バベル 本の舟・塔の亡霊

春泥

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第四章

02 告発合戦

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 ケラに促された警備団がパウに飛びかかるより先に、ゲンヤが間に割って入っていた。その表情からは何も読み取れなかったが、立ち上がると警備団の誰よりも背が高く、最前列に居る警備員と胸が触れ合わんばかりの位置から相手を見下ろすことになる。
 ゲンヤが一歩前に出ると、警備団は数歩後ずさりした。

「どういうことか、説明していただこう」

 ゲンヤは警備団員には一瞥をくれただけで彼らの間を悠々通り抜け、特に急ぐでもなくケラの前まで歩み寄った。

「私に事前に説明する時間はいくらでもあったはずだが。これは一体、何の騒ぎだ」
「お前のような父なし子が」とケラはゲンヤの威圧感に押され、後ずさるも背後の椅子に阻まれのけぞりながら顔を歪めて言う。

「痴れ者が。ゲンヤ殿の父上は、体が丈夫ではなかったのだ」と駆け寄ろうとするフーラに、ゲンヤは無言で片手を上げてそれを制した。フーラは口をつぐんで一礼すると、引き下がった。

「父親がいかに長生きでも、ぶくぶく太って椅子を粗末にするような息子であれば意味がなかろう」とキリヤが小声で、しかし当人らに確実に聞こえるように言った。

「ほざいておれ、小賢しいガキが」

 拳を振りまわしてキリヤを罵倒するケラの顎を、ゲンヤは左手で掴むと、正面に立っている自分の方に向けた。それほど力が入っているようには見えなかったが、その手を振りほどこうとケラがもがいても無駄だった。
「説明せよ、と申した。聞こえなかったのか?」
 ケラの目をまっすぐ見下ろしながらゲンヤが言った。
 身じろぎしてよろめいてバランスを崩したケラが大きな音を立てて背後の椅子に倒れ込むように腰かけても、ゲンヤは顎を捕えた手を離さず見下ろしている。ケラの顔の色が段々失われていくのが、離れて立っているワタルにも見て取れた。

「親父を離せ」

 とケラの息子が叫んで掴みかかったが、ゲンヤが軽く体を捻って避けたため、ケラの息子は勢い余って父親の座る椅子にぶつかった。椅子は大きな音を立てて砕け、ケラも床に投げ出された。

「信じられない。一日に椅子を二脚も破壊した」とエルが目を剥いて呟いた。

 常に資源不足状態のコミューンでは、物を粗末にしない精神を幼少時から徹底的に叩き込まれる。生活用品は配給制だが、欠損が出たからといって、すぐに代わりを支給してもらえるわけではないから、当然民はこのように無益な破壊行為には慣れていない。

「立派な教育を授けた父親の顔が見てみたいものだな」とキリヤが嫌悪感も露わに吐き捨てた。

「警備兵、捕えよ。さっさとせんか!」
 床の上で息子の重たい体の下で無様にもがくケラが叫んだ。
 ギノーが我に返ってケラに手を貸し助け起こした。ケラの息子は、でかい腹が邪魔なのか、仰向けにひっくり返ったまま手足をばたばたさせている。

「誰を、捕えるのですか。まさか長老様を」
 警備兵の一人がゲンヤの方を見て言う。
「こいつじゃない。そっちだ。打ち合わせ通りやらんか、馬鹿者め」
「打ち合わせ、とはどういうことだ。説明しろ。何回言えばわかるのだ。それから、今『警備兵』と言ったな。コミューンは武装兵力を持たぬ。百年以上前からそう決まっている。そなたは、先の長老が定め貫いてきた尊い決まりを、息子や自分自身を肥やすために変更するつもりか」

 ゲンヤの声は変わらず抑え気味であったが、そこに以前にはなかった怒りが含まれているのが感じられた。ワタルは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 そこにバタバタと駆け込んでくる足音がした。警備団員三名、先頭に立っているのは団長のシアムである。シアムは別の団員達が先に到着しているのを見て少し驚き、ケラの息子に対しては激しい怒りの表情を見せたが、すぐにゲンヤに向かって軽く頭を下げた。

「シアム団長。ここにいる使徒ケラがそちらにいる団員達を『警備兵』と呼んだ。それは承知の上のことか」

 とゲンヤに問われて、団長と、彼と共に駆け付けた二名の団員は顔色を変えた。

「なんと! 先の長老があれほど強固に禁じておられたことだ。ゲンヤ殿、いくら現長老であるとはいえ、それは許し難い侮辱だ。我らは武装兵士ではない。武力で成し遂げられることなど何もない、と先の長老は折に触れ言っておられた。ゲンヤ殿とて、ご存じのはずだ」

「ではこの謀反人を、息子ともども捕えるがよい。団員達の一部がよからぬ企みに加担することを許したそなたの責任は、後で考えるとしよう。使徒の腐敗をここまで放置しておいた私自身についてもな」

 ゲンヤは厳しい顔で言った。
 団長ら三人に囲まれたケラは、相変わらず椅子に座ったままのパウの前で弱り果てた顔をしている六人の「兵士」に向かって叫んだ。

「何をしている。不当逮捕だ。団長めらを止めろ。それから、ゲンヤ殿はご乱心だ。隔離しておかなければ、民に身の危険が及ぶかもしれぬ。ひっとらえろ」
 それを聞いたシアムは六人の兵達を睨みつけ、言う。

「そちらの新入り達は主に警備団とは名ばかり、訓練をサボってばかりいる連中。使徒の息子だか何だか知らんが、無駄飯でぶよぶよ太った輩が、人数で勝っているからといって我々三人に勝てるとでも? 怪我をしたくなかったら、大人しくしていろ」

 団長に睨まれると、六人の士気は目に見えて低くなった。素人目に見ても、彼等は警備団の精鋭の敵ではなかった。

「しばし待たれよ」と使徒ルキが割って入った。そしてパウの側のいる六人の警備兵の中で、一人だけ少し離れて立っている若者に詰め寄って言う。
「ケイナン。お前は、一体何をしているのだ。警備団――いや、警備兵だと? お前は舟大工だったはずだ。しばらく会わないうちに、一体何があった?」

 あれは使徒ルキの甥だ、とリーヤが小声でエルに耳打ちしているのがワタルにも聞こえた。ケイナンの実父は彼が十三の時に亡くなった。それ以降は、ルキが父親代わりとして彼を支えてきたという。
 ギノーを含めた五人の使徒達は、自身の息子達の突然の登場に、後ろ暗そうに顔を伏せていた。

「ええい、黙らんか。わしはその若造達よりもはるかに重要な悪事を告発しようというのだ。そこに居るそいつは、冷酷に民の命を奪った。人殺しだ」

 いきり立つケラが指を刺す先に居るパウは、相変わらず座して腕を組んだまま虚空を見つめていたが、それ以外の者は、一同息を呑んで静まり返った。
 ケラは自分の言葉の効果を楽しむようにニヤニヤしながら続ける。

「パウは長年長老に仕えた身でありながら、尊い民の命を奪った。しかもそれは、それ、そこの孤児と現使徒の二人が目撃していたにもかかわらず、いずれも告発しようとはしなかった。ただ一人、そこにいる勇敢なる真の使徒を除いては」

 ケラに指さされて、この騒動の中でもまだ座したまま俯いていたユッコが顔を上げた。
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