あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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こっちのヤトコさんが本物です

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 宮殿跡は観光客でにぎわっているのに、受付の周りだけ変な静けさに包まれた。変なことを言われたせいだ。

「えっと……ヤトコさんがここに来たって、どういうことですか?」

 そうたずねると、お姉さんは重たそうに口を開いた。

「そのままの意味ですが……」

 お姉さんがヤトコさんを盗み見る。そして手で口元を隠し――

「この方ではなかったです。見た目の特徴は一致していましたが、間違いなく別の人でしたよ」

 そうささやいた。わざわざ小声にしたということは――

「今ここにいるヤトコさんを、偽物だと思ってるんですか?」

「だと思うのですが」

「イグルンさんの保護記録での仮登録ですよね? わたしもその場に立ち会ったので、この人がヤトコさんで間違いないですよ」

「え? そうなんですか? フクラさんの印はなかったような気がしましたが……」

 お姉さんは天井を見上げた。思い出そうとしているのかもしれないけれど、もっと早くて確実な方法がある。

「書類を見せてください」

「あ、はい。少々お待ちください」

 お姉さんはパッと振り向いて、机に置かれた書類に手を伸ばした。

「そういえば、少し前に使ったばかりなので近くにあるんでした。こちらですね」

 手渡された書類には仮登録証明書という表題と、ヤトコさんの名前。そして参考書類の欄に保護記録と書かれていた。

 一枚めくるとその保護記録が出てくる。そこには間違いなくイグルンさんのハンコが押されていた。そして翻訳術師の欄には――

「わたしのハンコが押されています。わたしが同席した保護記録で間違いありません」

「えっと……」

 お姉さんは書類を覗き込んだ。じっとわたしの印影を見つめる。

「確かに翻訳術師の判ですけど、誰のものかは、ちょっと判別が……」

「そ、そんなことないでしょう! よく見てください! ギリギリ判別できるはずです!」

 わたしが指さした印影は、確かに欠けている。それでもよく見れば、名前が読めるはず。

 よく見るまでは、そう思っていた。

「あっ……」

 それはとても調子が悪い時の印影だった。文字がつぶれているうえに、欠けている。

『フクーラはハンコ下手だもんね』

 ヤトコさんがケラケラと笑った。ヤトコさんのために頑張っているのに、なんだか理不尽だ。

 なんだか顔が熱くなってきた。

「わ、わかりました。納得できないのであれば、保護記録を作ったイグルンさんを呼んできます。それまで先に来たヤトコさんを、ルクルーンに通さないでください」

 書類をお姉さんの胸元に付き返すと、お姉さんは「それでしたら……」と続けた。

「女神さまはすでにお休みになられたので、先に来たエダキリさんにはお帰りいただきました」

「それならよかったです。女神さまのお休みの時間が早くて助かりました」

「おやつの時間になると、女神さまはもう出てこないんです。ただ……」

 お姉さんがわざわざ振り返ったので、何か持ってくるのかと思ったら、ただ書類を机に戻しただけだった。

 そして苦笑いを浮かべ、口を開いた。

「泉に……ルクルーンに入るための鍵をお渡ししたので、明日の朝には入ると思います」

「ダメじゃないですか!」


~~~~~~~~~~~~~~~


「それで、俺んとこに来たっていうのか?」

 髪が白くなり始めた年配の保安官――イグルンさんがメモを取りながら悪態をついた。宮殿跡に行く前に、猫さんのケンカを仲裁したお土産屋さんの前だ。

 イグルンさんは見せつけるように、深く息を吐いた。

「どうして厄介ごとばっかり持ってくるかね」

「厄介ごとを解決するのがイグルンさんの仕事じゃないですか」

「厄介ごとが起きないように、目を光らすのが俺の仕事だ。勘違いするな。まぁ、後で宮殿跡に寄って、エダキリ ヤトコだったか? 異世界人の潔白の証明くらいはしてやるよ」

 イグルンさんはわたしに一切目を向けず、しゃがんだ。

 さっきヤトコさんが気絶させた男が、後ろ手に縛られて座っている。それに目線の高さを合わせたのだ。

「そんな男なんて放っておいていいですよ! 勝手にケンカしてケガしただけじゃないですか!」

「お前さんが通報させたから、俺が出張ることになったんだろうが。何ならこいつを伸したのだって、ツレの異世界人だって話じゃねぇか」

 イグルンさんはやっぱりこっちを見ない。男の様子をうかがいながら、何やら手帳に書き込んでいる。

「大したケガじゃなさそうだが、急所をひと突きとは感心しないな。具合を間違えりゃ死ぬだろこれ」

「吹っ掛けてきたのはそいつです。ヤトコさんは猫さんを守ったんですよ。猫さんに話を聞いてきましょうか?」

「いや、いい。野次馬の証言でそのへんの裏は取れてる。そもそも、お前さんが嘘をついているとも思っちゃいない」

「じゃあ捜査なんてしなくていいじゃないですか」

「お前さんはいつも無茶苦茶言いやがる。おーいチーラス」

 イグルンさんが若い保安官を呼んだ。いつもイグルンさんと行動している保安官だ。細身で少し頼りないけれど、やたらと姿勢がいい。背中に棒が入っているんじゃないかと思うくらいだ。

 チーラスさんというらしいその保安官は、イグルンさんから一歩離れたところでぴたりと立ち止まった。

「なんでしょうか? イグルン保安官」

「ここ任せていいか? その男を牢にぶち込んで、一晩反省させときゃいい」

「承知しました。立件はしない方向でいいですか?」

「そいつが反省すりゃそのつもりだ。暴れたりするようなら、まぁそのとき考えようや」

 イグルンさんが立ち上がって肩を叩くと、チーラスさんはキレのある敬礼を返した。

 イグルンさんはチーラスさんに「行け」と指示をして、辺りを見回す。

「それで、なりすまされた本人はどこにいるんだ?」

「ルクルーンの入口を張ってます。なりすました犯人が、明日を待たずに来るかもしれないので」

「賢いじゃねぇか。そのまま待ってりゃそのうち捕まえられるだろう。もう解決したようなもんだ」

 イグルンさんが大きく口を開いて笑う。わたしは思わずため息をついてしまった。

「本気で言ってるわけじゃ、ないですよね?」

「ま、そうだな。ルクルーンに入るのを明日に回された時点で、犯人は逃げちまう可能性が高いな。なんたって、本人が来た時点でバレちまうような手口だ」

「じゃあさっさと犯人を捕まえてください」

「無茶いうんじゃねぇよ。人相をエダキリ ヤトコに似せてるんだろ? 目撃情報がごっちゃになって、精査しているうちにとんずらこかれるのがオチだ。俺にできんのは、宮殿跡の管理者に、セキュリティ指導するくらいだよ」

 イグルンさんは腰を叩きながら、坂を上り始めた。宮殿跡のある方向だ。

 ゆっくり歩いているように見えるのに、わたしは早足でないとついていけない。

「ルクルーンの鍵を持って行っているんですよ? 放っておくわけにはいきません」

「それはそうだが、どうしたんだ? お前さんは、そんな単純な正義感で動くような奴じゃなかっただろ。人間にゃ冷たいくらいだ」

「人間が悪いことをするからじゃないですか。今回だってそうです。わたしはこのなりすましの犯人は、ゴランドさんの関係者だと思ってます」

「ほう。そりゃまたどうしてそう思う?」

「犯人はヤトコさんの名前と外見を知っていたんです。そんな人、そう多くはいませんし、悪事を働く人は更に限られます」

「それがゴランドだっていうのか? 確かに、エダキリ ヤトコになりすました奴が裁判で証言すりゃ、逆転なんてこともありうるか」

 イグルンさんが立ち止まった。

「どうしたんですか?」

「いや、気づいちまったんだが……」

「なんですか?」

 イグルンさんが振り向く。

「いや、エダキリ ヤトコのことだよ。お前さんが人間の世話を甲斐甲斐しく焼くなんて珍しいだろう? よほど気が合うんだと思っていたんだが、もしかしてネズミたちのために、裁判の証人を囲ってるだけか?」

「そ、そんなのどっちだっていいじゃないですか。わたしは翻訳術師としての仕事を全うしているだけです」

 余計なことを言うイグルンさんの背中を押した。

「ほら。イグルンさんも仕事してください」

 イグルンさんは背中は石のように固くて重かった。全く動かない。

 力を入れすぎて、手が震えてきた。

 肩越しにこちらを見るイグルンさんは、意地悪そうに笑っている。

「若者の世話焼くのも、年寄りの仕事だろうが」

「そういうのは趣味っていうんですよ。お休みの日に人に迷惑かからないところでやってください」

「まったく。つれないこと言いやがる。まぁ、お前さんが楽しそうなのは何よりだ」

 イグルンさんの足が、ゆっくりと動き出す。

「だがさっきも言ったが、すぐに犯人は捕まらんぞ。ゴランドの関係者から洗い出すにしても、時間がかかることに変わりねぇ」

「そんなの、やってみないとわからないじゃないですか。受付でヤトコさんの潔白を証明したら、すぐに聞き込みでも始めてください」

「人使いが荒いったらありゃしねぇな。お前さんも手伝えよ。人に話を聞くくらいできんだろ」

「手伝いはしますけど、わたしはわたしにしかできないことをやります」

「何をするつもりだ?」

「この町に住んでいるのは、人間だけじゃないんですよ」

 わたしはイグルンさんを宮殿跡の入口に押し込んだ。

「じゃああとはよろしくお願いします。わたしは準備があるので」

 わたしはすぐに振り向いた。日が傾き始めて、道が空き始めている。

「おい! ちょっと待てって――」

 呼び止めるイグルンさんの声を振り切って、わたしは坂を駆け下りた。
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