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誘拐犯の独白劇~後編~

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 えぇ、少し待ってくださいね。はい、こちらです。本家に帰るだけの時間がありませんでしたから、この絵巻をここに用意できなかったんです。かなり見辛いですが、スマホの画像で我慢してくださいね。

 屋敷の縁側に、公家風の男性が胡坐をかいて座っていますね。そして、庭にある木に着物をはだけさせた女性が隠れています。女性は四肢で地面に立ち、顔だけを木の幹から覗かせて笑っていますね。公家風の男性もそちらに顔を向けて笑っています。二人が見つめ合っているのが分かりますか? では、間にある影を見てください。ここです、一本の線で繋がっていますね?

 これは、欺影虫アザムカゲムシの出産について描かれた絵巻です。欺影虫と名づけられただけあって、人をあざむいて影に幼虫を産みつけるんです。卵ではありませんよ? 幼虫を産むんです。欺影虫は名前に虫とつきますが、卵生ではなく胎生です。とはいえ、交尾は行いません。というより、行えないんです。雌しか存在しませんので。

 では、どうやって繁殖するのか? という話になるのですが、これについては交尾を、『行えない』のではなく、『行わない』と言えば察してもらえるかと思います。あら、疑問の色が浮かびましたね。分かりました。もう少し噛み砕きましょう。

 単為生殖という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 神聖な表現をすれば処女懐胎ということになりますかね? 聞いたことがありますか? 聖書にある聖母マリアの話と言えば分かりますかね? つまり、交尾を必要とせずに、雌のみで繁殖が可能ということです。欺影虫の生殖方法はこれに当たります。栄養と時間さえあれば単独で延々と子孫を残していけるという訳ですね。とても効率の良い繁殖方法です。ま、私たちからすれば、はなはだ迷惑な話でしかありませんけどね。

 この絵巻に書かれている文字ですが、これは現代語訳すると、大体次のような意味になります。『美女が木陰から顔を覗かせたので、嬉しく思って見つめ合っていたら、そのうち笑みを向けられた。有頂天になったが、それはただ虫に欺かれただけだった。気づけば影に幼虫を産みつけられていた』。

 一定の距離で一定の時間過ごすことで、影に幼虫を産みつけるということが読み取れますね。出産が終わったときに笑うということも、それとなく示されています。私の、えぇ、つまり良一郎の祖父母は、蜘蛛人クモビトに笑顔を向けられることが、取り憑かれたことを示すサインだと知っていたんでしょうね。だから蜘蛛人になる前に自ら命を絶つことができたという訳です。

 繁殖については、この程度で十分でしょう。次は、それ以前の話に移りましょうか。最初の一匹がどこからやってきたのか、ですね。

 欺影虫は、彼の世に棲息する虫です。日記で百鹿が書いていましたが、彼此繋穴、すなわち、彼の世と此の世を繋ぐ穴からこちらに渡ってきたんですね。御影山は比較的それが開きやすい場所なのだそうです。おおよそ二百年周期であちらとこちらが繋がるという話ですよ。

 あのとき百鹿が受けていた仕事は、その穴が大きくなる前に封印することでした。そして、欺影虫に取り憑かれた人々の成れの果て、蜘蛛人を駆除することでした。

 もし、完全に駆除を済ませていれば、次の穴が開くまでの二百年は、おそらく何ごとも起こらず平和な日々が続いたでしょうね。
 
 
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