猫不足の王子様にご指名されました

白峰暁

文字の大きさ
20 / 42

20 初恋

しおりを挟む

 アーサーの声は涼やかで、姿が見えない状態でも聞き惚れてしまうくらいなのに、話している内容がおかしい。
 それでも、私は物陰で心から安堵していた。
 ――アーサーが無事に戻ってきてくれた。
 折角だ。
 浮足立ったこの気持のまま、彼を喜ばせるようにしよう。


「……俺が聞いたのは幻の声だったのかもしれないな。だが、願いが叶うなら、今一度その天使の声を聞かせて欲しい……」
「にゃあ~」
「!?そこか!」
「私ですよ、殿下」
「……!ミーシャか!」


 影から姿を出した私は、アーサーにぺこりと礼をして、彼に確認する。


「お疲れ様です。殿下。……災厄討伐はどうでしたか?」
「ああ。確認しに行ったら小さなボヤが発生している程度のもので、早々に祓う事が出来た。この後はもう、部屋に戻るだけだよ。いつもこうならいいんだがな」
「それは良かったです。殿下はこの聖堂はよく来られるのですか?」
「ああ。君を初めて出迎えた場所は公的な儀式をする場で、俺もよく祈りの為に行く場所だ。あそこに比べるとここの聖堂は訪れる人も少なく、気分転換に丁度いいところだ。だから、空き時間がある時はたまに来るようにしている。……それにしても……」
「?」
「いや。最初、本当に猫がいると思ったんだ。ここはあまり人が来ない場所だから、こっそりと猫が住んでいてもおかしくないかもしれないと、一瞬思ってしまった。……ミーシャの技はすごいな。俺もあんな鳴き声が出せるようになれば、この飢えも自分で満たせるようになるだろうか……」


 アーサーはふっと笑った。
 私の技量を褒めているようで――その実、彼はどこか残念がっているのかもしれない。
 本当に猫がいると思ったら、幻だったのだから。
 災厄の被害者がいなかったとしても、実際に立ち回って問題解決までするのは大変なものだ。今のアーサーが疲れているのは確かだろう。

 ――彼をもっと癒やしてあげたい。

 そう思った私は、無言で立ち上がり、聖堂の隅にあるオルガンを開いた。そして、音を出す。聖堂の壁に反射する音は、メロディになっていなくともどこか綺麗だ。
 私は続けて鍵盤を叩く。ただし、何かの曲を弾く訳ではない。黒鍵盤を弾いてみたり、不協和音を流したり、とても人間が弾いているとは思えないような音を奏でた。
 アーサーは私を見て、無言でそっと隣に立ち、私の髪をふわふわと撫でた。


「……俺にはピアノの上で歩き回る猫が見えるよ。ありがとう、ミーシャ」
「ふふふ……」


 私の意図が通じたならば何よりだ。私を撫でるアーサーからはぽわぽわと魔力上昇の輝きが放たれている。

「意図しなかった事だが、今日は二回もミーシャと遊ぶ事が出来た。後は自由にしてくれて構わないよ」

 アーサーが目を伏せて言う。
 それを聞いて、私は考える。
 これから私は猫として振る舞わなくてもいいという事だ。
 では、私のしたい事は……。


 私はオルガンの椅子に座りなおし、両手を動かした。記憶を探りながら指を動かすと、懐かしい旋律が聖堂の中に響き渡る。
 未だ私の隣にいるアーサーは、私の手元をじっと見ながら口を開く。


「……初めて聞く曲だな。これは?」
「これは、私の故郷でよく聞いていた猫の曲です。私はピアノの心得は無いのですが、これは簡単な曲なのでよく弾いていました。猫踏んじゃったという……」
「猫を……踏む?」
「あっ」


 しまった。
 軽い気持ちで曲名を出したが、猫好きでこの曲に馴染みの無いアーサーはぎょっとするかもしれない。本来ベルリッツではこの曲は存在しないのだろう。
 私は慌てて追加で説明をする。

「……えっと、今は知っている人があまりいないみたいなのですが、昔はこのメロディの曲が色々な場所で練習曲として使われていたみたいなんです。場所によって歌詞が違って、一番ポピュラーなのは猫ふんじゃった、猫ふんづけじゃったら引っ掻いた、っていう歌詞なんです」
「そ、そうか。そりゃそうだろう……引っ掻くくらいで終わっているのが慈悲深いくらいだ……」
「そうですね。でも、他のところだと、もっと平和な歌詞になっている所もあるんですよ。ここでは……そうだな。猫なでちゃった、にしましょうか。猫なでちゃったらごろ寝した、みたいな感じで」
「ふふ。それは可愛らしい歌詞だな。猫は必ずしも撫でたら喜んでくれるとは限らないものだが」
「まあ、音楽にくらい願望を込めてもいいじゃないですか。私はそう思います」
「……。ミーシャは、色々なものを楽しむ事が得意なのだな……」


 アーサーはそう言い、目を伏せた。
 私は首を傾げて言う。


「殿下こそ、昔から様々な文化に触れてきたのではないですか。王宮で見た演劇は素晴らしいものでした。料理も毎日美味しいものが食べられて、いつも感動してしまいます。幼い頃からこういう環境にいたのなら、殿下も……」
「いや。俺は、なんというか……、新たに好きなものを作らないようにしてきたからな」
「……え?」
「対災魔法の契約で猫と触れられなくなってから、俺は考えるようになったんだ。いつかまた新たにこういった契約をする日が来るかもしれない。それなら何かに心を砕かない方がいい。だから、その日からは魔法や剣術の鍛錬に力を注ぐ事にした。他の事はなるべく考えないように。料理は栄養が取れるものを決まったメニューで出してもらうだけだ。だから、あの時ミーシャの質問に答えられなかったんだ……。すまなかったな」


 アーサーは陰った表情でそう嘯いた。
 そんな彼の言葉を聞いて、私の胸は痛む。
 アーサーは災厄を討伐する英雄だ。私も最初はそんな彼に憧れた。
 でも、周りからはその役割しか求められず、いつか彼は何もかもを諦めてしまうようになったのかもしれない。


 私は、そんなアーサーの手に手を重ねて呟く。

「殿下。私は……私は、殿下に好きなものを沢山見つけて欲しいです。時間がある時に、他に知っている曲を教えます。料理のレシピも。勿論、猫としても同じ時間を過ごさせてください」
「……はは。契約に入っているのは猫の事だけだった筈だ。君にそこまで苦労を強いるつもりは無い。そもそも、俺がそんな風に趣味を持ったって、周りにとっては喜ばしくない筈だ……」
「……。例え、今はそうだったとしても。未来を見据えて楽しみを見つけるくらい、いいではないですか。だって、災厄討伐が終わってからも、日々は続くのですから」
「討伐が……終わる?」
「はい」



 私の言葉に、アーサーは一瞬目を見開いた。その後、目を逸らして呟く。
「……。考えた事も無かったな。ミーシャ。ベルリッツの災厄は根が深い。きっと自分の代で終わらせる事は出来ないだろう。俺はそういう覚悟を持って過ごしている」
「……。それでも……、殿下の時間は災厄の討伐の為だけにある訳では無いです。私は貴方に助けられた身ですが……部屋で一緒に過ごす殿下の事も、同じくらいお慕いしています」
「……、それは……本当なのか?」
「はい。殿下は私の行いを褒めて下さいましたが、それは私本来の性質では無いのです。殿下がいつも私の行いを受け止めて沢山反応してくれるから、私は頑張ろうという気持ちになれたのです。災厄を祓う所ではなく、普段一緒に過ごしている殿下にこそ、私は力を沢山貰いました」
「…………」
「呪いの事情でそんな殿下の姿は他の方は知らないのだと思いますが……。きっと、他の方も私と同様に好きになってくれると思いますよ。そうだ、殿下は共に過ごしたいと思う方はいますか?私でよければ、王宮にいるうちに手伝いますよ」
「それは……。……――」



 アーサーは、私の言葉を受けて、戸惑ったように瞬きをした。何かを伝えようとしたのか口が開かれるが、言葉は何も発される事は無く、彼は迷うように目を伏せる。
 暫くして、聖堂に重い音が響き渡る。鐘の音だ。特定の時間を告げる鐘が王宮中に響き渡っている。


 私はちらりと天井を見上げて、アーサーから離れて言った。
「……もう遅い時間ですね。私はそろそろ私室に戻るようにします」
「そ、そうか。戻るのか。ミーシャ……」
「はい!」
「……今日は、色々ありがとう。もう遅い時間だが、俺はもう少しここにいる事にするよ」
「あ、はい!すみません、殿下はお疲れでしょうに長々と話をしてしまって……」
「いや。これは俺の問題で……。なんというか……。……、参ったな。うまく伝えられない……」
「やっぱり疲れているんですよ。ゆっくり休んで下さいね。猫をお世話している飼い主なら、体調を整えるのも大事な事ですよ」
「猫……ああ……まあ、そうだな。うん、お休み、ミーシャ。また明日」
「はい!」



 私はアーサーに礼をして、椅子から立ち上がる。
 戻る準備をしながら、私は先程のアーサーの沈黙の事を考えていた。

 アーサーは私の質問に答えなかった。彼の中にも色々な考えがあるのだろうが、恐らく立場上平民である私には伝えられない事なんだろう。
 カウンセリングの事もあって私達は近い距離にいるけれど、立場を弁えず踏み込みすぎてしまったかも――。次からは気をつけよう。


 反省しつつ、そっとアーサーを一人にした。
 私が聖堂から出る時になっても、アーサーは聖堂の長椅子に座って何か考え込んでいるようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

冷遇されている令嬢に転生したけど図太く生きていたら聖女に成り上がりました

富士山のぼり
恋愛
何処にでもいる普通のOLである私は事故にあって異世界に転生した。 転生先は入り婿の駄目な父親と後妻である母とその娘にいびられている令嬢だった。 でも現代日本育ちの図太い神経で平然と生きていたらいつの間にか聖女と呼ばれるようになっていた。 別にそんな事望んでなかったんだけど……。 「そんな口の利き方を私にしていいと思っている訳? 後悔するわよ。」 「下らない事はいい加減にしなさい。後悔する事になるのはあなたよ。」 強気で物事にあまり動じない系女子の異世界転生話。 ※小説家になろうの方にも掲載しています。あちらが修正版です。

聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ
恋愛
侯爵令嬢リリアーナは、王太子に「地味で役立たず」と婚約破棄され、食糧難と魔物に脅かされる最果ての辺境へ追放される。しかし彼女には秘密があった。それは前世日本の記憶と、食べた者を癒し強化する【奇跡の料理】を作る力! 絶望的な状況でもお人好しなリリアーナは、得意の料理で人々を助け始める。温かいスープは病人を癒し、栄養満点のシチューは騎士を強くする。その噂は「氷の辺境伯」兼騎士団長アレクシスの耳にも届き…。 最初は警戒していた彼も、彼女の料理とひたむきな人柄に胃袋も心も掴まれ、不器用ながらも溺愛するように!? さらに、美味しい匂いに誘われたもふもふ聖獣たちも仲間入り! 追放令嬢が料理で辺境を豊かにし、冷徹騎士団長にもふもふ達にも愛され幸せを掴む、異世界クッキング&溺愛スローライフ! 王都への爽快ざまぁも?

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

処理中です...