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1.異世界と呪いと養父
しおりを挟む瞼の外がほんのりと明るい。目を開けようとして初めて自分が眠っていたことに気づいた。
酷く重いそれを押し上げてみると、眼前には白と黒それぞれの色の球体が二つ浮いていた。
体を動かそうにも全身がひび割れてしまったかのように軋んで痛む。少しでも動かしたらバラバラに砕け散ってしまうのではないかと思った。
自分の身に起きていることがわからず、何とか開いた目からは熱いものが溢れた。痛みに対するものなのか、混乱によるものなのかはわからない。
視界に映るすべてが白く天井と壁の境目も無い。窓も扉もなく床の継ぎ目もない、本当に何も無い。
いま私は、どこにいるの。
「やあ。目が覚めたかい」
白の球体が語りかけてくる。いや、語るというには発声器官もなにもないように思う。
不思議なそれは、だがこちらの困惑を介さず続けて声を発生させた。
「ごめんね。私のせいでこんなことになってしまった。もっとスムーズにできたらよかったんだけど」
白い球体はどうやら落ち込んでいるようだった。見た目にはわからないが、発する声音がそう感じさせる。まったく事情はわからないけれど、私は心の中で「いいよ」と笑った。
「君にこんな不便を強いて、情けないったらないね……。今の私にはこれが精一杯なんだ。どうか、目が覚めた後の君に幸多からんことを」
白がそう言うと、隣で浮遊していただけの黒い方の球体がスルスルと寄ってきて私の胸の上で止まった。
かと思うと、今度こそ全身が砕けんばかりの激痛が走る。あまりの衝撃に視界がチカチカと明滅した。胸を掻きむしりたくても体はやはりピクリとも動かない。
「呪いは、あくまでも君が解除しなくてはならない。君の生き方ひとつなんだ」
白いのが何か言っているけれど理解できない。痛みで頭がおかしくなりそうだった。
もがく視界の先で、球体だったはずの黒いものがモヤになって私の中に入っていくのが見えた。
「どうか、君に大切なものができますように。できることならたくさん、ね」
白の言葉は聞こえない。ただ、その声は少しだけ私を励まそうとしているような、優しいものに思えた。
横たえた身体が、下から突き上げるような振動を感じ取る。何かがこちらに向かってくる、そう気づいた瞬間、意識が急激に浮上した。
ドアが爆音とともに開いたかと思うと、何かがベッドに飛び込んできた。
「さくちゃん!」
その“何か”──リヒャルトさんの大きな体が私を包み込むように抱きしめる。
「ぐ、ぐるじい! リヒャルトさん、肺が潰れるっ!」
顔を潰されながら手当たり次第に胸を叩いてみるが、硬い。まるで木彫りの熊でも殴ってる気分だ。当の本人は、微動だにしない。
「さくや……泣いてるじゃないか」
ふわりと触れた手が、私の目尻をなぞった。少しくすぐったい。夢の名残でまだ少しぼんやりとしていた頭がようやく働き出す。
「泣いてないよ。ていうか離して、ほんとに苦しい!」
ようやく解放されたと思ったら、目の前に完璧すぎる顔面が現れた。朝イチでこの顔はずるい。
美術品と見紛う程に整った、神の力作もかくやという男の輝くご尊顔が飛び込む。こっちは寝起きの顔を晒しているのに、朝からこの仕打ちはひどい。
「怖くないよ、いつもの夢。毎回わけわかんないやつ」
「夢、また見たんだな」
その声は、労わるように優しく、不安定な心に寄り添ってくれる。
「大丈夫だよ、夢の内容なんてほとんど覚えてないし」
「さくが泣いてる気配がして、飛んできたんだが……お父さんは気が気じゃないぞ。やっぱり一緒に寝よう」
「絶対やだ」
日本人は幼く見えがちではあるが、そうは言っても十八歳だ。親と一緒に寝るなんて歳ではないし、そもそもリヒャルトさんは本当のお父さんではない。一緒に寝たらそれはただの同衾。
何度もそう訴えているが、ことある事に彼は共に寝ることを提案してくる。幼児に対するような過保護っぷりが、今日も爆発している。朝起きてこんな美形が隣にいたら心臓が止まってしまうのだが。
「って、ちょっと待って。いま気づいたけど、パンイチじゃん!?」
「朝風呂に入ってた。さくが起きた気配がして飛んできた」
いや、それさっきと話が違う。湿気を含んだ胸板の感触、まったく揺るがないこの筋肉に理不尽を感じて、もう一度叩いた。
「ほら、朝ごはん作るから、一緒においで」
「だからその状態でうろつかないで! 早く服を着て!」
無理やりベッドから追い出すと、彼はあっさり立ち退く。背中が広い……というか高い。こっちは毎日見上げて首へのダメージが蓄積してきているというのに、そんな事は知る由もない彼は、湿った髪を掻き上げながら、のしのし歩く。
あの灰色の髪、光が当たると銀色に見える綺麗な色なのに伸ばし放題でボサボサだ。
目も同じ色で、よく見ると虹彩に銀が混じっていて光が当たると煌めいて美しい。
その後ろ姿をぼんやり眺めていると、リヒャルトさんが私の視線に気付いて振り返る。
ふいに顔面国宝とバチッと目が合った。キョトンとしながら小首をかしげるあざとい国宝。ときめくことは否定しないけれど、この男は御歳三十五歳(独身)。
「な、さくちゃん。なにか思い出したら遠慮せず言うんだぞ?」
「う、うん」
「さくちゃんが何者であっても関係ない。俺がそばにいるよ。ずっと守るからな」
リヒャルトさんは、私のことを記憶喪失だと思っている。それは半分本当で、半分嘘だ。
「さくや?」
呼ばれて、ぼんやりしていた意識が戻る。
「……ううん、なんでもない」
「さくや」というのはリヒャルトさんが付けてくれた名前。
自分の名前も分からない私を、みんなは記憶喪失の可哀想な子として受け入れてくれた。
日本出身、年齢十八歳。大学受験に失敗して家を追い出された、自分で言うのもなんだが無力でか弱い少女である。
覚えているのはこれだけ。記憶喪失で間違いはないのだけれど、嘘も吐いている。
目が覚めると、そこは知らない部屋だった。彼は行き倒れていた私を病院に運び、ひと月以上も付き添ってくれて、甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
生死の境を彷徨うほどの危うい状態だったらしく、股間にチューブが差さっているのに気づいた時は泣いた。
明らかに日本ではない場所、会話は通じるのに、文字はただの模様にしか見えない。小さな子供でさえすらすら読んでいたのに私は一つも分からなくて、それが記憶喪失説を補強してしまった。
エルダーニア神聖王国。この国の名を聞いた時、反射的に『そんな国、聞いたことない』と叫んでいた。
私は、この世界の人間じゃない!
必死に元いた場所の地名や環境を説明すると、彼は眉をひそめて、黙って私の頭を撫でた。
「よっぽと怖い思いをしたんだな……可哀想に。だけどそんな話、外でしないようにしような」
家の中だけだぞ、と悲しみを含んだ優しい微笑みを浮かべて哀れまれた。これ以上食い下がっては狂人扱いされかねないと、私は口を噤んで記憶喪失という設定を受けいれた。
私がこの世界の人間じゃないと知っているのは、私だけ。
どうして私はこの世界に居たんだろう。出来ることなら無意味でないことを祈っているけれど、特別なことなんて起きることはなく、リヒャルトさんに引き取られてからそろそろ一年が経とうとしていた。
「さくや」
ん? 呼ばれて顔を上げると目の前に唇のドアップ。気づいた時にはチュッと頬にキスをされた。
「ぎゃあああ!!」
「難しい顔してるな。気にすんなって言ってるだろ?」
「気にするよ!! 」
マジのガチの赤ん坊扱いに憤慨するも、リヒャルトさんは、わははと笑ってもう一度今度は額に吸い付いた。
「世界でいちばん可愛い俺の子。俺のさくや。さあ、今日の朝ごはんはお前の好きなの作ろうな。俺が食べさせてやる」
「いや、私十八歳なんだけど!?」
怒りの鉄拳をいとも簡単に躱して、顔面国宝は拝みたくなるほど爽やかな笑顔を浮かべたのだった。
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