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1章 ぬえと鵺
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華也は、あぜ道を歩きながらきょろきょろと落ち着きのない振る舞いをしていた。
小柄な体躯に加え、丸顔で大きな瞳のせいもあり、同年代より幼く見られがちな彼女だが、凛とした魔導官としての佇まいがそれを妨げていた。しかし、今の彼女にそれはない。不慣れな地に戸惑う、一介の少女にしか見えなかった。
「……この村の家々は独特ですね。壁の造りもですが、あちこちに竹が走っていて」
彼女の言う通り、翆嶺村は他の村とは違い、独特な建築様式をとっている。
壁は二重の板で挟まれており、野暮ったいほどの厚みが外観から見て取れる。装飾だろうか、無数の竹が複雑に家の周囲を走り、場所によっては地中に潜っている。一軒や二軒ではない。視界に入るすべての家に同様の様式となっている。
「断熱と防寒を兼ねてるそうで」
「そうなのですか?」
「はい。それで、あの竹は中に水が通ってる。水道というそうです」
「水道ですか? 導入されているのはまだ都市部のみのはずですが」
華也は驚いたような顔で、ヨイに問う。拠点としている『御剣《みつるぎ》』においても普及率は五割ほどである。
「この村には技師様がいるのですか?」
彼女の疑問はもっともである。街から離れた、人口百人にも満たない小さな村、そこにでも都市部のみでしか普及していない水道があるのだ。
例えば、都で職を失った技師がこの村に流れ着き技術を提供している、と考えるのは自然なことである。
「技師……は、おりませんな」
しわだらけの顔が、小さくゆがむ。笑っているらしい。
「ただ、一人の変わった、得体のしれぬ者がおりまする」
「得体のしれぬ、ですか?」
「ええ……魔導官様は、神隠しというのをご存知ですかな?」
神隠し。前触れもなく人が唐突にいなくなるという現象。その名の通り、御神の仕業か、はたまた妖怪の仕業か。
「はい」
華也が頷きながら答える。ヨイはどこか遠くを見つめながら、語りだす。
「その者は、神隠しの逆、我々は『逆神隠し』と呼んでおりますが、突然村に現れたのです」
「逆神隠し……」
「あれは今から2年ほど前のことでしたか、我が家の裏で彼は倒れていました」
その光景を思い出す。
──梅雨明けの蒸し暑い夜、空に穴が開いているような満月が輝いていた日。白く淡い光が、山を色濃く照らしていた。
1日を終え、水浴びで汗を流し、寝床に入る。村は静まり返り、灯り1つない。聞こえるのは虫たちの合唱のみで、それを子守歌に眠るのがこの村で暮らす人々の常である。
だが、その晩は違った。意識も薄れ、夢の世界に誘われかけた、その時である。
虫たちの合唱を妨げるように、どんという物音が壁越しに聞こえてきた。この家には、ヨイしかいない。村人が訪ねてくるのなら、玄関から来るのが当然である。しかし、音は裏手、山に面した方向からであった。
猿か猪か、もしくは野党か。鍬を握りしめ、外に出る。乾ききっていない土の感触が、草履越しに伝わってくる。
一歩一歩、慎重に物音を立てぬように進む。羽虫がヨイの頬を叩く。
音のした場所を視野に入れる。そこに1つの小さな影があった。
薄い土壁に背をもたれかかせ、息も絶え絶えの少年。雪のように白かったであろう服は、血で赤く濡れている。こちらに気付くこともなく、ただ眉間にしわを寄せ、荒く浅い呼吸を繰り返している。
ただ事ではない。
鍬を放り投げ、駆け寄る。額に手を当てる。高い熱がある。素人目でも危険な状態であることは分かった。
この村に医師はいない。しかし、ある程度薬に精通しているものならいる。
しばし待たれよ、と言い残し、満月の元、駆け出した。
懐古の表情を浮かべながら、ヨイは続ける。
「3日3晩の看病であやつはようやく意識を取り戻しましてな……ただ、少々困ったことというか、理解のできぬことというか……」
「と申しますと?」
「なんでも、彼はここは何時代だやら何県だやら、訳のわからぬことを問うのですよ。怪我のせいかと思いましたが、完治しても変わらずじまいで」
小さくため息をつく。
ここがどこであるかも、何故こんな村に来たのかも、それこそどうやって来たのかも、全く要領を得ないものでして、とため息をつく。
「……ですが、その者なのです。建築技術を教えたり、水道を設計したり、それと……」
ヨイの視点が村の中央にある田畑に向けられる。
「今年は、年明けの暖冬の影響でどの村でも不作であると聞いておるのですが……魔導官様はこの光景をみていかが思われますか?」
田畑はこれでもかと言わんばかりに新緑の葉が多い茂り、風に揺れている。稲は金色にこそ変わっていないが、丸々と肥え、首を垂れている。
「とても不作には見えません」
「ええ、そうでしょう。これも彼によるものなのです。なんでも骨や鉱石などを混ぜた肥料らしいのですが、それを撒いただけでこうなったのです。彼が来てから、飢えや不作とは無縁なものとなりましてな」
歩みが止まる。華也とヨイの前にあるのは、1軒の平屋である。村長であるヨイのものと比べると1回りも2回りも小さく、装飾もないたいへん質素なつくりであった。
「ここがその者の、そして、貴女様を不浄の元まで案内する者の住処であります」
ヨイが扉に手をかけ、引く。所々が歪となっている扉が鈍い音を立てながら開かれる。
「六之介、六之介はおるか?」
りゅうのすけ、と華也はその名を記憶するために小さくつぶやく。
室内は、質素な外観とは裏腹にみっしりと物にあふれていた。土間にはいくつもの瓶が置かれ、鉱石や木材、竹材が収まっている。あちこちに丁寧に磨かれた工具が放り投げられ、鈍い光沢を放っている。そして、何よりも目を引くのが居間である。一見すると背もたれのない長椅子にも見える竹製の家具が鎮座し、その上には布団が敷かれ、不自然なふくらみが1つ。
「六之介! 何を寝ておるか!」
家主の許可を得ぬまま上がり、ヨイは布団を叩く。中から間抜けた悲鳴が聞こえてくる。
汚れた布団がずるりと動き、少年が姿を現す。
「……なんだよ、ばあちゃん……昨日は夜遅くまで水道直してて疲れてるんだよ。休ませて……」
寝ぼけ眼で、黒髪はぼさぼさとあちこちが跳ねている。特に二束は完全に重力に逆らい、昆虫の触覚のように揺れている。その様を見たヨイはあきれたように声を荒げる。
「修理は早めに済ませるよういっておいたじゃろうて! それに、わざわざ街から魔導官様が訪ねてくださっているのじゃ!」
まどうかん、と六之介がつぶやき、華也を見る。
「やあ、どうもどうも」
ぬるりという音がしそうな、ゆったりとした動きで起き上がる。
立ってみると、なかなかに背が高い。それに肌が白く、それでいて傷もない。辺境の地で育った人間ではないとわかる。
「初めまして。私は鏡美華也と申します」
丁寧にお辞儀をする。
六之介は、あーと小さく唸った後に、乱れた着流しを直し、寝癖を軽く整える。しかし、治らない触角が揺れる。
「ご丁寧にありがとうございます。自分は稲峰六之介と申します。どうぞよしなに」
「いなみね……様ですか」
「ああ」
「これ、魔導官様になんという口の利き方を」
「構いませんよ。このほうが私もやりやすいので」
それならば、とヨイは渋々といった具合だが、納得する。
「あー、んでなんだっけ? 不浄を見た場所まで案内するんだっけ」
「はい、稲峰様たちが不浄を見た付近までよろしくお願いできれば、ありがたいです」
「おーけーおーけー。ちょっと待ってね、着替えるから」
「おうけぃ?」
聞き覚えのない単語に華也は首をかしげる。
「ああ、了承したとか了解したとかいう意味だよ。英語……この時代だと南蛮語になるのかな」
それだけ言い残すと、六之介は家の奥へと消える。
「……申し訳ございません、なにぶん変わり者でして」
「いいえ、お気になさらず。ふふ、でも変わり者というのは事実のようですね」
海外の言語を知っているのは、そう多くない。
魔導官養成学校を卒業している華也でも、ろくに習っていないのだ。しかし、彼はそれを知っている。
物怖じしない態度でありつつ、口調も粗雑なものであったが、それは知識のなさから来るものではない。一言とはいえ、確かな教育を受けている片鱗が見て取れた。
得ている情報から、断定はできないが、貿易商あたりのご子息ではなかろうか。ならば、南蛮語を知ることも、育ちの良さも、農民とは思えない小綺麗さもつじつまが合う。
「おうけぃ、ですか……」
機会があれば使ってみよう、華也は思った。
小柄な体躯に加え、丸顔で大きな瞳のせいもあり、同年代より幼く見られがちな彼女だが、凛とした魔導官としての佇まいがそれを妨げていた。しかし、今の彼女にそれはない。不慣れな地に戸惑う、一介の少女にしか見えなかった。
「……この村の家々は独特ですね。壁の造りもですが、あちこちに竹が走っていて」
彼女の言う通り、翆嶺村は他の村とは違い、独特な建築様式をとっている。
壁は二重の板で挟まれており、野暮ったいほどの厚みが外観から見て取れる。装飾だろうか、無数の竹が複雑に家の周囲を走り、場所によっては地中に潜っている。一軒や二軒ではない。視界に入るすべての家に同様の様式となっている。
「断熱と防寒を兼ねてるそうで」
「そうなのですか?」
「はい。それで、あの竹は中に水が通ってる。水道というそうです」
「水道ですか? 導入されているのはまだ都市部のみのはずですが」
華也は驚いたような顔で、ヨイに問う。拠点としている『御剣《みつるぎ》』においても普及率は五割ほどである。
「この村には技師様がいるのですか?」
彼女の疑問はもっともである。街から離れた、人口百人にも満たない小さな村、そこにでも都市部のみでしか普及していない水道があるのだ。
例えば、都で職を失った技師がこの村に流れ着き技術を提供している、と考えるのは自然なことである。
「技師……は、おりませんな」
しわだらけの顔が、小さくゆがむ。笑っているらしい。
「ただ、一人の変わった、得体のしれぬ者がおりまする」
「得体のしれぬ、ですか?」
「ええ……魔導官様は、神隠しというのをご存知ですかな?」
神隠し。前触れもなく人が唐突にいなくなるという現象。その名の通り、御神の仕業か、はたまた妖怪の仕業か。
「はい」
華也が頷きながら答える。ヨイはどこか遠くを見つめながら、語りだす。
「その者は、神隠しの逆、我々は『逆神隠し』と呼んでおりますが、突然村に現れたのです」
「逆神隠し……」
「あれは今から2年ほど前のことでしたか、我が家の裏で彼は倒れていました」
その光景を思い出す。
──梅雨明けの蒸し暑い夜、空に穴が開いているような満月が輝いていた日。白く淡い光が、山を色濃く照らしていた。
1日を終え、水浴びで汗を流し、寝床に入る。村は静まり返り、灯り1つない。聞こえるのは虫たちの合唱のみで、それを子守歌に眠るのがこの村で暮らす人々の常である。
だが、その晩は違った。意識も薄れ、夢の世界に誘われかけた、その時である。
虫たちの合唱を妨げるように、どんという物音が壁越しに聞こえてきた。この家には、ヨイしかいない。村人が訪ねてくるのなら、玄関から来るのが当然である。しかし、音は裏手、山に面した方向からであった。
猿か猪か、もしくは野党か。鍬を握りしめ、外に出る。乾ききっていない土の感触が、草履越しに伝わってくる。
一歩一歩、慎重に物音を立てぬように進む。羽虫がヨイの頬を叩く。
音のした場所を視野に入れる。そこに1つの小さな影があった。
薄い土壁に背をもたれかかせ、息も絶え絶えの少年。雪のように白かったであろう服は、血で赤く濡れている。こちらに気付くこともなく、ただ眉間にしわを寄せ、荒く浅い呼吸を繰り返している。
ただ事ではない。
鍬を放り投げ、駆け寄る。額に手を当てる。高い熱がある。素人目でも危険な状態であることは分かった。
この村に医師はいない。しかし、ある程度薬に精通しているものならいる。
しばし待たれよ、と言い残し、満月の元、駆け出した。
懐古の表情を浮かべながら、ヨイは続ける。
「3日3晩の看病であやつはようやく意識を取り戻しましてな……ただ、少々困ったことというか、理解のできぬことというか……」
「と申しますと?」
「なんでも、彼はここは何時代だやら何県だやら、訳のわからぬことを問うのですよ。怪我のせいかと思いましたが、完治しても変わらずじまいで」
小さくため息をつく。
ここがどこであるかも、何故こんな村に来たのかも、それこそどうやって来たのかも、全く要領を得ないものでして、とため息をつく。
「……ですが、その者なのです。建築技術を教えたり、水道を設計したり、それと……」
ヨイの視点が村の中央にある田畑に向けられる。
「今年は、年明けの暖冬の影響でどの村でも不作であると聞いておるのですが……魔導官様はこの光景をみていかが思われますか?」
田畑はこれでもかと言わんばかりに新緑の葉が多い茂り、風に揺れている。稲は金色にこそ変わっていないが、丸々と肥え、首を垂れている。
「とても不作には見えません」
「ええ、そうでしょう。これも彼によるものなのです。なんでも骨や鉱石などを混ぜた肥料らしいのですが、それを撒いただけでこうなったのです。彼が来てから、飢えや不作とは無縁なものとなりましてな」
歩みが止まる。華也とヨイの前にあるのは、1軒の平屋である。村長であるヨイのものと比べると1回りも2回りも小さく、装飾もないたいへん質素なつくりであった。
「ここがその者の、そして、貴女様を不浄の元まで案内する者の住処であります」
ヨイが扉に手をかけ、引く。所々が歪となっている扉が鈍い音を立てながら開かれる。
「六之介、六之介はおるか?」
りゅうのすけ、と華也はその名を記憶するために小さくつぶやく。
室内は、質素な外観とは裏腹にみっしりと物にあふれていた。土間にはいくつもの瓶が置かれ、鉱石や木材、竹材が収まっている。あちこちに丁寧に磨かれた工具が放り投げられ、鈍い光沢を放っている。そして、何よりも目を引くのが居間である。一見すると背もたれのない長椅子にも見える竹製の家具が鎮座し、その上には布団が敷かれ、不自然なふくらみが1つ。
「六之介! 何を寝ておるか!」
家主の許可を得ぬまま上がり、ヨイは布団を叩く。中から間抜けた悲鳴が聞こえてくる。
汚れた布団がずるりと動き、少年が姿を現す。
「……なんだよ、ばあちゃん……昨日は夜遅くまで水道直してて疲れてるんだよ。休ませて……」
寝ぼけ眼で、黒髪はぼさぼさとあちこちが跳ねている。特に二束は完全に重力に逆らい、昆虫の触覚のように揺れている。その様を見たヨイはあきれたように声を荒げる。
「修理は早めに済ませるよういっておいたじゃろうて! それに、わざわざ街から魔導官様が訪ねてくださっているのじゃ!」
まどうかん、と六之介がつぶやき、華也を見る。
「やあ、どうもどうも」
ぬるりという音がしそうな、ゆったりとした動きで起き上がる。
立ってみると、なかなかに背が高い。それに肌が白く、それでいて傷もない。辺境の地で育った人間ではないとわかる。
「初めまして。私は鏡美華也と申します」
丁寧にお辞儀をする。
六之介は、あーと小さく唸った後に、乱れた着流しを直し、寝癖を軽く整える。しかし、治らない触角が揺れる。
「ご丁寧にありがとうございます。自分は稲峰六之介と申します。どうぞよしなに」
「いなみね……様ですか」
「ああ」
「これ、魔導官様になんという口の利き方を」
「構いませんよ。このほうが私もやりやすいので」
それならば、とヨイは渋々といった具合だが、納得する。
「あー、んでなんだっけ? 不浄を見た場所まで案内するんだっけ」
「はい、稲峰様たちが不浄を見た付近までよろしくお願いできれば、ありがたいです」
「おーけーおーけー。ちょっと待ってね、着替えるから」
「おうけぃ?」
聞き覚えのない単語に華也は首をかしげる。
「ああ、了承したとか了解したとかいう意味だよ。英語……この時代だと南蛮語になるのかな」
それだけ言い残すと、六之介は家の奥へと消える。
「……申し訳ございません、なにぶん変わり者でして」
「いいえ、お気になさらず。ふふ、でも変わり者というのは事実のようですね」
海外の言語を知っているのは、そう多くない。
魔導官養成学校を卒業している華也でも、ろくに習っていないのだ。しかし、彼はそれを知っている。
物怖じしない態度でありつつ、口調も粗雑なものであったが、それは知識のなさから来るものではない。一言とはいえ、確かな教育を受けている片鱗が見て取れた。
得ている情報から、断定はできないが、貿易商あたりのご子息ではなかろうか。ならば、南蛮語を知ることも、育ちの良さも、農民とは思えない小綺麗さもつじつまが合う。
「おうけぃ、ですか……」
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