上 下
7 / 14
第01章 テロメア・コントロール

第06話 【10】もゆるひくすり 02

しおりを挟む
 新宿の様子は概ねいつも通りだった。始発を迎えに行き交う人をかき分けて、東口アルタ前にたどり着く。街頭ビジョンの正面にある広場に、規制線が敷かれていた。どうやらここが「間欠泉」らしいが、深夜で、さらに一ヶ月前の出来事だからか、興味を持って眺めている人間はいないようだった。

 あたりにはうっすらとアルコール臭が漂っている。そこらで潰れているアル中の体臭か、傷病人の外用薬かもわからない。わずかに香っているだけだ。しれっと規制線の内側に潜り込むと、少し臭いが強くなった。どうやら「くすり」が吹き出したと見て間違いないらしい。

 あまり大胆なことはできないので、おそらく警察が掲げたであろう標識を読む。「2018年2月17日、この場所で新たな間欠泉が吹き出しました。利用設備建設のため、当面の間立ち入りを規制します」……何の説明もなく都市に噴き出すものとして「間欠泉」という言葉が使われている。今の世界においては、昔からある「自然現象」のような扱いなのだろうか。

 僕はふと、すぐ横で熱心に文を読む女性の存在に気づいた。黒髪ロングストレート、長いまつげに彫りの深い顔立ち、すらりとしたスタイル。ずいぶんな美人である。自然に声をかけられる希有なチャンスだ。

「あの……変なことを聞くかもしれないのですが、『間欠泉』ってなんですか。僕、しばらく海外で暮らしててよく知らないんです」

 女性は怪訝な顔をして僕のほうに向き直った。正面から見るとなおさら綺麗である。乳もデカい。黒いニット生地のセーターには、隠しきれない豊満な膨らみがカーブを描いている。

「なにも知らないんですか……?」

 世界的かつ、昔からあるものだったなら……海外設定はうかつだったかもしれない。彼女が僕を見る目は不審者を見るソレだった。雑なナンパとでも思われたのだろうか。無視しないだけマシ、っていうかいい人だ。

「いやあの、当然知らないわけじゃなくて、でもえっと、この場所でなんで……とか」

 しどろもどろになりながら僕は答えた。目が泳いでいただろう。ますます不審者だ。

「あっ、すいませんやっぱいいです。ごめんなさい」
「……あなた、もしかして新しいーー」

 彼女は何かを言いかけて、ハッと気づいたようなそぶりを見せた。最低限の動作であたりを見渡す。そしてさらに何かに気づいたらしく、あえてなんでもないような装いで、僕に言った。

「今日この時間にここに来たってことは、そういうことですよね。……少しお時間いいですか」

 驚いたことに、彼女は僕の手を取って歩き始めた。僕の動揺を振りほどくように、横断歩道を渡り、電車の高架がある方向に進んでいく。その最中、間欠泉にもう一人、怪しげな中年男性がたたずんでいるのに僕は気づいた。彼は何故かこちらを凝視している。一瞬目が合ったが、得たいのしれない恐ろしさを感じて僕は目をそらした。

「どこに行くんです」
「ふたりきりになれる場所へ」

 彼女は信号待ちのタクシーを捕まえ、すぐに乗り込んだ。告げられた行き先はなんと群馬県の主要都市だ。

「貴重品の類と、例のパソコン……いや、今はスマートフォンですね。持ってますか?」
「……はい」

 何かに納得したように頷くと、彼女は小声で言葉を繋いだ。

「あなたは迂闊なことをした」

 咎めるようにため息をつき、ポケットからスマートフォンを取り出す。なんとそれは僕の拾ったあの端末と同じ形状をしていた。

「私は『会員番号07』の人間です」

 僕はようやく事態を察した。僕は強大な力へのアクセス権を得て、好奇心に委ねて動いていた。しかし重要な点がある。僕の会員番号は「16」で、つまり圧倒的な新参だということ。世界の変化を知覚できるのは、僕に限らない可能性があるということ。強大な力の背後には、何か恐ろしい思惑や存在が、きっと、あること。

 彼女は敵か、味方か。
 タクシーは夜明け前の空いた道を突き進んでいく。

「じゃあ、首都高乗りますよ」

 日常を生きる運転手の言葉が、どこか遠く思えた。
しおりを挟む

処理中です...