ノクティルカの深淵 ーThe Abyss of Noctilucaー

ねむたん

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ノクティルカの森で

クッキングに再挑戦

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セラフィーナは、洋館の一角にある静かな図書室で、分厚い料理本のページをめくっていた。木漏れ日のような暖かなランプの明かりが、古い紙の表面に落ちている。その香りにどこか落ち着きを感じながらも、彼女の目は熱心に次の挑戦を探していた。

ふと、豪華な料理の写真が目に留まる。輝く黄金色のパイ生地に包まれた「ビーフ・ウェリントン」と書かれた文字。その繊細で美しい見た目に、セラフィーナは思わず息を飲んだ。ページを指でなぞりながら、彼女はその完成品を想像する。「こんな素敵な料理をヴァレリオに振る舞えたら、きっと喜んでくれるわ」心が弾む。

しかし、そのレシピは初心者にはあまりに複雑だった。パイ生地を練り、フィレ肉を焼き、デュクセルと呼ばれるマッシュルームのペーストを丁寧に仕込む手順。そのどれもが簡単にはいかない工程だと気づくことなく、セラフィーナは「これなら私にも作れるかもしれない」と小さく頷いた。

意気揚々と料理本を閉じると、彼女は地下の貯蔵庫に足を運んだ。石造りの冷んやりとした階段を下り、食材が整然と並ぶ棚を見上げる。「確か……フィレ肉はあそこにあったはずよね」棚からずっしりとした肉の塊を取り出し、次々に必要な材料を集めていく。

バター、マッシュルーム、香草、そしてパイ生地の材料。両腕いっぱいに抱えた食材を見下ろしながら、セラフィーナの胸は期待で膨らんでいた。

ヴァレリオはキッチンの入り口に立ち、静かにセラフィーナの姿を見つめていた。大理石のカウンターの上には、鮮やかな赤身のフィレ肉が置かれている。彼女は真剣な表情で、ややぎこちない手つきながらも、その塊を丁寧に切り分けていた。包丁を握る指先は少し緊張しているようだが、目はきらきらと輝いている。

「ふむ……」ヴァレリオは心の中で軽く唸る。豪華なビーフ・ウェリントンの写真を彼女が眺めていた姿を思い出し、料理の難度の高さに気づいてはいたものの、彼女がここまで熱心に取り組む姿を見ると、口出しをするのが憚られる。

次に、彼女は薄力粉をたっぷり撒いたカウンターで、パイ生地を伸ばし始めた。両腕に少し粉をつけながら、麺棒を押し引きするたびに顔を少ししかめたり、額に薄く汗を浮かべたりする様子に、ヴァレリオの口元は自然とほころぶ。「本当に不器用だな……だが、なんて愛らしいんだろう」

彼は一歩、また一歩と彼女に近づこうとして、ふと立ち止まった。「セラフィーナ……それはずいぶん難しい料理だね」そう声をかけるべきかどうか迷う。だが、その瞬間、彼女が眉を寄せながらも、一心にパイ生地を薄く均一に伸ばそうと努力する姿が目に入った。

彼は息を小さくつき、そっと後ろに身を引いた。「君が楽しんでいるなら、それでいいさ」心の中でそう呟くと、再びその場に立ったまま、微笑を浮かべて彼女の奮闘を見守ることに決めた。どんな出来栄えであっても、彼女の手が加わった料理を、彼は何よりも尊く感じるのだから。

セラフィーナはパイ生地を何とか伸ばし終えたところで、次の工程に取り掛かる。マッシュルームのデュクセルを作るため、フライパンを熱し、細かく刻んだマッシュルームとエシャロットをバターで炒め始めた。しかし、火加減の調整がうまくいかず、香ばしい香りが立つどころか焦げた匂いが漂い始める。

「あっ、だめ……!」彼女は慌ててフライパンを持ち上げ、火から遠ざける。焦げ付く寸前で何とか食材を救い出し、胸をなでおろしたものの、その顔には少し不安げな色が浮かんでいる。ちらりと背後を振り返ると、ヴァレリオがキッチンの隅で静かに見守っているのが目に入った。彼は口を開くことなく、ただ優しい笑みを浮かべているだけだった。

「だ、大丈夫。これくらい、なんとかなるはず……」セラフィーナは自分に言い聞かせるように呟き、次の工程に集中することにした。

問題はパイ生地でも起きた。デュクセルを塗り広げ、焼き色をつけたフィレ肉を置いたまでは良かったが、生地を巻こうとした瞬間に薄く伸ばしすぎた箇所から穴が開いてしまったのだ。セラフィーナは一瞬言葉を失い、困惑した表情で生地を見つめる。

「どうしよう……これじゃあ綺麗に包めない……」小さな声で呟きながらも、彼女は懸命に修正を試みた。指先でそっと生地を引き寄せて穴を塞ぎ、何とか全体を包み込む。ぎこちない動作で生地を整えて形を整え、オーブンの中に慎重に収めた。

セラフィーナは扉を閉じ、深く息を吐く。キッチン中に散らばった粉や具材の切れ端が戦場のような様相を呈していたが、彼女はそれを気にする余裕もなく、ただオーブンの中で焼かれていくビーフ・ウェリントンをじっと見つめる。

「これで……成功するかな……」緊張に声を震わせながら呟いた彼女に、ヴァレリオが穏やかな声で言った。「セラフィーナ、君は本当によく頑張ったね。その料理がどんな出来栄えだろうと、僕には君が作ってくれたというだけで十分なんだよ」

彼の言葉にセラフィーナは少しだけ肩の力を抜き、そっと微笑んだ。焦げかけたデュクセルも、穴の開いた生地も、もう気にする必要はないと思えた。ただヴァレリオが自分の努力を見てくれている、それだけで、彼女は救われた気持ちになるのだった。

オーブンのタイマーが鳴り、セラフィーナが少し緊張した面持ちで手を伸ばそうとした瞬間、ヴァレリオがそっとその手を制した。「ここは僕に任せて。熱いからね、君がやけどをしたら大変だ」

ヴァレリオはエプロンを整え、オーブンミトンをしっかりと装着して扉を開ける。熱い蒸気が勢いよく立ち昇り、ビーフ・ウェリントンの焼ける香ばしい匂いがキッチン中に広がった。オーブンの中に見える料理は、少しばかり形が崩れ、生地の焼き色も均一ではなかったが、それでも彼は微笑みながら慎重に取り出した。金網の上に皿を載せ、料理をセラフィーナの前にそっと置く。

セラフィーナは両手を胸の前で組み、「これが……私の精一杯なんだけど……」と、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべる。その目には、心のどこかでヴァレリオにがっかりされたくないという気持ちが滲んでいる。

ヴァレリオは料理をじっと見つめたあと、優しい声で言った。「君がここまで頑張って作ってくれた、それだけで僕にとっては最高のご馳走だよ」その言葉には一切の嘘偽りがなく、ただセラフィーナの努力に対する深い感謝が込められていた。

ナイフを手に取り、慎重にビーフ・ウェリントンに切れ目を入れる。ナイフがパリッとした生地を割り、中のフィレ肉が現れると、少し火が通りすぎていることが分かったが、そんなことはヴァレリオにとって問題ではなかった。

「見てごらん、セラフィーナ。とても美しいじゃないか」彼は心からの感嘆の声を漏らし、切り分けた一切れをフォークで持ち上げた。口に運ぶと、ほんのり焦げたマッシュルームの香ばしさと、セラフィーナの真心が詰まった味わいが広がり、ヴァレリオの胸が温かく満たされる。

「美味しいよ。本当に美味しい。君の手料理をこうして食べられるのは、僕にとって何よりの幸せだ」ヴァレリオが穏やかに微笑みながら告げると、セラフィーナは目を丸くし、次いで照れ隠しのように頬を赤らめながら笑った。

「本当にそう思ってくれるなら、よかった……」彼女は肩の力を抜いて安心した表情を見せる。そしてヴァレリオがもう一切れを切り分ける様子を見つめながら、どこか誇らしい気持ちを感じていた。

「次はもう少し上手く作れるように頑張るから、その時も食べてくれる?」と控えめに尋ねるセラフィーナに、ヴァレリオは即座に頷いた。「もちろんさ。君が作るものなら何でも、僕にとっては特別なんだ」

キッチンに響く二人の笑い声と、ほのかな料理の香り。少し不格好でも、そこには心のこもった幸せなひとときが広がっていた。
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