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しおりを挟む「お前——抜け出そうとしたな?」
公爵の低い声が部屋に響く。
私は心臓を掴まれたような感覚に襲われながら、必死に冷静を装った。
「……何のことでしょう?」
とぼけてみる。
「俺の屋敷で、俺の目を欺けると思ったか?」
公爵は静かに一歩踏み出した。
その影が部屋の灯りに揺れ、私を覆う。
「……」
私は喉を鳴らした。
彼は私がどこにいても常に監視しているわけではない。
だが、公爵邸の管理は完璧だ。
使用人、騎士たち、そして執事のルドルフ——彼らが逐一、私の行動を公爵に報告しているのだろう。
(……完全に囲われていますわね)
私は観念して、ベッドの上で姿勢を正した。
「……確かに、門の近くまで行きましたわ」
「目的は?」
「散歩の延長です」
「嘘だな」
「……っ」
公爵の眼差しは鋭く、私の言葉の裏を探るようだった。
「なぜ外へ出たかった?」
「……気分転換ですわ」
「気分転換なら、俺と一緒に行けばいい」
「そういうことではありません!」
思わず声を荒げる。
公爵は黙って私を見つめた。
「……公爵。私はあなたに感謝しています」
私は深く息を吸い込み、丁寧に言葉を選びながら続けた。
「あなたが私を守ってくださっていることも、私を大切にしてくださっていることも、理解しておりますわ」
「……ならば?」
「ですが——私は、一人で出かける自由も欲しいのです」
「……」
公爵の瞳がわずかに細められる。
「お前は、俺のそばが嫌なのか?」
「……え?」
不意に、公爵の声が静かになった。
「俺がいることが、そんなに窮屈か?」
「い、いえ、そういうことでは……」
戸惑っていると、公爵はそっと顔を近づけてきた。
「俺が許さなければ、お前はどこへも行けない」
「……っ」
その言葉に、思わず息を呑む。
「だが——お前が望むなら、俺が外へ連れて行く。一人で行くことは認めない。だが、俺と一緒なら問題はない」
「そ、それは……」
「どうする?」
公爵は、ゆっくりと私を見つめる。
その目は、私に選択の余地がないことを示していた。
(……この人、本当に、どこまでも強引ですわ)
私は天を仰ぎ、大きくため息をついた。
「……分かりましたわ。公爵がご同行なさるのなら、外へ出ることを許していただけるのですね?」
「当然だ」
「では、明日街へ連れて行ってください」
公爵の目がわずかに細められる。
「……いいだろう」
「……」
私はなんとか「一人での外出」は諦めつつも、ようやく公爵邸の外へ出られることに成功したのだった——。
第20話:公爵と初めての街散策、しかし……
「——準備はいいか?」
翌朝、公爵の低い声が部屋の前で響いた。
「はい、もちろんですわ」
私は意気揚々と部屋を出る。
久しぶりに外の世界へ行けるのだ。気分転換も兼ねて、存分に楽しもう。
が——
目の前に立つ公爵の姿を見た瞬間、私は思わず固まった。
「……公爵、その服装は?」
ヴァルター公爵は、普段と変わらぬ黒の軍服を着ていた。
どこからどう見ても、帝国最強の騎士のまま。
「……えっと、変装とか、されないのですか?」
「なぜだ?」
「だって、そのままでは目立ちすぎます……!」
「問題ない」
即答だった。
「公爵が目立つと、街の人々が緊張してしまうのでは……」
「むしろ、それでいい」
「……」
ダメだ、この人、本当に譲る気がない!!
「私は普通に買い物をしたり、市場を見たりしたいのですわ」
「ならば、俺がそばで護衛する」
「そういうことではなくて……!」
私は天を仰いだ。
もう仕方がない。
公爵がどこまでも「公爵スタイル」を貫くのなら、私が気にしないしかない。
「……では、行きましょうか」
「うむ」
こうして、私たちは公爵邸を出発した。
王都の街並みは、活気に満ちていた。
屋台から香ばしいパンの匂いが漂い、商人たちが威勢よく商品を売り込んでいる。
私は久しぶりに賑やかな雰囲気の中を歩き、思わず微笑んだ。
——が。
「……ヴァルター公爵だ!!」
「え!? あの冷酷公爵が、街に!??」
「な、なぜこんなところに……!」
商人や通行人が、公爵の姿を見るなり、みるみるうちに顔を青ざめた。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、人々は小声でざわつき始める。
「……」
私はそっと公爵を見上げる。
当然ながら、公爵は何も気にしていない。
むしろ「何か問題があるのか?」という顔をしている。
——あるに決まっているでしょう!!!!
「公爵……やはり、少し目立ちすぎでは?」
「そうか?」
「ええ、とても」
私は周囲の怯えた視線を確認しながらため息をついた。
(……これでは、のんびり買い物なんてできませんわね)
市場のあちこちで、人々が様子をうかがっている。
中には、明らかに怯えて店を閉めようとしている商人までいる。
(公爵……一体、普段どんな顔をしてこの国を治めているのですか……)
私は仕方なく、公爵の腕をそっと引いた。
「公爵、一度人の少ない場所へ行きましょう」
「なぜだ?」
「このままでは、誰も落ち着いて買い物ができませんわ」
公爵は周囲を見渡し、それから私を見た。
「……お前がそう言うなら」
「ありがとうございますわ」
私はほっと息を吐く。
こうして、私たちは一度、市場の喧騒から離れた。
「……ふぅ」
私は、ようやく落ち着いて紅茶を飲むことができた。
市場では思うように買い物ができなかったが、こうして静かなカフェに座っていると、それだけでも気分転換になる。
公爵は向かいの席に座り、黙って私を見ていた。
「……どうしました?」
「いや」
「?」
「お前が楽しそうだからな」
「……!」
私は思わず、紅茶を喉に詰まらせた。
「こ、こほんっ……!」
「大丈夫か?」
公爵は手を伸ばしてくる。
「だ、大丈夫です!!!」
慌てて手を振ると、公爵は静かに引き下がった。
「……公爵」
私はふと、彼を見つめる。
「本当に、私が逃げないか見張っているだけではありませんの?」
「……」
公爵は一瞬だけ目を細めた。
「……逃げるつもりはあるのか?」
「今はありませんわ」
「なら問題ない」
「……」
私はため息をついた。
この人の「問題ない」は、私にとっては「問題あり」ばかりだ。
(でも……)
今日こうして公爵と一緒に外へ出て、確かに制約は多かったけれど、思っていたよりも悪くはなかった。
彼がいることで、人混みが減り、変な男に絡まれることもない。
(……それはそれで、少しだけ安心できるかも)
私は、カップを持ち上げながら小さく笑った。
——ヴァルター公爵との「普通の時間」も、意外と悪くないのかもしれない。
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