約束の箱庭で、私たちは息を殺して愛し合う

音央とお

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「ほのちゃーん、お母さんが帰宅しましたよー!」

まだ日が昇り始める前だというのに、母は大きな声で帰ってきた。
でろんでろんに酔って、恋人である赤星に背負われている。

「こんな時間に起こすなんて、迷惑なもんだな」

欠伸をしている私を労うかのように。

長袖で腕は隠れていた。
あまり見たくないから、このほうがいい。

母を布団に寝かせると、赤星は片眉を上げた。
私がお弁当の準備を始めていたからだろう。

「茶でも淹れてくれないか」

「……はい」

それぐらいなら断る理由もなかった。
沸かしてあったポットのお湯を使い、マグカップに玄米茶を注いだ。

「どうぞ」

「ありがとよ」

――そういえば、可愛げのないガキって言われたんだった。
先日のことを思い出して、眉を寄せる。

赤星はダイニングテーブルの椅子に腰掛けたまま、何も喋らなかった。
母の部屋にでも行けばいいのに……。

爬虫類のような目が不気味だった。
まるで観察されているみたい。

「手慣れたもんだな」

出来上がった卵焼きに、そんな評価が下された。
我ながら上手くできたと思う。

「そんな小さな弁当箱で足りるのか? ろくなもんが入ってないじゃないか」

「……これで、いいんです」

卵焼きの他は、残り物だった。
これでも今日は豪華なほうなのに。

顔を伏せていると、男は何を思ったのか財布から一万円札を取り出した。

「ほら」

「……なんですか?」

「これで好きなもんでも食え」

関節の目立つ手を、じっと見つめた。
受け取る理由がない。

……なんでこんなことするの?

じれたように赤星はテーブルの上へと、お札を投げた。

「俺はガリガリの女に興味はないんだ」

……だったら構わなければいいのに。

「もっと肉をつけろよ。……足りてないぞ」

気に障る言い方だった。
そんなの余計なお世話だ。

手に取ることもなく、私は自室に戻る。
施しのつもりか何か知らないけど、嫌な気まぐれだなと思った。

あの目に、関わりたくもなかった。


*   *   *

相も変わらず、夕方のコンビニは忙しい。
特にレジ横のスナックコーナーは、男子たちに人気だった。

「からあげをください」

バスケットボール部のジャージを着た橙夜は、毎日のように立ち寄るようになっていた。
彼が言うには、私がここで働いていることをずっと知っていたそうだ。

『うちの学校で噂になっていたし、通りがかりによく見ていた』と、まさかの告白に目を丸くしてしまった。

私は数年ぶりの再会だと思っていたのに……。

「仄香のいない毎日なんて気が狂う。触れられないことだけ我慢していた、ずっと」

そう言ってされた時のキスには、喉が震えた。
橙夜に求められると、一緒にいたあの頃を思い出す。
私の気持ちは、ちっとも変わっていなかったようだ。

『二人だけの秘密』その閉塞感が、どこか苦しいことも。

そんな私を見透かしてしまうのが、岡部さんだった。

「最近よく見るイケメン――仄香ちゃん狙いだよね。……で、仄香ちゃんも満更ではない」

確信を持ったような言い方に、私の目は泳いでしまったかも。
図星すぎて、否定の言葉が出てこなかった。

「二人が並んだ時だけ、空間の作画のコストが違うんだよね」

「作画……?」

ちょっと何を言っているのか分からなかった。

「私の見立てでは、明るいスポーツマンの好青年だけど……裏の顔がありそう」

「……裏……」

「ギャップってやつですよ。……まあ、そんなの妄想の世界でしかないんだけど」

ケラケラと笑う岡部さんだけど、私はあんまり笑えなかった。
橙夜の嫉妬深さは、あの見た目に反すると思うから……。

バイトが終われば、『相思相愛の合図』のために橙夜と待ち合わせる。

コンビニの近くでランニングをしているそうで、息を切らしながらやって来る姿は、どこかワンコを思い出させた。
橙夜に尻尾がついていたら、激しく振っているのかも……。

そんな可愛い想像とは裏腹に、キスは大人の行為だと思う。
少し触れ合うだけなのに、冷静さを奪われるかのよう。

「約束を守れて偉いね、仄香」

「うん……」

橙夜の胸に顔を埋めながら、彼だけが満たしてくれる隙間があることを知る。
もっと、埋めてほしくなる。

だけど、これはいけないこと。
やくそくをまもっているのに、おとうさんにはしられたくない。

隙間が満たされるたびに、別の何かを失っている気がした。


*   *   *


ある日、家に帰ると赤星が待っていた。
母のいない時間にも関わらず、どうして……。

「こんな時間まで働いているんだな」

「……」

バイトの帰りではある。
でも、ここまで遅くなったのは橙夜と一緒にいたからだ。

「食えよ」

「え?」

ぶっきらぼうな物言い。
何かと思えば、テーブルの上には寿司折りが置いてあった。それもちゃんとしたお店の。

「こんなもの、貰えません」

「置いといても捨てるだけだ」

「……」

そんなことを言われれば良心が痛む。
無理矢理にでも食べさせる気らしい。

「なんで、こんなことを……」

「餌付けと思えばいい」

餌付け……。
私はペットか何かなんだろうか。

仕方がないので、食べることにした。
なぜか「ここで食べればいい」と引き留められて。
男のまとうオーラに、断れる雰囲気ではなかった。

「美味いか?」

「……はい」

いちいち反応を確かめられる。
ちゃんと完食すれば、満足気に笑われた。

それから赤星は、決まって手土産を携えてやって来た。

有名パティスリーのケーキ、高級店の焼肉弁当、名前だけは聞いたことのあるパーラーのフルーツ……。
品を変えるものの、どれも手間と金をかけたものだった。

さすがに、おかしい。

毎回言いくるめられて食べてしまっているけれど、これに慣れてしまいそうで怖かった。
少しずつ、少しずつ、抵抗が薄れていた。



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