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第32話 【水面下の一手】
しおりを挟む湯ノ花の里の朝は、相変わらず湯けむりと共に始まった。
前夜の宴の余韻はまだ残っていたが、ミサトの頭の中はすでに戦場だった。
戦場と言っても槍や剣が飛び交う場所ではない。
言葉と情報と、わずかな駆け引きで命運が決まる、静かな戦場だ。
リリィの音声が耳元で響く。
『はい。ミサト。昨日の会話ログを改めて解析しました。アーレン村長の発言は、ほぼ本音でしょう。彼の酔い具合から推測して、虚偽の可能性は低いです』
「ありがとう。じゃあ……カッサ村の領主代理ダルネは、この温泉を管理下に置きたがってると」
『はい。ミサト。そうなります。そして“管理”と言う言葉は、たいてい“支配”の婉曲表現です』
ミサトは湯気の向こうに広がる里の風景を見やった。
石畳の通路、整然と並んだ湯屋、行商人たちの賑わい、、
すべてが、数ヶ月前にはここに存在しなかったものだ。それを奪われるわけにはいかない。
「さてと……向こうが来る前に、こっちから先手を打たなきゃね」
リリィが小さく笑った。
『ふふふ。ミサト。積極策ですか。歴史的に言えば、これは“予防的外交”の部類ですね。信長公も、同じような手法を取りましたね』
「……ちょっと、やべぇー武将の名前出さないでよ。私は鳴くまで待つタイプだから…!」
『はい。ミサト。お顔が信長公みたいになっていますよ』
「なぬっ!?リリィ、信長公見たことあるんかいっ!!はははっ!」
『はい。ミサト。以前、本能寺でお見かけしました』
「嘘つけっ!!」
◇◇◇
午前中、ミサトは里の会議室に主要メンバーを集めた。
カイル、ゴブ次郎、そしてシルヴァン村からの協力者たち。
机の上には温泉饅頭と茶が並べられているが、皆の表情は硬い。
「昨夜の宴で、アーレン村長から重要な話を聞いたわ」
ミサトは声を落とし、核心に触れる。
「カッサ村のダルネは、温泉の管理権を狙っている。表向きは交易の話を持ってくるけど、裏で奪う算段を練ってる可能性が高い」
一同の視線が鋭くなる。
カイルが腕を組み、ゆっくりと頷いた。
「……なるほどね。確かに、ダルネって男は噂通りの策士かもしれないな…。商会でもあいつの名前は時々出るからな!交渉の場で大人しく笑ってる時ほど、裏では何か仕込んでるタイプだと」
ゴブ次郎が眉をひそめる。
「ボス!そんな奴に温泉握られたら、この村どうなっちまうんすか」
「ん~?まっ、独立性が失われるわよね。料金も利用者も、全部あちらの裁量になるね。こっちは従属的立場になる……つまり、半分植民地みたいなものよ」
会議室に一瞬、重い沈黙が落ちた。
リリィがその間を切り裂くように、軽い調子で口を開く。
『はい。ミサト。対策はシンプルです。ダルネが動く前に、“温泉の価値を既に多方面と共有している”という状況を作ればいい。囲い込みを不可能にするんです』
カイルが目を細めた。
「つまり……先に温泉を使った共同事業を複数の村や商会と結んでおく、と」
『そうです。帝王学的には“分権化による支配回避”ですね。力を一人に集中させず、分散させる』
ミサトは小さく笑みを浮かべた。
「いいわね~!帝王学!それに加えて、ダルネにも“こちらを潰すより得を取るほうが儲かる”と思わせたい」
◇◇◇
午後、ミサトは動き出した。
まずはシルヴァン村に使者を送り、温泉を利用した観光ルートの共同開発を正式提案。
続いてトーレル商会のカイルを通じ、都市の宿泊業者や薬草商にも温泉の効能をアピール。
さらに小規模な近隣村にも「温泉の副産物である湯の花を格安で提供する」という契約書を回し始めた。
これらの動きはすべて、表向きは商業拡大の一環。
だが裏では、、、
温泉の価値を複数のネットワークに縛りつけ、誰か一人が独占することを不可能にするための布石だった。
リリィが笑うように喋る。
『ふふふ。ミサト。まさに“利害の網”ですね。これは戦国時代の毛利元就が得意としたやり方です。敵対するより協力した方が利益が出る構造を作る……お見事』
「あははっ!今度は毛利さん…!三本集めて褒めても何も出ないわよ~☆」
『ふふふ。ミサト。褒めて伸ばすタイプなんです、私は』
◇◇◇
数日後、、、
予想通り、カッサ村から正式な使者がやって来た。
青い外套をまとった男、顔には穏やかな笑みを貼り付けている。
「湯ノ花の里の代表、ミサト殿でございますな。領主代理ダルネ閣下の名代として参りました」
応接室に案内された男は、開口一番こう切り出した。
「閣下はこの温泉に深く興味を持っておられます。半年後もぜひ管理面での協力を……」
ミサトは微笑を崩さず、テーブルの上に書類を並べた。
「ダルネさんは来ないのですね…。とてもありがたいお話なんですが……ただ!……すでにこちらは複数の村や商会と温泉事業の契約を結んでおります。もちろん、カッサ村とも利益を分け合える余地はありますが
、、、“お望みの独占権”はお渡しできません」
男の笑みがわずかに固まった。
カイルが横で腕を組み、控えめに補足する。
「横から失礼。現状、湯ノ花の里の温泉事業の利益は地域全体で分散管理される形になっています。仮に一つの勢力が支配を試みても……あまり得にはならないでしょう」
リリィがミサトの脳内に囁く。
『はい。ミサト。完全に主導権を握りましたね。相手はもう強引に出られない』
ミサトは静かに頷く。
男は数瞬の沈黙の後、柔らかい笑みを取り戻した。
「……では、共同での観光事業の話しを持ち帰らせてもらって検討させていただきます」
「えぇ、是非お互いがいい方向に行けます様に……」
この瞬間、ダルネの囲い込み策は事実上の失敗に終わった。
◇◇◇
その夜、ミサトはリリィと縁側で星を見上げていた。
『はい。ミサト。今日の動き、まさに帝王学の実践でしたね。情報を掴み、先手を打ち、利害を操作する……どこか、ナポレオンの初期戦略を彷彿とさせます』
「あははっ!ナポレオン頂きました。それ、褒めてるんだか怖がらせたいんだか分からないわ」
『はい。ミサト。褒めてます。次は、さらに盤面を広げましょう。女帝王の道は、まだ始まったばかりです』
「女帝王!?私はそんなとこ目指してませ~ん☆」
ミサトは微かに笑い、湯けむりの向こうに広がる暗い山並みを見つめた。
ミサトの帝王学道は、静かに歩みを進めているのかもしれない、、。
続
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