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5,アイドルって
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「元歌姫のジアンがサバイバルオーディション番組のプロデュース!?」
「そう! すっごく面白そうだよね! あたし今でもジアンのデビュー曲完コピで踊れるわ~」
今日は、どれほどその会話を聞いただろうか。
ジアンのプロデュースするサバイバルオーディション番組……。大学の構内や街中のカフェ、地下鉄などいたるところでその話題を耳にした。
そう口をそろえて熱狂的になれるものがあって、誰もが健全だと思う。思うだけで、羨ましいとは特に思わないが。それは彼が、いままで何かに興味を持ったり没頭したことがなく、その心地よさを知らないからだ。
(あ……興味がある人なら、今はいるかも)
そんな――シム・ジュヌという青年も、ジアンという歌手の名前くらいは知っている。いや、元歌手だったか。
百年に一人の歌姫・ジアンという触れ込みでデビューした彼女は、優れた歌声にダンスセンス、そして美貌を兼ね備えていた。天は二物を与えず。その言葉を真っ向から否定するような存在であった彼女は、曲をリリースする度にあらゆる音源サイトの一位を総なめした。
「急に引退したときはショックだったなあ」
「わかる~! 若手の育成したいって辞めちゃったんだよね」
アルバイト先へ向かうジュヌは、その言葉を聞いてふと息を呑んだ。決してジアンのことでも、ショックの思い出を語る女性にでもない。
引退。それは彼にとって、雨雲が去ったあとに残った水溜まりのような言葉だった。
『アイドルは今日辞めちゃったし』
昨夜……一夜を共にしたソルセという青年の声が頭に響きわたる。
「……ソルセさん」
口の中で、小さくその名前を呼ぶ。誰に聞かせるわけでもない、蚊の鳴くよりもかすかな音で。
どうしてもと頼まれた知り合いのバーでのアルバイト。その三日目にして出会ったのが、ソルセだった。ドアベルを鳴らしながら扉を開けた彼を見た瞬間は、本当に驚いた。長い髪を被った小さな顔、それを載せる長身に、すらりと伸びた腕と脚……高級店でもないカジュアルなこのバーに、業界の雰囲気を漂わせた客が、ふらりと現れるとは思っていなかった。
『マッケラン、ダブルでお願い』
その声は柔らかい音色で、しかしどこか冷えていた。
あまり客を見るわけにもいかないが、その瞳を見ると光を失った湖のようだった。薄く笑みを浮かべているようで、その実、微笑みなど作れていない。
初めこそ容姿に目を奪われたが、グラスを傾けるその何かを喪失したような心が気になった。
ウイスキーを何度も飲み干して、そしてその何度目かが訪れた頃、彼は声をかけてきた。そうして手を触れられて、甘えるように口説かれ、その後は――。
(まずいな)
出勤前に、あんなことを思い出しては下半身に異常をきたしてしまう。いや決して男としてそれは異常ではなく寧ろ正常だが、公共の場では危険なことだ。
店に着くとバックルームの椅子に座り、出勤前の夕食をとる。意識をソルセから離すために、やたらと世を騒がせている例のことでも調べることにした。コンビニエンスストアで買った海苔巻きを頬張りながら、スマートフォンの検索ウィンドウに『ジアン』と入力する。それだけで、『オーディション番組』という単語がサジェストされた。
動画配信サービスの公式チャンネルには、番組発表会見の動画が載っている。再生ボタンを軽くタップすれば、フラッシュのたかれた壇上に、黒真珠色のセットアップスーツを着た女性・ジアンが現れた。
なんとなく知っている彼女の歌手時代より、やや落ち着いた印象だ。
『もう一度、夢を見てみませんか。いいえ、見るだけではなく現実とするために、私と足を踏み出してみませんか』
その言葉とともに、ジアンの背後に設置されたスクリーンに番組のロゴマークが映し出される。
ドリーム・リブート・プログラム――きらきらと輝くロゴマークを眺めながら、ジュヌは海苔巻きをゆっくりと飲み下す。
『私はこの度、歌手時代から現在に至るまでお世話になったクム・エンタテインメントを去り、新たな事務所を設立いたします。その所属一号となるボーイズグループを、この番組を通して結成したいと思います』
番組はインターネットを通して全世界に配信される。ジアンを始めとするプロデューサー陣による評価、そして世界中からの投票……それらを鑑みてメンバーを選抜するという。そういった番組においてはもっともポピュラーな形式である。
『今回のオーディションで、制限などはありますか?』
質疑応答へと移り、記者がジアンに問う。
『はい。この度は私としても再出発の心持ちというところがあります。ですので、当番組もアイドルを目指す方にとって、もう一度夢を追いかけられる場所にしたいと考えています』
そうしてスクリーンには、その制限とやらが表示される。男性であること、事務所は未所属であること、さらに年齢の条件が並んだ。
『年齢は18歳~30歳。下限上限ともに高く設定いたしました。なんらかの理由で練習生になれず、いまは別のご職業に就いている方や、一度はデビューできたものの惜しくも去ってしまった方……経験は問いませんが、そういう想いの元に集っていただけたら嬉しいです』
その言葉にふと、思い出した。高校一年の頃だったか……ダンスが好きな友人に誘われて小さな発表会に出たことがあった。ダンスなどしたことはなかったが、生来器用なためか、そこそこ踊れるようになった。……その発表会をたまたま見ていたというスカウトマンに、練習生にならないかと声をかけられたことがあったのだ。
(あの時は、興味なかったし断ったけど。もし、その道を選んでいたら……?)
アイドルについて、ジュヌはよく分からない。なりたいとも思わなかった。しかしソルセは……それを辞めることになって、体を組み敷かせるほどに自棄になっていた。
「もっと知りたい……ソルセさんのこと」
ジュヌを知る者であれば、彼がそんな風に思うことを珍しいと目を丸くするだろう。それだけ、興味をもつことが意外なのだ。
「俺もやってみたら、ソルセさんのこともっと知られる……?」
画面の中のジアンが、そうだと笑いかけるように見えた。
「そう! すっごく面白そうだよね! あたし今でもジアンのデビュー曲完コピで踊れるわ~」
今日は、どれほどその会話を聞いただろうか。
ジアンのプロデュースするサバイバルオーディション番組……。大学の構内や街中のカフェ、地下鉄などいたるところでその話題を耳にした。
そう口をそろえて熱狂的になれるものがあって、誰もが健全だと思う。思うだけで、羨ましいとは特に思わないが。それは彼が、いままで何かに興味を持ったり没頭したことがなく、その心地よさを知らないからだ。
(あ……興味がある人なら、今はいるかも)
そんな――シム・ジュヌという青年も、ジアンという歌手の名前くらいは知っている。いや、元歌手だったか。
百年に一人の歌姫・ジアンという触れ込みでデビューした彼女は、優れた歌声にダンスセンス、そして美貌を兼ね備えていた。天は二物を与えず。その言葉を真っ向から否定するような存在であった彼女は、曲をリリースする度にあらゆる音源サイトの一位を総なめした。
「急に引退したときはショックだったなあ」
「わかる~! 若手の育成したいって辞めちゃったんだよね」
アルバイト先へ向かうジュヌは、その言葉を聞いてふと息を呑んだ。決してジアンのことでも、ショックの思い出を語る女性にでもない。
引退。それは彼にとって、雨雲が去ったあとに残った水溜まりのような言葉だった。
『アイドルは今日辞めちゃったし』
昨夜……一夜を共にしたソルセという青年の声が頭に響きわたる。
「……ソルセさん」
口の中で、小さくその名前を呼ぶ。誰に聞かせるわけでもない、蚊の鳴くよりもかすかな音で。
どうしてもと頼まれた知り合いのバーでのアルバイト。その三日目にして出会ったのが、ソルセだった。ドアベルを鳴らしながら扉を開けた彼を見た瞬間は、本当に驚いた。長い髪を被った小さな顔、それを載せる長身に、すらりと伸びた腕と脚……高級店でもないカジュアルなこのバーに、業界の雰囲気を漂わせた客が、ふらりと現れるとは思っていなかった。
『マッケラン、ダブルでお願い』
その声は柔らかい音色で、しかしどこか冷えていた。
あまり客を見るわけにもいかないが、その瞳を見ると光を失った湖のようだった。薄く笑みを浮かべているようで、その実、微笑みなど作れていない。
初めこそ容姿に目を奪われたが、グラスを傾けるその何かを喪失したような心が気になった。
ウイスキーを何度も飲み干して、そしてその何度目かが訪れた頃、彼は声をかけてきた。そうして手を触れられて、甘えるように口説かれ、その後は――。
(まずいな)
出勤前に、あんなことを思い出しては下半身に異常をきたしてしまう。いや決して男としてそれは異常ではなく寧ろ正常だが、公共の場では危険なことだ。
店に着くとバックルームの椅子に座り、出勤前の夕食をとる。意識をソルセから離すために、やたらと世を騒がせている例のことでも調べることにした。コンビニエンスストアで買った海苔巻きを頬張りながら、スマートフォンの検索ウィンドウに『ジアン』と入力する。それだけで、『オーディション番組』という単語がサジェストされた。
動画配信サービスの公式チャンネルには、番組発表会見の動画が載っている。再生ボタンを軽くタップすれば、フラッシュのたかれた壇上に、黒真珠色のセットアップスーツを着た女性・ジアンが現れた。
なんとなく知っている彼女の歌手時代より、やや落ち着いた印象だ。
『もう一度、夢を見てみませんか。いいえ、見るだけではなく現実とするために、私と足を踏み出してみませんか』
その言葉とともに、ジアンの背後に設置されたスクリーンに番組のロゴマークが映し出される。
ドリーム・リブート・プログラム――きらきらと輝くロゴマークを眺めながら、ジュヌは海苔巻きをゆっくりと飲み下す。
『私はこの度、歌手時代から現在に至るまでお世話になったクム・エンタテインメントを去り、新たな事務所を設立いたします。その所属一号となるボーイズグループを、この番組を通して結成したいと思います』
番組はインターネットを通して全世界に配信される。ジアンを始めとするプロデューサー陣による評価、そして世界中からの投票……それらを鑑みてメンバーを選抜するという。そういった番組においてはもっともポピュラーな形式である。
『今回のオーディションで、制限などはありますか?』
質疑応答へと移り、記者がジアンに問う。
『はい。この度は私としても再出発の心持ちというところがあります。ですので、当番組もアイドルを目指す方にとって、もう一度夢を追いかけられる場所にしたいと考えています』
そうしてスクリーンには、その制限とやらが表示される。男性であること、事務所は未所属であること、さらに年齢の条件が並んだ。
『年齢は18歳~30歳。下限上限ともに高く設定いたしました。なんらかの理由で練習生になれず、いまは別のご職業に就いている方や、一度はデビューできたものの惜しくも去ってしまった方……経験は問いませんが、そういう想いの元に集っていただけたら嬉しいです』
その言葉にふと、思い出した。高校一年の頃だったか……ダンスが好きな友人に誘われて小さな発表会に出たことがあった。ダンスなどしたことはなかったが、生来器用なためか、そこそこ踊れるようになった。……その発表会をたまたま見ていたというスカウトマンに、練習生にならないかと声をかけられたことがあったのだ。
(あの時は、興味なかったし断ったけど。もし、その道を選んでいたら……?)
アイドルについて、ジュヌはよく分からない。なりたいとも思わなかった。しかしソルセは……それを辞めることになって、体を組み敷かせるほどに自棄になっていた。
「もっと知りたい……ソルセさんのこと」
ジュヌを知る者であれば、彼がそんな風に思うことを珍しいと目を丸くするだろう。それだけ、興味をもつことが意外なのだ。
「俺もやってみたら、ソルセさんのこともっと知られる……?」
画面の中のジアンが、そうだと笑いかけるように見えた。
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