猫ひげ堂へ妖こそ

御厨 匙

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㈡ハハキギ

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 午前八時きっかりに、ゴンタは倉田くらた宅の呼び鈴を押した。ぴいぃーん・ぽおぉーん、といやにまのびした音がして、ゴンタはため息をついた。千何百回目かのため息だ。倉田隼佑しゅんすけは、朝の支度がのろい。
 シュンスケのことは、三百メートル先からでもみわけられる。シュンスケのランドセルは、きれいな若草色だ。梶原かじわら小じゃランドセルは男は黒、女は赤が定番で、例外でピンクやワインレッドを使う女子がいるくらいのもの。だから、良くも悪くも目立つ。
 入学したてのころ、シュンスケのランドセルを変な色だって登校班の六年生がはやしたてた。ヘンじゃないっ、とシュンスケは食ってかかって、その上級生をランドセルでぶちのめした。最上級生を泣かせた一年生として、シュンスケの名前は全校にとどろいた。トラブルメーカー=シュンスケ伝説の始まりだ。
 十数分後、シュンスケは若草色のランドセルを胸側にかかえてでてきた。ランドセルの蓋に散った歴戦の傷跡。シュンスケは赤茶の目で笑った。
「歩いても歩いても、近づいてこないもの、なぁーんだ?」
「幸せ」
 ゴンタはテキトーに答えた。シュンスケは両手で×バッテンをつくった。両手首の水晶の念珠がスチャッと鳴った。
「ブーッ」
「そのへんの鳥」
「ブーッ」
「同じ方向に同じ速度で歩いてる人」
「ブーッ」
「わかんない、降参」
 シュンスケはニカッと前歯をみせた。「答えは……下校時間までのお楽しみ!」
 正直、なぞなぞの答えなんてどうでもよかったけど、ちぇー、とゴンタはいった。親しき仲にも礼儀あり、だ。二人はじゃれあいながら、登校班の集合場所へ向かった。
 裏山の孟宗竹もうそうちくがそよいだ。五年二組のベランダで、猫ひげ堂とヒモクノウオのことをゴンタは話した(うんこの件は伏せた)。救助袋の鉄の箱にもたれていた五年一組の和泉いずみ行哉ゆきやは、さらさらのマッシュルームカットを揺らし、前のめりになった。
「その店、行ってみたいな。父さんの話のネタになるかもしれないし」
 和泉の父親は小説家だ。じつは翻訳の仕事のほうがもうかっているけれど、本人は小説家が本業で、翻訳家は副業だといいはってるらしい。
「おれはべつにどっちでもいいけど」
 シュンスケは興味なさげに土だけのプランターを蹴った。土埃が立って、風下でお喋りしてた女子四人へと流れていった。女子たちが嫌そうにした。
 それに気づいたシュンスケは、続けざまにプランターを蹴った。派手に舞いあがる土煙。悲鳴をあげて女子たちが飛びのく。シュンスケはけらけら笑った。女子の一人、小野おの可織かおりが手を腰に当てて、きつい声をだす。
「倉田、サイッテー」
 ゴンタだったら、いっぺんにめげてしまっただろう。けれど、シュンスケはぜんぜん平気な顔だ。
「うっせんだよ、ぶーす。コマネチッ!」
 シュンスケは股関節こかんせつをこする例のギャグをやった。は小野のあだ名だ。世界三大美女の小野おのの小町こまちにちなんで、小野は友達にと呼ばせていた。学年には二人、は三人もいるから。それをもじって、コマネチだ。ははっ、とゴンタは笑った。和泉がすかさずいう。
「小野さん、ごめんね。シュンスケは小野さんがかわいいから照れてるんだよ」
 小野は吹きだして、頬を赤くした。歯の浮くようなセリフだが、和泉がいうとちっともイヤミじゃないのだ。
「ちげーよ」
 シュンスケも赤くなって、和泉の上履きを蹴った。かなり手加減(足加減?)したキックだった。小野たちはくすくす笑いながら、教室へ駆けていった。

     🐈‍⬛

 土曜の授業は半日で、放課後は薄曇りだった。小学校からあの雑木林までは、ゴンタたちの足で二十分というところ。三人はバラ線のむこうへランドセルを三つ投げこんで、破れ目をくぐった。
「ビンボー草がいっぱいだな」
 猫ひげ堂の野生の庭を眺めて、シュンスケがいった。糸くずのような貧乏草の花が春風にそよいだ。和泉がいいかえした。
「ビンボー草じゃないよ、ハルジオンとヒメジョオンだよ」
 シュンスケは草むらを大まかに指差した。「どれがハルジオンで、どれがヒメジョオン?」
「背の低いのがハルジオン、背の高いのがヒメジョオン」
 和泉は迷いなく答えた。和泉のマッシュルーム頭には、野草図鑑や野鳥図鑑が一冊ずつ収まっている。ふーん、とシュンスケは口を尖らせて、若草色のランドセルを蔵のまえに放りだした。ゴンタと和泉もそうした。シュンスケは草むらをじっと観察して、首をかしげた。
「背の低いのがハルジョオンで、背の高いのがヒメジオンだっけ?」
「ちがう、ちがう。背の高いのがヒメジョオンで、背の低いのがハルジオン」
 和泉が云った。ゴンタは口を挟んだ。
「なんかややこしいから、まとめてビンボー草でいいよ」
「ゴンタにサンセー」
 シュンスケが手をあげて、その手で貧乏草をむしった。草の花やつぼみを、和泉めがけてぴんぴん飛ばした。
「和泉もビンボーになれ」
「やめなよ、花がかわいそうだよ」
 和泉は両手で顔をかばった。貧乏草にさわると、貧乏になる。誰がいいだしたのか知らないが、梶原小の生徒のあいだじゃ常識だった。和泉んちは、丘のうえの高級住宅街にある。ひかえめにいって、金持ちだ。シュンスケはゴンタにまで花を飛ばした。ゴンタんちは、ありふれたサラリーマン家庭だ。三人は大騒ぎした。
「こらっ」
 ききおぼえのあるしゃがれ声。オサカベは、きのうと同じ着物だった。足もとは紺足袋こんたび雪駄せっただ。シュンスケはオサカベに走り寄った。
「歩いても歩いても、近づいてこないもの、なぁーんだ?」
「逃げ水だろう」
「ブーッ」
 シュンスケは両手で×バッテンをつくった。念珠がスチャッと鳴った。オサカベは云う。
「それとも、帚木のことか」
「ハハキギって?」
「伝説の木だ。信濃国しなののくにのとある里に、遠くからはほうきのような木のこずえがみえる。だが、近くまで行くと、途端にその木はみえなくなる」
「ブーッ。ハハキギなんか知らねえもん。答えは、地平線でした」
 オサカベはちょっと目をみはって、それから口をゆがめた。
「なるほど」
 そのいいかたが、ほんとに感心したふうだったので、シュンスケは得意げにニヤッとした。このじいさんが気にいったみたいだ。シュンスケはいう。
「なあ、ここってネコいるんだろ。さわってもいい?」
夜叉やしゃは人をみるぞ」
「夜叉? おっかねえ名前のネコだな」
「はじめまして。お店を見学させてもらえますか? ぼく、梶原小の和泉ユキヤです」
 和泉がていねいにあいさつした。ゴンタは二人を順ぐりに指差した。
「友だちの和泉と、となりんちのシュンスケです。よろしく」
 猫ひげ堂の店内に、ヒモクノウオの鉢はなかった。わかっていたけれど、ゴンタは残念だった。
 和泉はみるものすべてに目を輝かせつつ、書棚の背表紙を読んだり、天球儀を動かしたり、望遠鏡を伸縮させたり、文机ふづくえの引きだしをあけたりしめたりした。
 黒猫の夜叉は、勘定台で丸くなっていた。そうして動かないと、本当に剝製のようだ。シュンスケは顔を近づけて、小声で呼びかけた。
「やしゃ、ヤシャ、夜叉」
 夜叉は耳を震わせて、おっくうそうに目をあけた。あっ、とシュンスケがいった。
「こいつの目、ヘン」
 ゴンタは覗きこんだけれど、夜叉は目をとじてしまった。ゴンタはいう。
「ヘンって、どうヘンなわけ?」
「色がヘンなんだよ」
 どうしたの? と和泉もやってきた。ゴンタたちは雁首がんくびそろえて、夜叉の顔を一心にみつめた。シュンスケは手を夜叉の鼻先へやった。その豊かなヒゲがもそもそ動いて、夜叉が目をあけた。
 あっ、とゴンタと和泉も叫んだ。夜叉の右目は水色だが、左目は金色だった。ゴンタはつぶやいた。
「なんだろう、ビョーキ?」
「すごい。この猫、オッドアイだ」
 和泉がいった。ゴンタとシュンスケはオウム返しにした。
「オッドアイ?」
「動物の目が、右と左で色がちがうことだよ。猫のほかに、犬や馬でもいるんだって。すごく少ないんだよ。ぼく、はじめてみた」
 和泉は思わずってふうに両手を組んだ。和泉は感激屋だ。草の汁まみれのシュンスケの手を、夜叉は熱心に嗅いでいたけれど、やがて目をとじた。シュンスケは夜叉の背を、やさしい手つきで撫でた。シュンスケがふれるたび、その闇色の毛なみが音もなくちぢれた。
「夜叉がよくさわらせたな」
 茶道具をお盆に乗せたオサカベがいった。このじいさんは闇夜の黒猫のように気配がしなかった。オサカベは湯呑ゆのみを四つ勘定台にならべた。
 夜叉は急にのびをして、座敷へと下りた。勘定台を使うときは、どくようにしつけられてるみたいだ。シュンスケが訊く。
「おっちゃん。あのネコ、何才?」
 オサカベの骨ばった手が、急須を傾けて、湯呑みにそそいだ。湯気が立ちのぼり、ほうじ茶の香ばしいにおいがした。オサカベは口をゆがめた。
「さあなあ。だいぶ年寄りだが、まだ猫又にはならんな」
 ゴンタとシュンスケがお茶をすするあいだ、和泉は鉛筆とノートを手に、オサカベを質問責めにした。
「このお店って骨とう屋なんですか?」
「ここは預かる店だ」
「質屋ってことですか?」
「古物商許可も質屋営業許可もある。だが、骨董屋でも質屋でもない」
「しいていうなら、ナニ屋でしょうか?」
 和泉はたたみかけた。こいつは好奇心が旺盛すぎる。オサカベは無表情だったが、じいさんが困っている気がゴンタはした。
「なんでもあずかり屋、じゃないの。そうでしょ?」
「そうだな、よろず預かりどころだ」
 オサカベはうなずいた。それで和泉は納得したらしい。ノートに何か書きつけて、にっこりと笑った。
「それじゃ、次は一日の仕事の流れを教えてください」
 和泉のインタビューが長くなりそうだったので、ゴンタとシュンスケは先においとますることにした。雲が切れて、薄日が庭へ差した。蔵のまえのランドセルを、ゴンタは拾いに行こうとした。シュンスケが腕を広げて止めた。何? とゴンタはきいた。
 シュンスケは歯のまえに人差指を立てて、ささやいた。「妖精がいる」
「どこに?」
「ランドセルんとこ」
 ゴンタは目をこらした。つくねられた黒と緑のランドセルがあるばかりだ。
「どんな?」
「女の妖精。ピンクの服、着てる。羽がトンボみたい」
 シュンスケの耳は、興奮して桃色になっていた。本当に何かみえているのだ。
 こういうことは、初めてじゃなかった。小さいときから、シュンスケはいろんなものがみえた。幼稚園児のころ、大仏殿だいぶつでんそばのトンネルを通るたび、青い人がいる! と大泣きしていた。そのときも、ゴンタには何もみえなかった。シュンスケの母方の祖母もみえる人だったそうで、隔世遺伝でしょうね、とシュンスケの母親は云っていた。両手首の水晶の念珠はお守りだ。
 シュンスケは腰をかがめて、忍び足で近寄った。でも、蔵のまえまで行くと、急にあたりをきょろきょろして、首をかしげつつ戻ってきた。
「どうだった?」
「消えた。でも、また、いる」
 シュンスケは顎をしゃくった。相変わらず、ゴンタにはランドセルしかみえなかった。シュンスケの赤茶の目に、貧乏草の花が映っていた。シュンスケはいう。
「たぶん、ランドセルがめずらしいんだろうな。ずっと、あのへんにいるんだ」
 再びシュンスケは抜き足さし足の姿勢になった。でも、ランドセルに辿りつくまえに、シュンスケはあたりをきょろきょろしだした。また、消えたらしい。
 ゴンタもそっちへ行った。シュンスケは悔しそうにする。
「そばに行くと、みえなくなるんだ。ハハキギみたいなやつだな」
 シュンスケは自分のランドセルの蓋をあけて、教科書とノートをぶちまけた。集めてまとめて、店へ運んでいった。ゴンタは追いかけた。
 シュンスケは筆箱と教科書類の束を、ドンッと勘定台に置いた。オサカベと和泉は目を丸くした。
「おっちゃん、なんでもあずかるのが仕事だろ。あしたの朝まであずかってよ。これ、お代ね」
 シュンスケは百円玉を勘定台に乗せて、また外へでた。オサカベはぽかんとしていたが、やがて口をゆがめて、喉の奥でくつくつと笑いだした。
 ゴンタが外にでると、シュンスケは空っぽのランドセルにひょうのように忍び寄っていた。そして、電光石火で革の蓋をしめた。シュンスケは叫んだ。
「つかまえた!」
「ほんと?」
 シュンスケはなんべんもうなずいて、若草色のランドセルをぎゅっと抱きしめた。
 二人で急いで雑木林を抜けて、倉田宅に行った。狭い玄関で、ゴンタは使い捨てカメラを構えた。
「いち、にの、さんっ」
 シュンスケはランドセルの蓋をひらいた。ゴンタはシャッターを切った。
「とれたかな?」
 ゴンタはつぶやいた。シュンスケはランドセルの底を覗きこんで、舌打ちした。
「やられた」
 シュンスケは若草色のランドセルをひっくり返した。玄関のタイルに貧乏草の花がぱらぱらとこぼれ落ちた。
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