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昔々の話をしよう
白いこども(1)
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新たにこの世に生を受けたその子は、まっ白だった。
塔の民は色白な者からかなり黒い者まで、皮膚の色は様々だったから、普通は子供が何色かなんてことは気にされない。しかし、全身の色素が抜け落ちたかのようにまっ白い子が生まれたとなると、話は別だった。青みがかった異質な白さで生まれてくる者は、長くは生きられないと言われていたからだ。
図書館長からその子を受け取った司書の表情も、それ故に陰鬱そうだった。
かわいそうに
口には出さないが、皆同じことを思っているのは明らかだった。
だが、まっ白い子供は、人々の予想に反して生き続けた。標準よりは成長が遅く、体も小さいままだったが、死ななかった。
しかしその子は、三つになっても言葉を発することがなかった。それ故、異形の子らと同じように、その子は図書館内に留め置かれた。
「どうして私は子供達に嫌われるのかなあ」
図書館長が呑気そうに呟くのを、異形の子供たちの世話役の司書が聞きつけて、言う。
「あなたを嫌うのは子供達だけではありません」
「酷いこと言うねえ」
異形の子は、館長の姿を見るや火が付いたように一斉に泣き出す。目の見えない者・耳の聞こえない者までが、気配を察知して泣きだすので、室内の騒音は凄まじかった。
「仕事の邪魔なので出て行ってもらえますか」
子供の世話をする司書に言われて、館長は渋々退散することにした。その背中に子供の世話役の司書が言う。
「そんなに暇なら、ブロンシュを捜してきてもらえませんか。また脱走したので」
「おや、またかい」
図書館長はさして慌てる様子もない。
「彼なら大丈夫だろう。お腹がすいたら戻って来るよ」
図書館内は迷路のように複雑に入り組んでいるから、勝手に出歩いてはならない、と子供達には漏れなく言い聞かせてあったが、その子は多忙な世話役の隙を突いてふらふらと彷徨い出ては、不思議と自力できちんと戻って来る。
七歳になったその子は相変わらず一言も発しなかったが、世話役の言葉は理解しているらしかった。時々高熱を出して寝込むようなことはあったが、四肢には異常が見られず、いつしか、世話役に促されて他の寝たきりの子達の世話などを手伝うようになっていた。元より表情に乏しい子ではあったが、無表情にこなす仕事は正確で、齢七歳にして既に世話役の立派な助手を務めていた。
それでも、一人で出かけてはならないという言いつけだけは、何度教えても守らない。ふらふらと出て行った後、どこで何をしているのかは謎であった。
ブロンシュというのはあだ名であり、その子の本当の名前ではなかった。蔵書を保護する目的もあり照明が最小限に抑えられた暗い図書館内で、ローブから覗くその子の顔は仄白く光って見えた。いつしか徘徊する時には頭からフードを被ることを覚えたが、それでもやはり、その白さは隠しきれなかった。
図書館の中心に開けられた吹き抜けにでたらめに巡らされた階段を下り、本で一杯の書架が並ぶ部屋から部屋へと彷徨い歩く小さなローブ姿とすれ違っても、司書達は概ね無関心であった。
だから彼は手の届く範囲にある本を棚から取り出して眺めたり、床に無造作に置かれた粘土板に刻まれた文字を指でなぞったりして時を過ごした。文字の読み方は、誰に教わるでもなく自然に覚えてしまったが、そのことに背の高い図書館長や子供達の世話役が気付くのはもう少し先の話。
その日、その子は少し困っていた。ぼんやりしながら歩いていて、道順を覚えるのを忘れていたのだ。いつの間にか、書架のないがらんどうの部屋の中を歩いていた。どうやってここまで来たのか覚えていないのだから、完全に方向を見失い、自分がまだ図書館内にいるのかどうかもわからなかった。
これは困ったことになった、とその子は思う。体が重く、くたびれていた。そういえば、随分と階段を下った記憶があった。ここは随分下のレベルに違いなかった。
その子は壁に背をつけ、冷たい床に膝を抱えて座った。むやみに歩き回っていたずらに体力を消耗するより、じっとして救出されるのを待つ方が得策だと判断したのだ。彼に恐怖心というものがなかったのは幸いである。
どのくらいの時間が経過したのか、一日中陽が差さない図書館内では、わからない。一般の民が暮らす職人居住区では朝昼晩と時を告げる銅鑼を鳴らし、図書館内の司書達もそれを頼りに時間を判断するのだが、深い瞑想に浸っていたその子の耳には届かなかった。
火を灯した燭台を持った人物が、その子のいる部屋を横切って行った。しかし暗い部屋の隅でフードを目深に被り、俯いていたその子に気付かず、素通りしていった。
しばらくしてから、まっ白い子は暗闇でも仄白く光る顔をあげた。
何か、じんわり温かいものが通過して行った気がした。
周囲を見回すと、暗闇の中に灯りの残像のような帯が見えた。
長時間座り続けていたために固まってしまった体の節々を軋ませながら立ち上がり、その子はその帯を追った。微かに足音が響いていた。
いくつかの部屋を横切った先に、薄く光って見える部屋があった。その部屋には扉があり閉ざされていたが、ドアの形と、さらにその鍵穴から光が漏れていた。その子は屈んで、鍵穴から中を覗いてみた。
塔の民は色白な者からかなり黒い者まで、皮膚の色は様々だったから、普通は子供が何色かなんてことは気にされない。しかし、全身の色素が抜け落ちたかのようにまっ白い子が生まれたとなると、話は別だった。青みがかった異質な白さで生まれてくる者は、長くは生きられないと言われていたからだ。
図書館長からその子を受け取った司書の表情も、それ故に陰鬱そうだった。
かわいそうに
口には出さないが、皆同じことを思っているのは明らかだった。
だが、まっ白い子供は、人々の予想に反して生き続けた。標準よりは成長が遅く、体も小さいままだったが、死ななかった。
しかしその子は、三つになっても言葉を発することがなかった。それ故、異形の子らと同じように、その子は図書館内に留め置かれた。
「どうして私は子供達に嫌われるのかなあ」
図書館長が呑気そうに呟くのを、異形の子供たちの世話役の司書が聞きつけて、言う。
「あなたを嫌うのは子供達だけではありません」
「酷いこと言うねえ」
異形の子は、館長の姿を見るや火が付いたように一斉に泣き出す。目の見えない者・耳の聞こえない者までが、気配を察知して泣きだすので、室内の騒音は凄まじかった。
「仕事の邪魔なので出て行ってもらえますか」
子供の世話をする司書に言われて、館長は渋々退散することにした。その背中に子供の世話役の司書が言う。
「そんなに暇なら、ブロンシュを捜してきてもらえませんか。また脱走したので」
「おや、またかい」
図書館長はさして慌てる様子もない。
「彼なら大丈夫だろう。お腹がすいたら戻って来るよ」
図書館内は迷路のように複雑に入り組んでいるから、勝手に出歩いてはならない、と子供達には漏れなく言い聞かせてあったが、その子は多忙な世話役の隙を突いてふらふらと彷徨い出ては、不思議と自力できちんと戻って来る。
七歳になったその子は相変わらず一言も発しなかったが、世話役の言葉は理解しているらしかった。時々高熱を出して寝込むようなことはあったが、四肢には異常が見られず、いつしか、世話役に促されて他の寝たきりの子達の世話などを手伝うようになっていた。元より表情に乏しい子ではあったが、無表情にこなす仕事は正確で、齢七歳にして既に世話役の立派な助手を務めていた。
それでも、一人で出かけてはならないという言いつけだけは、何度教えても守らない。ふらふらと出て行った後、どこで何をしているのかは謎であった。
ブロンシュというのはあだ名であり、その子の本当の名前ではなかった。蔵書を保護する目的もあり照明が最小限に抑えられた暗い図書館内で、ローブから覗くその子の顔は仄白く光って見えた。いつしか徘徊する時には頭からフードを被ることを覚えたが、それでもやはり、その白さは隠しきれなかった。
図書館の中心に開けられた吹き抜けにでたらめに巡らされた階段を下り、本で一杯の書架が並ぶ部屋から部屋へと彷徨い歩く小さなローブ姿とすれ違っても、司書達は概ね無関心であった。
だから彼は手の届く範囲にある本を棚から取り出して眺めたり、床に無造作に置かれた粘土板に刻まれた文字を指でなぞったりして時を過ごした。文字の読み方は、誰に教わるでもなく自然に覚えてしまったが、そのことに背の高い図書館長や子供達の世話役が気付くのはもう少し先の話。
その日、その子は少し困っていた。ぼんやりしながら歩いていて、道順を覚えるのを忘れていたのだ。いつの間にか、書架のないがらんどうの部屋の中を歩いていた。どうやってここまで来たのか覚えていないのだから、完全に方向を見失い、自分がまだ図書館内にいるのかどうかもわからなかった。
これは困ったことになった、とその子は思う。体が重く、くたびれていた。そういえば、随分と階段を下った記憶があった。ここは随分下のレベルに違いなかった。
その子は壁に背をつけ、冷たい床に膝を抱えて座った。むやみに歩き回っていたずらに体力を消耗するより、じっとして救出されるのを待つ方が得策だと判断したのだ。彼に恐怖心というものがなかったのは幸いである。
どのくらいの時間が経過したのか、一日中陽が差さない図書館内では、わからない。一般の民が暮らす職人居住区では朝昼晩と時を告げる銅鑼を鳴らし、図書館内の司書達もそれを頼りに時間を判断するのだが、深い瞑想に浸っていたその子の耳には届かなかった。
火を灯した燭台を持った人物が、その子のいる部屋を横切って行った。しかし暗い部屋の隅でフードを目深に被り、俯いていたその子に気付かず、素通りしていった。
しばらくしてから、まっ白い子は暗闇でも仄白く光る顔をあげた。
何か、じんわり温かいものが通過して行った気がした。
周囲を見回すと、暗闇の中に灯りの残像のような帯が見えた。
長時間座り続けていたために固まってしまった体の節々を軋ませながら立ち上がり、その子はその帯を追った。微かに足音が響いていた。
いくつかの部屋を横切った先に、薄く光って見える部屋があった。その部屋には扉があり閉ざされていたが、ドアの形と、さらにその鍵穴から光が漏れていた。その子は屈んで、鍵穴から中を覗いてみた。
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