冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。

もちもちほっぺ

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ヴィクターの失墜は社交界の噂の中心となり、クロンベルグ家の名誉も地に落ちた。かつての威厳ある彼の姿は消え失せ、追い詰められた男として、ひそかに人々の笑いの種となっていた。商人たちの間での信用を失い、父からも見放され、ヴィクターは孤立無援だった。そして、そんな彼が最後にすがる相手として選んだのは、皮肉にも、かつて見下していた婚約者――ミーシャだった。

エステラ家の庭園にひっそりと佇むミーシャの前に、ヴィクターが現れたのは夕暮れ時のことだった。彼の服装は以前のような整然としたものではなく、乱れた髪と疲れ切った顔が、かつての栄光からの転落を物語っていた。

「ミーシャ…」

そのかすれた声に、ミーシャは針を止め、ゆっくりと顔を上げた。その瞳に浮かぶ冷たい光は、ヴィクターの姿を捉えながらも、何の感情も映し出していなかった。

「何の用ですか?」

その問いかけは冷たく、彼を突き放すようだったが、ヴィクターは構わず彼女の前に歩み寄った。

「私は…間違っていた」彼は頭を下げ、声を震わせながら言葉を続けた。「君を傷つけたことを謝罪したい。そして、もし可能なら…君に助けてほしいんだ」

「助けてほしい?」ミーシャの声には、驚きも怒りもなかった。ただ、冷静にその言葉を反芻しているだけのようだった。「あなたが私に?」

ヴィクターは頷いた。その姿には、かつて彼女を支配し、冷酷に扱った男の面影はなかった。

「私はもう何もかも失った。このままでは…本当に終わってしまう。君にはまだエステラ家という立場がある。その立場を借りて、私を助けてくれないか?」

その懇願に、ミーシャはしばらく沈黙していた。彼の言葉が、自分の耳にどのように響いているのかすら、彼女自身よく分からなかった。ただ、彼の声に込められた焦燥感と絶望だけは、嫌というほど伝わってきた。

「助ける理由が、私にありますか?」

その問いは冷たく突き放すようなものだったが、ヴィクターは怯むことなく答えた。「君は私を憎んでいるかもしれない。だが、私が今ここにいるのは、君を信じているからだ。君なら、私を見捨てないと…そう思ったんだ」

そのやり取りを物陰から見ていたカスパルは、微かに笑みを浮かべた。そして、タイミングを見計らうように庭園に姿を現した。

「へえ、これは面白い光景だな」

ヴィクターが振り返ると、カスパルが悠然と歩いてきた。彼は軽い口調で続けた。「ヴィクター、君がここまで落ちぶれるとはね。そして、そんな君がミーシャ嬢に縋るなんて、誰が予想しただろう?」

その言葉に、ヴィクターの顔が怒りで歪んだ。「カスパル、ここに君がいる必要はない!」

「いや、あるさ」カスパルは笑みを浮かべながらミーシャの隣に腰を下ろした。「僕は最近、彼女の保護者みたいなもんだからね。君が彼女に何を言おうとしているのか、気になって仕方がなかったんだ」

ミーシャは二人のやり取りを無表情で見つめていたが、その瞳には微かな戸惑いが浮かんでいた。

「ミーシャ嬢」カスパルは彼女に向き直り、言った。「君はどうする?この哀れな男を助けてやるのか?」

ミーシャは視線を落とし、短く答えた。「まだ決めていません」

カスパルの冷ややかな視線に耐えきれず、ヴィクターは声を荒げた。「私は本気で謝罪しているんだ!君たちにからかわれるために来たわけじゃない!」

その声には怒りと羞恥、そして哀れみが混じり合っていた。それを聞いて、ミーシャは静かに顔を上げた。

「ヴィクター、あなたは私を利用しようとしていますか?それとも、本当に救いを求めているのですか?」

その問いに、ヴィクターは目を見開いた。彼女の言葉が、自分の内面を鋭く突いていることを感じたからだ。彼は口を開いたが、言葉が出てこなかった。

しばらくの沈黙の後、ミーシャは再び口を開いた。

「私は今、何をするべきか分かりません。ただ…あなたが謝罪したいというのなら、その言葉だけは受け取ります」

その言葉に、ヴィクターの肩がわずかに落ちた。それが希望なのか絶望なのかは、彼自身も分からなかった。

一方で、カスパルはじっとミーシャを見つめていた。彼女の冷たくも静かな決断が、彼の心を複雑に揺さぶった。

「さて、どうなるかな」カスパルは低く呟き、静かに微笑んだ。その笑みには歪んだ感情が滲んでいた。

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