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芽生え~彼此繋穴シリーズ短編~

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「また赤くなってる。ねぇ、どうして?」

 魅音は僕が赤くなることに異常に興味を示した。隠すことでもないので、僕は恥ずかしさを抑えてぼそぼそと理由を伝えた。

「そう」魅音が視線を落とし、少し考えるような素振りを見せて言う。「やっぱり、人間って難しいわ。初めて話すから恥ずかしいなんて気持ち、人魚にはないもの」

「え? そうなんですか?」

「ええ」魅音が僅かに頷いて言う。「そうよ。人魚はもっと単純。言葉もすごく少ないの。肯定と否定に使うものと、喜怒哀楽を伝えるものが幾つかあるだけ。『海の中だし、危険も多いから発展しなかったんだろう』って、あなたのお父さんが言ってたわ」

「言葉は人間と違うんですか?」

「不思議なことを言うのね」魅音が少し驚いたような顔をして言う。「どうして人魚が人間の言葉を話していると思うの?」

「だって、僕の知ってる人魚はそうだから」

「ムカムカは人魚の知り合いがいるの?」

「ムカムカ?」

「あなた、ムカムカって名前でしょう?」

「違います。僕は百鹿です」

「あら、ごめんなさい。それで、人魚の知り合いはいるの?」

「いません。人魚というものを知っているだけです。その人魚は最初から人の言葉を話しているし、あなたも話しているから、そうなのかと思ったんです」

「ふーん、そうなの。だけど、違うわ。人魚はね――」

 魅音は、人間の言葉を父から習ったのだと言った。人間には言語が幾つもあることに驚いたとも。人魚にも人種はあるが、言語は統一されているらしかった。

「一種類だけでも複雑で大変なのに、沢山あるのって意味が分からないわ」

「国がいっぱいありますから」

「それもさっぱり分からないの。国って、力の強い誰かが、『ここからここまでが、わたしのもの』って線を引いたものでしょう? 一つのものを皆で分け合うのなら理解できるんだけど、『いがみあってできたものだ』ってあなたのお父さんから聞いたわ。それで国ごとに言葉を作って、まとまるのかと思ったら、同じ国の中でも争うらしいじゃない。それじゃあ国と言葉が増えていくばっかりだわ。どうして争いの種を増やしていくのかが理解できないの。そもそも同じ種族で争うことが不思議でならないわ」

「それは僕も思います。でも、人はそれぞれ思いが違うから」

「そう、それなのよ。言葉は何とか覚えたけど、思いとか感情がまだよく分からないのよね。それもまた、人魚と違って複雑だから」

「どう違うんですか?」

「そうね」魅音がまた視線を落とす。「人間と比べるとすべてにおいて鈍いと思う。あなたのお父さんが言うには、『無駄がない』そうよ。感情に囚われると争いや死に直結するから、生きるために必要なもの以外は排除してあるんじゃないかって。わたしは、まだ意味が分かっていないんだけどね」

「へぇー」

 気づけば僕は、人間と人魚の違いに、かなりの関心を持っていた。

 ふと思い出して蒸し返す。

「そういえば、どうしてさっき笑ったんですか?」

「それが、分からないのよね」魅音が僕の隣にいる風海月を指差す。「その風海月が、あなたの真似をしているのを見たら、いつの間にかそうなっていたのよ」

 僕は、「え?」と呟いて風海月を見る。風海月は僕の動きに合わせてくるりと回転した。僕が首を傾げると、示し合わせたように傘を斜めにする。シンクロしていた。面白かったので傘を撫でてやると、風海月は素早く回転して左右に跳ねた。

「喜んでいるみたい」魅音が微笑んで言う。「その子、名前は何ていうの?」

「名前は」僕は魅音を見て言う。「まだつけてないんです」

「じゃあ、つけてあげないとね。名前がないと呼べないもの」

 魅音が首を傾げて言う。

「あなたはムムカだったわね?」

「違います。百鹿です。百鹿」

「あら、ごめんなさい。発音が難しくて。もーもーか。百鹿ね。覚えたわ。わたしは魅音よ。あなたのお父さんがつけてくれたの。魅音。呼んでみて」

「み、魅音、さん」

「違うわ。わたしは、ミ、ミオン、サンじゃないわ。魅音よ。余計なものをつけると、音の響きが悪くなってしまうわ。ちゃんと呼んで」

 僕は俯く。また顔に熱が集まるのが分かった。

「魅音」

「そう、それがわたし」魅音が少し得意げに言った。「ねえ、百鹿。名前は大切よ。名前がないと、存在がはっきりしないんだもの。ひとくくりにされた何かの一部でしかないわ。その子を風海月の枠から解き放ってあげて」

「そんなこと言われても」

 僕は呟いて、風海月の傘を指で押す。風海月はこらえた様子を見せるが、やがて小さなきらめきを散らせて、跳ね返るように後ろに流れる。この愛嬌のある動きが名前のアイディアに繋がるかと思ったけど、残念なことに何も浮かばなかった。
 
 
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