青いアネモネ

櫟 真威

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部屋に戻ると買ったばかりの下着を袋から出す。
津田山の前では必ず身に付けると約束してしまったからだ。

ホテルでの一時間、鷲尾は口づけ以上のことをしてこなかった。
私が起き上がれるようになるまで、顔を覗きこみ頭を撫でていた。
不思議な人だ。
彼に云わせると私の方がかなりずれているらしいが。

鷲尾の配慮でいつの間にか据えられていた姿見が、私の下着姿を捉える。
仕事に明け暮れて日焼けもしていない、痩せた体躯。
肌も髪もぱさついている。
それでも下着をきちんとつけると、背筋がしゃんとしてスタイルがよくなったような錯覚をする。
津田山の云いたいことがわかったような気がした。
下着と一緒に購入された鹿の子のワンピースを取り出す。
鷲尾と口喧嘩という名の交渉の末、スカート丈は膝下に落ち着いた。

「裾から手を入れるって楽しみ方もあるしな」

鷲尾の冗談は冗談に聞こえない。
文机に姿見、小さな和箪笥。
無味乾燥な室内が少しずつ人の暮らす部屋になっていく。
気遣いをする鷲尾と口喧嘩セクハラな鷲尾。
どちらが本当の鷲尾なのだろうか。
ブラウスやスカート、ワンピースをハンガーにかけ、きちんと収納する。
暮らしに追われておしゃれとは無縁な生活をしていたけれど、やはり女、可愛らしい格好は憧れる。
津田山の前に出るときはきちんとした格好でいよう。
給食当番のようなエプロンをつけると、階下へ向かった。

「あれ。
夜勤明けなら少し寝た方がいいんじゃないの」

多江は、私が休みの日はほとんどの仕事を私に振ってくれる。
気遣いながらも私のやる気を評価してくれた。
私も出来高払いを意識して積極的に引き受けた。
私の新しいワンピースをにこにこしながら多江は眺め、云った。

「その格好で廊下の雑巾掛けをしたら、旦那様喜ぶと思うわよ」

多江の冗談も冗談に聞こえない。
しかし津田山の目を丸くしたところを想像し、いたずら心がわいた。
廊下を雑巾を滑らせ走る。
ジャージと違いスカートが足に纏わりつく。
それが気になりバランスを崩した。
濡れた床に足を取られ体が反転し、転倒したのだ。
どしん、とかなりいい音がした。
慌てて起き上がる。
スカートが捲れ、下着が見えていた。
急いでスカートの裾を直す。
すごく恥ずかしい。
津田山の部屋の方を見やると、障子は閉じられたまま、静かだった。
ほっ、と息をつく。

「意外とじゃじゃ馬だな、とおる」

津田山の声がして飛び上がった。

障子には膝くらいの高さにガラスが嵌められており
そこから丸見えだったのだ。

「いやぁぁぁ」

私は床に転がり悶えた。
津田山の楽しそうな笑い声が響いた。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

「そういう楽しいイベントは俺がいるときにしてほしい」

夕食の給仕をしていると鷲尾がやって来た。
翁のために燗を携えている。
私は赤い顔で津田山を軽く睨む。
津田山は首を横に振る。
では多江が話したのか。

「いや、庭からも見えたらしい。
健さんが、白とは奥ゆかしいですな、って云ってたよ」

「いやぁぁぁ」

鷲尾の台詞は私の悲鳴で掻き消され、はしなかった。
私は畳に額をつけた。
立ち直れそうになかった。

「そうか、俺だけ見損ねてるのか」

今思い出したかのように鷲尾は云う。

「それは不公平だな」

津田山までもが楽しそうにうんうんと頷く。
津田山は、部下である鷲尾のくだけた口調や態度を気にした風がない。
元々こんな関係性だったのだろうか。
第一印象の格式高い好好爺のイメージが瓦解していく。
年齢を聞いたことはないが還暦は過ぎていると思う。

「少し見せてやったらどうだ、とおる」

「嫌ですっっ」

津田山に所望され酌をしたが、唇が尖ったままだった。
それを見てまた津田山は笑った。

「にしてもボタン。
どうして一番上までぴっちり留めてるんだよ、外せよ」

鷲尾が私の胸元を見て云った。
ポロシャツ風のワンピースは襟から胸元にかけて四つのボタンがついている。

「でも」

「別に外してもいいだろ、見える訳じゃなし」

「う」

「そうだな、その方が色気もあるしいいかもな」

津田山も鷲尾の後押しをする。
色気。
さんざん指摘されているワードだ。
渋々従う。
一つ一つゆっくり外す。
なんだか手が震えてしまう。
なぜか二人は私の手元をガン見している。
脱ぐわけでもないのに無性に恥ずかしい。
すっかり外したとき、津田山が箸を落とした。
私は咄嗟に屈んで拾う。
顔を上げると二人が私の胸元を覗き込んでいた。
中学生のような顔をしている。

「怒りますよ!」

私は胸元を押さえて真っ赤になった。
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