あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

文字の大きさ
18 / 22

【その頃ヤトコ】フクーラ以外が翻訳術を使うなんて!

しおりを挟む
 フクーラにルクルーンの見張りを任されてから、だいぶ経った。暗くなってきて、観光客は一人もいない。

 そろそろ明かりが欲しいと思ったところに、ランタンを持ったおじさんがやってきた。

 ただのおじさんではない。襟の詰まった制服を着た保安官のおじさんだ。フクーラは一緒じゃない。

 おじさんは深く溜息をついて、無精ひげをガリガリと引っかいた。そして手招きをして、来たのとは別の方向に歩き始める。

「ついてこいってこと?」

 もちろんわたしの言葉は通じないので、返事なんてない。

 ついていくと、階段を上り始めた。

「この先でフクーラが待ってるの?」

 横に並んでそう聞くと、おじさんは渋い顔をして、人差し指を自分の口に当てた。静かにしろ――ということだろうか。

 そのまま三階分も階段を上ると、両開きの大きな扉があった。重そうな石の扉だ。

 おじさんはそれをノックもせずに開けた。

 夜に片足突っ込んでる時間とはいえ、暗い部屋だった。大きな窓が板張りになっている。なんだか気味が悪くて、入るのが憚られた。

 おじさんは気にならないのか、部屋の中程まで進んでいく。そしてランタンを床において跪いた。奥の暗闇から、人影が出てくる。

 あまり大きくはない。フクーラくらいだろうか。だが子供ではないと、なぜかそう思った。

 長い銀色の髪に、燃えるような赤い瞳。肌はパン皿のように白い。喪服のような黒いドレスには、大きな狼が刺繍されていた。

 まるで少女を模した人形だ。

 それは首から下げた黒い判子に口づけをし、おじさんの頭に押し当てた。

 おじさんは頭を上げて、言葉を交わす。当然わたしには、何を話しているのかはわからない。時折こちらを見て、手で示したりしているので、わたしの話をしているのだろうか。

 人形のような何かが手を払うように動かすと、おじさんは立ち上がって一礼し、こちらへと歩いてきた。そしてわたしの肩を叩いて何やら一言いってから、部屋を出ていった。

 それについていくという発想は、わたしの中に無かった。人形のような何かから、目が離せない。

 見た目はただの美しい少女だ。多少冷たい印象はあるものの、殺気のようなものは感じない。

 それなのに、なぜだろう。ヘビに睨まれたカエルとはまさにこのことで、捕食者と被食者ほどの差を、わたしは感じている。

 師である父以外に、こんなことを思ったのは初めてだ。

 手招きされたが、動けない。わたしはただ、刀袋を抱きしめることしかできなかった。

 人形のような何かはランタンを拾うと、霧のように姿を消した。そしてすぐに、わたしの眼の前に現れた。姿を探す間すらなかった。

「うっ……!」

 刀を抜こうとしたが、手が動かない。

 冷たい人差し指が、わたしの唇に触れた。言葉がわからなくてもわかる。黙れということだ。

 それがわたしに伝わったとわかったのか、人形のような何かは静かに微笑んだ。そして首から下げた判子に口づけをして、わたしの頭に押し当てる。

 それはなぜか、ほんのり暖かかった。

『どうかしら? わたしの言葉がわかる?』

 上品で大人びた声が、体の中で響いた。声質こそ違うものの、心に直接響くようなこの感覚には覚えがある。

「ほ、翻訳術……? フクーラと、同じ?」

『そう。フクラに教えてもらったの』

 人形のような何かは、わたしの手に触れた。氷のように冷たい。手渡されたランタンが熱く感じたくらいだ。

『わたしはニルウィスヴィント=ケサリア。この町の長だと思ってもらっていいわ。気軽にヴィーンと呼んでちょうだい』

 ヴィーンは穏やかな笑みを見せた。武器を持っている相手を前にして、穏やかでいられるのは実力者の証だ。わたしの父もそうだった。

『そんなに警戒しなくてもいいわ。と言っても無理なのでしょうね。人に警戒されないように、この姿で生まれ落ちるといわれているのだけれど、実戦経験の豊富な人間には無意味ね』

「それは、つまり……あなたは人間ではない、ということ?」

『そうね。わたしは吸血鬼。あなたたち人間からすれば、捕食者ということになるわ』

 やっと手が動いた。留め紐を解き、刀の柄を握る。

 だがそこまでだった。ヴィーンが柄に手を添えたのだ。

 子供でも撫でるように、軽く触れているだけだ。それなのに、1ミリも動かない。力を込めても、手が震えるだけだ。その震えすら、刀には伝わらない。

『あなたを傷つけるつもりはないわ。フクラのお友達なのでしょう? イグルンが言っていたわ』

「そ、そうだけど。それならどうしてわたしをここに連れてきたの?」

『あなたをかくまってほしいと言っていたわ。あなたになりすまそうとしている人がいるらしいわね』

 わたしが力を抜こうとすると、ヴィーンが先に刀から手を離した。

 敵わない。

「吸血鬼ってわたしの世界にはいなかったからわからないんだけど、捕食対象の人間を助けたりするの?」

『それは人間の努力の賜物としか言いようがないわね』

 ヴィーンはわたしにもう一度、ランタンを差し出した。刀を抜くときに手放してしまったのだ。ヴィーンはそれを、落ちる前につかんだのだろうか。

 わたしは刀袋を閉じて、ランタンを受け取った。

『こちらへどうぞ』

 奥に進むヴィーンについていくと、開いた棺桶が置いてあった。その横にテーブルがあり、ヴィーンはそこの椅子を引いた。

『どうぞ』

 わたしはその椅子に座った。必要以上にクッションが柔らかくて、落ち着かない。

 テーブルは少し変わっていた。大きさは二人掛けでちょうどいい正方形なのだけれど、柔らかい緑の布が張られている。

『少し待っていてね。ランタンはテーブルに置いていいわ。そのほうがよく見えるから』

 言われた通りにすると、ヴィーンは本棚のようなものを漁りはじめた。そしてすぐに小さな箱を二つ選んで、正面の椅子に座る。箱はスマートホンのパッケージくらいの大きさだ。

『翻訳術師は人間と人間以外の生き物をつなぐ存在。その相手は、人間より弱い存在とは限らないわ』

 ヴィーンが箱を開けると、カードの束が入っていた。そしてその中から、1枚選んでテーブルに置く。

 羊の絵が描かれていた。そして絵の下に――

「羊を2つ迎え入れる……?」

 日本語が書かれていた。

「これ、日本のゲーム?」

『そう。わたしからしたら異世界のゲームね。フクラが翻訳してくれたのよ?』

 ヴィーンが日本語の横を指さした。ペンを試し書きしたようなグルグルな線が引かれている。

「これがヴィーンの文字なの?」

『そうよ。この世界の人間ともまた違う文字だから、覚える必要はないわ』

 ヴィーンは振り返って、後ろの本棚に目を向けた。

『ここにはこの世界のゲームもあるけれど、全部人間が作ったものよ。フクラがいなければ、わたしが遊ぶこともなかったでしょうね』

「えっと、じゃあそのお礼として、人間を助けたりしてるってこと?」

『近いけれど、ほんの少しだけ違うわ。人間を脅かす存在と交渉して、人間の安全を確保するのも翻訳術師の仕事なの。わたしはフクラと約束をしたから、無暗に人を襲わないし、気が向けば人を助けることもある。ただそれだけよ』

 ヴィーンが燃えるような目で、わたしを見つめる。

 わたしは覚悟を決めた。

「もしその話が本当なら……」

 ヴィーンの目を見つめ返した。それだけで、心臓が凍りつきそうだ。これを相手に、フクーラは交渉したのだろうか。

「フクーラは本当にすごい女の子なんだね」

 ヴィーンは自分が褒められたかのように、くすぐったく笑った。

『そうね。そんなフクラとお友達のあなたは、とても幸運なのよ?』

 ヴィーンは羊のカードを箱に戻して閉じた。

『最近よく遊んでいるけれど、これは一人用のゲームなの。今日はせっかく相手がいるんだもの。二人で遊べるこのゲームで遊びましょう』

 ヴィーンが机の中央に置いた箱には、宝石の絵が沢山描かれていた。そしてその側面には――

「ねぇヴィーン。これ、3~6人用って書いてあるよ」

『あら?』

 目を合わせて、一緒になって笑ったヴィーンは、まるで普通の女の子のようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います

とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。 食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。 もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。 ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。 ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

処理中です...