6 / 9
第6話 服従こそが正義
しおりを挟む
「鹿島が好きな雨野に手を出すとは、いい度胸だな」
鳳が低く、温度のない声でそう述べた直後だった。視界が激しく揺れ、僕の腹部に鉄塊を叩き込まれたような衝撃が走った。
(……っ!)
声すら出なかった。あまりの激痛に、僕は無様に腹を抱え、泥だらけの地面を転げ回った。肺から酸素が追い出され、喉の奥からせり上がってくるのは猛烈な吐き気。地面を這いずり、苦悶する僕の姿を見て、鹿島が下品な笑い声を上げた。
「ガハハハハ! 見ろよ、コイツ、たった一発で地面を這いつくばってるぞ!」
鳳は何も言わず、口角を吊り上げてニタニタと笑いながら、今度は僕の腹を容赦なく蹴り上げた。
「グフッ!」
僕は耐えきれず、昼に食べたものが口から溢れ出した。意識が遠のく中、その吐瀉物が、鳳の履いていたズボンを汚したのが見えた。その瞬間、鳳の顔色が変わった。
「……テメェ」
鳳の顔が怒りで真っ赤に染まる。さっきまでの余裕は消え失せ、獣のような唸り声を上げると、彼は狂ったように僕の体を何度も、何度も蹴り飛ばした。ゴツッ、ボキッ、という嫌な音が体の中から響く。あまりの猛攻に、猪瀬が慌てて鳳の肩を掴んで制止した。
「凱、落ち着け! やりすぎだ、これ以上やるとバレるぞ!」
猪瀬の言葉で、鳳はようやく憑き物が落ちたように冷静さを取り戻した。荒い息を吐きながら、彼は鋭い、氷のような目つきで鹿島を睨みつけた。
「……鹿島。あとでコイツに、俺の制服のクリーニング代を請求しとけ」
吐き捨てるようにそう言うと、鳳、猪瀬、蝶野の3人は僕をゴミ屑のように残して倉庫裏から立ち去っていった。1人残った鹿島は、倉庫から持ち出したバケツに水道の水を汲んでくると、朦朧とする僕の頭から勢いよく浴びせた。
「……っ、がはっ!」
冷水で無理やり意識を引き戻される。まぶたを開けると、目の前にはこちらを激しく睨みつける鹿島の顔があった。
「おい、白井。凱のズボンのクリーニング代として1万円出せ」
「……いち、まん……そんなの、持ってない……」
「黙れ。 今持っていないのなら明日までに用意しろ」
鹿島は僕の胸ぐらを掴み、顔を至近距離まで寄せた。その瞳に宿る暗い悦びに、僕は身がすくむ。
「それとな……2度と、雨野さんと話をするな。分かったか?」
その一言で、全てを察した。鹿島たちに呼び出されて、ボコボコにされたのは、僕が雨野さんと過ごしているあの時間を奪うこと。
「……はい……」
僕は絞り出すように答えた。雨野さんが声をかけてくれるあの時間は、僕の人生で唯一の光だった。けれど、ここで「できません」なんて答えたら、次は殺されるかもしれない。こいつらは中学時代、1人の野球部員を自殺まで追い込んだ怪物だ。不祥事によって推薦は取り消されたが、それは部としての連帯責任であり、こいつら個人に少年院や保護観察といった罰則は一切なかった。現在はただの不運な野球少年として、のうのうとこの学校へ流れてきたのだ。僕は雨野さんとの天国の時間を諦めることにした。そうするしか、僕には生き残るための選択肢がなかったんだ。
鹿島の足音が遠ざかり、重苦しい静寂が倉庫裏に戻ってくると、堰き止めていたものが一気に崩れ出した。情けなくて、悔しくて、自分の弱さに涙が溢れてきた。
「僕は……なんて、無力なんだ……」
アイツらに歯向かう勇気なんて、最初から一欠片も持っていなかった。160センチの小柄な体躯。大きな声を出すことさえ苦手で、喧嘩なんて物語の中の出来事だと思っていた僕にとって、剥き出しの暴力の前でできることは服従だけだった。鹿島は帰り際、蛇のような目をしてセンコーにチクるなよと念を押していった。言われなくても分かっている。中学時代、あの野球部でいじめられていた生徒は、勇気を出して先生に相談した。けれどその結果、教師の不手際から相談したことがヤツらに漏れ、地獄はさらに激化したのだ。学校の先生なんて、いざという時には何の役にも立たない。自分の身を守るためには、この屈辱を飲み込み、沈黙を貫くしかないことを僕は痛いほど知っていた。
僕はボロボロの体を引きずるようにして、人目を避けて家に帰った。僕の母は幼い頃に病気で亡くなり、今は父と2人暮らしだ。父は長距離トラックのドライバーをしていて、週の半分は家を空けている。鏡を見ると、幸いなことに顔に目立つ傷はなかった。けれど、服を脱げば体中が赤黒いあざだらけだ。今日が父の帰ってこない日で、本当に助かったと思ってしまった。
浴室でシャワーを浴びる。温かいお湯があざに染みて激痛が走るけれど、心の痛みはその数倍も鋭かった。
「……っ……う、……」
もう二度と、雨野さんとの天国の時間は訪れない。漫画の話をして、彼女の笑顔を間近で見て、自分が人間であることを実感できたあの10分間は、今日、暴力によって奪い去られた。
僕は風呂場で膝を抱え、泣き声を押し殺しながら、ただひたすらにすすり泣いた。
鳳が低く、温度のない声でそう述べた直後だった。視界が激しく揺れ、僕の腹部に鉄塊を叩き込まれたような衝撃が走った。
(……っ!)
声すら出なかった。あまりの激痛に、僕は無様に腹を抱え、泥だらけの地面を転げ回った。肺から酸素が追い出され、喉の奥からせり上がってくるのは猛烈な吐き気。地面を這いずり、苦悶する僕の姿を見て、鹿島が下品な笑い声を上げた。
「ガハハハハ! 見ろよ、コイツ、たった一発で地面を這いつくばってるぞ!」
鳳は何も言わず、口角を吊り上げてニタニタと笑いながら、今度は僕の腹を容赦なく蹴り上げた。
「グフッ!」
僕は耐えきれず、昼に食べたものが口から溢れ出した。意識が遠のく中、その吐瀉物が、鳳の履いていたズボンを汚したのが見えた。その瞬間、鳳の顔色が変わった。
「……テメェ」
鳳の顔が怒りで真っ赤に染まる。さっきまでの余裕は消え失せ、獣のような唸り声を上げると、彼は狂ったように僕の体を何度も、何度も蹴り飛ばした。ゴツッ、ボキッ、という嫌な音が体の中から響く。あまりの猛攻に、猪瀬が慌てて鳳の肩を掴んで制止した。
「凱、落ち着け! やりすぎだ、これ以上やるとバレるぞ!」
猪瀬の言葉で、鳳はようやく憑き物が落ちたように冷静さを取り戻した。荒い息を吐きながら、彼は鋭い、氷のような目つきで鹿島を睨みつけた。
「……鹿島。あとでコイツに、俺の制服のクリーニング代を請求しとけ」
吐き捨てるようにそう言うと、鳳、猪瀬、蝶野の3人は僕をゴミ屑のように残して倉庫裏から立ち去っていった。1人残った鹿島は、倉庫から持ち出したバケツに水道の水を汲んでくると、朦朧とする僕の頭から勢いよく浴びせた。
「……っ、がはっ!」
冷水で無理やり意識を引き戻される。まぶたを開けると、目の前にはこちらを激しく睨みつける鹿島の顔があった。
「おい、白井。凱のズボンのクリーニング代として1万円出せ」
「……いち、まん……そんなの、持ってない……」
「黙れ。 今持っていないのなら明日までに用意しろ」
鹿島は僕の胸ぐらを掴み、顔を至近距離まで寄せた。その瞳に宿る暗い悦びに、僕は身がすくむ。
「それとな……2度と、雨野さんと話をするな。分かったか?」
その一言で、全てを察した。鹿島たちに呼び出されて、ボコボコにされたのは、僕が雨野さんと過ごしているあの時間を奪うこと。
「……はい……」
僕は絞り出すように答えた。雨野さんが声をかけてくれるあの時間は、僕の人生で唯一の光だった。けれど、ここで「できません」なんて答えたら、次は殺されるかもしれない。こいつらは中学時代、1人の野球部員を自殺まで追い込んだ怪物だ。不祥事によって推薦は取り消されたが、それは部としての連帯責任であり、こいつら個人に少年院や保護観察といった罰則は一切なかった。現在はただの不運な野球少年として、のうのうとこの学校へ流れてきたのだ。僕は雨野さんとの天国の時間を諦めることにした。そうするしか、僕には生き残るための選択肢がなかったんだ。
鹿島の足音が遠ざかり、重苦しい静寂が倉庫裏に戻ってくると、堰き止めていたものが一気に崩れ出した。情けなくて、悔しくて、自分の弱さに涙が溢れてきた。
「僕は……なんて、無力なんだ……」
アイツらに歯向かう勇気なんて、最初から一欠片も持っていなかった。160センチの小柄な体躯。大きな声を出すことさえ苦手で、喧嘩なんて物語の中の出来事だと思っていた僕にとって、剥き出しの暴力の前でできることは服従だけだった。鹿島は帰り際、蛇のような目をしてセンコーにチクるなよと念を押していった。言われなくても分かっている。中学時代、あの野球部でいじめられていた生徒は、勇気を出して先生に相談した。けれどその結果、教師の不手際から相談したことがヤツらに漏れ、地獄はさらに激化したのだ。学校の先生なんて、いざという時には何の役にも立たない。自分の身を守るためには、この屈辱を飲み込み、沈黙を貫くしかないことを僕は痛いほど知っていた。
僕はボロボロの体を引きずるようにして、人目を避けて家に帰った。僕の母は幼い頃に病気で亡くなり、今は父と2人暮らしだ。父は長距離トラックのドライバーをしていて、週の半分は家を空けている。鏡を見ると、幸いなことに顔に目立つ傷はなかった。けれど、服を脱げば体中が赤黒いあざだらけだ。今日が父の帰ってこない日で、本当に助かったと思ってしまった。
浴室でシャワーを浴びる。温かいお湯があざに染みて激痛が走るけれど、心の痛みはその数倍も鋭かった。
「……っ……う、……」
もう二度と、雨野さんとの天国の時間は訪れない。漫画の話をして、彼女の笑顔を間近で見て、自分が人間であることを実感できたあの10分間は、今日、暴力によって奪い去られた。
僕は風呂場で膝を抱え、泣き声を押し殺しながら、ただひたすらにすすり泣いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった
海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····?
友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる