あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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至福の時間に届いた荷物

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 ヴェルサーノの町はずれといえば、踏み固められた農道と畑だ。わたしの家はさらに歩いて森に入ったところにある。

 わたしが家に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。とはいえ、太陽はほとんど見えない。それくらい家の周りは木で茂っている。

 人工物はわたしの家しかなく、昼間でも薄暗い。苔が繁茂するのにちょうどいい場所だ。

 わたしの家は千年物の大木に扉をつけたような見た目なので、そんな環境に馴染んでいる。知らない人だと、気付かずに通り過ぎてしまうくらいだ。

 わたしは家の扉を開けた。外よりも少しだけ冷たい空気が顔に当たる。

 中はお世辞にも明るいとは言えない。天窓からの明かりが木漏れ日のおすそ分けなので、十分ではないのだ。

 それを嫌がる人もいるだろうけど、わたしからすれば落ち着けてちょうどいい。

 部屋の真ん中にある大きな机。その横にあるソファーに――正確にはそこに横たわるモフモフに飛び込んだ。

「ただいまです。ハロウル」

 孔雀青のモフモフはゆっくりと首をもたげてあくびをした。わたしの頭を丸かじりできるくらい大きな口には、わたしの指より大きい立派な牙が生えている。

『フクラ。抱き着くときは首飾りを外してからにしてって、いつも言ってるじゃん』

「へへ。そうでした」

 わたしはモフモフとわたしの間に挟まっていた首飾りを体の後ろ側に回した。

 大きな体なくせに少年みたいな声のモフモフは、はぐれ狼のハロウル。わたしが呼び捨てにする数少ない相手だ。

 よく勘違いされるけれど、ペットではない。一緒に住んでいるルームメイトみたいなものだ。ご飯は勝手に食べてくるし、散歩も勝手にしてくる。

 お世話といえば、たまに体を洗ってあげるくらいだ。それもモフモフを維持した方がわたしが嬉しいから勝手にやってるだけ。

『疲れてそうだね。今日はもう休むの?』

「いいえ。続きが読みたくて、急いで帰ってきたんです」

 わたしはモフモフを惜しみながら体を起こして、机を見た。そこにはまな板くらいの毛皮が三十枚ほど重ねて置いてある。

 これは鹿の毛皮だ。でもただの毛皮じゃない。

 ランタンをつけて、虫メガネで毛の下を覗いた。毛の下の皮には文字が刻まれている。

 文字といっても、人間が使うような文字ではない。普通の人が見ても、ダニさんの吸い跡にしか見えないだろう。

 これはダニさんの書いた文字なのだ。

 もちろん普通のダニさんには文字を使う生態はない。これは魔獣化したダニさんが書いたものだ。

 魔獣化というと怖がる人もいるけれど、なんてことない。翻訳術師を介して人間と交流を持つことで、その種としては異常なほど高度な知能を持つようになった個体。それが魔獣だ。

 ただの賢い動物といえば、怖くないってわかるはず。

 その魔獣が書いた本のことを、わたしは異日記と呼んでいる。異日記を読むのが、わたしの一番の楽しみだ。

 この異日記のタイトルは『ダニから見たキノコ学』。わたしは異日記の横に置いた紙を確認した。

「住居としての毒キノコ……でしたね」

 昨日までに読んだところと内容を確認する。

 この紙には異日記の内容をなるべく忠実に書き写してある。虫メガネがないと読めないのは不便だからというのもあるけれど、一番の理由はわたし以外の人でも読めるようにするためだ。

 翻訳術を使わないと異日記は読めない。だからどんなに読みやすい異日記でも、こうして書き写している。

 家の一番大きな本棚は、それらを製本したものでいっぱいだ。

 わたしは鹿の毛をかき分けながら『ダニから見たキノコ学』を読み進めた。文字が小さいのと、少し指を滑らしただけでも毛で文字が隠れてしまうので、どうしても読むのに時間がかかる。

 でもそれがつらいとは思わなかった。キノコに住むという、人間にはありえない世界観。それが現実に存在しているというだけで、心躍る。

 毒に侵されない齧り方や、胞子の安全な運び方や保管方法。そんなものは人間の規模では何の役にも立たない。

 それなのに――いや、だからこそ、頭の中がそのことでいっぱいになった。

『ねぇ』

 ハロウルが鼻先でわたしの腕を小突いた。顔を上げると、すでに辺りは暗くなっていた。どうやら、完全に日が落ちたようだ。

「すみません。集中してました。何かありましたか?」

『誰か来たみたいだよ』

 ハロウルの言葉に合わせたかのように、扉が叩かれた。

「ありがとうございます」

 わたしは簡単にお礼を言って、一度ハロウルの首元に顔を寄せてモフってから扉へと向かった。

 扉の向こうから、馬のちょっとした鳴き声と「妙に軽いな」という声が聞こえる。

 その声でプリッチャーさんとレナトさんだとわかったので、わたしはすぐに扉を開けた。

「こんなところまで、ありがとうござ――」

「すまねぇ! やられた!」

 レナトさんが木箱を抱えて馬車から飛び下りた。その木箱はわたしが入れそうなほど大きい。駆け寄ってくるレナトさんは、そんな大きな箱を抱えているとは思えないくらい、とても身軽だった。

 まるで――

「木箱に、何も入ってないみたいですね」

「ああ、まさにその通りだよ。蓋が閉じてたから、今の今まで気づかなかった」

 レナトさんがわたしの前まで来て、木箱の蓋を開けた。中をランタンで照らすと、レナトさんの言う通り何も入っていない。

「蓋が閉じていたということは、最初から何も入ってなかったんですかね?」

「いや、積み込んだときは人ひとり分くらいの重さがあった。きっと盗んだやつが発覚を遅らせるために、蓋を閉め直したんだ。長く馬車を離れたつもりはなかったんだが、すまねぇ。気づかなかった」

 レナトさんは歯を食いしばりながら、頭を下げた。

「頭を上げてください。悪いのは盗んだ人ですから。それにしても、箱の中身を根こそぎ持っていったのなら目立ちそうですけど、何が入っていたんですか?」

「たしか異世界語で生物なまものって書いてあったから、果物かなにかだと思うんだが、絶対とはいいきれねぇな」

 レナトさんは木箱から伝票を剥がして渡してくれた。

「レナトさんは異世界語が読めるんでしたっけ?」

「伝票によく書かれてる文字なら、なんとなく意味がわかるくらいだ」

 異世界語は翻訳術なしでは読めないのが普通だ。それなのに異世界語を伝票に書くなんて、変人かよっぽどの事情があるかのどちらかだ。

 依頼人の欄には異世界語でフルスーラ=ミルシァと書かれていた。わたしのお師匠様の名前だ。

「前者でしたか」

 内容物の欄に目を移すと――

「あ、これ生物なまものじゃないですね。似ていますけど生き物いきものって書いてあります」

「なんだって? じゃあこの中には、動物か何かが入ってたってことか?」

「伝票通りならそうなりますね。そうなると盗まれたのではなく、逃げ出した可能性もあります」

「いや、そいつはどうだろうな。動物なら逃げた後に、ご丁寧に箱を閉じたりなんてしないだろ」

 木箱の蓋はクサビを差し込むだけの簡単な作りだった。とはいえ偶然閉まるようなものでもない。

 確かに動物だったら閉めることはできないだろう。けれどお師匠様が送ってくるような生き物だったら別だ。

「入っていたのは、ある程度知能のある生き物だったんじゃないですかね。魔獣か、もっとありえそうなのは、人間ですかね」

「まさか。人間を物みたいに送ったりしないだろう」

「信じられないことに、うちの師匠なら、全然あり得るんですよね」

 わたしが苦笑いを返すと、レナトさんも気まずそうに苦笑いを浮かべた。

 まぁ、人の師匠なんていじりずらいだろう。

「他の荷物は無事でしたか?」

「ああ、中を確認したわけじゃないが、積んだときと様子が変わった荷物はなかったな。一つも荷台には残っちゃいないが」

 レナトさんは馬車に目を向けた。

「一つもですか? エアカイトで殺鼠剤が受け取り拒否されると言ってませんでしたっけ?」

「ああ、なんだか知らないが、受け取ってくれたよ。『問題は解決したんじゃないのか』って聞いたら、『これから解決するんだ』とか言ってたな」

「これから……?」

 嫌な予感がした。

 万が一に備えて殺鼠剤を持っておこうというのであれば問題ない。でももし、そうでないのなら――

 ここでゆっくり話している場合ではない。

「荷物については気にしないでください。きっと明日にでもなれば、目撃情報も出てくるでしょう。少し行くところができたので――」

 レナトさんが親指で馬車を示した。

「いいよ。乗ってけよ。エアカイトのことが心配なんだろ? 殺鼠剤の話を聞いたとたんに、怖い顔になってるぞ」

「いえ、しかし……」

 やはり馬車に乗るのには抵抗がある。馬車に目を向けると、プリッチャーさんと目が合った。

『乗っていくの? いいわよ。荷物が少なくて軽すぎるくらいだったの』

 確かに今は急がなければならない。わたしのこだわりのせいで、手遅れになったら絶対に後悔する。

 わたしは馬車に乗り込んだ。

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
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