あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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食べ物が欲しかっただけなんです

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 わたし『枝切やとこ』と、ペットを飼っている人との相性は最悪だ。

 犬猫関わらず、ペットの飼い主は得てして『おとなしい子だよ』とか言ったりする。

 でもそれは信用してはいけない。奴らは容赦なく吠えてくる。それがどんなに小さな子犬だったとしても、飼い主にどんなに媚びていたとしても、奴らは獣なのだ。

 飼い主の『この子の考えていることはわかる』なんていうのは幻想だ。奴らが何を考えているのかなんて、わかったもんじゃない。

 実際、わたしが吠えられるのを止められた人はいない。

 なぜだかそんなことを思いながら、わたしは目を覚ました。


~~~~~~~~~~~~~~~


 目覚めたのは、薄暗い部屋の中だった。わたしの部屋ではない。大きな本棚が、天窓からの微かな明かりに照らされている。月明かりだろうか。

「そっか。わたし倒れたんだ」

 残飯をあさって倒れた。それは覚えている。ローブを着た女の子に牛乳を流し込まれたのも。ついでに変な男たちを成敗した気がする。

「残飯……あさっちまったなぁ」

 水も食べ物もない箱に閉じ込められて数日。限界だった。とはいえゴミ捨て場に手を伸ばす自分を思いだすだけで、顔を両手で覆いたくなる。

 このことは墓場まで持っていこう。

 わたしが寝ているのはソファーのようだ。薄い布団が掛けられていたけれど、少し肌寒い。

 ローブを着た女の子は机を挟んで向こう側のソファーで寝ていた。わたしと違って布団をかけてはいない。代わりに、体の二倍はありそうな、大きなぬいぐるみに抱きついている。

 呼吸に合わせて、小さな体が上下に動いていた。とても深い呼吸のようで、女の子の体一つ分は動いている。

「……ん?」

 いや、おかしいだろ。女の子の呼吸だけでこんなに動くはずがない。

 目を凝らすと、やはり女の子の呼吸は見ているだけで癒されるような可愛らしいものだった。深く大きな呼吸をしているのはぬいぐるみだ。

 つまりこのぬいぐるみは――

「生きっ……!」

 悲鳴を上げなかったのは奇跡といっていい。子犬でも恐ろしいのに、自分の倍はある犬に女の子が抱き着いているのだ。

 その気になればわたしや女の子の頭なんて、一口で食べられてしまうだろう。

 そんなものの正面で寝ていられるわけもなく、わたしはソファーの背もたれに隠れて震えた。

 少しだけ近くなった本棚に、刀袋が立てかけてあった。それに手を伸ばし抱きしめると、少しだけ落ち着いた。

「と、とりあえず離れないと……」

 月明かりの中に、小さめの扉を見つけた。鍵のようなものはかかっていない。古そうな扉だったけれど、手をかけると音もなく開いた。

 扉の先がすぐに外だったのは、わたしにとって僥倖だ。

 わたしは思いっきり走った。あの獣が起きる前に、臭いでも追跡できないくらい遠くまで離れるのだ。

 森の中だったけれど、足元は思いのほか平らで足を取られることはなかった。婆ちゃんちの近くのあぜ道より、ずっと走りやすい。

 これならあっという間に離れることができそうだ。

「あ、そういえばお礼言ってない」

 その心残りのために戻る勇気は、わたしにはなかった。


~~~~~~~~~~~~~~~


 太陽が虹に囲まれている。珍しい天気だ。太陽が高いところまで来ても、その虹が消えることはなかった。まるでそれが当たり前かのように、太陽を囲みつづけている。

「ここはやっぱり、わたしの知らない世界なのかなぁ」

 少なくとも、ここは日本ではなかった。

 暖かい気候なのに、Tシャツみたいな簡単な格好の人はおらず、なんだか仰々しい服を着ている人ばかりだ。大きなマントを羽織っていたり、シンプルな物でもワンピースを麻ひもで留めていたりと、どこかコスプレのような雰囲気を感じる。

 そして当然のように言葉が通じない。日本語やもちろん。なけなしの英語も通じている雰囲気はない。さらにニイハオとかボンジュールとか、知っている限りの『こんにちわ』を色んな言語で試したけれど、怪訝な表情を返されるばかりだった。

「せめてスマホがあればなー」

 手元の荷物は愛刀のシシ落とし一本だけ。翻訳アプリに頼ることもできない。

 お腹が低く唸った。地面が揺れるんじゃないかと思ったくらいだ。

 結局あれから食べ物にはありつけていない。うまく意思疎通できないうえに、お金だって持っていないのだ。

 どうにかしてお金を手に入れなければ。言葉すらわからないわたしにとれる手段は限られている。

 わたしはシシ落としを刀袋越しに見つめた。

 もう手段は思いついている。あとは覚悟を決めるだけだ。

「背に腹は代えられないよね」

 わたしは広場の中央に出た。噴水があって周りにちらほらと人がいる。ちょうど噴水の前が空いていたので、そこに立ってガラス瓶を置いた。ジャムを入れるような瓶だ。ゴミ捨て場で拾った。

 刀袋を開いて、むき身のシシ落としを外に出してあげる。町中でこんなことをすれば、普通なら大騒ぎだ。

 でもこの町ではさほど問題ではないのか、近くにいた親子連れが少し距離を取っただけだった。

 注目が集まらなかったのは計算外だったけれど、近くにスペースができたのは好都合だ。

 わたしは刀を両手で握り、垂直に掲げた。普通の刀よりも長いシシ落としは、こうするだけでかなり目立つ。

 わたしの頭の中で雅楽が流れ始める。それとともに仮想の敵が見え始めた。

 イメージの中だけの彼らは、速くは動かない。雅楽に合わせてゆっくりと、それでいて滑らかに剣を振るう。

 わたしはその剣を受け流し、一撃を叩き込んだ。全力では動かない。一つ一つの所作を見せつけるように、ゆっくりと滑らかに、そしてわたしだけに聞こえている雅楽に合わせて剣を振るった。

 これは剣舞。刀を使った舞だ。

 わたしの使う剣術は『水梢流』。決闘に特化した剣術とされている。

 決闘で大事なことは勝利はもちろんだけど、もう一つ、自らの強さを誇示すること。

 だから水梢流は『魅せる』ことに重きを置いている。剣舞もその一つというわけだ。

 日本人による刀を使った剣舞。わたしの知る海外では大ウケのはずだけれど、果たしてここではどうか。

 今のところ瓶は空っぽ。一円にもなっていない。

 でも視線が集まっているのは感じる。もっと映える舞を見せれば、お金を投げてくれるかもしれない。

 飽きられる前にと、わたしは頭の中で流れる雅楽の節を少し飛ばした。

 少し調子の上がった拍子に合わせて、刀を水平に構えた。仮想の敵は刀で防御姿勢をとっている。

 わたしはその武器に向かって、刀を突き出した。今までの見せつけるための緩慢な動きではなく、全力に近い突きだ。

 シシ落としの強く反った先端は、刺突を強力な斬撃へと変える。体重の乗った一点集中の斬撃は金属の武器すらも容易く切り裂く。

 ――武器破壊。

 安易な殺傷よりも力の差を見せつけるその行為こそが、水梢流の花形だ。

 周囲からすればただの突きにしか見えなかったかもしれない。しかしメリハリの効いた刹那的な動きは目を惹いたはずだ。

「――――――」

 ほら。こうやって声をかけてきた。何を言っているのかはわからないけれど、男の人の声だ。

 言葉がわからないからといって、無視するわけにはいかない。瓶を指し示すくらいしよう。

 近くにいたのは二人組みの男だった。若いのと中年の組み合わせで、二人とも襟の詰まった紺色の服を着ている。同じ服を着ているあたり、制服か何かだろうか。

「―――――!」

 若い方の男が何か叫びながら棒を振った。ちょうど二の腕くらいの長さの、振りやすそうな棒だ。警棒のようにも見える。

「制服と警棒って……もしかしてなんだけど、警察?」

 どうしよう。別に悪いことをしているつもりはないけれど、日本にはない法律があるのかもしれない。

 いや、そもそも日本でも公共の場で刀を振ったら犯罪か。

 逃げなければ。言葉の通じない相手に、きちんと説明できる自信がない。

『あ、逃げないでください』

 心に直接響くような、不思議な声だった。そのせいか、心の中を見透かされているような、変な感覚がした。

 初めて聞く声じゃない。昨日の夜の記憶の中でも、強く印象に残っている。

「確か、昨日助けてくれた……」

『また助けに来ましたよ。異世界人さん』

 警察みたいな男二人の間を抜けて、ギリースーツみたいな色合いのローブを着た小柄な女の子が、わたしに向かって手を伸ばした。
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