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青獅がいなくなったって、私の生活は続いていく。
だんだんと彼を忘れて。
……そう思っていたのに。
忘れられるはずがないものを置いていった。
もし「恋人」だったら違ったのかな。
もし「家族」になっていたら違ったのかな。
……再会しなければ違ったのかな。
あったはずの選択を見ないふりしてきた、代償なのかな。
青獅を甘やかしていたはずなのに、自分に一番甘かったのかもしれない。
彼は新しい生活を始めたのに、今さらここに戻ってきてなんて、私には言えない。
「美里ちゃん」
シフトが合わずにいたので、数日ぶりに柳さんに会った。
相変わらず彼はきちんとした身なりの人だった。
「顔色が悪そうだけど大丈夫?」
気遣いまでちゃんとしてる。
それが今は、痛い。
「ちょっとしばらく、お食事は無理かもしれません」
何度も誘ってくれた。
それに、もう約束の一月は訪れているのに。
「体調が悪いなら仕方がないよ。元気になったら行こうね」
「……はい」
私は元気になれるのかな。
元気って、なんだっけ。
柳さんが仕事に戻ると、橋田さんが声を掛けてきた。
「もう今日の仕事は終わりよね? 一緒にご飯に行きましょう」
「……食欲がなくて」
「私の前で無理しなくていいの。残してもいいし、食べなくてもいい。ただ、ちょっとそばにいさせて」
心配されていることが伝わってくる。
これを断れるほど、今の私は強くなかった。
ファミレスに移動して、私はドリンクバーを頼んだ。
炭酸を選んだけど、オレンジジュースにすれば良かったと一口飲んでから後悔する。
私はいつも最適な選択を間違える。
橋田さんが「夜は眠れている?」と聞いてきたので首を横に振る。家で一人になると泣いてしまう。
「寝不足になるのも、マイナス思考になるのもみんなそうだからね。だって、身体に変化が起きている途中なんだから。いつもより不安になっちゃうわよね」
場所も忘れて涙腺がゆるみそうになる。
ポケットティッシュを差し出され、遠慮なく使わせてもらう。温かい眼差しに、本音をぽつりぽつりと漏らしてしまう。
「……バカなことばかりしてしまうんです。私はいい子じゃないから」
青獅とは中学の同級生だったこと。
成人式の日に再会したこと。
いつの間にか半同棲生活を送っていたこと。
私たちの関係は恋人なんかじゃなかったこと。
柳さんとの未来を選んだこと。
遮ることなく橋田さんは頷いて聞いてくれた。
「橋田さんみたいな大人になんでなれないんだろう。この子だって、橋田さんのところになら、幸せになれたのに……」
「それは違うわ、美里ちゃん」
ここで初めて、橋田さんは否定を口にした。
その表情はいつもの明るさとは正反対のもので、苦しそうに見えた。
「私の娘はね、海外に行ってもう5年くらい帰ってこないの。仕事を理由にしているけど、私から離れたかったのは明らかで、いいお母さんじゃないのよ」
20代の娘さんがいるとは聞いていたけど、仲が良いんだと思っていた。
「ついついお節介を焼いてしまう癖が、家族として重荷だったんでしょうね。今なら分かるわ」
カランっと氷が鳴る。
その音で橋田さんの緊張は途切れ、笑顔が戻ってきた。
「でも、仕方がないわよね。私はこんな人間なんだから。放っておけない人の側にいること、私が一番やりたいことなの」
言い切る姿が眩しく見えた。
「どんな選択をしても、私はあなたを見捨てたりしないわ。間違っていてもいい。一人で育てる選択でも、全てを隠して柳さんとの未来を取るでも、相手の方と育てることにしても。ねえ、美里ちゃん。あなたは一番なにをやりたい?」
まだ答えは出せない。
だって、どの道を選んでも一番傷付くことになるのはこの子だから。
* * *
現実は待ってくれない。
4日後には病院の予約が入っている。
“次までによく考えてくること”と医師に言われたけど、答えは出せていない。
青獅が気に入っていたクッションに顔を埋める。
家にいる時は頼んでも絶対に手放してくれなかったのに、何で置いていくの、ばか。
スマホには青獅の電話番号は入っている。
ボタンを押せば話せるかもしれない。でも、
電話に出てくれる?
拒否されてない?
最後まで話を聞いてくれる?
どれか一つでも駄目だったら、どうすればいいの。
面と向かって話せないことが怖くて仕方がない。
――ねえ、今はどこにいるの?
それすら聞く勇気がない。
だんだんと彼を忘れて。
……そう思っていたのに。
忘れられるはずがないものを置いていった。
もし「恋人」だったら違ったのかな。
もし「家族」になっていたら違ったのかな。
……再会しなければ違ったのかな。
あったはずの選択を見ないふりしてきた、代償なのかな。
青獅を甘やかしていたはずなのに、自分に一番甘かったのかもしれない。
彼は新しい生活を始めたのに、今さらここに戻ってきてなんて、私には言えない。
「美里ちゃん」
シフトが合わずにいたので、数日ぶりに柳さんに会った。
相変わらず彼はきちんとした身なりの人だった。
「顔色が悪そうだけど大丈夫?」
気遣いまでちゃんとしてる。
それが今は、痛い。
「ちょっとしばらく、お食事は無理かもしれません」
何度も誘ってくれた。
それに、もう約束の一月は訪れているのに。
「体調が悪いなら仕方がないよ。元気になったら行こうね」
「……はい」
私は元気になれるのかな。
元気って、なんだっけ。
柳さんが仕事に戻ると、橋田さんが声を掛けてきた。
「もう今日の仕事は終わりよね? 一緒にご飯に行きましょう」
「……食欲がなくて」
「私の前で無理しなくていいの。残してもいいし、食べなくてもいい。ただ、ちょっとそばにいさせて」
心配されていることが伝わってくる。
これを断れるほど、今の私は強くなかった。
ファミレスに移動して、私はドリンクバーを頼んだ。
炭酸を選んだけど、オレンジジュースにすれば良かったと一口飲んでから後悔する。
私はいつも最適な選択を間違える。
橋田さんが「夜は眠れている?」と聞いてきたので首を横に振る。家で一人になると泣いてしまう。
「寝不足になるのも、マイナス思考になるのもみんなそうだからね。だって、身体に変化が起きている途中なんだから。いつもより不安になっちゃうわよね」
場所も忘れて涙腺がゆるみそうになる。
ポケットティッシュを差し出され、遠慮なく使わせてもらう。温かい眼差しに、本音をぽつりぽつりと漏らしてしまう。
「……バカなことばかりしてしまうんです。私はいい子じゃないから」
青獅とは中学の同級生だったこと。
成人式の日に再会したこと。
いつの間にか半同棲生活を送っていたこと。
私たちの関係は恋人なんかじゃなかったこと。
柳さんとの未来を選んだこと。
遮ることなく橋田さんは頷いて聞いてくれた。
「橋田さんみたいな大人になんでなれないんだろう。この子だって、橋田さんのところになら、幸せになれたのに……」
「それは違うわ、美里ちゃん」
ここで初めて、橋田さんは否定を口にした。
その表情はいつもの明るさとは正反対のもので、苦しそうに見えた。
「私の娘はね、海外に行ってもう5年くらい帰ってこないの。仕事を理由にしているけど、私から離れたかったのは明らかで、いいお母さんじゃないのよ」
20代の娘さんがいるとは聞いていたけど、仲が良いんだと思っていた。
「ついついお節介を焼いてしまう癖が、家族として重荷だったんでしょうね。今なら分かるわ」
カランっと氷が鳴る。
その音で橋田さんの緊張は途切れ、笑顔が戻ってきた。
「でも、仕方がないわよね。私はこんな人間なんだから。放っておけない人の側にいること、私が一番やりたいことなの」
言い切る姿が眩しく見えた。
「どんな選択をしても、私はあなたを見捨てたりしないわ。間違っていてもいい。一人で育てる選択でも、全てを隠して柳さんとの未来を取るでも、相手の方と育てることにしても。ねえ、美里ちゃん。あなたは一番なにをやりたい?」
まだ答えは出せない。
だって、どの道を選んでも一番傷付くことになるのはこの子だから。
* * *
現実は待ってくれない。
4日後には病院の予約が入っている。
“次までによく考えてくること”と医師に言われたけど、答えは出せていない。
青獅が気に入っていたクッションに顔を埋める。
家にいる時は頼んでも絶対に手放してくれなかったのに、何で置いていくの、ばか。
スマホには青獅の電話番号は入っている。
ボタンを押せば話せるかもしれない。でも、
電話に出てくれる?
拒否されてない?
最後まで話を聞いてくれる?
どれか一つでも駄目だったら、どうすればいいの。
面と向かって話せないことが怖くて仕方がない。
――ねえ、今はどこにいるの?
それすら聞く勇気がない。
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