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契約書はよく読んで
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『助けてくれるっていったじゃん!』
薄暗い取調室で異世界人のお姉さんが叫んだ。小さな机の向こうに座らされている彼女は、枝切ヤトコというらしい。
対面に座る保安官はイグルンさん。髪が白くなり始めたベテランの保安官で、異世界人の相手も初めてではない。
イグルンさんはランタンの光をヤトコさんの顔に当てていた。まぶしそうにしているヤトコさんの目は、一歩離れたわたしの方に向いている。
「保安官の方を向いてあげてください。必要なことなんです」
『こんなおじさんと話したって仕方ないじゃん! 言葉通じないんだからさぁ!』
ヤトコさんはわたしの方へと身を乗り出した。全くイグルンさんに目を向けそうにない。イグルンさんがわたしの方を向いて溜息をついた。
わたしもつられてため息が出てしまう。
「仕方ないですね」
わたしはイグルンさんの左に並んだ。
『やっと話を聞いてくれる気になった?』
「話は聞きますよ。それが仕事ですから」
わたしは人差し指を顔の前で立てた。ヤトコさんが少しだけ寄り目になる。
『なに? 何か始まるの?』
「はい。大丈夫ですよ。怖くありません」
人差し指を右へと動かしていく。それを追うように、ヤトコさんの目も動いた。
人差し指が顔の前を通過すると、イグルンさんは「なるほど」と呟いた。
「瞳にアーク神経がない。間違いなく異世界人だな」
イグルンさんが保護記録にその旨を書き込み始める。
わたしは指を引っ込めて、ヤトコさんに――
「よかったですね。とりあえずの身元確認は終わりましたよ」
そう伝えた。
『え? なにが?』
顔をしかめ、首を傾げるヤトコさんのために、わたしはランタンを顔の横に持ってきた。
「わたしの瞳の周りをよく見てください」
ヤトコさんの眉間にしわが寄るのを確認してから、わたしはゆっくりと視線を左右に動かした。
『瞳の周りがキラキラしてる……? コンタクトってわけじゃないの?』
「はい。瞳を囲む輪っか状の神経器官で、アーク神経といいます。この世界の生き物は例外なく持っている器官なので――」
『それがわたしに無いのを確認したかったってこと? それなら最初から言ってくれれば……っていうかそうなんだ。やっぱここはわたしの知らない世界なんだぁ』
ヤトコさんが机に突っ伏した。
「悲しいですか?」
『よくわかんない。不安十割、希望十割って感じ』
「ずいぶんとキャパオーバーしてますね」
ヤトコさんが机に体を投げ出したまま、顔だけを上げた。
『この後わたしはどうなるの?』
「ここに連れてきたのは聞きたいことがあったからです。どうかしたりはしませんよ」
『そうなの? てっきり町中で刀を抜いたから逮捕されたのかと思った』
「それくらいでは逮捕されないですね。まぁ、不審者として通報はされていたみたいですけど」
手元にあった通報記録に目を向けた。異世界人が迷い込んでいるという通報が何件かあったと記録されている。
その中に一件だけ、武器を振り回している人がいるという通報が混じっていた。
「いったい何をしていたんです? 人を襲おうとしていたわけではないですよね?」
『そんなことするわけないじゃん。あれは剣舞をやってたの。見た人がお金落としてくれるかもしれないから』
「ああ、ダイドーゲーというんでしたっけ? そちらの世界での文化ですよね。こちらの世界では馴染みませんよ」
『え? そうなの?』
「正確には『この国では』ですね。ここガスコープは契約国家といわれるような国です。契約のないことにお金を出す人はまずいません」
『うわ。詰んだ』
ヤトコさんはまた顔を伏せてしまった。
『言葉がわかんないんだから、契約なんてできないよぉ』
そのまま脱力したと思ったら突然、蛇を見つけた猫のように立ち上がった。
『待って! えっと……フクーラだっけ?』
ヤトコさんがわたしを指差した。自己紹介は取り調べの前にしている。
「ちょっと違和感ありますけど、それでいいですよ」
『フクーラになんとか神経があるってことは、異世界……いや、この世界の人なんだよね? フクーラと話せてるってことは、わたしの隠された能力が覚醒し始めてるんじゃないの?』
「いいえ。話せてるのは100%わたしの力のおかげですね」
机に頭を打ち付けるように、ヤトコさんは崩れた。イグルンさんが「おいおい大丈夫か?」と心配したくらいだ。
『フクーラ……一生養って』
「それは御免ですが、協力はするつもりですよ」
『……本当?』
ちらりと、上目遣いでこちらを見た。わたしよりも大きいくせに、子供みたいだ。
「それも翻訳術師の仕事なんです。そろそろこっちから質問してもいいですか?」
『ああ、そうだったね。聞きたいことがあるんだっけ?』
「はい。昨晩のことなんですが――」
そこまで言うと、ヤトコさんは耳を両手で覆った。
「……何やってるんですか?」
『イ、イヤ? ナニモオボエテ、ナイケド?』
「いや、そんなことないでしょう。広場で会ったとき、すぐにわたしのことわかりましたよね?」
ヤトコさんは頷くことも首を横に振ることもせず、何かをこらえるように目をギュッと閉じた。
様子がおかしい。何か事情でもあるのだろうか。
「昨日の事件の証拠として、ヤトコさんの証言が必要なんです。とりあえず、ヤトコさんが廃棄物置き場の物を口にしたかどうかだけでも――」
『うわー! やめてってば!』
ヤトコさんは耳を押さえたまま、首を横に振った。
『それは墓場まで持っていくって決めたの! なんなら今の今まで忘れられてたんだから、思い出させないでよ!』
「なるほど。廃棄置き場の物を食べたのが恥ずかしいから、話したくない。そういうことですか?」
ヤトコさんはたっぷり時間を使ってから、ゆっくりと頷いた。
わたしは思わず、机を叩いてしまった。
「ああいう場所の物を食べている動物だっているんです! それが恥ずかしいことだっていうんですか!」
「待て待て待て」
隣で椅子が動く音がして、しわの入った手がわたしの視界を遮った。
「お前さんの考えは偏ってんだからあまり押し付けるな。ゴミ漁るのを恥ずかしく思わなくなったら、人間おしまいだろう」
イグルンさんだ。大きな手の妙な威圧感に、わたしは一歩後ろに下がった。
「でも……いえ、すみません。取り乱しました」
『い、いやごめん。わたしも誰かのことを、悪く言うつもりはなかったんだよ』
ヤトコさんに少しは響いたみたいなので、少しジンジンする手の平も報われた気がする。
「それで、廃棄物置き場のものを食べましたよね?」
『うんまぁ、確かに食べたけど……それってわざわざ確認しなきゃいけないこと?』
「ゴランドさんがヤトコさんに罪をなすりつけようとするかもしれないので、必要なことですね。それで、どうしてあの場所に?」
『知らないよ。気がついたら箱に詰められてて、動けるようになって抜け出したらあの近くだったんだ。それで喉も乾いていたしお腹も限界だったから……』
「なるほどなるほど」
手元の書類に書き写していく。ヤトコさんのいう箱は、きっとわたしの家に届いた空っぽの箱のことだろう。
「誰に箱に詰められたのかは、覚えていませんか?」
『いや、それが全然覚えてないんだよね』
お師匠さまが強めの魔法でもかけていたのかもしれない。
「わかりました。その後のことはわたしも見ていたので、適当に書類作っちゃいますね」
ささっとゴランドさんとそのボディガード二人の特徴を書き込んで、判を押せば証言調書の完成だ。
それを渡すとイグルンさんは、一読してから「ふむ」と頷いた。
「横着したところは見逃してやる。まだ仕事は終わりじゃないからな。アジンとやらの
所にいって、被害届を作ってきてくれ」
「わかってます。今のとは別仕事なので、こっちの契約書にもハンコお願いしますね」
わたしはローブの内ポケットから契約書を二枚出した。イグルンさんはそれをパッと受け取って、そのまま二枚ともにハンコを押す。
ハンコを押してから違和感に気付いたのか、イグルンさんが契約書に目を通し始めた。
「証言調書の契約書は先に作ったよな。なんで二枚あるんだ?」
「それはですね……」
わたしは退屈そうに机に寄りかかっているヤトコさんの腕を掴み、立ち上がらせた。
「ヤトコさんをボディガードとして同伴させるので、そのぶんの契約書類です」
「なっ!? こっちで人件費払えってか? お前にゃボディガードなんて必要ないだろうが。まったくやってくれるぜ」
イグルンさんは深く溜息をつき、契約書を机に投げ出した。契約書には保安官の判であることを示すハヤブサの印影が、はっきりと残されていた。
薄暗い取調室で異世界人のお姉さんが叫んだ。小さな机の向こうに座らされている彼女は、枝切ヤトコというらしい。
対面に座る保安官はイグルンさん。髪が白くなり始めたベテランの保安官で、異世界人の相手も初めてではない。
イグルンさんはランタンの光をヤトコさんの顔に当てていた。まぶしそうにしているヤトコさんの目は、一歩離れたわたしの方に向いている。
「保安官の方を向いてあげてください。必要なことなんです」
『こんなおじさんと話したって仕方ないじゃん! 言葉通じないんだからさぁ!』
ヤトコさんはわたしの方へと身を乗り出した。全くイグルンさんに目を向けそうにない。イグルンさんがわたしの方を向いて溜息をついた。
わたしもつられてため息が出てしまう。
「仕方ないですね」
わたしはイグルンさんの左に並んだ。
『やっと話を聞いてくれる気になった?』
「話は聞きますよ。それが仕事ですから」
わたしは人差し指を顔の前で立てた。ヤトコさんが少しだけ寄り目になる。
『なに? 何か始まるの?』
「はい。大丈夫ですよ。怖くありません」
人差し指を右へと動かしていく。それを追うように、ヤトコさんの目も動いた。
人差し指が顔の前を通過すると、イグルンさんは「なるほど」と呟いた。
「瞳にアーク神経がない。間違いなく異世界人だな」
イグルンさんが保護記録にその旨を書き込み始める。
わたしは指を引っ込めて、ヤトコさんに――
「よかったですね。とりあえずの身元確認は終わりましたよ」
そう伝えた。
『え? なにが?』
顔をしかめ、首を傾げるヤトコさんのために、わたしはランタンを顔の横に持ってきた。
「わたしの瞳の周りをよく見てください」
ヤトコさんの眉間にしわが寄るのを確認してから、わたしはゆっくりと視線を左右に動かした。
『瞳の周りがキラキラしてる……? コンタクトってわけじゃないの?』
「はい。瞳を囲む輪っか状の神経器官で、アーク神経といいます。この世界の生き物は例外なく持っている器官なので――」
『それがわたしに無いのを確認したかったってこと? それなら最初から言ってくれれば……っていうかそうなんだ。やっぱここはわたしの知らない世界なんだぁ』
ヤトコさんが机に突っ伏した。
「悲しいですか?」
『よくわかんない。不安十割、希望十割って感じ』
「ずいぶんとキャパオーバーしてますね」
ヤトコさんが机に体を投げ出したまま、顔だけを上げた。
『この後わたしはどうなるの?』
「ここに連れてきたのは聞きたいことがあったからです。どうかしたりはしませんよ」
『そうなの? てっきり町中で刀を抜いたから逮捕されたのかと思った』
「それくらいでは逮捕されないですね。まぁ、不審者として通報はされていたみたいですけど」
手元にあった通報記録に目を向けた。異世界人が迷い込んでいるという通報が何件かあったと記録されている。
その中に一件だけ、武器を振り回している人がいるという通報が混じっていた。
「いったい何をしていたんです? 人を襲おうとしていたわけではないですよね?」
『そんなことするわけないじゃん。あれは剣舞をやってたの。見た人がお金落としてくれるかもしれないから』
「ああ、ダイドーゲーというんでしたっけ? そちらの世界での文化ですよね。こちらの世界では馴染みませんよ」
『え? そうなの?』
「正確には『この国では』ですね。ここガスコープは契約国家といわれるような国です。契約のないことにお金を出す人はまずいません」
『うわ。詰んだ』
ヤトコさんはまた顔を伏せてしまった。
『言葉がわかんないんだから、契約なんてできないよぉ』
そのまま脱力したと思ったら突然、蛇を見つけた猫のように立ち上がった。
『待って! えっと……フクーラだっけ?』
ヤトコさんがわたしを指差した。自己紹介は取り調べの前にしている。
「ちょっと違和感ありますけど、それでいいですよ」
『フクーラになんとか神経があるってことは、異世界……いや、この世界の人なんだよね? フクーラと話せてるってことは、わたしの隠された能力が覚醒し始めてるんじゃないの?』
「いいえ。話せてるのは100%わたしの力のおかげですね」
机に頭を打ち付けるように、ヤトコさんは崩れた。イグルンさんが「おいおい大丈夫か?」と心配したくらいだ。
『フクーラ……一生養って』
「それは御免ですが、協力はするつもりですよ」
『……本当?』
ちらりと、上目遣いでこちらを見た。わたしよりも大きいくせに、子供みたいだ。
「それも翻訳術師の仕事なんです。そろそろこっちから質問してもいいですか?」
『ああ、そうだったね。聞きたいことがあるんだっけ?』
「はい。昨晩のことなんですが――」
そこまで言うと、ヤトコさんは耳を両手で覆った。
「……何やってるんですか?」
『イ、イヤ? ナニモオボエテ、ナイケド?』
「いや、そんなことないでしょう。広場で会ったとき、すぐにわたしのことわかりましたよね?」
ヤトコさんは頷くことも首を横に振ることもせず、何かをこらえるように目をギュッと閉じた。
様子がおかしい。何か事情でもあるのだろうか。
「昨日の事件の証拠として、ヤトコさんの証言が必要なんです。とりあえず、ヤトコさんが廃棄物置き場の物を口にしたかどうかだけでも――」
『うわー! やめてってば!』
ヤトコさんは耳を押さえたまま、首を横に振った。
『それは墓場まで持っていくって決めたの! なんなら今の今まで忘れられてたんだから、思い出させないでよ!』
「なるほど。廃棄置き場の物を食べたのが恥ずかしいから、話したくない。そういうことですか?」
ヤトコさんはたっぷり時間を使ってから、ゆっくりと頷いた。
わたしは思わず、机を叩いてしまった。
「ああいう場所の物を食べている動物だっているんです! それが恥ずかしいことだっていうんですか!」
「待て待て待て」
隣で椅子が動く音がして、しわの入った手がわたしの視界を遮った。
「お前さんの考えは偏ってんだからあまり押し付けるな。ゴミ漁るのを恥ずかしく思わなくなったら、人間おしまいだろう」
イグルンさんだ。大きな手の妙な威圧感に、わたしは一歩後ろに下がった。
「でも……いえ、すみません。取り乱しました」
『い、いやごめん。わたしも誰かのことを、悪く言うつもりはなかったんだよ』
ヤトコさんに少しは響いたみたいなので、少しジンジンする手の平も報われた気がする。
「それで、廃棄物置き場のものを食べましたよね?」
『うんまぁ、確かに食べたけど……それってわざわざ確認しなきゃいけないこと?』
「ゴランドさんがヤトコさんに罪をなすりつけようとするかもしれないので、必要なことですね。それで、どうしてあの場所に?」
『知らないよ。気がついたら箱に詰められてて、動けるようになって抜け出したらあの近くだったんだ。それで喉も乾いていたしお腹も限界だったから……』
「なるほどなるほど」
手元の書類に書き写していく。ヤトコさんのいう箱は、きっとわたしの家に届いた空っぽの箱のことだろう。
「誰に箱に詰められたのかは、覚えていませんか?」
『いや、それが全然覚えてないんだよね』
お師匠さまが強めの魔法でもかけていたのかもしれない。
「わかりました。その後のことはわたしも見ていたので、適当に書類作っちゃいますね」
ささっとゴランドさんとそのボディガード二人の特徴を書き込んで、判を押せば証言調書の完成だ。
それを渡すとイグルンさんは、一読してから「ふむ」と頷いた。
「横着したところは見逃してやる。まだ仕事は終わりじゃないからな。アジンとやらの
所にいって、被害届を作ってきてくれ」
「わかってます。今のとは別仕事なので、こっちの契約書にもハンコお願いしますね」
わたしはローブの内ポケットから契約書を二枚出した。イグルンさんはそれをパッと受け取って、そのまま二枚ともにハンコを押す。
ハンコを押してから違和感に気付いたのか、イグルンさんが契約書に目を通し始めた。
「証言調書の契約書は先に作ったよな。なんで二枚あるんだ?」
「それはですね……」
わたしは退屈そうに机に寄りかかっているヤトコさんの腕を掴み、立ち上がらせた。
「ヤトコさんをボディガードとして同伴させるので、そのぶんの契約書類です」
「なっ!? こっちで人件費払えってか? お前にゃボディガードなんて必要ないだろうが。まったくやってくれるぜ」
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