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前編
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通称劇場街の一角、その奇妙な店は古い木彫りの看板を掲げていた。
『「夢占」あやかし太郎』
店主は若いキツネのあやかしで、祖父の後を継ぎ、二代目「あやかし太郎」を名乗っている。
アイスでも買ってくるか、そう言って立ち上がった彼の見た目はと言えば、アロハシャツにサングラス。髪型はいわゆるメンダン。無造作に伸ばした金髪を後ろで団子にまとめている。彼に言わせると「サムライヘアー」だ。
初代あやかし太郎の時代は、今はなきキツネ横丁に店を構え、政府要人の夢まで占っていたという由緒ある店。初代に関しては、その人物像、占い方法もすべてが霧の中でありミステリアス。歌舞伎役者のような和装の似合う正統派二枚目という噂もあった。
二軒隣のお茶屋のアイスもなかを食べ終えた二代目太郎はソファに寝そべり足を投げ出し、スマホをいじりながら客を待つ。
ヒマなので宣伝投稿でもしておこう。
「おはよ!夢ならおまかせ、あやかし太郎!
ペア割り、学割、昼間割りもあるよ。ペア割りと学割は併用可だよん!
先着限定10名様限り」
この店は、シャッターが目立つ風流劇場街商店街が、空き店舗対策として若者向けに格安で貸し出しているチャレンジ店舗の一つだ。
薄暗いアーケード商店街には、古いホーロー看板、純喫茶店のショーケースにメロンソーダ、ナポリタン。今はさびれているが、かつて映画が娯楽の王様だった頃の賑わいを今に残すこの商店街は昭和レトロ感満載で彼の店も案外と周りになじんでいた。
土曜日の午後、予約していたカモ……ではなく、客が入ってきた。疲れ顔の30代前半くらいのサラリーマンだ。
「いらしゃーい」
太郎の声に、男は「あ、ども」と気のない返事をしながら、薄暗い店内を見回した。中央に置かれた応接セットは古めかしくどっしりとしていて、壁には流ちょうな書が額装されている。
「夢は裏なり、現(うつつ)は真(まこと)」
「願(ねがい)は海(うみ)へと、還(かえ)りて解(と)けん」
初代の筆で、夢占の極意が書かれているらしい。オリエンタルなお香がたかれ、ランプの灯り揺れる中、彼はカウンターの椅子に案内された。この店舗、元はバーだったものを活用しているのだ。
「さぁ、今日、占う夢とはどんなものでしょうか?」
二代目太郎が促すと、男は重い口を開いた。
「はい、実は毎日、無限階段を上っても上ってもゴールが見えない夢を見るんです……」
太郎は男の表情を観察した。疲労の色が濃い。シャツの襟が少しよれている。靴も手入れが行き届いていない。典型的な現代のストレス社会の犠牲者だ。
「わかります」太郎は共感を示すように小さく相槌を打つ。
「お仕事、忙しそうですね。通勤は車で?」
太郎は意図的に一般的な通勤手段から聞いた。地方なら車、都市部なら電車。どちらに答えても次の質問につなげられる。
「いいえ、電車で1時間です」
地方都市にしては珍しいなと、太郎は相手の言葉尻を掴む。長時間通勤は現代人の大きなストレス要因の一つだ。
「たいくつじゃないっすか?一時間って結構長いですよね」
「ゲームやってますから、あと缶コーヒー飲んだり」
ビンゴだ。太郎の頭の中で推理が完成した。長時間通勤でゲーム、缶コーヒー。おそらくソーシャルゲーム。そして疲れ顔から推測するに、課金で悩んでいる可能性が高い。
「あ、今、コーヒー淹れますんで」
太郎がセットしてあるドリッパーに湯を注ぐと、たちまちコーヒーの豊潤な香りが広がる。その慣れた優雅な手つきに、男は毎朝缶コーヒーで済ませる自分を思い出し、なんとなくうらやましく思った。
「で、ゲームは、なに?俺はね、ゲームは卒業したんだけどさ。今更アイドルにはまっちゃて、推し活大変よ」
太郎は自分の話を交えて相手の警戒を解く。同時に「ゲームを卒業した」というフレーズで、暗にゲームからの脱却を示唆する。
「はい、今コマーシャルもやってるソシャゲで人気あるんですよ。もちろん楽しいです。あ、ガチャってわかりますか?」
「わかりますよ」
男は照れたように頭をかき、出されたコーヒーに口をつけた。「そのガチャがね、結構盛り上がっちゃって」
太郎は心の中でガッツポーズした。予想通りだ。ガチャ、つまり課金への言及。そして「盛り上がっちゃって」という表現に、自制が利かない状況への自己弁護が見て取れる。
太郎は一応悩むふりをしたあと、重々しく口を開いた。演技だ。相手に「深く考えてくれている」と思わせるための間をとる。
「ハイ、あなたの夢ね、それ、いわゆる『無限ループ』ってやつっすね」
口調はあくまで軽い。難しい専門用語を使いつつ、親しみやすい口調で話すことで、「知識があるけど身近な存在」という印象を与える。
「ソシャゲの課金がやめられないってとこでしょ?課金やめればループも終わるんでOK。無料の石だけでもいいじゃん」
サラリーマンは目を丸くして固まった。図星だったらしい。
太郎は観察から得た情報を総合し、核心を突く。これが初代あやかし太郎直伝、夢占いの真骨頂だ。相手の反応を見ながら、当たっているかどうかを確認する。
「それに、あんた顔色悪ぃし、目の下にクマもできてるぜ?その夢もさ、単に寝不足なんじゃねーの?もっとグッスリ眠れば、無限階段も、サクッと登れるようになるんじゃね?」
太郎は見た目から読み取れる情報を伝える。これは相手に「この人は私のことをよく見ている」という印象を与える効果がある。
そして、太郎はサシェの小袋をサラリーマンのポケットに無理やり突っ込んだ。サシェとは乾燥させたハーブを詰めた匂い袋である。袋は香りがもれだすようにと布で作られている。
その香りは、ラベンダーだった。昔から、安眠効果があるとされる紫色の花でフレッシュなスーッとする香りと、どこか甘さのある香りを合わせ持つ。
男が太郎の顔をまじまじと見ると、彼はドヤ顔で言った。
「病も気から、匂いから!って……昔から言うよね!」
そんなことわざ、聞いたこともない。男は面食らった顔のまま、サシェの優しい香りをかいでみた。
なかなかいい香りだ。彼は思いだす、幼いころ母が大事にしていた紫色の石鹸の香りを。母はそれをお風呂で使うのではなく、タンスに入れていたのだ。
占いからの帰り道、「今夜あたり、母さんに電話してみようか」と、男はひとりごちた。
占いは胡散臭かったし、結局あの若造に説教されただけかもしれない。しかし、不思議と気分は悪くなかった。
このサシェの香りが、昔から胸の内にあった小さな謎を解き明かしてくれたからだ。「あれは、ラベンダーという香りだったのか」そう気づいただけで、どこか心がほぐれ軽やかになったような気がした。
*
やれやれ、次の客が来るまで時間をつぶそうと太郎は漫画を手に取った。「最強で最高なあやかし様が、ケモミミ美女と美少女と天下を取る件」なんて胸躍るタイトルだ!
夕方になりようやく訪れた客は、OL風の制服を着た女性だった。彼女もまた、疲労の色を隠せない。
太郎は彼女の様子を素早く観察した。肩が内側に丸まり、目元にも疲れが見える。
お仕事は……事務職あたり?ストレスたまってそうだなー。
「はい、これどうぞ」
太郎はコーヒーではなく、どくだみ茶を彼女の目の前に出した。
彼女は席に座るなり語り始めた。
「いつも見る夢。石を積んだそれが山になって、窒息しそうになる夢を見るんです。現実でもオフィスで書類が山になって、締め切りに追われて、もうヘトヘトで」
「ふむふむ、よくある夢です」
太郎は「よくある」という言葉で、彼女の体験を一般化した。これにより、彼女は自分だけが特別に悩んでいるわけではないという安心感を得る。
一通り話し終えた彼女は、湯呑に口をつけた。
「へ~、こんなひなびたお茶があるのね、お局様にはぴったりかも……」
彼女は自嘲するようにそう呟く。
なるほどねぇ、この発言から、太郎は彼女が職場での立場や年齢にコンプレックスを抱いていることを読み取った。
「え?お狸様?そう、このお茶ね、狸山の道の駅で売っててね、胃腸にいいらしいですよ」
太郎は彼女の自虐的な発言を軽く流し、お茶の効能について話しだした。
そして今回も腕を組み、難しい顔で悩むそぶりをしながらゆっくりと口を開いた。
「うーん、書類の山ねぇ。それ、夢っていうか、現実が夢になってるレベルじゃないかな。マジやばいっすわ」
女性は深くため息をついた。
「でも、人手不足で……」
「あなた責任感があるんすね。バックレっちゃったらいいのに」
太郎は彼女の責任感を褒めつつ、極端な選択肢を提示する。これにより、彼女は「そこまでではない」と感じ、より現実的な解決策を受け入れやすくなる。
「ふふ、それができればね。私、学生の頃から真面目にコツコツやるくらいしか、とりえがないし」
ふむふむと腕を組んで話を聞いていた太郎が、急に大きな声を出した。
「これはね、もう夢とかそういう次元じゃないっすよ。肉体が悲鳴あげてます。えーと、これね、うちの爺ちゃんがよく言ってたんすけど、疲れた時は温泉に行ってね、酒も飲んでみたらいいっすよ。
あ、じいちゃんっていうのは、初代あやかし太郎。昔は政府要人の夢占までやってたんすよ」
ここぞとばかりに、初代の経歴を出す太郎。
そして、実際に行動に移しやすい解決策を提示してみせた。
女性は「温泉?お酒?」と目をぱちくりさせる。
「そうそう!のんびりゆったりお湯につかって、おいしいもん食って。現実から物理的に離れてみ?夢なんて、そしたら綺麗サッパリ忘れるから。はい、これ、温泉地のパンフレット。サービスね!」
太郎が差し出したのは、なぜか「狸山温泉バスツアー」のパンフレットだった。
「バスツアーで行くとさ、安いうえに、一人で参加の会なんかもあってね。温泉友達もできるらしいよ」
女性はどこか吹っ切れたような顔でパンフレットを受け取って帰っていった。家に帰った彼女がパンフレットを開いてみると、そこには拙い字で書かれたメモが挟まれていた。
「月90時間残業ってさ!あなたの会社立派なブラック企業だってば。真面目で頑張り屋なら、他の会社でも輝ける!」
小さなユニットバスの湯につかりながら彼女は決心した。とりあえず、月曜出社したら有給申請だ。嫌な顔をされるだろうが、気にするものか。
狸山温泉ツアーは今晩ネット予約だ。どくだみ茶を土産に買ってこよう。明日は旅行用の服を買いに行くのもいい。
お湯の中で彼女は心が解れていくのを感じた。
『「夢占」あやかし太郎』
店主は若いキツネのあやかしで、祖父の後を継ぎ、二代目「あやかし太郎」を名乗っている。
アイスでも買ってくるか、そう言って立ち上がった彼の見た目はと言えば、アロハシャツにサングラス。髪型はいわゆるメンダン。無造作に伸ばした金髪を後ろで団子にまとめている。彼に言わせると「サムライヘアー」だ。
初代あやかし太郎の時代は、今はなきキツネ横丁に店を構え、政府要人の夢まで占っていたという由緒ある店。初代に関しては、その人物像、占い方法もすべてが霧の中でありミステリアス。歌舞伎役者のような和装の似合う正統派二枚目という噂もあった。
二軒隣のお茶屋のアイスもなかを食べ終えた二代目太郎はソファに寝そべり足を投げ出し、スマホをいじりながら客を待つ。
ヒマなので宣伝投稿でもしておこう。
「おはよ!夢ならおまかせ、あやかし太郎!
ペア割り、学割、昼間割りもあるよ。ペア割りと学割は併用可だよん!
先着限定10名様限り」
この店は、シャッターが目立つ風流劇場街商店街が、空き店舗対策として若者向けに格安で貸し出しているチャレンジ店舗の一つだ。
薄暗いアーケード商店街には、古いホーロー看板、純喫茶店のショーケースにメロンソーダ、ナポリタン。今はさびれているが、かつて映画が娯楽の王様だった頃の賑わいを今に残すこの商店街は昭和レトロ感満載で彼の店も案外と周りになじんでいた。
土曜日の午後、予約していたカモ……ではなく、客が入ってきた。疲れ顔の30代前半くらいのサラリーマンだ。
「いらしゃーい」
太郎の声に、男は「あ、ども」と気のない返事をしながら、薄暗い店内を見回した。中央に置かれた応接セットは古めかしくどっしりとしていて、壁には流ちょうな書が額装されている。
「夢は裏なり、現(うつつ)は真(まこと)」
「願(ねがい)は海(うみ)へと、還(かえ)りて解(と)けん」
初代の筆で、夢占の極意が書かれているらしい。オリエンタルなお香がたかれ、ランプの灯り揺れる中、彼はカウンターの椅子に案内された。この店舗、元はバーだったものを活用しているのだ。
「さぁ、今日、占う夢とはどんなものでしょうか?」
二代目太郎が促すと、男は重い口を開いた。
「はい、実は毎日、無限階段を上っても上ってもゴールが見えない夢を見るんです……」
太郎は男の表情を観察した。疲労の色が濃い。シャツの襟が少しよれている。靴も手入れが行き届いていない。典型的な現代のストレス社会の犠牲者だ。
「わかります」太郎は共感を示すように小さく相槌を打つ。
「お仕事、忙しそうですね。通勤は車で?」
太郎は意図的に一般的な通勤手段から聞いた。地方なら車、都市部なら電車。どちらに答えても次の質問につなげられる。
「いいえ、電車で1時間です」
地方都市にしては珍しいなと、太郎は相手の言葉尻を掴む。長時間通勤は現代人の大きなストレス要因の一つだ。
「たいくつじゃないっすか?一時間って結構長いですよね」
「ゲームやってますから、あと缶コーヒー飲んだり」
ビンゴだ。太郎の頭の中で推理が完成した。長時間通勤でゲーム、缶コーヒー。おそらくソーシャルゲーム。そして疲れ顔から推測するに、課金で悩んでいる可能性が高い。
「あ、今、コーヒー淹れますんで」
太郎がセットしてあるドリッパーに湯を注ぐと、たちまちコーヒーの豊潤な香りが広がる。その慣れた優雅な手つきに、男は毎朝缶コーヒーで済ませる自分を思い出し、なんとなくうらやましく思った。
「で、ゲームは、なに?俺はね、ゲームは卒業したんだけどさ。今更アイドルにはまっちゃて、推し活大変よ」
太郎は自分の話を交えて相手の警戒を解く。同時に「ゲームを卒業した」というフレーズで、暗にゲームからの脱却を示唆する。
「はい、今コマーシャルもやってるソシャゲで人気あるんですよ。もちろん楽しいです。あ、ガチャってわかりますか?」
「わかりますよ」
男は照れたように頭をかき、出されたコーヒーに口をつけた。「そのガチャがね、結構盛り上がっちゃって」
太郎は心の中でガッツポーズした。予想通りだ。ガチャ、つまり課金への言及。そして「盛り上がっちゃって」という表現に、自制が利かない状況への自己弁護が見て取れる。
太郎は一応悩むふりをしたあと、重々しく口を開いた。演技だ。相手に「深く考えてくれている」と思わせるための間をとる。
「ハイ、あなたの夢ね、それ、いわゆる『無限ループ』ってやつっすね」
口調はあくまで軽い。難しい専門用語を使いつつ、親しみやすい口調で話すことで、「知識があるけど身近な存在」という印象を与える。
「ソシャゲの課金がやめられないってとこでしょ?課金やめればループも終わるんでOK。無料の石だけでもいいじゃん」
サラリーマンは目を丸くして固まった。図星だったらしい。
太郎は観察から得た情報を総合し、核心を突く。これが初代あやかし太郎直伝、夢占いの真骨頂だ。相手の反応を見ながら、当たっているかどうかを確認する。
「それに、あんた顔色悪ぃし、目の下にクマもできてるぜ?その夢もさ、単に寝不足なんじゃねーの?もっとグッスリ眠れば、無限階段も、サクッと登れるようになるんじゃね?」
太郎は見た目から読み取れる情報を伝える。これは相手に「この人は私のことをよく見ている」という印象を与える効果がある。
そして、太郎はサシェの小袋をサラリーマンのポケットに無理やり突っ込んだ。サシェとは乾燥させたハーブを詰めた匂い袋である。袋は香りがもれだすようにと布で作られている。
その香りは、ラベンダーだった。昔から、安眠効果があるとされる紫色の花でフレッシュなスーッとする香りと、どこか甘さのある香りを合わせ持つ。
男が太郎の顔をまじまじと見ると、彼はドヤ顔で言った。
「病も気から、匂いから!って……昔から言うよね!」
そんなことわざ、聞いたこともない。男は面食らった顔のまま、サシェの優しい香りをかいでみた。
なかなかいい香りだ。彼は思いだす、幼いころ母が大事にしていた紫色の石鹸の香りを。母はそれをお風呂で使うのではなく、タンスに入れていたのだ。
占いからの帰り道、「今夜あたり、母さんに電話してみようか」と、男はひとりごちた。
占いは胡散臭かったし、結局あの若造に説教されただけかもしれない。しかし、不思議と気分は悪くなかった。
このサシェの香りが、昔から胸の内にあった小さな謎を解き明かしてくれたからだ。「あれは、ラベンダーという香りだったのか」そう気づいただけで、どこか心がほぐれ軽やかになったような気がした。
*
やれやれ、次の客が来るまで時間をつぶそうと太郎は漫画を手に取った。「最強で最高なあやかし様が、ケモミミ美女と美少女と天下を取る件」なんて胸躍るタイトルだ!
夕方になりようやく訪れた客は、OL風の制服を着た女性だった。彼女もまた、疲労の色を隠せない。
太郎は彼女の様子を素早く観察した。肩が内側に丸まり、目元にも疲れが見える。
お仕事は……事務職あたり?ストレスたまってそうだなー。
「はい、これどうぞ」
太郎はコーヒーではなく、どくだみ茶を彼女の目の前に出した。
彼女は席に座るなり語り始めた。
「いつも見る夢。石を積んだそれが山になって、窒息しそうになる夢を見るんです。現実でもオフィスで書類が山になって、締め切りに追われて、もうヘトヘトで」
「ふむふむ、よくある夢です」
太郎は「よくある」という言葉で、彼女の体験を一般化した。これにより、彼女は自分だけが特別に悩んでいるわけではないという安心感を得る。
一通り話し終えた彼女は、湯呑に口をつけた。
「へ~、こんなひなびたお茶があるのね、お局様にはぴったりかも……」
彼女は自嘲するようにそう呟く。
なるほどねぇ、この発言から、太郎は彼女が職場での立場や年齢にコンプレックスを抱いていることを読み取った。
「え?お狸様?そう、このお茶ね、狸山の道の駅で売っててね、胃腸にいいらしいですよ」
太郎は彼女の自虐的な発言を軽く流し、お茶の効能について話しだした。
そして今回も腕を組み、難しい顔で悩むそぶりをしながらゆっくりと口を開いた。
「うーん、書類の山ねぇ。それ、夢っていうか、現実が夢になってるレベルじゃないかな。マジやばいっすわ」
女性は深くため息をついた。
「でも、人手不足で……」
「あなた責任感があるんすね。バックレっちゃったらいいのに」
太郎は彼女の責任感を褒めつつ、極端な選択肢を提示する。これにより、彼女は「そこまでではない」と感じ、より現実的な解決策を受け入れやすくなる。
「ふふ、それができればね。私、学生の頃から真面目にコツコツやるくらいしか、とりえがないし」
ふむふむと腕を組んで話を聞いていた太郎が、急に大きな声を出した。
「これはね、もう夢とかそういう次元じゃないっすよ。肉体が悲鳴あげてます。えーと、これね、うちの爺ちゃんがよく言ってたんすけど、疲れた時は温泉に行ってね、酒も飲んでみたらいいっすよ。
あ、じいちゃんっていうのは、初代あやかし太郎。昔は政府要人の夢占までやってたんすよ」
ここぞとばかりに、初代の経歴を出す太郎。
そして、実際に行動に移しやすい解決策を提示してみせた。
女性は「温泉?お酒?」と目をぱちくりさせる。
「そうそう!のんびりゆったりお湯につかって、おいしいもん食って。現実から物理的に離れてみ?夢なんて、そしたら綺麗サッパリ忘れるから。はい、これ、温泉地のパンフレット。サービスね!」
太郎が差し出したのは、なぜか「狸山温泉バスツアー」のパンフレットだった。
「バスツアーで行くとさ、安いうえに、一人で参加の会なんかもあってね。温泉友達もできるらしいよ」
女性はどこか吹っ切れたような顔でパンフレットを受け取って帰っていった。家に帰った彼女がパンフレットを開いてみると、そこには拙い字で書かれたメモが挟まれていた。
「月90時間残業ってさ!あなたの会社立派なブラック企業だってば。真面目で頑張り屋なら、他の会社でも輝ける!」
小さなユニットバスの湯につかりながら彼女は決心した。とりあえず、月曜出社したら有給申請だ。嫌な顔をされるだろうが、気にするものか。
狸山温泉ツアーは今晩ネット予約だ。どくだみ茶を土産に買ってこよう。明日は旅行用の服を買いに行くのもいい。
お湯の中で彼女は心が解れていくのを感じた。
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