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帰りの馬車に乗った。
扉が閉まって、馬車が動き出した。
石畳を進む音が続いた。
二人とも、しばらく無言だった。
リリアーナは窓の外を見ていた。夜の街並みが流れていくのを、静かに眺めていた。
クライドはリリアーナを見た。
「リリアーナ」
「はい」
「聞こえていたか」
リリアーナは少し間を置いた。
「……何がですか」
「会場の端の、ひそひそ声が」
リリアーナは窓の外を見たまま、何も言わなかった。
それが答えだった。
クライドは少しの間、黙っていた。
馬車が石畳を進む音が続いた。
「……謝らなければならないことがある」
リリアーナが、かすかに動いた。窓から視線を戻して、クライドを見た。
「最初に顔合わせをした時」
クライドは続けた。
「侍従に向かって言った言葉がある。姉君の方を所望だった、と。老婆のようだ、と」
リリアーナは黙っていた。
「あの言葉が、社交界に出回っている。私の軽率な発言が、お前を傷つける言葉として流れている」
「……クライド様」
「あの時のお前がどういう状況にいたか、私は何も知らなかった。知らなかったが、知らなかったことは言い訳にならない」
リリアーナは何も言わなかった。
「お前に、謝る」
馬車の中に、静かな時間が流れた。
石畳を進む音が続いた。
「……クライド様」
リリアーナがゆっくりと口を開いた。
「なんだ」
「あの時のクライド様は、正直だっただけだと思います」
「正直だったが、正しくなかった」
「でも——」
「それから」
クライドは続けた。
「今は違う」
リリアーナが、クライドを見た。
クライドは窓の外を見ていた。夜の街並みが流れていくのを、真っ直ぐに見ていた。
「あの時は何も知らなかった。今は知っている。お前のことを」
クライドは静かに言った。
「芋虫がカスタードに似ていること。バッタが香ばしいこと。タガメがライチに似ていること。メープルシロップが切れると早朝に森へ行こうとすること。蜂の巣を見ると目が輝くこと。庭の土に触れる時の顔」
リリアーナは黙って聞いていた。
「老婆のようだと言った。でも今のお前は、そうではない」
クライドは続けた。
「それはお前が変わったのではなく、私が何も見ていなかっただけだ」
馬車の中に、また静かな時間が流れた。
リリアーナは少しの間、クライドを見ていた。
それから、窓の外に視線を戻した。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。
「クライド様が、今のことを言ってくださったから」
リリアーナは続けた。
「芋虫のこと、バッタのこと、タガメのこと。ちゃんと聞いてくださっていたんだと、わかったから」
クライドは窓の外を見た。
夜の街並みが流れていった。
「……聞いていた」とだけ言った。
「はい」
リリアーナは静かに笑った。
「知っています」
馬車が石畳を進む音が続いた。
二人とも、それ以上何も言わなかった。
でも今夜の沈黙は、最初の顔合わせの時の沈黙とは、全然違った。
公爵邸の門が見えてきた。
馬車が速度を落とした。
「リリアーナ」
「はい」
「明日、話したいことがある」
リリアーナがクライドを見た。
「首輪のことだ」
リリアーナの手が、かすかに動いた。首元の革紐に、そっと触れた。
「……わかりました」
馬車が止まった。
扉が開いた。
クライドが先に降りて、リリアーナに手を差し伸べた。
リリアーナは少し驚いたような顔をして、その手を取った。
馬車から降りた。
公爵邸の玄関が、灯りに照らされていた。
二人は並んで、玄関へ向かった。
扉が閉まって、馬車が動き出した。
石畳を進む音が続いた。
二人とも、しばらく無言だった。
リリアーナは窓の外を見ていた。夜の街並みが流れていくのを、静かに眺めていた。
クライドはリリアーナを見た。
「リリアーナ」
「はい」
「聞こえていたか」
リリアーナは少し間を置いた。
「……何がですか」
「会場の端の、ひそひそ声が」
リリアーナは窓の外を見たまま、何も言わなかった。
それが答えだった。
クライドは少しの間、黙っていた。
馬車が石畳を進む音が続いた。
「……謝らなければならないことがある」
リリアーナが、かすかに動いた。窓から視線を戻して、クライドを見た。
「最初に顔合わせをした時」
クライドは続けた。
「侍従に向かって言った言葉がある。姉君の方を所望だった、と。老婆のようだ、と」
リリアーナは黙っていた。
「あの言葉が、社交界に出回っている。私の軽率な発言が、お前を傷つける言葉として流れている」
「……クライド様」
「あの時のお前がどういう状況にいたか、私は何も知らなかった。知らなかったが、知らなかったことは言い訳にならない」
リリアーナは何も言わなかった。
「お前に、謝る」
馬車の中に、静かな時間が流れた。
石畳を進む音が続いた。
「……クライド様」
リリアーナがゆっくりと口を開いた。
「なんだ」
「あの時のクライド様は、正直だっただけだと思います」
「正直だったが、正しくなかった」
「でも——」
「それから」
クライドは続けた。
「今は違う」
リリアーナが、クライドを見た。
クライドは窓の外を見ていた。夜の街並みが流れていくのを、真っ直ぐに見ていた。
「あの時は何も知らなかった。今は知っている。お前のことを」
クライドは静かに言った。
「芋虫がカスタードに似ていること。バッタが香ばしいこと。タガメがライチに似ていること。メープルシロップが切れると早朝に森へ行こうとすること。蜂の巣を見ると目が輝くこと。庭の土に触れる時の顔」
リリアーナは黙って聞いていた。
「老婆のようだと言った。でも今のお前は、そうではない」
クライドは続けた。
「それはお前が変わったのではなく、私が何も見ていなかっただけだ」
馬車の中に、また静かな時間が流れた。
リリアーナは少しの間、クライドを見ていた。
それから、窓の外に視線を戻した。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。
「クライド様が、今のことを言ってくださったから」
リリアーナは続けた。
「芋虫のこと、バッタのこと、タガメのこと。ちゃんと聞いてくださっていたんだと、わかったから」
クライドは窓の外を見た。
夜の街並みが流れていった。
「……聞いていた」とだけ言った。
「はい」
リリアーナは静かに笑った。
「知っています」
馬車が石畳を進む音が続いた。
二人とも、それ以上何も言わなかった。
でも今夜の沈黙は、最初の顔合わせの時の沈黙とは、全然違った。
公爵邸の門が見えてきた。
馬車が速度を落とした。
「リリアーナ」
「はい」
「明日、話したいことがある」
リリアーナがクライドを見た。
「首輪のことだ」
リリアーナの手が、かすかに動いた。首元の革紐に、そっと触れた。
「……わかりました」
馬車が止まった。
扉が開いた。
クライドが先に降りて、リリアーナに手を差し伸べた。
リリアーナは少し驚いたような顔をして、その手を取った。
馬車から降りた。
公爵邸の玄関が、灯りに照らされていた。
二人は並んで、玄関へ向かった。
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