レビラト・シンデレラ

湖町はの

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 ――ねぇ、ご存知?
 
 雛鳥のように口を開ける少女たちが好むのは、なにも甘いお菓子だけではない。
 
「エルナト男爵は、亡くなった奥様の妹と結婚されたんですって」
 
 ひとたび賽が投げられれば、少女たちの嘴は、他者の心を啄むことに夢中になる。
 
「なら、ソニア様とアレン様はどちらとの?」
 
「お二人ともエミリア様との子どもだそうよ」
 
「ああそれでセドリック様は――」
 
 妻でない女との饗宴に浸り、子どもに無関心な父親。
 ソニアにはどう足掻いてもそれ以外の表現の見つからないセドリック・エルナトも、見方を変えればどうだろう。
 
「お可哀想なエルナト男爵」
 
「仕方がないわ。亡くなった奥様の妹との結婚だなんて!」
 
 愛してもいない女と、それも亡き妻の妹との再婚。その間にできた子ども。
 セドリックがエミリアを、ソニアを、アレンを愛さないのは仕方がないことなのだ。
 
「男爵も夫人も、ソニア様には一等冷たいわ」
 
「ああ……ソニア様は、エミリア様にそっくりだもの」
 
「確かに。アレン様は男爵と同じ栗色の髪をしているけれど、ソニア様は髪も瞳も夫人と同じね」
 
「そのせいで男爵はますます夫人を嫌うのよ」
 
「そうよ。だから、仕方がないわ」
 
 愛してもいない女にそっくりな娘。自分に似て生まれたせいで夫の不興を煽った娘。
 
 セドリックがソニアを愛さないのは仕方がないことなのだ。
 エミリアがソニアを愛さないのは仕方がないことなのだ。
 
「ソニア様は母親に愛される弟を嫌ってる」
「そうね。でも、仕方がないわ」
 
 ――誰にも愛されないのだから、誰も愛さない。
 
 仕方がないわ。仕方がないわ。


 
 ◇ ◇ ◇


 
 ソニアを乗せた馬車がアルファルド伯爵家の別邸に着く。
 門扉は軽快な音を立てて開いた。どうやら錆び付いてはいないらしい。
 ギルバートは北の森の屋敷に籠っているのでこの別邸には長らく近づいていないと聞いたが、管理をしている人間がいるのだろう。
 
(ろくに寄り付きもしない無用の長物なら、孤児院として使わせてやるのはどうかしら)

 その方があの歪んだ城を建て直すのよりも早そうだ、とソニアは思いついた。
 
《 孤児院のことを案じるなんて まるで伯爵夫人みたいね 》
 
 揶揄する声と金の羽が降ってくる。
 
(残念。さっきまでは珍しく、あなたと楽しくお喋りができていたのにね)
 
《 なにを言っているのよソニア 》
《 あなたはわたし 》
《 わたしはあなた 》
 
(ああそうね。そうだった)
 
 単に気分が沈んでしまっていただけのこと。
 九官鳥とのお喋りはお終いにして扉を開くと、手が差し出される。日の光を反射する白い手。
 
「伯爵? どうして、こちらに……」
 
 ソニアに手を差し出したのはギルバートだった。
 ギルバートが眼鏡を外したのはあの日のあの一瞬だけだ。だからもう、ソニアはこの男を、エドワードと見誤ることはない。
 
「ここもアルファルドの屋敷なのだから、私がいても当然だろう?」
 
 それもそうか、とどこか釈然としない気持ちでギルバートの手をとり、馬車を下りた。
 
《 屋敷で恋人との時間を楽しんでいるのではなかったの? 》
 
 金の鳥が鳴く。
 
「……連れて、来られたのですか?」
 
 まさかそんな無神経なことはしないだろう、と思いつつも問う。
 
《 なんてことをきくのよ! 》
 
 ギルバートに恋人がいるのは一向に気にしないが、さすがに寄り添う姿を間近で見たいとは思わない。
 心の安寧のためだ。喚く道化師は破り捨てた。
 
「誰を?」
 
「誰、って」
 
 ギルバートは御者からソニアの荷物を奪うと追い払うように手を振る。御者は黙ってそばを離れた。
 
「知っているだろう。私は人が嫌いなんだ」
 
(……そうね。職務を全うしようとしただけの人間をそんな風に邪険に扱うような人が、人嫌いでないはずはない)
 
「ええ、知っているわ」
 
 原色の九官鳥たちが久々にざわめいた。
 
《 傷の伯爵様は人が嫌い 》
《 特に女が 》
 
「私が当主になってから、このアルファルドの別邸には、私と貴女以外の人間は足を踏み入れたことは無い」
 
 でも、と金色の九官鳥が歌う。
 
《 人じゃ ないかもしれないものね 》
 
「なら……」
 
 まだ口を噤もうとしないソニアに苛立ったのか、ギルバートは珍しく声を荒げた。
 
「なにが言いたい!」
 
 アメジストが剣呑に吊り上がる。
 
「あなたは……あなたが、わたしと結婚した理由は、なに」

 それでもソニアは怯まなかった。その怒りが偽物だと、ソニアにはもうわかってしまったのだ。
 
「またそれか」
 
 望みは、なんだ。
 繰り返し投げられるその問いに辟易したようにギルバートは眉根を寄せた。
 
「何度言えばわかるんだ、私は――」
 
「エドワードのものが欲しかった、なんて嘘はもう、吐かなくていいわ」
 
 ソニアは冷たく告げた。
 ギルバートの端正な顔が凍り付く。
 
「あなたが本当にそう思っているなら……」
 
 エドワードと同じ白い手を取る。指輪のはまっていない、空っぽの指。
 
「どうしてわたしに、返したの。エドワードの、指輪を」
 
 ギルバートは答えない。
 
「ねぇ、わたしは誰の身替わりなの? ギルバート・アルファルド」
 
(ギルバートは、自分をエドワードの替わりにすればいいと言った)

 ――そうまでして得たいと思うのは、そうまでしなければ得られないのは、一体誰だ。

 ソニアはギルバートの言葉をじっと待つ。
 
「さっきから……なんの話をしている」

 そうして待った末に飛び出してきた返答はあまりにも的外れ。

(ああ、もうどうでもいい)

「……あなたの、愛人の話よ」
 
 道化師が、九官鳥が、シャム猫が止めるのも聞かず衝動的に口を開く。
 もういい。彼らの言葉など聞くものか。そんな自暴自棄を起こした。
 
「あなたが……キズモノで、後ろ盾もしがらみもない名ばかりの女を、愛してもいない女を娶ってまで守りたかった……っ! あなたの、愛しい愛しい恋人のことを聞いているのよ!」
 
 息を荒げるソニアに、ギルバートは瞳を伏せた。
 
「……恋人?」
 
 白い指で左頬の傷を撫でる。
 
「貴女にはこの傷が見えないのか? こんな……こんな私に、恋人――いや、愛人なんているはずもないだろう」
 
(予想通りの言い訳ね)

 醜い傷があったって。それを補うなにかがあれば良いのだ。
 
 例えばランドル・ドゥーベ伯爵は、あの豚は、ソニアの若さを求めた。傷があっても気にしないと、みずみずしいその肉体さえあれば良いと言っていた。
 ギルバートには、そういうなにかがいくらでもある。
 伯爵の地位と富。潤沢な魔力と、北の守護星としての名声。

 ――どれか一つでも、傷を覆い隠すのには十分だ。
 
「ソニア」
 
 ギルバートは目を伏せたまま唇を引き結び、それから歪めた。
 
「私は誰かに愛されたことなどないよ。そんな私に、愛する者などいない」
 
(――嘘吐き)

 ソニアは暗鬱な笑みを浮かべるギルバートに、言葉を突き立てる。
 
「……あなたの、父親は、母親は……あなたを、愛したでしょう?」
 
(エドワードも、嘘を吐いていた)
 
 魔法が大して使えず、魔力のコントロールも下手で、物を壊して叱られていた片割れ。そんな彼より優秀だと、父親に褒められていたもう一人。
 前者が兄で、後者が自分。エドワードはそう語ったが、本当は逆であったはずだ。
 
 そうでないと、矛盾する。
 ギルバートは結界の維持をしながら十体の使い魔を使役できるような人間なのだから、エドワードよりも魔法が使えないなんてことは、ありえない。
 
「まさか」
 
「嘘よ」
 
「なぜ、そう思う」
 
 断定する言葉にギルバートは眉をひそめた。なぜお前が、お前ごときが過去を知っているかのように語るのだと責めてくる。
 
 だが、ソニアには確証があった。ギルバートが嘘を吐いているという、確信が。
 睨みつけて告げた。
 
「――だって、あなたは愛を知っている」
 
 愛されたことがあるから、愛することができる。
 愛を知っているから、泣きぬれた頬を撫でて、優しく微笑むことができるのだ。
 
(エドワードは……できなかった)

 ソニアは、“正しい愛”をすべておとぎ話で学んだ。
 自傷を繰り返すエドワードを窘め、涙を流せばその頬を拭った。そうしてさも自分は愛を知っている人間だとでも言うようにエドワードに接した。
 
 そうするより他に、彼と触れ合う術を持たなかったから。
 そうするより他に、愛を手に入れる術を持たなかったから。
 
「は……愛……愛、ね」
 
 ギルバートは嘆きとも嘲笑とも付かない声を漏らし、ソニアの手を掴む。そして、自らの左頬に触れさせた。肉の抉れたような、醜い傷痕に。
 
「ソニア。この傷はね……私が、自分で付けたんだ」
 
 告解するように地に膝を突く。
 
「冷たいナイフを押し当てて、深く抉った。――もっと、軽く済むと思ったんだよ。すぐに消える、薄い傷をつけるだけのつもりだった。それなのに……」
 
 敬虔な信者のように頭を垂れたまま、ギルバートの言葉は続く。
 
「こうして、醜い痕が残った。ねぇ、ソニア」
 
 アメジストから滴が零れる。
 
「……もし私が愛されていたのなら、どうしてそんなことをする必要があったのだろうね」

 呼応するように空が泣いた。
 地面にどんどん大粒の雫が落ちて、乾いた土を濡らしていく。
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