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ルシアン王子が公爵邸を訪ねてきたのは、イザベラの訪問から数日後のことだった。
事前の連絡はなかった。
玄関の扉が開いて、執事が「王子殿下がいらしております」と青い顔で報告に来た時、クライドは書斎で文献を読んでいた。
「……なぜ連絡をよこさない」
「それが、殿下は「近くを通ったから」とおっしゃっていて」
クライドは文献を閉じた。
「どこへ通した」
「応接室に」
「わかった」
立ち上がりながら、クライドは窓の外を見た。
庭にリリアーナがいた。
しゃがんで、何かをつまんでいた。今日も虫だろう。
クライドは少し考えた。
応接室に入ると、ルシアンが立っていた。
二十代前半、クライドより少し年下だった。背が高く、日差しのような笑顔を持つ青年で、その場にいるだけで空気が明るくなるような存在感があった。
太陽の愛し子と呼ばれるだけあって、立っているだけで光を集めているように見えた。
「クライド、久しぶり」
「連絡をよこせと何度言った」
「堅いな。近くを通ったんだ、いいだろう」
ルシアンは笑った。
「それより、婚約者を連れてきたと聞いたぞ。紹介してくれないのか」
「今日は無理だ」
「なぜ」
「庭にいる」
「庭に?」
ルシアンは少し首を傾けた。
「散歩か?」
「……まあ、そうだ」
クライドは椅子に座った。ルシアンも向かいに座った。侍女がお茶を運んできた。
「どんな娘なんだ」
ルシアンはティーカップを持ちながら聞いた。
「ベルテ侯爵家の次女だろう。会ったことはないが」
「……変わった娘だ」
「変わった? どんな風に」
クライドは少し間を置いた。
「虫を食べる」
ルシアンが、ティーカップを持ったまま止まった。
「……虫を」
「生で」
「……生で」
「庭で見つけるたびに、ひょいぱくする」
ルシアンはしばらく、クライドを見ていた。
それから、声を上げて笑った。
「はははっ! お前の婚約者が!? 虫を!?」
「笑うな」
「いや、笑うだろう! あのクライド・アルスターの婚約者が、庭で虫をひょいぱくするって!」
「うるさい」
ルシアンはしばらく笑い続けた。肩を揺らして、ティーカップを置いて、腹を抱えて。
クライドは無表情のまま、お茶を飲んだ。
「で」
ルシアンはようやく笑いを収めた。
目に涙が浮かんでいた。
「それだけか? 変わっているのはそれだけか?」
「食べると力が湧くと言っている。実際、日に日に肌艶がよくなっている。蜂に刺されても腫れない。そして虫が、彼女の周りにだけ集まってくる」
ルシアンの笑いが、すっと収まった。
「……虫が集まってくる」
「公爵邸は害虫対策が徹底している。なのに彼女が歩くところにだけ、必ず虫が現れる。庭師も料理長も不思議がっている」
ルシアンは少しの間、黙っていた。
「彼女は首輪をつけている」
クライドは続けた。
「古びた革紐に、灰色の石がついた。物心ついた頃からずっとつけていて、母親が怯えた顔で外してはいけないと言い続けていたらしい」
ルシアンの目が、細くなった。
「……見せてもらえるか、その首輪」
「今は無理だ。彼女が庭にいる」
「じゃあ、彼女に会わせてくれ」
クライドは少し間を置いた。
「……わかった」
庭に出ると、リリアーナは花壇の縁にしゃがんでいた。
土に指を入れて、何かを探していた。
クライドが「リリアーナ」と声をかけると、顔を上げた。クライドの隣に見知らぬ男がいることに気づいて、立ち上がった。
土のついた指を、ドレスの端で拭いた。
「紹介する。ルシアン王子だ」
リリアーナが頭を下げた。
「リリアーナ・ベルテと申します」
「ルシアンでいい」
ルシアンは笑った。
「堅苦しいのは苦手なんだ。クライドの婚約者なら、友人みたいなものだろう」
リリアーナは少し驚いたように、ルシアンを見た。
「……ルシアン様」
「うん、それでいい」
ルシアンは庭を見渡した。
「何を探していたんだ?」
リリアーナは少し間を置いた。
「芋虫です」
ルシアンがクライドを見た。
クライドは「言っただろう」という顔をした。
「……本当に探してたんだ」
ルシアンは言った。
「見つかったか?」
「今日はまだです。でもこの花壇の土は柔らかいので、もう少し掘ればいると思って」
「そうか」
ルシアンはしゃがんで、花壇の土を眺めた。
「いい土だな。よく耕されている」
「はい。公爵邸の庭の土は豊かで、芋虫も美味しいんです」
「美味しい」
ルシアンは繰り返した。笑いをこらえているのか、口元が動いた。
「芋虫が」
「はい。カスタードみたいで。バタークリームに近いかもしれません」
ルシアンはしばらく土を見ていた。
それから立ち上がって、庭全体を見渡した。
笑いが、すっと消えた。
「……この庭、よく育っているな」
「はい。お手入れが行き届いていて」
「そうじゃなくて」
ルシアンは続けた。
「土が、生きている」
リリアーナが首を傾けた。
「生きている、とは」
「国中の土地が痩せていってる中で、この庭だけ妙に豊かだ」
ルシアンは土を見た。
「……君がここに来てから、どのくらいになる?」
「2ヶ月ほどです」
「2ヶ月」
ルシアンは繰り返した。
「クライド、この庭が変わったのはいつからだ」
クライドは少し考えた。
「……言われてみれば、ここ最近、庭師が土の状態がいいと言っていた」
ルシアンはリリアーナを見た。
「君がここに来てからだ」
事前の連絡はなかった。
玄関の扉が開いて、執事が「王子殿下がいらしております」と青い顔で報告に来た時、クライドは書斎で文献を読んでいた。
「……なぜ連絡をよこさない」
「それが、殿下は「近くを通ったから」とおっしゃっていて」
クライドは文献を閉じた。
「どこへ通した」
「応接室に」
「わかった」
立ち上がりながら、クライドは窓の外を見た。
庭にリリアーナがいた。
しゃがんで、何かをつまんでいた。今日も虫だろう。
クライドは少し考えた。
応接室に入ると、ルシアンが立っていた。
二十代前半、クライドより少し年下だった。背が高く、日差しのような笑顔を持つ青年で、その場にいるだけで空気が明るくなるような存在感があった。
太陽の愛し子と呼ばれるだけあって、立っているだけで光を集めているように見えた。
「クライド、久しぶり」
「連絡をよこせと何度言った」
「堅いな。近くを通ったんだ、いいだろう」
ルシアンは笑った。
「それより、婚約者を連れてきたと聞いたぞ。紹介してくれないのか」
「今日は無理だ」
「なぜ」
「庭にいる」
「庭に?」
ルシアンは少し首を傾けた。
「散歩か?」
「……まあ、そうだ」
クライドは椅子に座った。ルシアンも向かいに座った。侍女がお茶を運んできた。
「どんな娘なんだ」
ルシアンはティーカップを持ちながら聞いた。
「ベルテ侯爵家の次女だろう。会ったことはないが」
「……変わった娘だ」
「変わった? どんな風に」
クライドは少し間を置いた。
「虫を食べる」
ルシアンが、ティーカップを持ったまま止まった。
「……虫を」
「生で」
「……生で」
「庭で見つけるたびに、ひょいぱくする」
ルシアンはしばらく、クライドを見ていた。
それから、声を上げて笑った。
「はははっ! お前の婚約者が!? 虫を!?」
「笑うな」
「いや、笑うだろう! あのクライド・アルスターの婚約者が、庭で虫をひょいぱくするって!」
「うるさい」
ルシアンはしばらく笑い続けた。肩を揺らして、ティーカップを置いて、腹を抱えて。
クライドは無表情のまま、お茶を飲んだ。
「で」
ルシアンはようやく笑いを収めた。
目に涙が浮かんでいた。
「それだけか? 変わっているのはそれだけか?」
「食べると力が湧くと言っている。実際、日に日に肌艶がよくなっている。蜂に刺されても腫れない。そして虫が、彼女の周りにだけ集まってくる」
ルシアンの笑いが、すっと収まった。
「……虫が集まってくる」
「公爵邸は害虫対策が徹底している。なのに彼女が歩くところにだけ、必ず虫が現れる。庭師も料理長も不思議がっている」
ルシアンは少しの間、黙っていた。
「彼女は首輪をつけている」
クライドは続けた。
「古びた革紐に、灰色の石がついた。物心ついた頃からずっとつけていて、母親が怯えた顔で外してはいけないと言い続けていたらしい」
ルシアンの目が、細くなった。
「……見せてもらえるか、その首輪」
「今は無理だ。彼女が庭にいる」
「じゃあ、彼女に会わせてくれ」
クライドは少し間を置いた。
「……わかった」
庭に出ると、リリアーナは花壇の縁にしゃがんでいた。
土に指を入れて、何かを探していた。
クライドが「リリアーナ」と声をかけると、顔を上げた。クライドの隣に見知らぬ男がいることに気づいて、立ち上がった。
土のついた指を、ドレスの端で拭いた。
「紹介する。ルシアン王子だ」
リリアーナが頭を下げた。
「リリアーナ・ベルテと申します」
「ルシアンでいい」
ルシアンは笑った。
「堅苦しいのは苦手なんだ。クライドの婚約者なら、友人みたいなものだろう」
リリアーナは少し驚いたように、ルシアンを見た。
「……ルシアン様」
「うん、それでいい」
ルシアンは庭を見渡した。
「何を探していたんだ?」
リリアーナは少し間を置いた。
「芋虫です」
ルシアンがクライドを見た。
クライドは「言っただろう」という顔をした。
「……本当に探してたんだ」
ルシアンは言った。
「見つかったか?」
「今日はまだです。でもこの花壇の土は柔らかいので、もう少し掘ればいると思って」
「そうか」
ルシアンはしゃがんで、花壇の土を眺めた。
「いい土だな。よく耕されている」
「はい。公爵邸の庭の土は豊かで、芋虫も美味しいんです」
「美味しい」
ルシアンは繰り返した。笑いをこらえているのか、口元が動いた。
「芋虫が」
「はい。カスタードみたいで。バタークリームに近いかもしれません」
ルシアンはしばらく土を見ていた。
それから立ち上がって、庭全体を見渡した。
笑いが、すっと消えた。
「……この庭、よく育っているな」
「はい。お手入れが行き届いていて」
「そうじゃなくて」
ルシアンは続けた。
「土が、生きている」
リリアーナが首を傾けた。
「生きている、とは」
「国中の土地が痩せていってる中で、この庭だけ妙に豊かだ」
ルシアンは土を見た。
「……君がここに来てから、どのくらいになる?」
「2ヶ月ほどです」
「2ヶ月」
ルシアンは繰り返した。
「クライド、この庭が変わったのはいつからだ」
クライドは少し考えた。
「……言われてみれば、ここ最近、庭師が土の状態がいいと言っていた」
ルシアンはリリアーナを見た。
「君がここに来てからだ」
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