ノクティルカの深淵 ーThe Abyss of Noctilucaー

ねむたん

文字の大きさ
18 / 56
ノクティルカの森で

おや?彼の様子が……

しおりを挟む
静かな午後、ヴァレリオが洋館の書斎で貝殻を使ったモザイク画に取り組んでいた。

テーブルの上には、色とりどりの貝殻が並べられ、絵具とメディウムが慎重に配置されている。ヴァレリオはふとセラフィーナを見つめ、「少し手を貸してくれないか?」と声をかけた。

「もちろん。」

彼女は少し驚きながらも、快くその提案を受け入れる。椅子に座り、ヴァレリオの隣に手を伸ばした。彼の眼差しを感じながら、彼女は一枚の貝殻を手に取った。繊細な手のひら、指先で丁寧にその貝を扱うその姿に、ヴァレリオは深い満足感を覚えた。

その手の動きが、彼にとっては完璧なものに見えた。

貝殻を置く手つき、メディウムを塗る際の指の動き。それらはすべて、まるでヴァレリオが思い描く理想通りの流れを持っていた。何気ない仕草が、ただの作業以上の美しさを湛えていると感じる。彼は、その手の動きを、まるで芸術を作り上げるように、静かに見守っていた。

セラフィーナは自分がただ指示に従い、何気なく作業を進めているだけだと思っていた。彼女の目には、何一つ特別なことはなく、ただヴァレリオの言う通りに動いているだけだった。それでも、その動作ひとつひとつが、ヴァレリオにとってはとても特別に感じられるものだった。

「君の手の動きが、すごく美しい。」

彼は静かに呟く。その声には、感嘆の気持ちがこもっていたが、セラフィーナは気づくことなく、黙々と作業を続ける。



その後、作業が続く中、少しずつモザイク画は形を成していく。貝殻が並べられ、メディウムが塗られていく様子は、まるで海の中の景色が広がっていくかのようだった。

数日後、ついに完成した作品を前に、セラフィーナは思わず息を呑んだ。

「こんなに美しいものができるなんて…」

彼女は驚きと共に、その出来栄えに目を見張った。全体を見渡すと、細やかな貝殻が組み合わさり、色とりどりの輝きが一つの大きな絵を作り上げていた。その作品を見て初めて、セラフィーナは自分の手がどれほどその美しさに貢献したのかを実感する。

「君の美しい手が作ったものだよ。」

ヴァレリオの穏やかな声が響く。その言葉が、セラフィーナの心に温かさをもたらした。

その瞬間、彼女はほんの少しだけ自己肯定感を得ることができた。自分が何かを成し遂げた実感が湧き、その手が誰かに認められたことが、彼女にとって小さな光となった。

セラフィーナはその作品を見ながら、少し照れたように微笑んだ。「ありがとう、ヴァレリオ。私…少し自信が持てた気がする。」

ヴァレリオはその微笑みに心を打たれ、静かに頷いた。



ヴァレリオは日々、モザイク画の前で立ち尽くしていた。

その絵が完成した後、何度も何度も、まるでそれが命のように、彼はその絵に見入っていた。セラフィーナと共に作り上げた貝殻のモザイクは、彼にとってただの美術作品ではなかった。どれほど美しいものでも、彼にとってはその作業の背後にある「彼女の手」の存在が、何よりも重要だったからだ。

目を細めながら、彼はその絵の前に立つと、セラフィーナが貝殻をひとつひとつ丁寧に置いていく姿を思い出し、微笑む。彼女のその細やかな手つき、真剣に取り組む姿勢が、彼の心に温かさを与えるのだ。

「君がいたからこそ、これが完成したんだ。」

彼はいつも、心の中でそう呟きながら、その美しい作品に見入っていた。まるでそれがセラフィーナであるかのように、大切にしていた。



そんなある日、ひとりでモザイク画を眺めているヴァレリオの姿を、セラフィーナが見かけた。彼女はその時、ふと立ち止まると、絵の前にいるヴァレリオの動きに目を凝らした。

ヴァレリオは絵の前に立ち、しばらくそのまま動かずにいたかと思うと、次の瞬間――なんと、彼はそっとその絵に頬を寄せ、頬ずりをしていた。

「……え?」

セラフィーナは驚きのあまり、しばらくその場に立ち尽くしていた。ヴァレリオがあまりにも真剣な表情で、そのモザイク画に頬ずりをしているのを見て、彼女は心の中で何が起こっているのか理解できなかった。

その姿は、まるで愛おしいものを抱きしめるような、深い執着を感じさせるものだった。



しばらくして、ヴァレリオがその動作を終えて、ふとセラフィーナの存在に気づく。彼は少し驚いた様子で、無意識に手を引き寄せて言った。

「セラフィーナ、君、見ていたのか?」

彼の目に一瞬、何とも言えない表情が浮かんだ。その目には、まるで自分の秘密を見られたかのような戸惑いがあったが、それがすぐに優しさに変わり、少し照れたように微笑む。

「君がこの作品を作ってくれたからこそ、僕はこんなにも大切にしているんだ。」

セラフィーナはその言葉に、ますます戸惑いを感じた。彼がどれほど自分に依存しているのか、あるいは愛しているのか、改めて実感させられる瞬間だった。



その後も、ヴァレリオは時折、そのモザイク画に頬ずりするような行動を続けた。それが彼にとってどれほど大切なものかを、セラフィーナはますます理解することとなった。しかし、彼女の心には、次第にその行動が少しだけ奇妙に感じられ始める。

彼の執着心の強さを感じ、ただ静かに彼を見守ることしかできなかった。

そして、彼がそのモザイク画に見せる深い愛情を、どこかで楽しんでいる自分がいることにも気づくのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない

当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。 だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。 「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」 こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!! ───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。 「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」 そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。 ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。 彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。 一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。 ※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~

高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。 先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。 先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。 普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。 「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」 たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。 そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。 はちみつ色の髪をした竜王曰く。 「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」 番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

東雲の空を行け ~皇妃候補から外れた公爵令嬢の再生~

くる ひなた
恋愛
「あなたは皇妃となり、国母となるのよ」  幼い頃からそう母に言い聞かされて育ったロートリアス公爵家の令嬢ソフィリアは、自分こそが同い年の皇帝ルドヴィークの妻になるのだと信じて疑わなかった。父は長く皇帝家に仕える忠臣中の忠臣。皇帝の母の覚えもめでたく、彼女は名実ともに皇妃最有力候補だったのだ。  ところがその驕りによって、とある少女に対して暴挙に及んだことを理由に、ソフィリアは皇妃候補から外れることになる。  それから八年。母が敷いた軌道から外れて人生を見つめ直したソフィリアは、豪奢なドレスから質素な文官の制服に着替え、皇妃ではなく補佐官として皇帝ルドヴィークの側にいた。  上司と部下として、友人として、さらには密かな思いを互いに抱き始めた頃、隣国から退っ引きならない事情を抱えた公爵令嬢がやってくる。 「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいませ」  彼女が執拗にルドヴィークに求婚し始めたことで、ソフィリアも彼との関係に変化を強いられることになっていく…… 『蔦王』より八年後を舞台に、元悪役令嬢ソフィリアと、皇帝家の三男坊である皇帝ルドヴィークの恋の行方を描きます。

竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです

みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。 時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。 数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。 自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。 はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。 短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました を長編にしたものです。

本の虫令嬢ですが「君が番だ! 間違いない」と、竜騎士様が迫ってきます

氷雨そら
恋愛
 本の虫として社交界に出ることもなく、婚約者もいないミリア。 「君が番だ! 間違いない」 (番とは……!)  今日も読書にいそしむミリアの前に現れたのは、王都にたった一人の竜騎士様。  本好き令嬢が、強引な竜騎士様に振り回される竜人の番ラブコメ。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...