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前編

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「ブラッド将軍がお戻りだ!」

誰かがそう発した。その言葉に、石畳の街中がざわめきに踊る。誰しもが凱旋に狂った。

怒濤を引き連れたかのような、馬の蹄の音が響く。そうして、磨きぬいた黒曜石のごとく煌いた青毛の馬を先頭にして、賊の鎮圧へ赴いていた武人たちが列をなして現れた。

「まあ、本当に燃えるような赤い毛なのですね」

辺境の土地からやってきたばかりの巫女見習いは、驚きながら桃色の唇に両の指先をあてる。

「そう。その名の通りブラッド将軍。けれどそれは、髪のことだけではないわ。ようく見てご覧なさい」

先輩巫女にそそのかされ、見習いの少女は懸命に爪先で立ち、神殿の窓から凱旋を覗く。

「どう?」
「……きゃっ」

遅れて小さな悲鳴が響いた。

「ね?」
「……しょ、将軍の、手に……」

恐らく対峙したであろう、賊の首があった。髪を掴まれた二、三の首がだらりと揺れている。
そして彼は、それを物のように広場に投げ捨てた。少女は震えた。

「狙った獲物は絶対に逃さず、血を流す。それがブラッド将軍よ。ほら、次の獲物はあなたかも……」
「いやっ」

少女は咄嗟に両目をぎゅっと閉ざし、首を竦めた。すぐに先輩巫女の笑い声が響く。

「あははっ、大丈夫よ。神殿の人間は特にね」
「そう……なのですか?」
「ええ。その証拠ならすぐに分かるわ」

彼女は再び見てご覧なさいと言わんばかりに、窓の外へ視線を投げた。
巫女見習いはいまだ恐怖に包まれたまま、手を祈りの形に組みつつ、その視線を追いかける。

「あっ、あれは……!」

窓から斜め下には、神殿の入口がある。その戸が開かれると、間を置かずに駆け出す影が見えた。

「ウィステリア様、ではありませんか?」

それは、この神殿の長である神官長・ウィステリアだった。その名に相応しい、藤色の瞳の持ち主だ。
少女も、見習い巫女として布置された際に一度だけ目通ったことがある。

「どうして……帰還したばかりの兵は穢れに満ちているから、神殿の者は近づかないのでは?」

しかし、ウィステリアは駆けた。すらりと伸びた長身の体は、神殿の外では頼りなく見える。

穢れのない真っ白な神官服に負けじと透き通るプラチナブロンドの毛先が、彼の膝裏あたりをひらめく。
長い裾がひらひらと踊って、やはり白いくるぶしがちらちらと覗いた。

そして――

「えっ!」

少女は、今日一番の驚きの声を上げた。

……まだ血濡れているであろうブラッドのその胸のなかに、ウィステリアが飛び込んだのだ。

燃える岩のようなブラッドと、清浄な空気のなか咲き誇る藤の花のようなウィステリアが、抱き合っている。

それどころかブラッドはウィステリアを横抱きに持ち上げた。

広場に集った民たちはそれを見て、更に沸き立つようだった。まるで、結婚式を挙げる恋人たちへの祝福だ。

「あの、これは……」
「驚いたでしょう? お二人は、神のご縁で結ばれていると聞いたわ」
「え?」
「けれどそれを除いても、あのお二人を見ていたら、引き裂こうなんて誰も考えられない」

確かに、抱き合う彼らにはなんともいえない切実さが感じられる。
確かに心の奥深くから互いを求め合うような……少女の頬は熱を持ち、朱に染まった。

「ほら、きちんと見ていて。もっと大切なことを教えるわ」

彼らに注視していた見習い巫女の肩を、ぎゅっと鷲掴みにする感触が襲い、その身を跳ねさせる。

「これからあのお二人は、ウィステリア様の花園へ向かわれるの」

先輩の唇が、耳朶にしまうのではないかというほどに近づく。湿り気を帯びた声に、少女はますます怯えた。

「お二人はしばらく、花園から出てくることはないでしょうね。私たちはそれを、秘密の花園と呼んでいるわ」
「秘密の、花園……」
「いい? お二人が花園へ入られたら、絶対に、絶対に覗いては……いえ、近づくことすら許されないの」

はっきりと言い切る声がぞくぞくと皮膚を這うようだ。

「これは、神へのお祈りと同じく、決して忘れないでね」

少女は必死に頷いた。

「……さ。さぼってないで、勤めに戻るわよ」

唐突に、明るい声が背中を叩く。握られていた肩は解かれてもなお、少女はやや呆けていた。

「秘密の花園……」

再び彼女が窓の外を見やるころには、恋人たちの姿は見えなかった。

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