青いアネモネ

櫟 真威

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その週は深夜勤が続いた。
少しでも収入を増やそうと、シフトをお願いしていたのだ。
シフトが完成した今月には、夫はいなくなるし、得体の知れない男に訪ねてこられるしで辟易する。
バスがあるので鷲尾の送迎の申し出は丁重に断った。
深夜とはいえ慣れた仕事なので津田山邸よりは気楽だ。
急患もなく穏やかな夜だった。
「穏やかな夜」等と言葉にしたら急変が起きるので、同僚とは目を見合わせて微笑む程度にしておいた。

「そういやバスで来たね。
引っ越しでもしたの?」

同僚ナースに声をかけれられた。

「あー……」

なんと説明したものか。

「人事で把握したいから帰り寄ってって」

「わかった」

答えてから、どこまで話していいのか悩んだ。
既婚なのは衆知。
失踪は知られていない。
変な住み込みの話も……云いにくい。
仕方なし、鷲尾に電話した。

「旦那はまだ見つからないぜ」

「……ですよね」

夫が見つかれば変な言い訳も不要になる。
が、そんなに甘くなかった。
夫が仕事を探しに内地へ行ったことにして、その間私は親戚の家に下宿している、と説明した。
鷲尾の入れ知恵だ。

「公共事業増えるからね、確かに内地の方が見つかるかもね」

夫に定職がないことを知られているのも複雑だが、信じてもらえた。
本当に、夫は見つかるのだろうか。
バスを待っていると、ローバーミニが停まった。
知らんぷりをしていると、大声で私の名を呼ぶ。
たまらず乗車した。

「やめてください。
知り合いに見られたら」

「迷惑?」

「だって……結婚してるのに、男の人となんて……」

「真面目だねぇ」

真面目ではない。
夫への愛も、近年擦り切れてきていた。
私が働かないと夫も私も食べられない。
だから必死にこなしていただけ。

「そうですよ。
私は真面目なんですから、寝込みを襲うのはやめてください」

「その約束はできねぇなぁ」

あの日から、時々鷲尾は私をからかいに来る。
唇や首筋に軽いキスをして、身体を撫でまわす。
鷲尾は女慣れしているのか、私との距離感が絶妙だ。
入院患者にされるような不快さや嫌悪感はない。
……私って助平なのだろうか。
欲求不満だったら嫌だなぁ。

「長い付き合いになるんだから、仲良くしようぜ」

「貞操は守らねば」

鷲尾が腿に手を乗せてきた。
それをぺちっと叩く。

「おお強気」

鷲尾が楽しそうに手を引っ込めた。
からかわれている。
私はふくれた。
気づくと、車は知らない道を走っていた。

「み、道が違います」

「翁に頼まれてんだ」

「何を」

「パンツくらい新調しろって」

「せくはらっ」

ローバーミニは聞いたこともないショップの駐車場に停車した。
これ一枚で一週間の食費、な下着が並んでいる。
鷲尾は私にクレジットカードを手渡した。

「いやいやでも」

「翁の前にいるときは見せなくても身につけてほしいってさ」

それでも渋っていると、鷲尾は適当に選んでいく。
何故サイズを知っているのだろう。
経済的理由で手に取ることのなかったかわいい下着。
どきどきしてきた。
鷲尾は別のフロアで洋服も選び出した。

「鷲尾さんっ」

「借金に上乗せしないから、心配すんな」

給仕にジャージはあり得ないと嘆かれたらしい。

「ミニはやめてくださいっ」

「なんで。
きれいな脚してんだから、見せないと」

「見せ……っ」

このままでは本当に愛人になってしまう。
夫さえ見つかれば。
どこへいってしまったのだろう。
私になんの相談もなしで。
……本当に、夫は失踪したのだろうか。
まさか、この人たちに……。

私はその場にうずくまり、動けなくなってしまった。 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

「夜勤明けだもんな、無理させてごめん」

私はベッドに寝かされていた。
そのベッドに鷲尾も腰かけている。
たぶん貧血だ。 
勤務明けのあと、何も口にしていなかった。
疲労ばかりが溜まっている。

「ここ、どこですか」

「ん?
ラブホ。
休むのに適当なとこがなかった」

「えっ」

絶句するが起き上がれない。
しばらく休んでいるしかなさそうだ。
鷲尾が飲み物を差し出してくる。
ありがたく受けとり、口にする。
鉄分配合、などと書かれたその瓶を空にすると少し身体が楽になった。

「すみませんでした、もう起きられます」

鷲尾の時間を使わせている負い目を感じる。
なんとか起き上がる。
しかし、起き上がろうとするとまだ目眩がした。

「まだ時間あるからいいのに」

鷲尾は私の上にのし掛かってきた。

「一発やっとくか?」

軽い調子に笑ってしまう。
本気でないことが伝わってきたのだ。
しかし鷲尾は私に口づけをした。
……私の勘など当てにならない。
恐怖を感じさせない襲い方、なんて高等技術だ。
鷲尾の体重を感じながら、寄せられた頬に打ち明けた。

「あの……もう大分していないんです」

「ん?」

「なので、その意味でも困るんです」

私の考えでは、鷲尾は正当な理由さえあればわかってくれるはず。
慌てず、理性的に話をするのだ。
がんばれとおる。

「うん、知ってた。
男慣れしてない上に、ご無沙汰だろうなって」

……いやもうほんとに、私の考えなんて休むに似たりですよ。
ばればれでしたか。
鷲尾の顔が近すぎ、目を反らすと唇が追いかけてきて捉えられた。
深く丁寧なキス。

「ん……っあ……」

逃げないようになのか、頭を抱え込まれている。
夫ともこんなキスをしたことがない。
私たちは子供だったのだ。
夢見勝ちな子供だったのだ。
明日のことすら想像できない子供だったのだ。

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