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第20話 ドゥーンと集められた開拓者たちと「世界最強の騎士」

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 帝雲、とは虚構領域・照覧領域問わず世界的に目撃される、巨大な積乱雲のことである。

 この雲の特異な点はいくつかあり、まずひとつは、出現する季節も時間帯も全てバラバラで、なおかつどんなに空模様に注意を払っていても「突然に」現れること。
 次に、その出現に前後し周辺地域に強力な魔獣の発生が頻発すること。
 これらの現象から、この雲は「薔薇獄の迷宮」や「生得平野」と同じ、古世遺物──由来不明の人工物──のひとつとして数えられていた。

 見た目はただの雲に過ぎない「帝雲」が、どうして人の手が入ったものだと認識されているのか、と言う点については、過去の調査結果を根拠としている。

 この雲は巨大で、それゆえに目立つ。
 かつ一度出現してから先はしばらくの間あたりを徘徊するとあって、内部への侵入と調査に関しては、都度行われてきたのだ。
 そうでなくともこの大陸では、空を飛ぶ手段は珍しくない。
 特に「帝雲」に関しては、その神秘性・危険性から、「開拓者」を送り込む組織は官民問わず数多くあったのである。

 だが、その結果はいずれも散々なものだった。

 特に死人が出たとか、行方不明者が出たとかいう話ではない。

 ある時は山の山頂から。
 ある時は翼人のパーティが。

 それぞれの手段で「帝雲」の内部調査へと赴いた人々は、ひとつの例外もなく。

 しばらくののち、「記憶を失った状態で」戻ってくるのである。

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 定期的な調査が行われているにもかかわらず、何の成果も上がらない、半ば都市伝説と化している「帝雲」は、我が「明けずの暁」が大陸を駆け上がるのに、おあつらえ向きな存在と言えた。

 何せ「暁」の目下の目標は、「ランカーギルド」への格上げである。

 そのための条件である上位の獣王武装は、レイチェルの「アグニ」、及び俺がトワイから譲られた「スサノオ」と、当てがあるにはあるのだが、

「わらわの『これ』は、わらわが名声を得てスターオリオンの家をスーパーびっくりさせるための切り札である。ゆえに今は、公表するつもりはない。もしもそれをお主が強制しようというのなら」

「……いうンなら?」

「このピアスをお主に譲るぞ」

「新しい角度からの脅しが来たな……」

 王家の証明である鷹のピアス。持ってても捨てても何かしらのトラブルに巻き込まれそうなことは明白である。

 このような調子で、「アグニ」の方は、ギルドの所有として登録を行うのに、レイチェルが了承をしてくれない。
 そもそもは「アグニ」のお披露目のために、あの「大規模討伐案件」を受けたのだったが──あれほどの強力な魔獣が出てくる、というのは、完全な想定外だったのだ。

「まぁ、だとしたらやっぱ、『スサノオ』を買い戻すしか手はねェよな。だからこその『帝雲』だ」

 そう言って俺は、強い熱を発して肌を焼く、中天の太陽を見上げた。

 俺たちが今いるのは、王都に隣接する港から100キロほどの位置にある巨大島、その首都として栄える「リーラ」と呼ばれる大都市だった。

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 俺たちがブルーフレアを離れ、リーラまでやってきたのは単純明快、「帝雲」が、現在この島の山岳地帯に出現していたためであった。

 リーラ特有の石造りの街並みをいく人々は、春先であるにもかかわらず、そのほとんどが夏の装いに袖を通している。
 それはこの島が大陸に比べて温暖な気候を持っている、ということもあるのだが、それ以上に大きかったのは、今この島に「帝雲」が訪れている、ということだった。

 端的に言って、お祭り騒ぎなのである。

 例えば今も、街を歩く俺たちへと横合いから、多くの住民と同じく独特な柄の半袖シャツを着込んだ中年男が、声をかけてきた。

「オニイサーン、コレ、オカイドクヨ。カッテイクヨロシ」

 しかしそれを見ていた他の中年が話を遮ってくる。

「チョイト、ソコノシャッチョサン、ミテコレ。ワタシツクタ、マヨケノオキモノ」

「アーダメダメ、ソッチノオキモノ、コウカ、ナシ。ソイツノトーチャン、オンナノコ二ダマサレテ、ハサンシタ」

「……母親が男に貢いで一家離散するよりまともだと思うがなぁ」

「言っていいことと悪いことがあんだろコラぁ!!!」

 何やら俺たちにものを売りつけようとしていたふたりが殴り合いの喧嘩を始めたが、俺たちはそれを無視して通りを進んでいった。

 ノエルが聞いてきた。

「アニキアニキ、なんであの人たち最初カタコトだったの?」

「伝統芸能、ってヤツらしい。シャッチョサン、とかいう呼びかけも含めて、まァ地域の独自性ってやつか」

「喋り方ではなく、中身とか技術で勝負できんもんかのう。わらわの中身とかほら、最後まで『天覧武装』ぎっしりじゃから、見習ってほしいもんじゃ」

「喋りと中身の両方で勝負してるヤツは言うことがちげェなァ……」

 俺はそう言って、ふわふわと浮かびながら手にした飴細工を舐めているレイチェルへと半目を送る。
 それを受けたレイチェルはしかし、こちらの視線を気にした風もなく、話題を変えてきた。

「しっかしまあ、呑気なもんじゃな。この島、今までは魔獣がおらんかったのじゃろう? そこに『帝雲』なんて厄い案件、パニックになってもおかしくはなさそうなもんじゃが」

「そこはまァ、魔獣に慣れてないこともあンだろうが……多分、過信してるんだろうよ。いや、あながち過信てわけでもねェんだが」

「過信? 何をじゃ?」

 俺は、レイチェルの疑問に対し、己の指を前方へと差し示すことで答えとした。

 リーラの街、その中心部に位置するのは、「ある人物」が有する広大な敷地とその住居だ。
 そこには、

「この街にはな。『世界最強』の女騎士が詰めてンだ」

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 参った、と私は思う。

 参った、参った、本当に参った。

 世界最強? 規範とするべき騎士の鑑?
 ちゃんちゃらおかしい、とも私は思う。

 確かに、騎士としての勉強はした。訓練もした。
 だがそれは、死にたくなかったから。家族の期待に、応えなくてはと躍起になったからだ。

 結果として私は確かに「世界最強」とまで呼ばれるようになり、王都の守護を仰せつかるまでに偉くなった。
 受けた任務は全てこなし、倒してきた魔獣の数は星に等しい。
 だが、それだけだ。
 私にとっては魔獣退治も王族のわがままに付き合うのも、そう変わらない。
 ただその日を生きただけ。
 ただ、平穏で平凡な日々を享受するための、その手段に過ぎなかったのだ。

 そうして命のやりとりを繰り返し、しかしそんな日々にうんざりとしながら過ごす中、決死の働きを神様が評価してくれたのか、私に転機が訪れた。

 任務の途中、ふとした油断がきっかけで、私は大怪我を負ったのだ。

 命には直結しない、しかし今まで通りに戦えるのかは疑問が残る、絶妙な怪我だった。

 私は引退した。

 そして私を、世界一平和と言われるリーラを治める金持ちどもが、大枚叩いて雇い入れたのがおよそ二年前のことだった。

 命の危機はなく、魔獣の脅威もない。
 温暖な気候は一年を通して共通し、食べ物にも遊び場にも困らない。

 ただ「元世界一」という肩書きにゆったりと背を預けていればいい、私にとっての理想郷に。
 私は、たどり着いたのだ。

 だが。

「どうしてこんなことに……」

 そう私が口にしたのは、孤島都市リーラの中央部、広大な敷地の中に築かれた、大領主「ハーケン家」の屋敷の中でのことだった。

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 私はソファーに座り、カップから紅茶をすすりながら、自分の周囲を眺めた。

 パーティどころか模擬戦闘のひとつやふたつ、余裕で開催できそうな広大な広間は、ハーケン公自慢のパーティルーム、そのひとつだ。

 天井に目を向ければ、「何これ家?」と言いたくなるほど巨大なシャンデリアが複数ぶら下がっており、下に目を向けたなら、気が遠くなるほど細かで精緻な模様が描かれた絨毯が毛足を天に向けている。

 壁際に置かれた調度品も、今私が座るソファーも、無論のこと高級品だ。
 天井角や床の縁をいろどる装飾ひとつとっても、この部屋に「粗末」という言葉はあり得なく、その全ては黄金色にきらめく特注の品々であった。

 だが、今この部屋に集められた人々は、そんな部屋の様子とは明らかに毛色を異にする人々だった。

 鎧、あるいはプレートアーマー。
 剣、あるいは槍、あるいは槌だったり杖だったり鞭だったり。

 多種多様な防具と武器を手にした、大陸では「開拓者」と呼ばれる戦闘巧者たちとその集まりが、今この部屋に、「帝雲」の内部調査という依頼のために集められていたのだ。

 そしてその中で唯一、「開拓者」ではなく「騎士」として呼ばれたのが、「世界最強の騎士」と称されるこの私、というわけだ。

 しかし私は、今のこの状態に、戦々恐々としていた。

 なぜって、「死にたくないから」だ。
 魔獣を産み出す正体不明の雲の調査なんて、絶対に危ないじゃないか。

 私は、誰にも聞こえないくらいの声音でつぶやく。

「……こんな安全な島に、まさか『帝雲』が……死者は出てない、って話だけれど……」

 それもどうだか、わからない。
 昨日死ななかったからといって、今日誰も死なないとは限らない。
 今日誰も死ななかったからといって、明日誰も死なないとは誰も断言できないのである。

「だからといってこの二年、ずっと私を大金で雇い続けてくれたハーケン公の依頼を無視できるはずもないわ……」

 なぜって、それをすればこの先この島で遊んで暮らし続けることができなくなるのだ。
 それは嫌だ。絶対に嫌だ。
 端的に言って、詰みである。
 しかもそれに加え、

「き、気まずいわ……」

 私の周りには、まるで野生動物が火を恐れる様のごとく、距離をとった「開拓者」たちによって、ぽっかりと空間があけられていたのである。

 見れば、周囲の開拓者たちは、部屋の中でひとりソファに座ってハーケン公を待つ私に、好奇の目を向け続けていた。

「も、もういや……小一時間はこの状態よ? ……いえ、確かに皆は『仕事』に来たのだろうから、のんきに用意された椅子に座ったりはしない……のかしら? だとすれば非常識は私……? いや何これ死にたい……いえ死にたくない……」

 だって私がこの部屋に通された時は、私しかいなかったし。
 それでソファとお茶が用意されてたら、無論座るし飛びつくし。

 私はカップを持ったままの手をカタカタと揺らし、ついには天に祈りを捧げ始めた。

「……うう……神様……私、死にたくないわ……死にたくない……どうにかここから脱出を……いえ、贅沢は言いません。せめてこの気まずすぎる状況をどうにか……」

 と、

「……ん?」

 部屋の中、それぞれの装備とそれぞれの過ごし方を見せる「開拓者」たちを眺めていて、私は気がついた。

 唐突に、気がついた。

 ……あ、私ここにいたら死ぬわね……。

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 俺たちは、「ハーケン家」が所有する屋敷の中、「開拓者」たちに用意されたパーティルームに足を踏み入れた。

 この島が「世界一平和」と言われるようになって以来、初めて迎えたのが、「帝雲」という魔獣出現の危機だった。
 住民や観光客はえらく呑気だが、さすがに「聖魔大戦」で多大な功績を挙げたことで、この島を任される領主になるにまで至った「ハーケン家」の末裔は違う、ということなのだろう。

 部屋を埋めるのは、大陸各地から集められた歴戦の猛者たちとのことだ。
 その多くは大陸解放のため「前線」で戦う、というよりは、金や名誉を目的とした連中だが、こうして部屋の入り口から見渡すだけでも、磨き上げられた「練度」のようなものはひしひしと感じられた。

「こいつらが今回、『帝雲』攻略のため集められた精鋭たち、か……」

「の割に誰も知らん」

「わらわに比べればモブ顔がすぎるのう」

 君たちここに喧嘩しに来たの?

 運よくふたりの言葉は誰にも聞こえてなかったようで、俺は部屋の奥へと足を進める。
 すると、

「……あれが……」

「……らしい、ぞ……」

「ううむ……さすが……」

 部屋の中央まで進んできたとき、周囲にたむろする開拓者たちの一部が、一様に何やら部屋の奥の方を見て、話しこんでいることに俺は気がついた。
 皆が皆そう、というわけでもないが、部屋にいる屈強な肉体をさらした男たちの多くが、そちらへと視線を向けていたのである。

 それらに釣られ、俺もまた部屋の奥へと目を向ける。

 そこでは、トワイと同じようなきらめく金の髪を腰まで伸ばした、騎士甲冑の女が、いやに優雅な動作でティーカップを傾けていた。

 周囲、開拓者のうちの誰かが言った。

「あれが、サーヴェル・ライアー。世界最強の騎士か」

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 金色の髪と、同じ色の瞳。
 トワイはその上で上背があるのだが、この「世界最強」と呼ばれたサーヴェルという騎士からは、どうにも「それらしい」雰囲気を感じなかった。

 甲冑に身を包んでいるものの、その姿はどこにでもいる少女に見えた。
 剣をかたわらに置いているものの、その様はどこか人形のようですらあった。

 だがしかし、その全てが奇妙にマッチした姿と、練り上げられた「気配」のようなものは、間違いなくサーヴェルが「世界最強の騎士」と呼ばれる人物なのだということを、否応なく俺たちへと叩きつけてくる。

 優雅にカップを傾ける様は、まるで一枚の絵画のようで。
 しかしそれでいて、定期的に周りを囲む開拓者たちへと鋭い視線を向けるのは、警戒を一切怠っていない、その証明であった。

 ノエルが言う。

「マジか。はー、いやんなるね、あんな人がいるなんて」

「強そうか? やっぱ」

「武具闘術師だよね、あの人」

「そういう話だなァ」

「トワイライトと同じタイプだよ。剣持ってるけど、なんでも使える感じの。あー、何? どういう鍛錬すればああなるの? クッソ、羨ましい……」

 ノエルにしては妙に饒舌に、かつ悔しそうに指を噛むその姿に、俺は少々の驚きを感じた。

 だが、俺たちの間をふわふわ浮いていたレイチェルは、

「……そうかの? 確かに強そうじゃが、うーん。なんじゃろう。『どうにもならん!』て感じじゃあないのう。何か重大な弱点抱えてるタイプじゃぞ、あれは」

 と、そのような評価である。

 俺はレイチェルに言う。

「……あんま滅多なこと言うなよ? 王家にも顔のきく女だ。目ェつけられたら面倒だかンな」

「は。わらわを誰だと思っとる? 勘当されとるとはいえ『四大元貴族』の出身で、隠されとるとはいえ『王家』の血を引くものぞ? ……勝ち目なくない?」

 だからそう言ってンだろうが。

 と、

「おい、邪魔だ」

 その言葉とともに背中に衝撃が走り、俺はよろめいてその場に膝をついてしまった。

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 俺が立ち上がり、膝を軽く払いながら振り返った先にいたのは、筋骨隆々とした肉体を惜しげもなく晒した、大柄な男の開拓者だった。
 武器は大斧。防具は合金製と思しきプレートアーマー。
 角刈りに整えた髪といかにも硬そうな顎髭は、ともに明るい茶色をしていた。

 男が言う。

「なんだぁ? ヒョロっちい同業者もいたもんだな。しかも」

 男は俺の両隣、ノエルとレイチェルの姿を見る。

「両手に花たあ、舐められたもんだ。……ここはガキの遊び場じゃねえんだ、帰りな」

 ……随分典型的な……。

 何か勧善懲悪ものの序盤の敵みたいなヤツが出てきたぞ、と思いながら、俺は男へと話しかける。

「……いやァ、わりィンだけどさ、帰るわけにはいかねェんだよ。ちょいと訳ありでな、金がいるンだ」

「は。金ねえ……。お前さ、命捨ててまで金欲しいわけ?」

 そう言って男は、自分の周囲、様々な開拓者たちが集まった部屋の中を見回す。

「ここにいる連中はな、『そうだ』。命捨てるような思いをして、それで金を稼いでる。なぜって、金が欲しいからだ。単純だろ? だからこそ、な。……てめえらみてえな遊び半分の連中を見ると、反吐が出るんだ」

 二メートル近い身長の男は腰をおり、わざわざ俺の眼前へと己の顔を近づけて、

「もう一度言うぜ。帰んな。金が必要なら、今街はお祭り騒ぎだ。そこのふたりなら、給仕でも『そういう店』でも、雇ってくれるトコには事欠かないだろうぜ?」

 そう言って男は、俺の両隣のふたりを見た。

 そんな男を見て、俺は、唐突に気がついた。

 理由があったわけではない。
 もちろん、「帝雲」という正体不明の古世遺物に怖気付いたわけでもない。

 もっとも近い表現で言うなら「直感」で。
 あるいは俺の経験として、あるいは「負けないことだけは得意」とかつて誰かに評された、その矜持をもって。

 俺は気がついた。

 ……あ、俺ここにいたら死ぬな……。
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