お互いに少し嫌味を言い合う位の関係性が私達にとっては心地が良い。
「ですから、お願いしますね。殿下」
「仕方ないね。もう引き受けてしまったし、これは『結婚祝い』だからね」
視線を合わせ、同時に口の端を上げると、私はそっと片手を前に出した。
「……なんですの?」
「君の事だ。既に用意してあるんだろう? 資料」
さっさと出せという意味を込めて、小さく差し出した手を上下に振る。
「……お見通しですのね」
「君のそういう有能な部分は信頼しているからね」
不快そうな表情を作りつつも、私の言葉に満更でもない様子でジョアンナ嬢が立ち上がる。
普段、彼女が執務をする時に使っているであろう机に行き、その引き出しの一つから紙束を取り出して、戻ってきた。
「教えてくれたうちの者も部分的な情報しかまだ得ていないようですわ。ただ、どうやら最近隣国――メタメタール国の者が父に接触しているらしく……」
手にした紙束を私に差し出すジョアンナ嬢。
私はそれを受け取り、さっと目を通す。
なるほど。
内容としては、ケルツウォーレン公爵の所に、隣国の者がこっそりと訪れ、密談。何らかの情報をその者から手に入れ、それを上手く利用して私の立場を悪くして廃嫡に追い込もうとしているのではないか……といった感じだ。
『廃嫡に追い込もうとしている』という部分はまだ推測の段階らしいけれど、公爵が私について色々と調べているのは確からしい。
更に、その内容も私の「良い部分」についてではなく、「悪い部分」になりそうな事ばかり深掘りしているらしく、廃嫡まではいかなくても、私にとって不利益となる何かを画策している確率は、かなり高い。
「それにしても……隣国か」
隣国とは、バーティアが前世でやっていたという、この世界に類似したゲーム……乙女ゲームの中でも我が国と戦争をしたり、色々と揉めていたらしい国だ。
そして、乙女ゲームの内容通りにはいかなかったこの世界でも、我が国に対して色々とちょっかいを出……そうとしていた為、二度とそんな気が起こらないように私自ら徹底的に芽を潰し、圧力を掛けてきた。
そのかいもあって、今では我が国……というか、私の顔を窺うようにすらなっている。
だから、我が国に対して良い印象こそ持っていなくても、何かを仕掛けてくる事はないと思っていたんだけれど……気が変わるような何かがあったのか。或いは国としてではなく、一部の人間、もしくは個人が暴走しているのか。
「本当に、あの国は、我が国にちょっかいを掛けるのが好きですわね。殿下が辣腕を振るうようになってからは、鳴りを潜めていましたけれど。けれど、あの国が絡んでいる……と聞いても、またかという思いしか浮かんできませんわ」
頬に手をあてて、溜息を吐くジョアンナ嬢。
「もう、私がアルファスタの王族でいるうちはちょっかいを掛けるのは諦めたと思っていたんだけれどね」
それ位には、私もかの国に留学していた学生時代に『色々と』やってきたし、それでも挫けなかった者達には、帰国後も、しっかりと『アフターケア』をしてあげたしね。
「殿下を敵に回す事の大変さは、わかっているはずですものね。それでも噛みつこうとするなんて、私には馬鹿としか思えませんことよ」
呆れた様子で肩を僅かに竦めるジョアンナ嬢に、私も苦笑を返す。
「一度は潰したはずの芽が、また生えてきたって事かな? う~ん、とりあえずは、その辺りの事を調べてみようかな」
ジョアンナ嬢の資料には、ヒントになりそうな情報はあっても、直接答えに繋がるようなものはなかった。
「式の準備に差し障りのない程度でしたら、私も動きますが……後はよろしくお願い致しますわ」
「お父上の件についてはとりあえず任されてあげるけれど、ティアとショーンについては、自分で対処しなよ?」
「あら。サービスでそちらもやって下さっても構いませんわよ?」
「断るよ。私はティア以外には、そこまで親切ではないからね」
「……知っていますわ」
さり気なく、バーティアとショーンへの対応まで押し付けてこようとしたジョアンナ嬢に、はっきりと断ると、彼女は小さく舌打ちをして渋々頷いた。
……どうでも良いけれど、貴族令嬢が王太子に舌打ちは駄目だと思うよ?
最近、ジョアンナ嬢も含めて、私の周囲の人間の私に対する態度に遠慮がない気がするんだけれど……これは、良い変化だと思っておいた方が良いのかな?
きっと、バーティアという緩衝材があるからこそ、変な壁がなくなり気安く接してくれるようになっているんだろう。けれど……時々締める事も大切かもしれないね。
まぁ、私が周りに置いている人間に、その辺の線引きを間違えるような愚かな人間は……多分いないだろうけど。
ただ……後ろで口を塞いで笑いを堪えているゼノには後でしっかりとお仕置きをしてあげようかな?
「……殿下、私の幸せの為によろしくお願い致します」
「君の幸せはどうでも良いけれど、友達を大切にする妻と、愛する者を守りたい弟の為に頑張るとするよ」
最後にキュッと口元を締め、改めて真剣な表情で頼んできた彼女に、私はニッコリと微笑みながら頷いた。
『セシル殿下! 私は悪役令嬢ですの!!』
突然呼び出されたその場で告げられた言葉に、私、セシル・グロー・アルファスタは遥か昔……私がまだ子供だった頃、当時婚約者だった私の妻であり、現在私の子供を妊娠しお腹が大きくなっているバーティアに告げられた言葉をふと思い出していた。
まぁ、言っている人物も、内容も全く違うんだけどね。
「……ジョアンナ嬢、急にどうしたんだい? 君らしくもない。そういう唐突なのは、ティアの十八番だろう?」
『謀反』なんていう物騒な言葉を何の躊躇いもなく、微笑みを浮かべて告げてきた相手……バーティアの友人であり、あとひと月もすれば私の弟であるショーンと結婚するであろうジョアンナ嬢を見返す。
幼少期の妻との思い出が頭に浮かんだのは、自身にとってマイナスになる事を、唐突に、何の躊躇いもなく、意気揚々と、笑みすら浮かべて言い放ったアンバランスさが似ていたからだろう。
私にこういった厄介事を持ち込む役は、高確率で妻だ、というのも理由の一つかもしれない。
そして、その妻はといえば……
「ジョ、ジョアンナ様、お父様が謀反ってどういう事ですの!?」
理由も聞かされないまま、ジョアンナ嬢に連れて来られ、この場に同席させられている。
「え? え? どういう事? もうすぐ僕たちの結婚式だよね? 謀反って何でまたそんな事を……」
ついでに、私の弟であるショーンも……だ。
近々第二王子妃になるジョアンナ嬢用に用意された仕事用の部屋。そこにいるのは、私たちを呼び出した張本人であるジョアンナ嬢、私、バーティア、ショーン。そして、私とバーティアの契約精霊であるゼノとクロのみだ。
ゼノとクロはいつも通り、侍従と幼女メイドに擬態している。
……うん。どう考えても『謀反』対策をするのに向いているメンバーではないね。
バーティアは猪突猛進過ぎて危なっかしいし、ショーンはジョアンナ嬢の支え……という名の『褒める教育』を受けて少しずつしっかりとしてきたとはいえ、やはり何処か頼りなさがある。
ショーンは人を頼るのは上手いが、強い意思を持って誰かと対立するのはまだ難しいだろう。
ジョアンナ嬢は、こういう時に頼りになる人材だが、今回は彼女の身内の話だ。
もし内々で処理が出来るのであれば、わざわざ私達にこんな話をする事はないと思うし、きっと身内故に困った事になっているという事だろう。……多分ね。
「お二人共、落ち着いて下さいませ。まだ事は起こっていませんから。面倒な……コホンッ……大変な事にならないように、セシル殿下に先にご相談させて頂こうと思いましたの」
……違った。これはあれだね。面倒事を私に押し付けに来た感じだ。
そうなると、バーティアとショーンまで呼び出したのは……私に断りづらくさせるためかな?
「私、バーティア様を見て学びましたの。問題が起こった時、セシル殿下には、初手暴露で事を進めた方が良いと」
バサッと扇を広げて口元を隠し、ニッコリと微笑むジョアンナ嬢。
バーティアの純粋無垢な笑顔と違い、彼女の微笑みには隠しようのない黒さが滲み出ている。
その様子を見て、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「まぁ、確かに、後で問題が大きくなってから言われても面倒だし、その心掛けは、悪くはないけれどね」
じっくりと話を聞くべく、座っていた椅子に深く腰を掛け直し、足を組む。
それから、私の背後に控えていたゼノにお茶を淹れるように合図する。
本来ならこの部屋の主であるジョアンナ嬢がこの場を仕切って侍女やメイドに指示を出しお茶の準備を進めるのが筋だけれど、今は人払いがされているから、使用人が同席していない。ゼノもそれを察して、すぐに準備を始める。
ちなみに同じく仕える立場としてこの場にいるクロは、今日も暢気にバーティアの隣に座って焦るバーティアを見てキョトンとした顔をしている。
バーティアの傍にいる為にメイドの格好をしているとはいえ、本職のメイドのような働きをする気はなさそうだ。
気が向けばメイドっぽい事をする事もあるけれど、『いつも』ではなく、あくまで『気が向いたら』だから、誰も彼女のその行動を不思議には思っていない。
ここにいる皆が「クロはそういう存在」と認識しているからだろう。
「でも、私が君の問題を解決しないといけない理由はないよね? それに、君だったらほとんどの事を自力で解決出来ると思うけれど?」
微笑みを浮かべているジョアンナ嬢に、私も笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。
「とんでもございませんわ。事が大き過ぎて、私にはとても手に負えない状況ですのよ。……結婚式も間近で忙しいですし」
演技じみた表情でハンカチを取り出し目元を拭う仕草をするジョアンナ嬢だけれど……当然、その目元はカラカラに乾いている。
ついでに言えば、最後に本音が滲み出ているしね。
こんな演技に誰が騙されると思って……
「ジョアンナ様、大丈夫ですわ! 一人で悩み込まないで下さいませ!! 私も協力しますし、セシル様に任せればきっと何とかなりますわ!!」
「そうだよ、ジョアンナ嬢。僕も出来る限りの事はするし、兄上に相談したんだから、きっと悪い事にはならないよ」
……騙される人間がここに二人いたね。
というか、騙されるような純粋無垢な人材をここに集めたね。……意図的に。
「君達、私は対処を引き受けたわけじゃ……」
「セシル様、これは国の一大事ですの!! 一致団結してこの苦難を乗り越えないといけないんですわ!!」
「兄上、僕はこの国の王子として、ジョアンナ嬢の、こ、婚約者として、この問題に精一杯取り組んでいきます。是非ご指示をお願いします」
「……」
どうやら、私に断るという選択肢は与えてもらえないようだね。
うん、何となくこの状況からそうなるんじゃないかなという気はしていたよ。
でもショーン。今回の件は君の婚約者の実家の問題なのに、何で指示を受ける側だと思っているんだい?
普通なら、自分で何とか解決しようとして、無理な部分や協力が必要な部分について、私に力添えを求めるもんなんじゃないかな?
「……セシル殿下、父上は公爵としてしっかりと領地を治めている人物ですわ。やり合うにはそれなりの力量が必要ですの」
私がショーンに向けた、やや呆れを含んだ視線に気付いたのか、ジョアンナ嬢が真剣な表情でボソッと呟く。
要するに、ショーンにその道理を伝えれば、真面目な彼はそれに従おうとするが、彼に任せるには少々荷が勝ちすぎるから止めてくれという事だろう。
……否定は出来ないね。
ジョアンナ嬢が自分で対処するならともかく、ショーンは残念ながら現在『成長途中』だ。今回のように『公爵の謀反』なんて一大事を任せるには、まだ早いだろう。
ジョアンナ嬢の父であるケルツウォーレン公爵は広大な領地を問題なく治めるだけの実力を持つ人物だ。公務については、まだひよっこ状態の今のショーンではおそらく太刀打ち出来ない。それどころか、純粋すぎるが故に、騙されて利用されるなんて可能性もあるから、下手に動かれるのも出来れば避けたい。
バーティアに至っては……暴走されると困るから、こっちもしっかりと手綱を握っておく必要があるだろう。
彼女が愛する妻である事は違いないし、自由にのびのび生きて欲しいと思っている。けれど、その猪突猛進さにヒヤッとさせられる事も多いから、安易に野放しにもしておけないんだよね。
「ジョアンナ嬢、君、こうなる事を見込んで二人を呼んだね?」
口元に笑みを浮かべたまま、スッと目を細め、非難の視線をジョアンナ嬢に向ける。
「まぁ、とんでもございませんわ。私はただ、お二人には、早めにお伝えして、『ご協力』いただこうと思いましたの。きっと私の事を心配して下さるでしょう?」
ジョアンナ嬢が扇で口元を隠して「こうなったら逃げられないでしょう?」とでも言うかのように、目を細める。
彼女の『ご協力』という言葉の裏には、バーティア自身は気付いていないが、バーティアがいる事で私が協力せざるを得なくなる……という内容も含まれているのだろう。まぁ、本気で断ろうと思ったら断る事も出来るし、何だったらこのまま放置して、『謀反』が起こった後に、公爵家ごと潰す事も出来るけれど……
チラッとバーティアに視線を向けると、予想していた通り、私に対して期待のこもった……というか、手助けすると信じ切っている視線が向けられる。
ショーンの方も、バーティア同様、私が手を貸すと、疑ってすらいない様子だ。
「……仕方ないね。これも結婚祝いの一つにしておこうか」
小さく溜息を吐いて了承する。
別に大した手間でもないし、それで妻と弟が安心して日々を過ごせるなら、公爵家の問題解決など、安いものだろう。
何より、ジョアンナ嬢は使える人間だ。そういう相手に『貸し』を作っておくのは悪いことではない。
然るべき時に、その『貸し』を返してもらえれば、色々と助かるだろうからね。
「さすがセシル様ですわ!」
「兄上、感謝します!! 僕も出来るだけの事はするので、何でも言って下さい」
期待通りの私の返事に、バーティアとショーンの目が輝く。
当事者であるジョアンナ嬢はというと「してやったり」とでも言いたげな、黒い笑みを浮かべている。……純粋無垢な私の妻と弟とは雲泥の差だ。
「とりあえず、まずは情報収集からだね。ジョアンナ嬢にはこの後、詳しい話を聞かせてもらうよ」
「えぇ、もちろんですわ」
私が言うと、ジョアンナ嬢がニッコリと笑みを浮かべて頷く。
できれば他人の悪意や策略といったものに免疫がないバーティアやショーン抜きで、ジョアンナ嬢と腹を割って話が出来れば嬉しいんだけど。
「情報収集は大事ですものね! 私も是非お話をお聞きしたいですわ!」
「ぼ、僕もちゃんと話を聞いておきたい」
まぁ、当然そうなるよね。
バーティアもショーンも大切な者のピンチを前に、知らんぷりできるような性質ではない。
……本当は任せてくれた方が、イレギュラーが起こらなくて助かるんだけどね。
おそらく同じ事を思っているであろうジョアンナ嬢にチラッと視線を向ければ、二人に自分を気遣ってもらえた嬉しさと、出来れば何もせずにいて欲しいという気持ちが混ざった複雑そうな表情をしていた。
さて、彼女はどうするつもりだろうか?
ここで全てを話せば、嘘や誤魔化し、裏工作が苦手な二人から、外部に情報が漏れるリスクが高くなる。
それでも、私に面倒事を押し付ける為に、二人を巻き込んだのだ。その対策も考えてあるに違いない。
「もちろんお話いたしますわ。ただ……ショーン殿下やバーティア様には、この後、外せないご予定が入っていらっしゃいますでしょう? 私、焦ってしまって……お二人の予定を考えずにお呼び立てしてしまいましたもの」
ジョアンナ嬢は扇を閉じると、頬に手をあて、わざとらしく困った表情をする。
……なるほどね。既に二人の予定は把握済み。その上で、最初に少し話を聞いたら退出しないといけないタイミングを見計らって、この場をセッティングしたという事か。
いや。二人が全く同じタイミングで退出しなければならず、私だけは時間がある状況。そんなものが都合よく訪れる確率は低い。
つまり、この後の二人の予定自体、彼女が仕組んだものだろう。
……ジョアンナ嬢は有能だね。
とりわけ、こういった裏工作的な事に対しては。
バーティアと婚約する前。その有能さや地位を見込まれたジョアンナ嬢が、私の婚約者候補だった事がある。
当時も今も、お互いに好意を抱ける感じは全くしないし、仮に過去に戻っても私の妻はバーティアしか考えられないが、能力だけを見れば、ある意味で、彼女が王妃向きなのは確かだろう。
まぁ、そんなジョアンナ嬢が好意を持ち、他にも大勢の優秀な人材が率先して力を貸そうとする人物であるバーティアは、ジョアンナ嬢とは違った方向性ではあるけれど、彼女以上に王妃向きなんだと思う。
本人自身が優秀であるより、優秀な人物がこぞって力を貸そうとする人の方が、総合的に見るとやれる事は大きいからね。
「で、でも、ジョアンナ様の方が大事ですわ!」
「ぼ、僕も、確かにこの後の用事も大切だけれど、ジョアンナ嬢以上に大切な事なんて……」
ジョアンナ嬢の言葉に、自分達の予定を思い出し、一瞬「あっ」という表情をしたバーティアとショーンだったけれど、慌てて言い募る。
「お二人共……。お気持ちは嬉しいのですが、お二人がお仕事をキャンセルすれば、その理由は何なんだと勘繰る者も出てまいりますわ。それで調べられたりなんかしたら……」
二人にジョアンナ嬢の事の方が大切だと言われて、感極まったように口元を押えたジョアンナ嬢だったけれど、ここで引いたら二人の前で色々と話さないといけなくなる。
そうなったら、腹を割って思うままに言いたい事を言えなくなるだろう。
ジョアンナ嬢は二人に私の前で見せているような腹黒い部分を見られたくないだろうしね。
「もちろん、お二人にもそれぞれ後で詳細をお話しますわ。ですから、今日はお仕事を優先して下さいませ」
健気な女性を装って切々と訴えるジョアンナ嬢。
本意がわかっている私やゼノはその様子を「うわぁ……」と引きながら見守っていた。
ちなみに、クロも状況はわかっているようで、ゼノと似たような反応をしている。
けれど、下手にこの件に首を突っ込むとバーティアが危険な事も察しているらしく、ジョアンナ嬢にチラッと非難の視線を向けるだけで、バーティアに直接何かを伝えようとはしなかった。
うん、それが正解だと思うよ。
いくら防御に長けたクロが常に傍にいるからといって、不必要に危険に飛び込む必要はないからね。
「なるほど。わかりましたわ! 私とショーン殿下は、敢えてここでは動かず、いつも通りに過ごすのが戦略上良いという事ですのね」
バーティアが顎に親指と人差し指をあてて、「ふふん」と得意げに口の端を上げて答える。
……如何にも「その意図に気付いてしまう私はやっぱり優秀な悪役令嬢ですわ」とでも言いたげな表情だけれど……本当は君達が遠ざけられているだけだからね。
「はっ! なるほど。さすがですね」
ショーンがバーティアに尊敬の視線を向けているけれど……王族である彼には今後、裏の意図に気付けるように、もう少し経験を積ませていかないといけないな。
バーティアのフォローは私の仕事であり趣味でもあるからそこは良いとして、今後も公務に携わっていくであろうショーンのフォローまで生涯続ける気はない。
というか、もうすぐ結婚して家庭を築き、独立していく立場であるショーンにはきちんと自分の周りの人間を守れるようになっていってもらわないと困るからね。
……たとえ、裏でジョアンナ嬢がフォローしてくれるとわかっていても、兄としては、出来る範囲で努力をして欲しい、成長して欲しいと願ってしまうからね。
まぁ、だからと言って、今ここで余計な事を言う気はないけどね。
経験を積ませるのはあくまで『今後、別の案件で』だ。
あまりにも難し過ぎる課題を、ミスをすると面倒な事になりかねない状況で与えるのは得策とは言えないからね。
「そうと決まったら、早めに戻った方が良いんじゃないかな? 欠席はもちろん、遅刻するのも良くないだろう?」
ジョアンナ嬢の話にのるように、ニッコリと微笑んで二人を促すと、真剣な表情でバーティアが大きく頷いた。
「そうですわね。今回は国を揺るがす一大事。何よりもジョアンナ様とショーン殿下の幸せが掛かっているんですもの。慎重に動いた方が良いですわ」
「確かにそうだね。僕、この事がバレないように普通に振る舞うよう頑張るよ、ジョアンナ嬢」
ショーンも真剣な表情でジョアンナ嬢を見る。
背後でゼノが笑いを堪えているのが伝わって来るけれど、私は笑ったりしないよ。
ポーカーフェイスには自信があるし、微笑みを浮かべてただ二人を見守るだけだ。
ジョアンナ嬢も私同様、鉄壁の微笑み……とまではいかないね。
二人の純粋な瞳に捉えられて、居心地の悪さを感じているのか、若干口の端がピクピクしている。
まぁ、本当に僅かだから、二人は全く気付いていないけれど。
「お二人共、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致しますわ」
耐えきれなくなった様子で、二人の視線から逃れるように膝を折って頭を下げるジョアンナ嬢。
「任せておいて下さいませ! お友達のピンチには全力で立ち向かいますわ‼」
「僕も君の為だったら、どんな事だってするよ‼」
……バーティアの発言は良いとして。ショーン、「どんな事だってする」は王族としてあまり口にしない方が良いと思うよ。
愛する人の為にそう言いたくなる気持ちはわかるけれど、ジョアンナ嬢はバーティアと違って腹黒だからね。
言質をとったとばかりに、王族にしか出来ない無理難題を押し付けてくる可能性もあるから。
「バーティア様……。ショーン殿下……。本当に有難うございますわ。お二人の御気持ちは有難く頂いておきますわ」
……いや、大丈夫そうだね。
ショーンの……ジョアンナ嬢の最愛の人の言葉を利用出来る程、彼女も悪い人間ではないようだ。
もし、その言葉を悪用して何かをショーンにさせるにしても、今の様子から考えて、ちょっとショーンが恥ずかしい思いをする程度の内容だろう。
それだったら、部外者の私がとやかく言う必要はない。
「ささ、お二人共早くお戻りになって下さいませ」
純粋な思いをぶつけられ続ける事に喜び以上に罪悪感が強くなってきたらしいジョアンナ嬢が二人をさっさと追い出そうとする。
「わかりましたわ。ジョアンナ嬢、また今度お話しましょうね!」
「また後で話をしっかり聞かせてね」
決意の籠った視線を最後にジョアンナ嬢に向けて、二人は足早に立ち去って行った。
「……お疲れ様」
「……少しは助けて下さっても良いのではないですか? 殿下」
パタンと部屋の扉が閉じ、二人の姿が全く見えなくなったと同時に労いの言葉を掛けると、ジョアンナ嬢が低めの恨みがましい声で文句を言ってくる。
「助けるって何をだい? 君は上手く物事を進める事が出来た。それに、君自身も二人の思いが嬉しかった部分もあるんだろう?」
ジョアンナ嬢にニッコリと微笑み掛ける。
「それはそうですが……」
扇で口元を隠し、ジロリッと私を睨んでくるジョアンナ嬢に、私は更に笑みを深める。
「……もういいですわ。腹黒の殿下にこれ以上色々と言っても言い負かされて労力と時間の無駄になるだけですもの」
「腹黒は君だろう?」
「他の誰にそう言われたとしても、殿下にだけは言われたくありませんわ」
改めて向かい合わせに座り、ゼノの淹れたお茶を口にする私とジョアンナ嬢。
……ゼノ、「どっちも似たようなもの」って呟いたの聞こえたからね?
「さて、お互い無駄な労力と時間を使わないように、本題に入ろうか。もう二人もいないし、腹を割って話をするとしよう」
「そうしましょう。私も殿下二人で談笑しながらゆっくりとお茶……なんてしたくありませんもの」
「はっきり言うね」
「あら? 殿下も同じお気持ちでは?」
「否定はしないよ。肯定もしないけれどね。……私が何か頼みたい事がある時にはゆっくりと話をするのもやぶさかではないし」
「……最悪ですわ」
私の返事を聞いて、ジョアンナ嬢が心底嫌そうな顔をする。
……君、社交界を牽引する淑女であり、もうすぐ王子妃になるであろう人物だろう? そんな人が、取り繕う事無く、自国の王太子にそんなセリフや表情を向けたら駄目じゃないかな?
「君だって私の事を利用しようとしてるんだから、私が君を利用しても文句は言えないよね?」
少し笑みに圧を込めて告げると、ジョアンナ嬢の眉間に僅かに皺が寄る。
「怒っていらっしゃるんですの?」
扇で口元を隠し、探るような視線を私に向けてくる。
「う~ん、怒っているというわけではないけどね。……君の事を友人として純粋に慕っているバーティアを、私を動かす為に利用するのはどうかと思うよ」
「私もそれはあまりしたくなかったのですけれど……そうでもしなければ、殿下は動いて下さらなかったでしょう? 正直、今は結婚式の準備もあって、てんてこ舞い状態なんですの」
パタンと閉じた扇を口元にあてて、ジョアンナ嬢が溜息を吐く。
確かに疲れている様子だけど……
「君ならそれ位、余裕だろう?」
「殿下は私を何だと思っているんですの? 殿下と違って私は人間ですの。これ以上忙しくなったら手に負えなくなる事も出てきますわ」
思った事をそのまま伝えたら、ジロリッと睨まれた。
……どうでもいいけれど、「殿下と違って」って、私も君同様人間なんだけどな。いつから、私は人間ではないと思われていたのだろうか?
「ついでに言わせて頂くと、私がてんてこ舞いなのは殿下のせいでもあるんですのよ?」
「私の?」
「仕事はともかく、バーティア様関連の面倒事を私達にいくつか投げていらっしゃいますよね?」
「適材適所という言葉があるだろう? 私がどうにか出来ないわけではないけれど、女性同士の方がスムーズにいく事も多いからね」
「わかっていますわ。私達が行う事で面倒事が減らせる部分がある事は。殿下が苦労するのは構いませんが、バーティア様が嫌な思いをするのは嫌ですもの。ですから、今までもこれからも私達はバーティア様を支えていくつもりです。ただ、今は単純に忙しくて、そこを疎かにしない為には他の仕事を減らす必要があるのです」
「それで、王太子である私に面倒事を押し付け返した、というわけだね」
普通、自国の王太子に臣下がする事ではないと思うんだけどな。
たとえ、もうすぐ同じ王族になる身だとはいえ、王太子……未来の王とただの王子妃では立場が違う。
自分より上の位の者に自分の面倒事を丸投げするのはどうかと思う。
「それ、人によっては不敬と捉えられるかもしれないよ?」
「ご心配なく。きちんと人を選んでやっておりますので。……殿下はバーティア様と出会ってから変わられましたもの。多少の不敬は目を瞑ってくださるとわかっていますわ」
ニッコリと笑顔で言い切る彼女の目には、既に確信的な色が浮かんでいる。
「私が下の者に舐められるような人間だ、という事かい?」
そういう意味ではないと分かっていつつ、釘を刺しておく為にスッと目を細めて圧を掛ける。
「ご自身でもわかっていらっしゃるのでしょう? 私も殿下もお互いの立場はしっかりと理解した上で、それとは別にバーティア様という存在を介して……友人とは違うかもしれませんが、個人的な関係性を築いております。もちろん、立場を弁えるべき時はありますし、全ての事が許されるわけではありませんが、その個人的な関係の中では多少の無礼は許される。そうでしょう?」
私の刺した釘に対して、ジョアンナ嬢はきちんと許される範囲は理解していると伝えた上で、それでも個人的な関係性の上で許される部分もあるだろうと問い掛けてきた。
うん。こういうのは悪くないね。
でも……
「立場を弁えるべき時……というのも大切だけれど、もう一つ許されない事はわかっているかい?」
「ええ。『バーティア様を傷付けない事』でしょう? それは私も同じ思いですもの。破る必要性がありませんわ」
まるで「何を当然の事を」とでも言いたげな様子で小さく鼻で笑って答えるジョアンナ嬢。
要するに、今回の件は彼女なりに考え抜いて私が許すであろうギリギリのラインを攻めてきたという事かな?
まぁ、確かにバーティアを私を動かす為に利用はしているけれど。
結局ジョアンナ嬢に何かあればバーティアが悲しむから、ジョアンナ嬢が上手く対処出来なかった時点で、私が動くのは確定していた。そう考えるなら、今回は許容範囲としてもいいだろう。
「君が理解しているのなら……まぁいいよ。今回の事は許容してあげる」
「有難うございます」
私の言葉に微笑みを浮かべて礼を言ったジョアンナ嬢だったけれど、その瞬間、肩がほんの僅か下がり、力が抜けたのが見えた。きっと口で言うより緊張していたのだろう。
「そんなに緊張する位なら内々で対処した方が良かったんじゃないかい?」
「忙しいと申し上げましたでしょう? それに……殿下の事ですもの。どうせ、父が怪しい動きをしている事は把握済みなのでしょう?」
軽い雰囲気で言っているけれど、彼女の目には探るような様子が窺われる。
「それは……もちろん把握しているよ。自国の出来事を把握していないわけにはいかないからね」
そう。ジョアンナ嬢の推測はあたっている。
ここまで一切言ってなかったが、彼女の父親であるケルツウォーレン公爵が最近怪しい動きをしている事は、各地で諜報活動をさせている部下達の一人から報告を受けて既に知っている。
報告の内容から、対処をしないといけないレベルではないと思ったからまだ放っておいたけれど。
正直、この程度の事は度々起こる。
大概は部下が対処したり……芽が育つ前に勝手に枯れて何事も起こらないままになる為、放っておいて大丈夫なのだ。
「……本当に殿下は嫌になるほど有能ですね」
「私だけではなく、私の部下も有能だからだよ。……君も含めてね」
褒めてくれたから褒め返したのに、嫌そうな顔をするジョアンナ嬢。ニッコリと笑みを返すと更に嫌そうな顔をされた。
まぁ、そうなるよね。明らかに嫌味だったし。
「父は普段はほとんど領地から出ず、社交は母が主にやっていますから、殿下がどういう存在なのかわかり切っていない部分があるのですわ。殿下の事を知っている私からしたら、殿下に喧嘩を売るなんて馬鹿のやる事以外の何ものでもありませんもの」
溜息を一つ吐いて、眉間の力を抜いて寄っていた皺を戻してから、ジョアンナ嬢が肩を竦める。
「本当にそう思うなら、君から助言をしてあげればいいじゃないか」
「私の情報の出元は領地の屋敷で働いている私の手の者からのリークですわ。私が直接話を持っていって、セシル殿下の恐ろしさをしらない父が、私の言葉を信じず、私を説き伏せようとしたり、その場では聞き入れたふりをして、私の大切な情報源を潰しでもしたら……今後、仕入れたい情報を得るのに面倒な事になるじゃありませんか」
「今後の事を考える以前に既に謀反を企んでいる時点で面倒な事態になっていると思うけれど?」
「まだ企んでいる『だけ』ですもの。事を起こす前でしたら何とでもなりますでしょう?」
ジョアンナ嬢の瞳に、「貴方なら出来るでしょう?」とでも言いたげな、挑発的な色が浮かぶ。
「それに『企んでいる』段階でも謀反は国の問題であり、ひいてはバーティア様の幸せに影響する問題ですから、殿下に投げる事ができますもの。 でも、私が父に忠告して揉めるだけでは、家内の問題。そうなったら、貴方は動いて下さらないでしょう?」
そう言って、ジョアンナ嬢はバサッと再び扇を開いて僅かに口元を隠し、ニッコリとそれは良い笑顔を浮かべた。
……なるほど。
『大事』であれば私を巻き込めるけれど、家内の『小事』は自分で対処するしかない。
ジョアンナ嬢個人の事に私が首を突っ込む必要はないからね。
まぁ、本当に破滅しそうな出来事で、彼女が苦しむ事をバーティアが嘆くのであれば、手を貸す事もあるだろうけれど……ジョアンナ嬢は優秀だから、苦労はしてもほとんどの出来事を自分で対処できるだろし、わざわざ彼女に楽をさせる為に頑張ろうとは思わないだろうな。
「それに……」
「それに?」
笑みを浮かべていた彼女が急に真剣な顔になる。
「……私、今とても幸せなんですの。この幸せが壊される可能性は少しでも排除したいのですわ。そう考えた時、悔しいけれど私よりも優秀な殿下に対処してもらった方がより安全だと思ったのです」
僅かに寄った眉間の皺。
彼女はプライドの高い女性だ。
例え事実だとしても、自分より私の方が優秀で、私に任せた方が物事が上手くいく確率がより上がると口にするのは悔しい事だったのだろう。
それでも私に今回の件を丸投げしたのは、「忙しい」というのももちろん嘘ではないだろうけれど、今言った『安全』を重視したのだと思う。
「君は本当に良い性格をしているね」
ニッと口の端を上げて、笑みを浮かべる。
彼女の心にあるであろうその複雑な思いには敢えて触れず、あくまで仕事を私に丸投げしようとしている女性に対するやや皮肉を含んだ態度を取る。
きっと、彼女も私の気遣いに気付くだろうけれど、そうであってもきっと触れる事なく、話を進めるだろう。
「私、自分の幸せを守る為なら、何でも出来るのだと気付いてしまいましたの」
……ほら、思った通りだ。
真剣な表情から、ニコリッとわざとらしい穏やかな笑みへと表情を変えたジョアンナ嬢を見て、思わず口元に笑みが浮かぶ。
私たちはお互いの心情について深く語り合うような関係性でも距離感でもない。
この付かず離れずの適度な距離で、お互いに少し嫌味を言い合う位の関係性が私達にとっては心地が良い。
「ですから、お願いしますね。殿下」
「仕方ないね。もう引き受けてしまったし、これは『結婚祝い』だからね」
視線を合わせ、同時に口の端を上げると、私はそっと片手を前に出した。
「……なんですの?」
「君の事だ。既に用意してあるんだろう? 資料」
さっさと出せという意味を込めて、小さく差し出した手を上下に振る。
「……お見通しですのね」
「君のそういう有能な部分は信頼しているからね」
不快そうな表情を作りつつも、私の言葉に満更でもない様子でジョアンナ嬢が立ち上がる。
普段、彼女が執務をする時に使っているであろう机に行き、その引き出しの一つから紙束を取り出して、戻ってきた。
「教えてくれたうちの者も部分的な情報しかまだ得ていないようですわ。ただ、どうやら最近隣国――メタメタール国の者が父に接触しているらしく……」
手にした紙束を私に差し出すジョアンナ嬢。
私はそれを受け取り、さっと目を通す。
なるほど。
内容としては、ケルツウォーレン公爵の所に、隣国の者がこっそりと訪れ、密談。何らかの情報をその者から手に入れ、それを上手く利用して私の立場を悪くして廃嫡に追い込もうとしているのではないか……といった感じだ。
『廃嫡に追い込もうとしている』という部分はまだ推測の段階らしいけれど、公爵が私について色々と調べているのは確からしい。
更に、その内容も私の「良い部分」についてではなく、「悪い部分」になりそうな事ばかり深掘りしているらしく、廃嫡まではいかなくても、私にとって不利益となる何かを画策している確率は、かなり高い。
「それにしても……隣国か」
隣国とは、バーティアが前世でやっていたという、この世界に類似したゲーム……乙女ゲームの中でも我が国と戦争をしたり、色々と揉めていたらしい国だ。
そして、乙女ゲームの内容通りにはいかなかったこの世界でも、我が国に対して色々とちょっかいを出……そうとしていた為、二度とそんな気が起こらないように私自ら徹底的に芽を潰し、圧力を掛けてきた。
そのかいもあって、今では我が国……というか、私の顔を窺うようにすらなっている。
だから、我が国に対して良い印象こそ持っていなくても、何かを仕掛けてくる事はないと思っていたんだけれど……気が変わるような何かがあったのか。或いは国としてではなく、一部の人間、もしくは個人が暴走しているのか。
「本当に、あの国は、我が国にちょっかいを掛けるのが好きですわね。殿下が辣腕を振るうようになってからは、鳴りを潜めていましたけれど。けれど、あの国が絡んでいる……と聞いても、またかという思いしか浮かんできませんわ」
頬に手をあてて、溜息を吐くジョアンナ嬢。
「もう、私がアルファスタの王族でいるうちはちょっかいを掛けるのは諦めたと思っていたんだけれどね」
それ位には、私もかの国に留学していた学生時代に『色々と』やってきたし、それでも挫けなかった者達には、帰国後も、しっかりと『アフターケア』をしてあげたしね。
「殿下を敵に回す事の大変さは、わかっているはずですものね。それでも噛みつこうとするなんて、私には馬鹿としか思えませんことよ」
呆れた様子で肩を僅かに竦めるジョアンナ嬢に、私も苦笑を返す。
「一度は潰したはずの芽が、また生えてきたって事かな? う~ん、とりあえずは、その辺りの事を調べてみようかな」
ジョアンナ嬢の資料には、ヒントになりそうな情報はあっても、直接答えに繋がるようなものはなかった。
「式の準備に差し障りのない程度でしたら、私も動きますが……後はよろしくお願い致しますわ」
「お父上の件についてはとりあえず任されてあげるけれど、ティアとショーンについては、自分で対処しなよ?」
「あら。サービスでそちらもやって下さっても構いませんわよ?」
「断るよ。私はティア以外には、そこまで親切ではないからね」
「……知っていますわ」
さり気なく、バーティアとショーンへの対応まで押し付けてこようとしたジョアンナ嬢に、はっきりと断ると、彼女は小さく舌打ちをして渋々頷いた。
……どうでも良いけれど、貴族令嬢が王太子に舌打ちは駄目だと思うよ?
最近、ジョアンナ嬢も含めて、私の周囲の人間の私に対する態度に遠慮がない気がするんだけれど……これは、良い変化だと思っておいた方が良いのかな?
きっと、バーティアという緩衝材があるからこそ、変な壁がなくなり気安く接してくれるようになっているんだろう。けれど……時々締める事も大切かもしれないね。
まぁ、私が周りに置いている人間に、その辺の線引きを間違えるような愚かな人間は……多分いないだろうけど。
ただ……後ろで口を塞いで笑いを堪えているゼノには後でしっかりとお仕置きをしてあげようかな?
「……殿下、私の幸せの為によろしくお願い致します」
「君の幸せはどうでも良いけれど、友達を大切にする妻と、愛する者を守りたい弟の為に頑張るとするよ」
最後にキュッと口元を締め、改めて真剣な表情で頼んできた彼女に、私はニッコリと微笑みながら頷いた。
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