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もぐもぐ。ごっくん。
「……濃い」
リリアーナは目を細めた。
「いつもより、ずっと濃い。封印が解けたから?」
クライドは三歩、後退りした。
術師が四歩、後退りした。
ルシアンだけが「なるほど」と言って、その場に留まっていた。
「クライド様」
リリアーナが顔を上げた。
「一口いかがですか」
「いらん」
「今日のは特別に美味しいですよ」
「いらん」
「封印解除記念ですよ」
「いらん!」
ルシアンが笑った。
声を上げて、腹を抱えて笑った。
「はははっ! 精霊の愛し子の封印解除の瞬間に、芋虫をひょいぱく! しかも一口勧める!」
「笑うな」
クライドは言った。
「いや笑うだろう!」
術師が呆然と立っていた。
十数年前に封印の首輪を作った術師が、その封印が解けた瞬間に目にしたものが、芋虫をひょいぱくする令嬢と、後退りする公爵家嫡男と、腹を抱えて笑う王子だった。
術師は深く、深く、頭を下げた。
謝罪なのか、現実から目を逸らしているのか、自分でもわからないような頭の下げ方だった。
しばらくして、虫の群れが少し落ち着いた。
蝶々はまだリリアーナの周りをひらひらと舞っていたが、他の虫たちは庭のあちこちに散らばっていた。
ルシアンが庭の土に手を当てた。
「……やっぱり動いている」
静かに言った。
「土地の力が戻ってきている。ゆっくりと、でも確かに」
「国中が、こうなるか」
クライドが聞いた。
「時間はかかるだろう。でもなるはずだ」
ルシアンは立ち上がって、空を見上げた。
「十数年分の遅れを取り戻すんだ。太陽の愛し子として、私も力を尽くす」
リリアーナは庭を見渡した。
花壇の土がほぐれていた。石畳の隙間から草が顔を出していた。枯れかけていた木の枝に、芽が膨らんでいた。
「……庭が、生きています」
リリアーナは言った。
「ああ」
クライドは答えた。
「ベルテ家の庭は、ずっとぱさぱさで」
リリアーナは続けた。
「土が乾いていて、花が咲かなくて。庭師が毎日手をかけても、うまくいかなくて」
「精霊が封印されていたからだ」
リリアーナはクライドを見た。
「……私がいたから、ぱさぱさだったんですか」
「首輪があったからだ」
クライドは言った。
「お前のせいではない」
リリアーナは庭を見た。
蝶々が、また一匹、肩に止まった。
「……ありがとうございます」
リリアーナは蝶々に向かって言った。
蝶々は羽をひらひらとさせた。
クライドはその様子を見て、少しの間、黙っていた。
首輪を、まだ手に持っていた。
古びた革紐と、灰色の石。
十数年、リリアーナの首にあったもの。
「リリアーナ」
「はい」
「これは、どうする」
リリアーナは振り返って、クライドの手の中の首輪を見た。
少しの間、見ていた。
「……捨ててください」
「いいのか」
「はい」
リリアーナは答えた。
「もう、必要ないので」
クライドは首輪を見た。
それからリリアーナを見た。
「わかった」
ルシアンが静かに二人を見ていた。
術師がまた深く頭を下げた。
庭に、春の光が満ちていた。
花壇の土がほぐれて、草が顔を出して、枝に芽が膨らんで。
虫たちが、庭のあちこちで動いていた。
リリアーナの周りを、蝶々がひらひらと舞っていた。
「……濃い」
リリアーナは目を細めた。
「いつもより、ずっと濃い。封印が解けたから?」
クライドは三歩、後退りした。
術師が四歩、後退りした。
ルシアンだけが「なるほど」と言って、その場に留まっていた。
「クライド様」
リリアーナが顔を上げた。
「一口いかがですか」
「いらん」
「今日のは特別に美味しいですよ」
「いらん」
「封印解除記念ですよ」
「いらん!」
ルシアンが笑った。
声を上げて、腹を抱えて笑った。
「はははっ! 精霊の愛し子の封印解除の瞬間に、芋虫をひょいぱく! しかも一口勧める!」
「笑うな」
クライドは言った。
「いや笑うだろう!」
術師が呆然と立っていた。
十数年前に封印の首輪を作った術師が、その封印が解けた瞬間に目にしたものが、芋虫をひょいぱくする令嬢と、後退りする公爵家嫡男と、腹を抱えて笑う王子だった。
術師は深く、深く、頭を下げた。
謝罪なのか、現実から目を逸らしているのか、自分でもわからないような頭の下げ方だった。
しばらくして、虫の群れが少し落ち着いた。
蝶々はまだリリアーナの周りをひらひらと舞っていたが、他の虫たちは庭のあちこちに散らばっていた。
ルシアンが庭の土に手を当てた。
「……やっぱり動いている」
静かに言った。
「土地の力が戻ってきている。ゆっくりと、でも確かに」
「国中が、こうなるか」
クライドが聞いた。
「時間はかかるだろう。でもなるはずだ」
ルシアンは立ち上がって、空を見上げた。
「十数年分の遅れを取り戻すんだ。太陽の愛し子として、私も力を尽くす」
リリアーナは庭を見渡した。
花壇の土がほぐれていた。石畳の隙間から草が顔を出していた。枯れかけていた木の枝に、芽が膨らんでいた。
「……庭が、生きています」
リリアーナは言った。
「ああ」
クライドは答えた。
「ベルテ家の庭は、ずっとぱさぱさで」
リリアーナは続けた。
「土が乾いていて、花が咲かなくて。庭師が毎日手をかけても、うまくいかなくて」
「精霊が封印されていたからだ」
リリアーナはクライドを見た。
「……私がいたから、ぱさぱさだったんですか」
「首輪があったからだ」
クライドは言った。
「お前のせいではない」
リリアーナは庭を見た。
蝶々が、また一匹、肩に止まった。
「……ありがとうございます」
リリアーナは蝶々に向かって言った。
蝶々は羽をひらひらとさせた。
クライドはその様子を見て、少しの間、黙っていた。
首輪を、まだ手に持っていた。
古びた革紐と、灰色の石。
十数年、リリアーナの首にあったもの。
「リリアーナ」
「はい」
「これは、どうする」
リリアーナは振り返って、クライドの手の中の首輪を見た。
少しの間、見ていた。
「……捨ててください」
「いいのか」
「はい」
リリアーナは答えた。
「もう、必要ないので」
クライドは首輪を見た。
それからリリアーナを見た。
「わかった」
ルシアンが静かに二人を見ていた。
術師がまた深く頭を下げた。
庭に、春の光が満ちていた。
花壇の土がほぐれて、草が顔を出して、枝に芽が膨らんで。
虫たちが、庭のあちこちで動いていた。
リリアーナの周りを、蝶々がひらひらと舞っていた。
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