【創作BL/人間×人魚】愛を知る、透明人魚

佐竹梅子

文字の大きさ
9 / 10

九,別離

しおりを挟む

 クラルテを、愛している。
 生まれが違うだとか、性別が同じだとか……狡猾とされる人魚であろうが。

 クラルテを、愛している。
 その感情はマテウスに生きる気力を与え、温かな腕で抱き締められるように穏やかな心地にさせた。

「……母さん」

 しかし、母のことを思うと、またもマテウスは悩んだ。
 父の行方、そしてクラルテへの愛が、マテウスを板挟みにする。

 一度陸へ戻り、母に父のことを伝えてから、海へ戻る――いや、母に対して、そんな泣きっ面に蜂のような仕打ちはできない。
 夫と息子を人魚に奪われたなどと知ったら、もはや悲しみに狂ってしまうだろう。

「クラルテを、陸に……いいや、さすがに酷すぎる」

 人魚である彼を陸へ連れて行く。そんな非道なことが、できるはずもない。

 かといって、このまま残るのも……結局は母を案じる日々になるだろう。
 どうにも納得のいく結論が出ない。
 全員が幸せになるなど、欲張りで、夢見がちで、自分勝手な望みなのだろうか。

「……クラルテ、今日は遅いな」

 ここ数日の同じであれば、もう岸にやってきているはずだ。
 マテウスはしばし考えると、昨日与えられた人魚のまじないを思い出した。

 額へ受けたキスで、潮は体にしみず、泳ぐ体も軽くなっていた。幾分か息も長くなったようだった。

「見にいってみようか。クラルテ、驚くだろうな」

 少し悪戯をするような気分で、マテウスは海水に顔をつける。
 やはりまじないは解けていない。これならばクラルテを探せるだろう。

 マテウスはわくわくとしながら、恋人を探すため、深く海をもぐった。

 両腕を大きな櫂のように、広く掻く。
 きらきらと輝く魚たちとすれ違いながら、マテウスはクラルテを探す。

『あ。……クラルテかな』

 遠く、クラルテらしき影が見えた。
 海水に美しく舞う、透明な長い髪はクラルテのものに違いない。幾度となく口付けを落とした愛おしい髪だ。

『クラル――』

 少しずつ近寄りながら、彼は透明人魚クラルテを呼ぼうとした。いや、呼びたかった。
 けれどマテウスは――恐れに、ぴたりと立ち止まった。

 クラルテの毛先が、踊るように浮遊する。ああ、美しい光景だ。
 しかしそれは刹那、鋭く伸びて水中の魚を捕らえる。輝く鱗の胴体にぐるぐると巻き付き、魚は瞬きほどで静かになった。

 そうして、クラルテの後頭部に――ぱっくりとした裂け目が現れ、口のように開かれる。
 捕まえた魚は、呆気なくその中へ放り込まれた。

 これが……人魚の食事、なのか。
 そういえば、食事を共にしたことは一度もなかった。火を通した魚を戯れにすすめたことはあるが、あまり欲しそうでなかったのは、環境のせいだと思っていたのだが。

『ひっ!』

 恐い。クラルテに――人魚に対して、初めて恐怖を覚える。
 情けない声がもれて、体が小刻みに震えていくのが分かった。

『マテウス……?』

 ゆっくりと振り返るクラルテは、いつものクラルテだった。
 穏やかで優し気な表情……透明といえど、マテウスはそんなクラルテに恋をした。

 けれどその表情は、一瞬で悲哀に沈んだ。

『もしかして……見ていた?』
『あっ、いや、その……見るつもりは、なくて』

 マテウスの動揺が、問いの答えを物語る。クラルテの瞳から、泡のように一粒の涙が零れ、海宙へ浮かんだ。

『……マテウスには、見られたく……なかった。大地の子と違う、……』

 それから、互いになにも言葉にできず、背を向けて去るしかなかった。



『マテウス……シャチを呼ぶよ』

 あくる日、クラルテは波間から顔を出して、岸に座るマテウスに告げる。

『陸に連れて行ってくれるよう、お願いしたから』

 クラルテの声は、存外軽やかだった。しかしそれも、精一杯の繕いだろう。
 それが分からないほど、マテウスの愛だって軽いものではない。

「クラルテ……」

 クラルテのことは愛している。けれど、恐ろしい。恐ろしいのだ。
 目蓋を閉ざせば、あの光景がまざまざと思い出される。踊るように伸びた毛先が魚を捕らえ、そして――。

 生きる場所の違いを、今回ばかりは強かに突き付けられた。
 しかしこれで恐ろしいという気持ちに飲み込まれ、人魚クラルテから距離をとってしまったら……いままでの人間たちとなにも変わらない。

 マテウスは顔面を手のひらでがしがしと掻くと、やがてクラルテに向けて笑顔を作った。

「僕が君を愛したことも、君が僕を愛してくれたことも、なにも間違ってはいない」
「……マテウス」
「間違っているのは……棲家が違うから、異なるから、そうやって隔たりをもつ人間ぼくだ」

 水面に浮く、クラルテの頭に手を伸ばす。一息深く吐いてから、そっと濡れた髪に触れた。
 人魚にとっては捕食のための髪だが――マテウスにとっては、いじらしく愛すべき髪だ。

「君の事を、物語にするよ。人々に伝えていく……愛を知る、透明な人魚がいることを」
「うん……ありがとう」

 クラルテの微笑みは、いままで見てきたなかでも、とびきりに美しく輝いていた。


 シャチの背に乗った青年の姿が、順調に離れていく。
 快晴の空の下、愛する人間の幸福を祈った。

「マテウス――」

 吐息のような声が響く。クラルテは波間に顔を出したまま、そっと瞼を落とした。
 ほろり、と涙がこぼれた。その涙の一粒一粒には、マテウスとの思い出が刻まれている。

「愛しい思い出を、海へ……」

 思い出をすべて涙と変えると、ゆっくりと海中へ仰向けに降りていく。
 体が沈むのと同時に、人魚の体は爪の先から泡へと変わった。

 ゆっくり、ゆっくりとその体は形を失っていく。

『マテウス、愛しているよ』

 涙の結晶たちはあぶくに煽られながら、海底の故郷へ降り注ぐだけだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...