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日記

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 それからしばらく世間話をして、昼前に女の借家を出た。

 自転車のかごに入れた帳面が落ちないように、気を遣いながら町から離れ、家のある山の麓に向かった。

 濃緑、深藍色、花萌葱、鮮緑、鸚緑、若緑、などなど。

 一面が緑の森林と田園。その端々に点在する農家と屋敷が見えてきても、俺の意識は帳面に向けられていた。

 畦を通ると、かごの中で帳面が躍った。頁が折れて駄目になるんじゃないかと、ひやひやしながら家に帰り着いた。

 御影山登山口の側に建つ木造小屋。そこに俺は一人で住んでいる。

 日記にこんなことを書く必要があるのかと、ふと疑問に思ったのでしばらく考えていたのだが、いつまでも住居が同じだとも限らないし、爺になった頃に、今このときを覚えていられるとも思えない、との結論に至った。

 なので、できる限り、年を経て読み返したときに懐かしむことができるような書き方をしていく、という蛇足を加えておく。

 俺は部屋に入ってすぐに、万年床に仰向けに寝た。

 鉛筆を鼻と上唇の間で挟んで、帳面を眼前に掲げて見つめた。

 貰ったからには、落書き帳よりましな使い方がしたい。それでじっくり考えてみたが、馬鹿な頭には日記の他には何も浮かんでこなかった。

 俺は学校を卒業してからほったらかしにしていた文机に向かった。引き出しを開けると、中には小刀と辞書が入っていた。

 すっかりと忘れていた。そういえば、こういう物もあったなと、心強い味方を得た気分になった。

 辞書があってよかった。ここまで書くのにも一苦労だ。鉛筆を削るのも、昔はもう少し上手かったように思う。やはり、やらないと腕が落ちるのだと実感した。

 小刀の背を押した指が痛い。やわになっている。こんなに大変だったかと、少しばかり戸惑っていたら、尋常小学校に入ったなりの時分を思い出して懐かしくなった。

 明日、母屋に行く予定なので、好恵に文房具を貰えないか訊いてみようと思う。

 文章が気張ってしまったように思う。日記など、まともに書いたことがないので、書き方がよく分からない。それも訊いてみるのが良いかもしれない。

 しかし、なかなか面白い。

 遅くなったので、今日はここまでにする。
 
 
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