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日常編
124 ある日の鍛錬
その日、私は久しぶりに植物図鑑を引っ張り出して、森の雑草たちの種類を調べていた。ギルドで買い取ってくれるような薬草の種類は覚えていても、ただの雑草の種類なんて普段から意識しているものでもなく、時々こうして確認しておかないとあっという間に忘れてしまうのだ。
雑草の種類なんて覚えて何になるんだ、と最初の頃は思っていた私も、今では自ら復習するくらいには雑草に関心を持っている。一括りに「雑草」といっても、実は解毒作用を持っていたり、傷の治りを早める成分を持つものだってある。それに、意外とおいしいものもあったりするのだ。
傷は魔法で治せるとはいっても、そればかりだと自己治癒力が低下しそうで怖い。だから私は、緊急時や大怪我の時以外はできるだけ自然治癒に任せることにしている。そんな時に役に立つのが雑草たちだ。どこにでも生えている雑草なら、その場で即席の傷薬が作れる。野営時の食料にだってできる。知れば知るほど自分たちの役に立つ雑草たちに、私はどんどんのめり込んでいったのだ。
ちなみに、なぜそんな役に立つものが売れないのかというと、どこにでも生えているせいで買う人がいないからだ。買うくらいなら自分で摘んでくる。それが手間にならないほど、少し歩けば見かけるようなものなのだ。
そんな雑草に興味津々の私は、どこかに自分の知らない雑草は無いか、レア雑草は無いか、など集中して調べていた。それはもう、前のめりになりすぎて地面に突っ込みかけるくらいに。
そんな、周りの様子など一切見えていなさそうな私ではあるが、実はそんなことはない。
火山での失敗ーー気を抜いて周囲の確認を怠ったために、普通、人がいるはずのない場所から私達が出てきた姿を目撃されたことーーから、どんなときでも周囲の警戒は怠るべきではないという教訓を得た私は、無意識下でも気配察知を切らさないよう訓練を重ね、見事にそれを習得したのである。つまり、雑草にのめり込んでいる状態であっても、周囲では何が起きているか敏感に感じ取っていたのだ。ーー南西、十五メートル先の木の枝に止まっていた小鳥が飛び立ったことすらも、私には認識できていた。
だというのに、何が起こったのか。気付かないうちに、私の背後一メートルにまで入り込んできた存在がいた。私が気づいたのは、肩を叩かれ、声をかけられた時だった。
「……何してるの?」
ぼんやりとした、緊張感の無い声だ。
しかし、いつの間にここまで近づいていたのか、全く感じない気配に、私は思わず飛び退る。突然人が現れたという驚きと、それに気付けなかったことに対する自分への失望で呆然とする私の目の前に立っていたのは、ライくんだった。
「図鑑……。勉強……?」
さっきまで私が座り込んでいた場所に残された植物図鑑に目を止めたライくんは、それを拾い、ペラペラとページをめくる。暗殺者に育てられた過去のあるライくんにとって、それは見慣れたものだろう。雑草の中には、使いようによっては人を殺せるものだってあるんだから。
眺めるようにペラペラとページをめくっていたライくんだったが、特に興味も沸かなかったのか、唐突にパタンと閉じてしまう。図鑑に向けられていた無機質な瞳は、私を視界に入れた途端、温かみを帯びたような気がした。
「今日は鍛錬、しないの……?」
コテンと首を傾げて尋ねられれば、私は一瞬にして思い出した。アルトさんが出かけてしまったことで油断していたが、この日はライくんが指導してくれる日だったのだ。
「あぁー!ごめん、わすれてた!」
すぐに準備するね、と図鑑を受け取って着替えに走った私は、この一瞬ですっかり忘れてしまっていたのだ。ライくんの気配が、一切しなかったことに。
図鑑を本棚に戻し、運動着に着替えた私は急いで庭へと向かう。わざわざ鍛錬を見てもらっているというのに、そのことを忘れていたあげく、さらに準備に手間取るなんてことがあったら目も当てられない。
しかし、そこにはライくんの姿はなかった。それほど時間はかけていないはず。温厚なライくんが、怒ってどこかへ行ってしまうなんてことも考えられない。……急にお腹が痛くなったのだろうか?庭の中心に佇んで首を傾げる私は、再び驚かされることになった。
「……チナ、こっち」
後ろから突然肩を捕まれ、声をかけられる。二回目だというのに、私はまた驚いて飛び退っていた。
「ライくん、気配が無いよ!」
思わず叫ぶ私を気にすることなく、ライくんはうなずいて言う。
「今日は、気配を消す練習」
そこから先のことは正直、思い出したくない。簡単に説明を聞いただけでも、人間業とは思えなかった。それを軽々とやってのけ、私にも「できるでしょ?」と言わんばかりの態度でいるライくんが、心底恐ろしかった……。
ライくんが教えてくれた気配を消す方法はこうだ。
まず、呼吸を抑える。空気を揺らさないように、小さく呼吸をするのだ。これはまだ理解できる。生き物の呼吸音というのは、気配を感じ取るうえで重要な部分だ。なにせ、そこで死んでいるか生きているか判断できるのだから。私も、本気で集中するときには息を止めて周囲の呼吸音を探る、ということもあるくらいだ。これは訓練すればできるようになるはずだ。
次に、心臓の鼓動を抑える。……どうやって?というのが私が最初に抱いた感情だった。焦れば鼓動は早くなる。なら落ち着けば良い。しかし、それでは足りないのだ。平常時以下に、鼓動の大きさ、速度を下げなければいけない。そうすればもちろん血の巡りは悪くなるだろうし、体の動きにも影響が出てくる。そうならないために、即座に体の調子を最適に戻す訓練までしなくてはならない。正直言って、何を言っているのかわからなかった。
最後に、周囲に溶け込むように自分の存在感を消す。これは経験を積むのが一番だということで、私は森に放り込まれた。自分は森の一部、木の枝にでもなったつもりで、ただそこに「ある」ことを意識する。自我を出してはならない。動いて良いのは、風になびかれる時だけ。たまに「私、なにやってるんだろう……?」って気分になってくるが、そんなことを考えてしまった時点で失敗だ。
正直、できる気がしない。こんなの、人間ができることじゃない。
そうは思っても、実際にできてしまっている人が目の前にいるわけで……。
ーーその日は、何の成果も得られずに一日を終えたのだ。
それから、気配を消して生活するライくんを度々見かけるようになった。
どうやら、ライくんにとってはこれが本来の姿だったようで、私と出会ってからは私に合わせて、意識して存在感を表していたらしい。なんか、すごく特殊な人だな、と思った。
私が周囲の気配を敏感に感じ取れるようになったと判断したライくんは、それから徐々に気配が薄くなっていったのだった。
雑草の種類なんて覚えて何になるんだ、と最初の頃は思っていた私も、今では自ら復習するくらいには雑草に関心を持っている。一括りに「雑草」といっても、実は解毒作用を持っていたり、傷の治りを早める成分を持つものだってある。それに、意外とおいしいものもあったりするのだ。
傷は魔法で治せるとはいっても、そればかりだと自己治癒力が低下しそうで怖い。だから私は、緊急時や大怪我の時以外はできるだけ自然治癒に任せることにしている。そんな時に役に立つのが雑草たちだ。どこにでも生えている雑草なら、その場で即席の傷薬が作れる。野営時の食料にだってできる。知れば知るほど自分たちの役に立つ雑草たちに、私はどんどんのめり込んでいったのだ。
ちなみに、なぜそんな役に立つものが売れないのかというと、どこにでも生えているせいで買う人がいないからだ。買うくらいなら自分で摘んでくる。それが手間にならないほど、少し歩けば見かけるようなものなのだ。
そんな雑草に興味津々の私は、どこかに自分の知らない雑草は無いか、レア雑草は無いか、など集中して調べていた。それはもう、前のめりになりすぎて地面に突っ込みかけるくらいに。
そんな、周りの様子など一切見えていなさそうな私ではあるが、実はそんなことはない。
火山での失敗ーー気を抜いて周囲の確認を怠ったために、普通、人がいるはずのない場所から私達が出てきた姿を目撃されたことーーから、どんなときでも周囲の警戒は怠るべきではないという教訓を得た私は、無意識下でも気配察知を切らさないよう訓練を重ね、見事にそれを習得したのである。つまり、雑草にのめり込んでいる状態であっても、周囲では何が起きているか敏感に感じ取っていたのだ。ーー南西、十五メートル先の木の枝に止まっていた小鳥が飛び立ったことすらも、私には認識できていた。
だというのに、何が起こったのか。気付かないうちに、私の背後一メートルにまで入り込んできた存在がいた。私が気づいたのは、肩を叩かれ、声をかけられた時だった。
「……何してるの?」
ぼんやりとした、緊張感の無い声だ。
しかし、いつの間にここまで近づいていたのか、全く感じない気配に、私は思わず飛び退る。突然人が現れたという驚きと、それに気付けなかったことに対する自分への失望で呆然とする私の目の前に立っていたのは、ライくんだった。
「図鑑……。勉強……?」
さっきまで私が座り込んでいた場所に残された植物図鑑に目を止めたライくんは、それを拾い、ペラペラとページをめくる。暗殺者に育てられた過去のあるライくんにとって、それは見慣れたものだろう。雑草の中には、使いようによっては人を殺せるものだってあるんだから。
眺めるようにペラペラとページをめくっていたライくんだったが、特に興味も沸かなかったのか、唐突にパタンと閉じてしまう。図鑑に向けられていた無機質な瞳は、私を視界に入れた途端、温かみを帯びたような気がした。
「今日は鍛錬、しないの……?」
コテンと首を傾げて尋ねられれば、私は一瞬にして思い出した。アルトさんが出かけてしまったことで油断していたが、この日はライくんが指導してくれる日だったのだ。
「あぁー!ごめん、わすれてた!」
すぐに準備するね、と図鑑を受け取って着替えに走った私は、この一瞬ですっかり忘れてしまっていたのだ。ライくんの気配が、一切しなかったことに。
図鑑を本棚に戻し、運動着に着替えた私は急いで庭へと向かう。わざわざ鍛錬を見てもらっているというのに、そのことを忘れていたあげく、さらに準備に手間取るなんてことがあったら目も当てられない。
しかし、そこにはライくんの姿はなかった。それほど時間はかけていないはず。温厚なライくんが、怒ってどこかへ行ってしまうなんてことも考えられない。……急にお腹が痛くなったのだろうか?庭の中心に佇んで首を傾げる私は、再び驚かされることになった。
「……チナ、こっち」
後ろから突然肩を捕まれ、声をかけられる。二回目だというのに、私はまた驚いて飛び退っていた。
「ライくん、気配が無いよ!」
思わず叫ぶ私を気にすることなく、ライくんはうなずいて言う。
「今日は、気配を消す練習」
そこから先のことは正直、思い出したくない。簡単に説明を聞いただけでも、人間業とは思えなかった。それを軽々とやってのけ、私にも「できるでしょ?」と言わんばかりの態度でいるライくんが、心底恐ろしかった……。
ライくんが教えてくれた気配を消す方法はこうだ。
まず、呼吸を抑える。空気を揺らさないように、小さく呼吸をするのだ。これはまだ理解できる。生き物の呼吸音というのは、気配を感じ取るうえで重要な部分だ。なにせ、そこで死んでいるか生きているか判断できるのだから。私も、本気で集中するときには息を止めて周囲の呼吸音を探る、ということもあるくらいだ。これは訓練すればできるようになるはずだ。
次に、心臓の鼓動を抑える。……どうやって?というのが私が最初に抱いた感情だった。焦れば鼓動は早くなる。なら落ち着けば良い。しかし、それでは足りないのだ。平常時以下に、鼓動の大きさ、速度を下げなければいけない。そうすればもちろん血の巡りは悪くなるだろうし、体の動きにも影響が出てくる。そうならないために、即座に体の調子を最適に戻す訓練までしなくてはならない。正直言って、何を言っているのかわからなかった。
最後に、周囲に溶け込むように自分の存在感を消す。これは経験を積むのが一番だということで、私は森に放り込まれた。自分は森の一部、木の枝にでもなったつもりで、ただそこに「ある」ことを意識する。自我を出してはならない。動いて良いのは、風になびかれる時だけ。たまに「私、なにやってるんだろう……?」って気分になってくるが、そんなことを考えてしまった時点で失敗だ。
正直、できる気がしない。こんなの、人間ができることじゃない。
そうは思っても、実際にできてしまっている人が目の前にいるわけで……。
ーーその日は、何の成果も得られずに一日を終えたのだ。
それから、気配を消して生活するライくんを度々見かけるようになった。
どうやら、ライくんにとってはこれが本来の姿だったようで、私と出会ってからは私に合わせて、意識して存在感を表していたらしい。なんか、すごく特殊な人だな、と思った。
私が周囲の気配を敏感に感じ取れるようになったと判断したライくんは、それから徐々に気配が薄くなっていったのだった。
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