【完結】竜を喰らう:悪食の魔女 “ドラゴン・イーター” は忌み嫌われる

春泥

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第二章 魔都キンシャチで正直者は女に溺れる?

第十二話 災いをもたらす女

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 キが運んできた椅子に姿勢よく座っているのは、黒髪を長く垂らした地味な服装の女だった。名はチェイン・マサカー、年齢はシロと同じか少し上ぐらいだろうと思われたが、その若さで名門王立アックスクラウン大学の教授だという。
「ドラゴン学というのは、ドラゴンの生態は勿論、古代文字や世界の成り立ちの歴史まで網羅する学問なんです」とマサカー教授は言う。少女のようにか細い声だが、自信と威厳に満ち、淀みない。
「というのも、ご存知のように、この世界を最初に創ったのは、ドラゴンだと言われています。現在ではそれを否定する者も大勢いますが、確たる証拠はありません。少なくとも、ドラゴンは私達人類がこの世界に登場する遥か昔から存在していた、それは疑いようのない事実です。ドラゴンは大変知能が高く言語によるコミュニケーションも可能ですが、彼らが使うのは、この世界の最初にして最古の言葉だといわれています。ドラゴンの歴史とは即ち、この世界の歴史でもあります」
 シロは部屋に備え付けてあった簡素な椅子に大きな体を縮めて座り、教授の講義を拝聴する学生のような気分で聞いている。教授は目が悪いということで、黒い硝子がはまった丸眼鏡という珍しいものを鼻の上にかけている。硝子は真っ黒というわけではないので、明るい部屋の中では彼女の目が薄く透けて見えている。恐らく、マサカー教授は大変美しい女性だ。それがシロを緊張させている理由の一つでもある。

 ヌガキヤ村にドラゴンが現れたと聞き、マサカー教授の研究グループは直ちに調査隊を現地に派遣する手はずを整えたのだという。それは、教授自身を含めた研究者と学生から成る総勢二十名ほどのパーティだ。そこには、案内役としてイーライも加わっている。
「現在、大学では必要な物資の調達を大急ぎで進めています。準備が整い次第、本日中にも現地に向けて出発しますが、ヌガキヤ村に入るには、危険な森を通って山を越えなければならないそうですね」
「ああ、はい」
 シロはイーライがどの程度森に精通しているだろうかと考えた。少年の頃森に入り浸っていたとはいえ、彼の目的は昆虫や鳥の観察だった。ひ弱な学者肌の少年が、危険を冒して森の深部まで足を運んだとは思えなかった。
「森に一番詳しいのは、炭焼きのあなただとイーライから聞きました。是非我々調にご同行いただきのですが」
「調査隊、ですか」
 何かが引っかかった。シロは首を傾げた。
「とりあえず、森の地図を書いていただきたいのですが」
 教授は丸めてリボンをかけた大きな紙を取り出し、書き物机に広げた。彼女にせかされ、シロはナガミ村から森に入るルートや、森の中の回避ポイント(トロールの洞窟や、危険な崖、熊の根城など)を書き込んでいった。
「一番の脅威はトロールかもしれませんが、熊や狼だっている。それ以外にも得体の知れないモノがうようよしていますから、夜の強行は避けた方がいいでしょう。馬が通れない場所も多いし、徒歩で運べるだけの荷物しか持参できませんよ」
「でも、あなたはその夜の森を自由に歩き回ることができる」
「危険を察知したら、重い荷物は放り出し、後ろを決して振り返らずに一目散に逃げるからです。あなた方、学者センセイたちに、それができますか」
「それは、難しいかもしれませんね」
 教授は薄笑いを浮かべて言った。
「これは千載一遇の機会なんです。大学の記録では、生身のドラゴンに最後に遭遇したのがもう二十年も前になります。ええ、あの有名な王都の襲撃です。当時私は王都に暮らしていましたが、まだ子供でした。ばあややお付きの者に止められて、ドラゴンの姿を見ることすらできませんでした」と教授は悔しそうに唇を噛む。
 シロは胸の奥で感じていたわだかまりを無視できなくなり、教授に尋ねた。
「あの、ドラゴン学では、当然、奴らの弱点だとか、撃退方法なども研究されているんですよね」
「はい?」教授は鼻に皺を寄せて問い返す。
「ドラゴンは、人里を襲います。二十年前、国王陛下のいらっしゃる王都が襲われた時は、それは大変な騒ぎだったでしょう。熊でもイナゴでも、人や農作物に甚大な被害をもたらす生き物は広く研究され、対策が練られてきた。ヌガキヤ村から大学に進学する者の多くは、農業を学んで帰って来ます。その知識のお陰で、村は段々豊かになっていく」
 シロは話しながら、色硝子の向こうの目が段々細くなるのを見て、冷や汗をかいている。
「ましてや、国王の命が危険に晒されたともなれば、臣民は必死になってドラゴンをいかに撃退・退治するかについて研究したのではないのですか」
「この世界を創造した、ドラゴンを撃退・退治。愚かな人間が、身分もわきまえず――」
「身分というのは」シロはもはや顔に表れた嫌悪を隠そうともせずに訊いた。
「世界はドラゴンが創ったんですよ。たとえそれを信じないにしても、この世界ではドラゴンの方が先住者なのです。なぜドラゴンが人間の都合に合わせなければならないのでしょう」
「兎だって、無抵抗に狐に狩られたりはしない。全力で逃げる。無駄だとしても必死で最後の最後まで抵抗するでしょう。動物としては、それが正しい道ではありませんか」
「学問というのは、利益を追求するためものではない。知の探究の副産物として、人間に役立つ知見が得られることはありますが、それは偶然の産物であることも多い。人間に役立つ知見を得ようなどと浅ましい妄念に取り憑かれた人間が、一体どんな大義を成し遂げられるでしょうか」
「大学には莫大な研究資金が国から提供されているそうだから、国王をドラゴンの脅威から守る研究のおこぼれで俺の村の人々が救われてもいいんじゃないかと俺は思いますけどね。俺達の村だって安くはない税を毎年納めて国の財政を潤すことに一役買っているんだから。あなたは、王都が襲われた時に乳母や従者に守られる結構な御身分だったお陰で醜い残酷な光景を見なくて済んだが、その時犠牲になった大勢の人々はどうだ」

「国王なんて、竜に喰われてしまえばよかったのに!」

 勢いよく立ち上がった教授の背後で倒れた椅子が派手な音を立て、ドアの外から「きゃっ」という声がした。青ざめた教授が、素早くドアに近づいてさっと開けると、驚いた顔をしたキがティーポットとカップを載せた盆を手に立っていた。
「坊や」教授は自分よりも背の低いキにかがみこんで、息がかかりそうな近さから色眼鏡をずらし、直接彼の目を覗き込みながら、言った。
「お茶は結構よ。私たち、とても大切な話をしているの。しばらくこの部屋には誰も近づけないように旦那さんに言ってちょうだい」
 女の瞳は緑がかった金色で、昼間の猫のように瞳孔が細かった。怯えて口がきけない状態のキに、教授は色眼鏡を鼻の上に押し上げると、にっこりとほほ笑んだ。それは、おかしな眼鏡をかけていても十二分に美しく魅力的で、そういうお年頃のキをぽーっとさせた。
「それから、私が今王様について言ったことは、内緒にしてね。つい頭に血が上ってしまったの」
「は、はい、誰にも言いません!」
 キは頬を赤く染め、ギクシャクとした動きで盆を持ったまま下がった。廊下の角を曲がるのを見届けてから、教授はドアを閉め、シロに向き直った。女の背中を見ていたシロには、何が起きたのかわからなかった。
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