22 / 23
22・だいじょうぶ!
しおりを挟む(黒髪黒瞳の死神……。馬鹿馬鹿しい!)
女は、それが単なる伝承だと、沸き上がる思考を必死に打ち消そうとしていた。教育者として積み上げてきた理性が、根拠のない妄想を『あってはならないもの』と拒絶している。
硬直したまま二人を見つめていると、安らかな寝息を立てる少女に誘われるように、赤児がコテンと少女の肩にもたれかかる。その微笑ましい重なり合いに、女は手を伸ばしたが、間に合わなかった。
「……あ。すみません、寝ちゃっていました」少女が瞬きをし、眠そうに目をこすりながら顔を上げた。
「いいのよ。赤ちゃんは、私が」
女は、まるで、うわ言のように返し、赤児を抱き上げると、揺りかごへと運んだ。
「ごめんなさい。少し気分が悪いの……横になってくるわ」女は少女の返事も待たず、逃げるように部屋を飛び出した。
自室に戻るなり、女は衣服をむしり取るように、辺り構わず脱ぎ散らかすと、寝台へと倒れ込んだ。
「……何かしら。ひどく、疲れたわ」枕に顔を埋め、暗闇の中で思考を巡らせる。
先ほど体験したのは、霊的とさえ呼べる理解不能な『何か』だった。男から聞かされた、あの『言葉にできない感覚』は、女の理性からはあまりに隔絶しており、かえって現実味を帯びた恐怖にはなり得なかった。
しかし、理論と事実を重んじる『教育者』である女にとって、赤児が放った『まぁま、さむない』という明瞭な言語は、積み上げた常識を根底から叩き潰した。それは現実的な戦慄となって、女に襲いかかる。
(あれは、ただの模倣じゃない。明確な知性の萌芽の結果に間違いないわ)
思考の迷宮に沈んでいると、静寂を破って、扉を遠慮がちに叩く音が響いた。
「鍵は開いているわよ。どうぞ……」投げやりに応じた。下着姿を晒していることなど、今の女にはどうでもよかった。
(……悪いことをしたわね。あの子、心配して様子を見に来たんだわ)
扉の隙間から、少女がおずおずと顔を覗かせた。その胸の抱っこ紐には、赤児が、無垢な笑顔で収まっている。
少女は部屋に入ると、床に散乱した衣服を一枚、また一枚と静かに拾い集め、角を揃えて丁寧に畳み始めた。
女は顔だけを横に向け、その光景を眩しいものでも見るように、目を細めた。教育を施す立場でありながら、自分は整理のつかない感情に振り回され、自堕落に半裸を晒して寝転がっている。対して、教えられる側の少女は、なんと落ち着いて、健気なのだろう。
「具合、悪そうですが。大丈夫ですか……?」
少女の控えめな問いかけが、女の胸の奥を刺す。その優しさが、今は何よりも辛かった。少女の背後で、赤児がじっと自分を観察しているような気がして、女は再び枕に顔を押し付けた。
――刹那。女は跳ね起きた。
赤児に『ねぇね』と、呼びかけられ、自身の精神を侵食されるのではないか。その切迫感が女を突き動かした。
精一杯の虚勢を張り、頬を両手で強く叩いて、女は叫ぶように言った。誰に向けて放った言葉なのかは女自身にもよく分からなかった。
少女に。赤児に。自分自身に。
「だいじょうぶ!」
0
あなたにおすすめの小説
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる