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第四章 終わりゆく村
第13話 獣の咆哮
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森を吹き抜ける風が、焦げたような匂いを運んできた。
草を踏みつける音、枝を裂く音、それに混じる低く唸るような咆哮。
「ガルルッ!」
茂みの奥から飛び出してきたのは、背丈ほどもある牙獣だった。
灰色の体毛は斑に乱れ、粘液に濡れて光っている。
瞳は真っ赤に染まり、口元からは泡を垂らしていた。
「っち……またか」
俺は右足を後ろに引いて身構える。
獣は土を蹴り、一気に間合いを詰めてきた。
鋭い爪がこちらの喉元を狙って振り下ろされる。
瞬間、俺は重心を落とし、刹那の隙を突いて間合いへと踏み込んだ。
腰の短剣を抜く間すら惜しみ、拳を振るう。
顎先を狙った一撃が獣の骨を軋ませ、巨体がもんどり打って転倒した。
地面を転がる牙獣。だが立ち上がる気配はない。
そのまま痙攣を残して、沈黙した。
俺は深く息を吐き、拳についた返り血をぬぐった。
その足元には、角の生えた狼のような外見の獣が横たわっている。
だがその姿は、森に棲むただの獣とは異なっていた。
全身の毛並みはざらつき、目は赤黒く濁り、肩口には骨のような突起が生えている。
そして異様な筋肉の膨張と、皮膚を割って覗く紫色の血管が、その異常性を物語っている。
俺はその傍にしゃがみ込み、慎重に喉元へ短剣を突き立てる。
動かない。
念のため頭を踏み、息を確認してから立ち上がった。
「終わった。大丈夫か」
「……は、はい」
リュシアが一歩後ろから返事を返す。
フードを深くかぶったままの彼女は、緊張を残したまま視線を倒れた魔物に向けていた。
「……魔物というのは、やはり恐ろしいですね」
呟いた声は、空気に溶けるようにか細い。
無理もない。
彼女はこの旅の中で何度か魔物の姿を見てきた。
だが、これほど狂暴化した個体を目にするのは初めてだっただろう。
この世界には、多くの魔物が棲息している。
獣と似た姿をしているものもあれば、鳥のように空を舞うもの、人の形に近いものもいる。
もともとはただの動物だった――というのが、一般的な説だ。
だが何らかの理由で魔素を取り込み、あるいは魔力の濃い土地に生まれ、凶悪な存在へと変異した。
そうして生まれたのが魔物だ。
一定量以上の魔素を溜め込んだ生物は、その影響によって肉体と精神が変質し、知性を喪い、暴走する。
だからこそ、魔物は自然界の異常を知らせる指標にもなる。
その存在が増えたり狂暴化したりするのは、その土地が何らかの異常を起こしている証拠。
「こいつは……一見すれば獣型の魔物だが、少し様子がおかしい」
俺は死骸をもう一度見やる。
筋肉の張り方が異常だ。
以前遭遇した同種に比べ、明らかに一回り大きい。
「過剰な魔素の吸収、か」
「魔素……?」
単語を反芻するリュシアに、俺は頷きを返す。
「ああ。魔素、魔力。人の手には余る力だ」
人は魔力という得体の知れない力を体に宿している。
誰もが多少なりとも魔力を持ち、それを用いて魔術を行使する者もいる。
だがそれはごく一部の才能に恵まれた者だけ。
対して、自然界には多くの魔素が溢れている。
森、湖、山、そして地脈。
それらの中に溶け込むように流れる見えざる力は、気まぐれで、時に優しく、時に恐ろしい。
「……なる、ほど」
俺は振り向いて彼女の様子をうかがう。
するとリュシアはすぐ後ろで、胸に手を当てて息を整えていた。
旅を始めて一週間。
峠を越え、宿場町を抜け、こうして森の街道を進み続けている。
その間は宿の一つも無く、野営と味気ない食事を繰り返すだけの日々だ。
魔物の出現も重なり、体力的にも精神的にも、かなりの負担を強いられている。
リュシアはそんな中でも、常に前向きな言葉を口にしていた。
「もうすぐ次の町ですね」「あと少しでここを抜けるんですね」と。
足元がふらついても、笑顔だけは崩さなかった。
無理をしているのは、火を見るより明らかだ。
「この辺りで、一度村に立ち寄る」
俺は言いながら、手元の地図を広げる。
ざらついた羊皮紙の上に、森を抜けた先の小さな集落の印があった。
「えっ……でも、先を急いだほうが」
リュシアが言いかけた言葉を、俺は手のひらで制す。
「無理に進んでも足を引っ張るだけだ。どこかで一度、体制を整えたい」
「……そう、ですね」
リュシアは目を伏せ、こくりと頷いた。
その仕草が、なぜか妙に気にかかる。
無理を押してでも旅を続けようとするその姿勢は、健気というより……何かに追われているようにさえ見えた。
早くアジトに戻りたい俺からすれば好都合なことなのだが、体調を崩されて余計な足止めを食らうのは避けたい。
俺たちは地図を確認しながら、森の奥に続く道を進み始めた。
鳥の声はほとんど聞こえず、風の匂いも重い。
まるで森そのものが、息を潜めているかのようだった。
道の両脇に茂っていた木々が、次第に密度を減らしていく。
枝葉のざわめきが遠ざかり、日光の差し込みがわずかに増え始めた。
「……森を抜けるみたいですね」
リュシアがそっと口を開く。
疲労の影は表情の端に微かに残っていたが、その声色にはほっとした安堵がにじんでいた。
俺は頷き、足を止めて周囲を見渡す。
確かに前方には木立の切れ間が見えていた。
その向こう、かすかな煙と低い屋根が並ぶ影。
「見えた、あれだな」
口にすると同時に、リュシアの顔がぱっと明るくなる。
マントの中で拳を小さく握る彼女の姿に、少しだけ気が緩む。
だがすぐに表情を引き締め、歩みを再開させる。
切り開かれた草道を進んでいくと、やがて道の両脇に粗末な石積みの塀が現れた。
木造の門が半ば開かれ、風に軋む音を立てている。
その門の脇には、焦げたような文字で『ラグド村』と記された看板が吊り下がっていた。
草を踏みつける音、枝を裂く音、それに混じる低く唸るような咆哮。
「ガルルッ!」
茂みの奥から飛び出してきたのは、背丈ほどもある牙獣だった。
灰色の体毛は斑に乱れ、粘液に濡れて光っている。
瞳は真っ赤に染まり、口元からは泡を垂らしていた。
「っち……またか」
俺は右足を後ろに引いて身構える。
獣は土を蹴り、一気に間合いを詰めてきた。
鋭い爪がこちらの喉元を狙って振り下ろされる。
瞬間、俺は重心を落とし、刹那の隙を突いて間合いへと踏み込んだ。
腰の短剣を抜く間すら惜しみ、拳を振るう。
顎先を狙った一撃が獣の骨を軋ませ、巨体がもんどり打って転倒した。
地面を転がる牙獣。だが立ち上がる気配はない。
そのまま痙攣を残して、沈黙した。
俺は深く息を吐き、拳についた返り血をぬぐった。
その足元には、角の生えた狼のような外見の獣が横たわっている。
だがその姿は、森に棲むただの獣とは異なっていた。
全身の毛並みはざらつき、目は赤黒く濁り、肩口には骨のような突起が生えている。
そして異様な筋肉の膨張と、皮膚を割って覗く紫色の血管が、その異常性を物語っている。
俺はその傍にしゃがみ込み、慎重に喉元へ短剣を突き立てる。
動かない。
念のため頭を踏み、息を確認してから立ち上がった。
「終わった。大丈夫か」
「……は、はい」
リュシアが一歩後ろから返事を返す。
フードを深くかぶったままの彼女は、緊張を残したまま視線を倒れた魔物に向けていた。
「……魔物というのは、やはり恐ろしいですね」
呟いた声は、空気に溶けるようにか細い。
無理もない。
彼女はこの旅の中で何度か魔物の姿を見てきた。
だが、これほど狂暴化した個体を目にするのは初めてだっただろう。
この世界には、多くの魔物が棲息している。
獣と似た姿をしているものもあれば、鳥のように空を舞うもの、人の形に近いものもいる。
もともとはただの動物だった――というのが、一般的な説だ。
だが何らかの理由で魔素を取り込み、あるいは魔力の濃い土地に生まれ、凶悪な存在へと変異した。
そうして生まれたのが魔物だ。
一定量以上の魔素を溜め込んだ生物は、その影響によって肉体と精神が変質し、知性を喪い、暴走する。
だからこそ、魔物は自然界の異常を知らせる指標にもなる。
その存在が増えたり狂暴化したりするのは、その土地が何らかの異常を起こしている証拠。
「こいつは……一見すれば獣型の魔物だが、少し様子がおかしい」
俺は死骸をもう一度見やる。
筋肉の張り方が異常だ。
以前遭遇した同種に比べ、明らかに一回り大きい。
「過剰な魔素の吸収、か」
「魔素……?」
単語を反芻するリュシアに、俺は頷きを返す。
「ああ。魔素、魔力。人の手には余る力だ」
人は魔力という得体の知れない力を体に宿している。
誰もが多少なりとも魔力を持ち、それを用いて魔術を行使する者もいる。
だがそれはごく一部の才能に恵まれた者だけ。
対して、自然界には多くの魔素が溢れている。
森、湖、山、そして地脈。
それらの中に溶け込むように流れる見えざる力は、気まぐれで、時に優しく、時に恐ろしい。
「……なる、ほど」
俺は振り向いて彼女の様子をうかがう。
するとリュシアはすぐ後ろで、胸に手を当てて息を整えていた。
旅を始めて一週間。
峠を越え、宿場町を抜け、こうして森の街道を進み続けている。
その間は宿の一つも無く、野営と味気ない食事を繰り返すだけの日々だ。
魔物の出現も重なり、体力的にも精神的にも、かなりの負担を強いられている。
リュシアはそんな中でも、常に前向きな言葉を口にしていた。
「もうすぐ次の町ですね」「あと少しでここを抜けるんですね」と。
足元がふらついても、笑顔だけは崩さなかった。
無理をしているのは、火を見るより明らかだ。
「この辺りで、一度村に立ち寄る」
俺は言いながら、手元の地図を広げる。
ざらついた羊皮紙の上に、森を抜けた先の小さな集落の印があった。
「えっ……でも、先を急いだほうが」
リュシアが言いかけた言葉を、俺は手のひらで制す。
「無理に進んでも足を引っ張るだけだ。どこかで一度、体制を整えたい」
「……そう、ですね」
リュシアは目を伏せ、こくりと頷いた。
その仕草が、なぜか妙に気にかかる。
無理を押してでも旅を続けようとするその姿勢は、健気というより……何かに追われているようにさえ見えた。
早くアジトに戻りたい俺からすれば好都合なことなのだが、体調を崩されて余計な足止めを食らうのは避けたい。
俺たちは地図を確認しながら、森の奥に続く道を進み始めた。
鳥の声はほとんど聞こえず、風の匂いも重い。
まるで森そのものが、息を潜めているかのようだった。
道の両脇に茂っていた木々が、次第に密度を減らしていく。
枝葉のざわめきが遠ざかり、日光の差し込みがわずかに増え始めた。
「……森を抜けるみたいですね」
リュシアがそっと口を開く。
疲労の影は表情の端に微かに残っていたが、その声色にはほっとした安堵がにじんでいた。
俺は頷き、足を止めて周囲を見渡す。
確かに前方には木立の切れ間が見えていた。
その向こう、かすかな煙と低い屋根が並ぶ影。
「見えた、あれだな」
口にすると同時に、リュシアの顔がぱっと明るくなる。
マントの中で拳を小さく握る彼女の姿に、少しだけ気が緩む。
だがすぐに表情を引き締め、歩みを再開させる。
切り開かれた草道を進んでいくと、やがて道の両脇に粗末な石積みの塀が現れた。
木造の門が半ば開かれ、風に軋む音を立てている。
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