転生令嬢は庶民の味に飢えている

柚木原みやこ(みやこ)

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うっかりしてたわぁ……

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特別寮に入ってからというもの、食べるものに関しては自分たちで用意していたこともあって、卵料理は頻繁に出していた。

その中には半熟状態の卵料理もあったし、卵かけご飯も提案したことだってある。
聖獣の皆様は耐性があるのか、生卵を食べることに抵抗はなかったし、私やマリエルちゃんは前世が日本人ということもあり、クリア魔法でサルモネラ菌などの衛生問題さえクリアできれば食べることに躊躇いはなかった。

ミリアやセイは時間がかかったものの、私やマリエルちゃんが大丈夫だということを身をもって証明したので今では恐る恐るではあるものの食べてくれているので大きな進歩だ。
まあ、ひとくち食べ始めさえすれば、そのとろーんとしたまろやかな美味しさにスプーンが止まらなくなるんだけどね! はっはっは。

そんなわけで、卵の生食に関してのハードルが取り払われた特別寮では「生卵を食べるのは禁忌」という感覚がすっかり麻痺していたのだった。
いやーうっかりうっかり!
……って、現実逃避してる場合じゃない!

「あ、あの、これはですね……」
ドン引きしているアリシア様にどう説明したものだろうか。
マリエルちゃんは周囲の注目を浴びていることに気づいて固まってしまっていた。
マリエルちゃん、気を確かに!
どうしよう。現状を打破しようにも頼れるのは自分一人だけという現実に、冷たい汗が背中を伝う。

……でもちょっと待って?
これってチャンスでもあるわよね?
この世に私の好きなTKG……卵かけご飯を普及させるための足掛かりとなる絶好の機会!
安全に卵を生食する正しい方法を伝授するなら今しかないのでは?
ええい、やるっきゃない!

そう考えた私は、さっきそろそろとお皿に戻していた卵を再び手にして目の前に掲げて見せた。
「……アリシア様。この卵、何の変哲もないただの生卵ですわ。このままいただくとお腹を壊してしまうのは皆様ご存知のことと思います。ですが……」
アリシア様だけではなく、周囲の騎士科の皆様から注目を浴びる中、フォン……とクリア魔法をかけた。

「このように、卵にクリア魔法をかけると生でも安全にいただけるようになるのです。その際に注意していただきたいのは、卵の殻だけではなく、その卵の中身に潜むお腹を壊す原因となる悪いものもすっかり綺麗に消し去るイメージで行うことです。そうすれば生でも美味しくいただくことができるのです!」

私はそう力説してから、頭上まで掲げて見せた卵をスッと下ろし、テーブルの平らな面にコツンと当ててからそのまま片手で牛丼の上にパカリ、と割り入れた。
その瞬間、周囲がワッとどよめいた。
「なんと手慣れた動作……まるで熟練の料理人のようだ」
「片手であのように割れるとは……俺にもできるだろうか?」
「いや今の話を聞いたか? クリア魔法で腹を壊さないって料理長の説明はやっぱり本当だったのか⁉︎」
「いやしかし、クリア魔法でそんなことが可能なのか⁉︎」
「料理長は聖獣様お墨付きだって言ってたが、その契約主が同じことを言ってるわけだから本当なんじゃないか⁉︎」

ざわざわと各々のトレーに置かれた皿の上の生卵を手に取り、まじまじと見つめる騎士科の皆様。
よくよく見ると、牛丼はほとんど手をつけられていない様子。

どうやら、騎士科の度胸試しとしてチャレンジメニューを注文したものの、生卵を落とす勇気が出ず、さりとてそのまま牛丼だけを食べたのでは退店時に腰抜け野郎と揶揄されてしまう、という不安で食べるに食べられなかった模様。
道理で、外に行列ができてるはずだよ……めっちゃ回転率悪くなってるからじゃん……?

これでは埒があかないと、私の行動で我に返ったマリエルちゃんと顔を見合わせてから、卵の黄身につぷりと箸を入れた。
ぷっくりと膨らんだ卵の黄身が、とろりとその中身を溢れさせて白身の上を伝っていくのを逃さず軽く混ぜ合わせ、それらが絡んだお肉とごはんを掬い上げてパクリとひとくち。

周囲がさらにどよめいたようだけど知ったことじゃない。
「ああ……卵が程よく絡んで、まろやかで……舌がとろけそうですわ。これは、生の卵じゃないと味わえない美味しさですわ。さ、よろしければアリシア様もお試しになって?」
もぐもぐと咀嚼して牛肉とギョク(卵)のマリアージュをうっとりと堪能し、その魅力をアピールしてからにこりとアリシア様に勧めてみる。

……あれ? 皆シン……と静まり返ってしまった。やっぱりダメだったかぁ。
まあ、ダメならダメでしかたないし、騎士科の皆様も残したらいいと思うよ。
あーあ、せっかく悪食令嬢の汚名返上できたかと思ったんだけどなぁ。
でも、今回はこのままだとマリエルちゃん一人がそう噂されかねないし、これでいいのだ。うん。
TKG普及の夢の実現はまだまだ遠そうだけど、地道に頑張ろうっと。

半ば諦めモード……やけっぱちともいうけれど、そんな気持ちで牛丼を食べていると、アリシア様が決心した様子で卵を手に取った。
「アリシア様?」
「ク……クリア魔法をかければよろしいのですわね? お腹を壊す悪いものが消える、イメージで……!」
アリシア様はフォン、と卵にクリア魔法をかけて割ろうとした……けれど、そこで手がピタリと止まった。おや?

「あ、あの……私、卵を割ったことがございませんの。どうしたら……?」
顔を赤くしておずおずと私に尋ねるアリシア様はめちゃくちゃ可愛かった。
「私におまかせくださいな!」
はい喜んでー!

私はアリシア様から卵を受け取り、ココン、とテーブルで卵にヒビを入れ、今度は両手で割り入れて見せた。
「あまり力は入れずに、軽く殻にヒビを入れてあげればよろしいのですわ。さあ、軽く混ぜてから召し上がってくださいませ」
「え、ええ……!」
アリシア様はゴクリ……と普通とは違う意味で生唾を飲み込み、意を決したようにスプーンで掬い取り口に運んだ。

皆が固唾を飲んで見守る中、咀嚼を終え飲み込んだアリシア様が固く閉じた目を見開いた。
「美味しいっ……ですわ! 先程までのギュードンも美味しかったのですが、なんというか、クリステア様がおっしゃっていた通り、まろやかでとろけそうという表現がぴったりですわ!」

アリシア様は一気に感想を述べると、ひとくち、またひとくちと食べ進めていった。
その様子を見ていた騎士科の皆様も「よ、よし俺も……!」「ク、クリア魔法だよな⁉︎」と口々に話しながら卵を割り入れていった。
そしてその直後に「う、うめー!」「なんだこれ⁉︎ すげー美味いんだけど⁉︎」と驚愕の声と共にがっつき始めた。

……よし。堕ちたな。
その光景を眺めていた私とマリエルちゃんは、テーブルの下でサムズアップした拳をこつりと合わせたのだった。

そうして私たちが食べ終わりそうな頃、セイとエイディー様がやっと入店できたようで、チャレンジメニューを食べ終え満足そうに出ていく騎士科の皆様を不思議そうに見送りながら入ってきた。
そして、ほぼ完食しかけていた私たちのテーブルに卵の殻が転がっているのを見つけて「まじかよ……」と呟いたのだった。

よし、今度はエイディー様を堕とす番だ。
マリエルちゃんと私は無言で頷き合い、私たちの側の空いた席にエイディー様たちを笑顔で誘導したのはいうまでもない。

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